第3話「閉ざされた教室、見えない線」
朝のチャイムが鳴る。
白い光が教室の窓から差し込み、机の縁を淡く照らしていた。
ここはεクラス。
《アカデミア・ルミア》の中でも、最も下位に属するクラスだ。
天城蒼は、自分の席に座りながら周囲を見回した。
誰もが無言でタブレットを見つめ、時折、眉をひそめる。
静かというより、息を潜めるような空気。
それは、序列に縛られた者たちの沈黙だった。
教壇の上で、淡い光が瞬く。
System:∞のホログラムが立ち上がり、無機質な声が響いた。
> 《本日の講義を開始します。
> テーマは「適応と統制」。
> あなた方は、Systemの秩序を理解し、正しく行動することで評価されます。》
声に抑揚はない。だが、その無機質さこそが支配の象徴だった。
教室の空気が一層張り詰める。
誰も言葉を発さず、ただ画面をタップする音だけが規則正しく響いた。
蒼は指先を止め、ホログラムの問いに目を向ける。
> 「人間にとっての“正しさ”とは何か。」
周囲の生徒たちは即座に入力を始める。
“Systemに従うこと”、
“秩序を乱さないこと”、
“効率を追求すること”。
表示された回答例は、どれも似通っていた。
だが、その中に「考える」という行為そのものは存在しない。
――これが、授業なのか?
蒼は小さく息を呑む。
この学園では、正しい答えよりも、正しい姿勢が評価される。
Systemが望む通りに動くことが、“優秀”とされる。
湊が隣で小さくつぶやいた。
「なんかさ……考えるより、従うほうが楽だよな」
「……そうかもしれない」
「でも、そんなの学校じゃねえよな。まるで訓練みたいだ」
その言葉が、蒼の胸に静かに沈んだ。
訓練――確かにそうだ。
この学園は、人を育てるためではなく、“形づくる”ための場所なのかもしれない。
午前の授業が終わると、教室の空気はどこか沈んでいた。
誰もが互いに視線を合わせようとせず、ただ静かに席を立つ。
その中で、蒼はふと奇妙な違和感を覚えた。
Systemの授業で名前を呼ばれる頻度。
指名される回数。
微妙な遅延やレスポンスの速さ――
それらが、まるで“何かの数値”をもとに制御されているようだった。
Rank Nodeは、他人には見えないはず。
けれど、それを感じ取れる空気が確かに存在している。
> 「見えないのに、見えてる……」
蒼が小さくつぶやくと、湊が首を傾げた。
「ん?」
「いや、なんでもない」
自分が言葉にした途端、空気が変わってしまいそうで――
蒼は、それ以上何も言わなかった。
放課後。
寮へ帰る前に、湊と校舎の裏に出た。
遠く、都市の中心塔が輝いている。
その光はあまりに眩しく、どこか“監視の目”のようにも見えた。
「なぁ、天城」
湊が壁にもたれかかりながら言う。
「この学園、怖いけど……俺、嫌いじゃない」
「どうして?」
「だって、ここならチャンスがある。
どんなに下でも、頑張れば上に行けるだろ?
そんな場所、他にないじゃん」
蒼は空を見上げた。
光の街が淡く滲む。
頑張れば上に行ける――
それは、正しい言葉のようで、どこか残酷だった。
「……上に行けなかったら?」
「そりゃ……仕方ないだろ」
湊は笑って答える。
だが、その笑顔の奥に、一瞬の迷いが見えた。
Systemの声が寮内スピーカーから流れるのは、その夜のことだった。
> 《特別指令を発令します。
> 指定エリア清掃活動を行う者には、Rank Node加算の可能性があります。
> 希望者は、明日午前八時までに登録を。》
Rank Node――その数値が上がるかもしれない。
その言葉に、生徒たちはざわめいた。
“加算の可能性”という曖昧な条件。
それでも、εクラスのほとんどが参加を希望した。
評価を得るために、誰もが動く。
――蒼と湊も例外ではなかった。
翌日。
校舎裏の広場で、Systemのドローンが生徒たちの行動を監視していた。
無数の小型カメラが空を舞い、生徒一人ひとりの動作を記録していく。
ただの清掃活動――のはずだった。
だが、その空気には異様な緊張が漂っていた。
上位クラスの生徒たちが、遠巻きにこちらを見ている。
彼らの笑みには、どこか余裕と侮蔑が混じっていた。
「頑張れよ、εクラス」
そう言い残して去っていく声が、やけに耳に残る。
作業を終え、夕暮れが校舎を赤く染める。
蒼は、どこかに置き忘れたような疲労感を覚えていた。
何もしていないのに、心だけが重い。
その夜。
寮の廊下を歩いていると、突然タブレットが振動した。
画面が一瞬、白く光る。
> 『――観測、拒否。……LUX、監視解除……』
電子音のような声が、耳の奥に直接響いた。
蒼は足を止める。
部屋の照明が一瞬揺らぎ、すぐに元に戻る。
何が起きたのか、わからない。
けれど確かに、“誰か”が触れた感覚だけは残った。
光に支配された都市で、
見えない何かが、蒼を“選ぼう”としている――。




