それはゴブリンか、人間か
シルヴァは大きな岩の上に座っていたが、次の瞬間、姿を消した。
かすかな風だけが、その場に残る。
タッ。
気づいたら、リリーの隣に歩いて行っていた
リリーはわずかに驚いたが、後ずさりはしない。
目隠しの布を外す。まるで同じものを感じ取ったかのように。
「さっきの気配……あれは何でしょうか?」とリリーが尋ねた。
シルヴァは、先ほど入ってきた崖の脇の洞窟の闇へと視線を向けた。
その目は冷たく、鋭く、怒りを押し殺している。
そして、そのまま洞窟へと歩き出した。
「怪我したDランクの魔物がこっちに向かってくる。あたしがやる。あんたはそのまま訓練を続けて」
リリーは急に緊張した顔になった。
勇気を出して話し始め、一歩前に出た。
肩がちょっと震えてるけど、目は逆にやる気に満ちてる。
「私にやらせてください。試してみたいんです……自分の訓練の成果を」
シルヴァが立ち止まった…そして、チラッと彼女を見た。
何の表情もなく、だが、明らかに値踏みしている。
「1分。」
「はい?」
シルヴァは完全に彼女の方を向いた。
「一分やる。それで終わらなかったら……あたしがやる」淡々と言い放った。
リリーは自信ありげに薄く笑った。
「十分です」
シュッ――!
その体はためらいもなく、暗い洞窟の中へと一気に飛び込んだ。
シルヴァはその場に立ったまま、闇に沈む洞窟の奥を見つめている。
心の中で、彼女は数を数え始めた。
一……二……
◆
タッ…タッ…タッ…
足音が洞窟の中に静かに響く。
俺は長い間、闇の中を進み続けた。
何も見えない、すべてが濃い闇に溶けている。
【MANA VISION】
このスキルのおかげで、闇の中の存在はすべて青い炎のように見える。暗闇の中で、それぞれの存在を包むマナのエネルギーだ。
天井にぶら下がるコウモリも、その輪郭を形作る青い炎にしか見えない。
地を這う蛇もまた、青い炎の流れに過ぎない。本来の姿をなぞるように、しなやかに動いている。
ゴオオオォ……
洞窟の通路を吹き抜ける夜の風の音が、やけに大きく耳に響く。
俺の足が、不意に止まった。違和感に気づいたからだ。
ヒューッ…ヒューッ…
「…………」
「風の流れが変わった……
……来る。」
青い炎のシルエットが姿を現し、左右に素早く蛇行しながら、こちらの隙を探るように高速で迫ってくる。
その手には、洞窟の闇の中で鈍く光る剣が握られていた。
それを見た瞬間、俺の顔がぱっと明るくなる。
(女のゴブリン……!)
無音、無警告。
斬撃が一瞬で俺の首の前に迫り、刃先が横を向き、切り裂く。
目の前の空気が裂けた。
時間がゆっくりと流れる。
それでも、俺の手は前へと伸びていた。掌を開き、その一撃を受け入れるように。
(攻撃の味は……どう?)
