第十七話 ドアの向こう
書くことがなにもない作者です!ペンネームはふざけてますが内容はふざけてません! 1日何話投稿がいいかな?
十二月の半ば、ルミナが言った。
「ねえ、アイル」
「うん」
「もう、家に帰らなくていいんじゃない」
夕飯を食べ終えた後だった。ルミナの母が片付けをしていて、僕たちはリビングのソファに並んで座っていた。テレビが小さな音でついていた。
ルミナの声は、静かだった。
怒っているわけでも、急かしているわけでもなかった。ただ、当たり前のことを言うような、そういう声だった。
「帰らなくていい、って」
「うん。どうせほとんどいるんだし」ルミナが膝に手を置いたまま、前を向いていた。「荷物も、もう少し持ってきたら、楽じゃない」
前にも同じような話をしたことがあった。半分住む感じで、と言われた時。あの時は「少し考える」と答えた。
それから、もう何ヶ月も経っていた。
「……親に言わないといけない」
「言えばいいじゃん」ルミナが少し首を傾げた。「反対されると思う?」
分からなかった。両親が何を思っているのか、最近あまり話せていなかった。母からのメッセージには返していたが、短い返信だけだった。父からは、もう何週間もメッセージが来ていなかった。
「……分からない」
「分からないなら、言ってみればいいじゃん」ルミナが笑った。「もし反対されたら、その時考えよ」
そうかもしれなかった。
でも、言いたくない、という気持ちが、どこかにあった。言えば、何かが決まってしまう気がした。今は、まだどちらでもない感じがあった。言えば、それがなくなる。
「……もう少し待って」と言った。
「うん」ルミナが頷いた。「焦らなくていいよ。ただ、一緒にいたいなって思っただけだから」
一緒にいたい。
その言葉は、いつ聞いても同じように胸に落ちた。
でも今日は、落ちた後に、少し何かが残った。重さのような、引っかかりのような。何なのかは、うまく言葉にできなかった。
その夜、眠れなかった。
ルミナはすぐに寝た。いつも通りだった。僕は天井を見ていた。
もう家に帰らなくていい。
ルミナの言葉が、頭の中を回っていた。帰らなくていい、というのは、どういうことだろうと考えた。帰る必要がない、ということか。帰ってほしくない、ということか。どちらも同じことを指しているのかもしれなかった。
シエルのことを、思った。
今頃、家にいるだろう。窓際の椅子に座って、本を眺めているか。それとも、もう眠っているか。シエルが眠るのかどうか、考えたことがなかった。聞いたこともなかった。
そういう、当たり前のことを知らないまま、ずっとそばにいた。
スマートフォンを取り出した。
シエルとのトーク画面を開いた。四日前で止まっていた。
今夜は、何か送れる気がした。ルミナが眠っているから、送りやすかった。
少し考えて、打った。
『眠れないです』
送信した。
すぐに既読がついた。
シエルが起きていた。それが少し、おかしくて、でも安心した。
返信が来た。
『どうしましたか』
『なんとなく』と打った。
『そうですか』
少し間があってから、また返信が来た。
『アイルさん、最近、元気ですか』
元気かどうか。
しばらく考えた。
『分からないです』と打った。
また間があった。今度は少し長かった。
『そうですか』
それだけだった。
でも、それだけで、少し息が楽になった。シエルがいる、ということが、どこかに伝わった気がした。
『シエルは元気ですか』と打った。
『普通です』
『普通って、元気ってこと?』
『……まあ、そうです』
少し間があってから、また来た。
『アイルさん、眠れそうですか』
『まだ』
『そうですか』シエルからの返信が続いた。『眠れない時は、何か温かいものを飲むといいですよ』
『ルミナの家だから、あんまり動けない』
『そうでしたね』
また少し間があった。
『眠れなくても、目を閉じていると、そのうち眠れます』
シエルらしい答えだった。
なんとなく、少し笑えた。笑った、というほどではなかったが、口の端が少し動いた。
『分かりました』と打った。
『おやすみなさい、アイルさん』
『おやすみ、シエル』
画面が暗くなった。
天井を見た。
さっきより、少し軽くなった気がした。何かが解決したわけではなかった。何も変わっていなかった。ただ、シエルと少し話せた、それだけだった。
それだけで、少し軽くなれた。
