第4話 「光に照らされる影」
――都市の朝は、いつも光から始まる。
《リュミエール》の空は、夜明けと共に白銀に染まり、無数の光線が街をなぞる。
目覚めのチャイムよりも早く、System:∞が都市全体の照度を調整し、人々の眠りを静かに断ち切る。
その光はやさしく見えて、どこか冷たい。まるで、命の代わりに秩序を与えるように。
天城蒼は、寮の共有ラウンジの窓際で、その光を見つめていた。
ガラス越しの街はまるで、完璧に組まれた人工の迷宮だ。
高層の塔群は規則正しく並び、歩行者の流れさえも数式のように滑らか。
街全体が「Systemの理想」を映す鏡――そんな気がした。
昨日の特別指令。
あの清掃活動のあと、蒼の中で何かがずっと引っかかっている。
システムの指示は明確だった。
〈指定エリア清掃活動〉――
行動ログが即時に記録され、協調性・行動効率・遵守度といったデータがリアルタイムで解析されていく。
それを終えた後、全員のRank Nodeが“後日更新”される。
ただの清掃、のはずだった。
だが蒼の目には、あれが“監視”以外の何かには見えなかった。
『……何を測ってるんだ、Systemは。』
呟きは、静寂に溶けて消えた。
この都市では、独り言すら記録される。
声も、呼吸も、まばたきでさえも。
午前八時四十五分。
《アカデミア・ルミア》本校舎。
εクラスの教室は、静かな緊張で満ちていた。
今日――Rank Nodeの更新がある。
入学から一週間、初めての“正式な評価”だ。
教室内の誰もが、無意識に呼吸を浅くしている。
笑い声もなく、机の上の端末に視線が集まっていた。
「おい、蒼」
後ろの席から御影湊が声をかけてくる。
「初更新だな。緊張してんのか?」
「……まぁ、少しは」
「俺もだよ。けど、上がればAランチ、下がったらカップ麺。単純明快だろ?」
湊は軽く笑った。
その明るさが、この張り詰めた教室ではどこか浮いていた。
けれど、蒼は少しだけ救われるような気がした。
⸻
午前九時。
教室の照明が一瞬だけ明度を下げ、電子音が鳴り響いた。
《System:∞より通達。》
《行動データ解析を完了。Rank Nodeを更新します。》
教室全体が淡い光に包まれる。
机上の端末が一斉に起動し、生徒たちの前に光の数字が浮かび上がった。
誰もが息を呑む。
静寂の中、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いた。
蒼の目の前にも、数字が現れる。
《Rank Node:∞》
――何かが弾けるような衝撃。
視界が白に染まり、音が遠のいた。
世界の輪郭が一瞬だけ溶けていく。
周囲の気配も、教室のざわめきも、何も感じない。
ただ“光”だけがあった。
そして――
ほんの一秒にも満たない時間の後、
画面が明滅し、数値が書き換わる。
《Rank Node:12.03》
「……っ」
蒼は思わず息をのんだ。
さっき確かに“∞”と表示された。
なのに今は、ただの低い数値。
周囲の生徒たちは何も気づかず、それぞれの結果を見て一喜一憂している。
湊が前を向き、肩越しに笑った。
「お、俺は20.40だ。少し上がった。Systemも見てるもんだな」
「……そっか」
「お前は?」
「……12.03」
「マジか。まぁ最初はそんなもんだろ。下がらなきゃセーフだよ」
湊の言葉に、蒼は小さくうなずく。
けれど心の奥では、別の何かがざらついていた。
(……Systemが、上書きした……?)
⸻
放課後。
εクラスの生徒たちはそれぞれの端末を見つめ、
Rank Nodeをもとにした“行動計画”を練っていた。
この学園では、数字がすべてを決める。
上位の生徒ほど時間も設備も自由に使えるが、
下位の者は行動範囲すら制限される。
蒼の端末にも、赤い文字が表示されていた。
《特定区域の立ち入り制限:発動中》
つまり――
彼は、自由を持たない者として扱われているということだった。
校舎を出る頃には、夕陽が都市のガラス壁を朱く染めていた。
蒼は無意識に空を見上げる。
光が美しいほど、その下にある影が濃く感じられた。
『……観測……完了……』
微かに、耳の奥で誰かの声がした。
風の音とも違う、電子ノイズのような囁き。
振り向いても、誰もいない。
ただ、街の灯りが一つだけ、静かに点滅していた。
まるで――“誰か”がそこにいるとでも言うように。
⸻
蒼のRank Node:12.03。
それは、最下層の数字。
しかし、その背後には、Systemが決して記録しなかった“∞”という残像があった。
誰にも知られないまま、
この都市の“完全な秩序”に、
最初の歪みが――生まれ始めていた。