シュリンッ……
切り抜けた瞬間、そいつはすでに俺の背後にいた。距離を取りつつ、斬撃の終わりの体勢のまま。
俺は切られた手のひらを見つめる。
傷はない、痛みもない。ただ、浅い線が残っているだけだ。
俺は振り返り、そいつを見た。
暗闇の中では、頭上の数字は見えない。
分かるのは、青い炎のようなオーラに包まれた輪郭だけだ。
俺は手を前に伸ばし、掌をそいつに向けた。
まるで、その攻撃など問題にもならないと言わんばかりに。
(本によれば、ゴブリンはただの弱い魔物にすぎない。
……俺の全能力の中で、斬撃耐性が一番低いはずなのに。)
(ヴェドラの森では、俺は“リーパー・バニー”相手にしか訓練していない。唯一の鎌を使うモンスターで、平均戦闘力は26,000〜33,000。残りの斬撃は、体内のマナオーラが受け流していたんだ)
リリーは俺を振り返った。
彼女の目には、洞窟の闇の中に立つ青い炎のような人間の姿に映っていた。手を彼女の方へ差し伸べている。
『人間……?いや、違う。シルヴァさんはこいつがDランクの魔物だと言っていた。
こいつのマナオーラは、私より明らかに弱いはず。』
リリーは剣を強く握り直す。
『人間に化けた魔物……私の攻撃が効いていない……』
彼女の頬に汗がにじむ。
『こいつ……マナオーラを隠している』
俺たちは互いに、目の前の相手を魔物だと思い込んでいた。
リリーは強く構えを取った。
彼女の剣がゆっくりと腰の鞘へと戻されていく。
スクリン……
金属が擦れる音が、静寂を裂き、洞窟の壁に薄く反響した。
【 ABYSS 】
「カチン!」剣が完全に鞘へと収まる。
一瞬で、彼女の姿は視界から消え、地面には薄い砂埃だけが残った
俺は首を動かさず、視線だけを右へ向ける。
……そして、その方向へ体を向けた。
(一歩で十分)
薄い影が目の前に形を成す。
リリーが俺の真正面に現れる。
青い炎に包まれたまま、互いに視線が交わった。
『 SLASH一一』
彼女の目が大きく見開かれる。気づいた時にはもう遅かった。
リズムが崩れ去る。
一瞬で、その動きが止まる。
振り抜きかけたまま、彼女の体は宙で固まり、剣は背中側で止まっている。
「遅いな……」と、俺は気だるそうに呟いた。
パンッ!
右手が鋭く走り、そのまま彼女の首を掴んだ。
リリーの体が激しくのけぞり、宙に浮く。
足が空中で振られ、体と同じ高さまで上がる。
「グハッ!」
剣が手から離れる。
刃が岩壁にぶつかり、鋭い金属音を響かせる。
瞬間、両手が俺の手にぎゅっとしがみつく。
『人間の声……?ま、待って…』
リリーの声は出てこない。俺の手が彼女の喉を掴んでいるから。
自分で作り出した勢いを利用して、俺はそいつの体を地面に叩きつけた。
ドン!
体が激しく地面に打ちつけられ、土煙が一瞬だけそいつの姿を覆う。
気絶した。
『四十一か……』
俺はまだしゃがんだまま、地面に倒れた青い炎のシルエットを見下ろしていた。
「ゴブリンのマナクリスタルは胸にあるはずだ」
首を掴んでいた力が緩む。
俺の指がゆっくりと、彼女の首から下へと這っていく。
「……柔らかい……これは何だ?」
俺は何度かそっと手のひらで叩き、確かめた。
「この感覚……ローズが抱きしめてきた時と同じ……
……雌のゴブリン……?」
指で耳の先をなぞるように、慎重に触れる。
「尖ってない?」
今度は髪に触れ、軽くすり下ろす。
「長い……ゴブリンはほとんど無毛のはずだ」
苦く唾を飲み込んだ。
そして今度は、顔を探るように手が震えながら動く。
「口が……ない……?」
「いや、これはマスクか」
指が縁に引っかかり、そのままマスクのゴムを引っ張った。
パチン!
跳ね返ったゴムが勢いよく戻り、彼女の頬を打った。
「に、人間……」
俺は洞窟の入口の先を見つめた。
そこには月明かりが差し込んでいる。
倒したこの存在がゴブリンなのかどうか、そこへ連れて行って確かめようと思った。
『五十五…… 』
俺はリリーの体を肩に担ぎ上げる。
腹が肩に押しつけられ、腕は背中側にだらりと垂れ下がる。
俺は洞窟の奥へ歩き出した。
一歩進むたびに足音が静かに響き、肩の上の体がわずかに揺れる。
『六十…… 』