その感覚が、何を意味するのか、その夜の僕には分からなかった。
翌朝、ルミナが目を覚ました。
いつも通り、最初に僕を見た。いつも通り、ほっとしたように息を吐いた。
「おはよう」
「おはよう」
「よく眠れた?」
「……まあ」
「そっか」ルミナが伸びをした。「今日、寒そうだね」
窓の外を見ると、空が白かった。雲が厚くて、雪が降りそうな色をしていた。
「雪、降るかな」
「降ったらいいな」ルミナが言った。「二人で雪見たい」
二人で、という言葉が、また引っかかった。
二人で雪を見る。それは、悪くないことだと思った。でも、二人で、という言葉の中に、他の誰かが入る余地がない感じがした。
シエルとも、雪を見たことがあったような気がした。いつだったか、思い出せなかった。でも、確かにあった気がした。
「うん」と答えた。
ルミナが笑った。
学校へ向かう途中、昨夜の分かれ道に差し掛かった。
自分の家へ向かう道と、学校へ向かう道が分かれる場所だった。毎日通っていた。毎日、まっすぐ進んでいた。
今日も、まっすぐ進もうとした。
でも、足が少し、重かった。
昨夜、シエルと話した。眠れないと送って、シエルが返してくれた。たったそれだけのことが、足を少し重くしていた。
ルミナが「どうしたの」と言った。
「なんでもない」と答えた。
また、まっすぐ進んだ。
分かれ道が後ろに遠ざかっていった。
遠ざかっていくのを、今日は少しだけ、振り返って見た。
昼休み、ルミナがトイレに行った。
珍しく、一人になった。
スマートフォンを取り出した。シエルとのトーク画面を開いた。昨夜のやりとりが見えた。
もう一言、送ろうかと思った。
何を送ろうか、考えた。
結局、何も打てないうちに、ルミナが戻ってきた。
スマートフォンをしまった。
「何してたの?」ルミナが聞いた。
「なんとなく、スマートフォン見てた」
「誰かに連絡してたの?」
「してない」
ルミナが隣に座った。「そっか」と言った。
嘘ではなかった。連絡はしていなかった。しようとして、できなかっただけだった。
それが嘘でないとしても、正直でもない気がした。
放課後、ルミナの家に着いた。
玄関を入ると、いつもの匂いがした。ルミナの家の匂い。いつの間にか、慣れてしまっていた。
部屋に入って、鞄を置いた。
机の上に、紺色のマフラーがあった。ルミナがくれたものだった。今日はつけていかなかった。つけていくのが、なんとなく、まだできなかった。
ルミナは気づいていないようだった。
窓の外を見た。空はまだ白かった。雪は降っていなかった。
シエルの家の空も、同じ色をしているだろうと思った。
今夜も眠れなかったら、また送ってもいいだろうか、と思った。
でも、ルミナが隣にいたら、送れないだろうとも思った。
昨夜送れたのは、ルミナが眠っていたからだった。
ルミナが起きている間は、送れない。
それが、どういうことなのか、少し考えた。
考え始めたところで、ルミナが「ねえ、お茶飲む?」と言った。
「うん」と答えた。
考えていたことが、どこかに行った。
窓の外の白い空を、もう一度だけ見てから、部屋の中に視線を戻した。
夜、ルミナが眠った後。
今夜は、スマートフォンを取り出さなかった。
取り出したかったが、取り出さなかった。
昨夜送れたのは、偶然みたいなものだった。眠れなくて、気づいたら送っていた。今夜は、送ろうとして、送らない、という順番になっている。それが、なんとなく、昨夜とは違う気がした。
意識して送らない、ということは、意識して距離を置いている、ということだろうか。
そういうことを考えながら、天井を見ていた。
ルミナの寝息が聞こえた。穏やかな音だった。
窓の外から、微かに風の音がした。
今夜は、雪が降るかもしれなかった。
明日の朝、窓を開けたら、積もっているかもしれなかった。
そうしたら、ルミナが「二人で雪見よう」と言うだろう。僕は「うん」と言うだろう。
それが、明日の朝の形だった。
家に雪が積もったら、シエルは何をするだろう、とふと思った。
一人で、窓から見るだろうか。
その姿を想像したら、胸が少し痛んだ。
痛みの理由を、今夜も言葉にしないまま、目を閉じた。
眠れるかどうか、分からなかった。
でも、目を閉じていれば、そのうち眠れる、とシエルが言っていた。
その言葉だけを、頭の中で繰り返した。
1日何話投稿がいいかな?




