コード056 痕跡と匂い
私の頭の中は、カムイから提供されたデータのことでいっぱいだった。
たまたま通過点としてあった可能性も考えたが、犬小屋から一直線に来ていた痕跡もある。偶然とは思えない。
ならば、コウモリの奴等はリゼ婆の店に来ていた事になる。だが、それはいったい何時から?
リチャードさんが生きていた時からか? それとも、私が住み始めてから?
「おい」
「っ!」
思考の海に沈みかけたところで、隣から声が飛んできた。視線を上げると、レクスが心配そうにこちらを見ている。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「……なんでもない。ちょっと、緊張してきただけ」
「……ならいいが」
納得していない様子のレクスから視線を逸らし、軽く首を振る。
いけない。今は目の前のことに集中しないと。
私達は今、ジャッカル区画の犬小屋の一つにいる。
ジャグナスへの報告を終えたレクスと合流し、ローガンさんの後を追ってこの区画に入った。
まだジャグナスが動いていない以上、派手な行動はできない。だが、こうして見回ることはできる。
ついでに痕跡を辿り、この区画で何をしていたのか探るつもりだ。
とりあえず、私とレクスは犬小屋を順に見回りながら動き、ゼヴィには「旨そうな匂いがしたら知らせろ」と命じて区画内を走らせている。全部を回る余裕はない。今はアイツの鼻が頼りだ。
「……ま、こうして目的のもんには近づけてんだ。あんま気負うなよ」
そう言って、レクスが左手で雑に頭を撫でてくる。
いつも通りの調子。いつも通りの軽口。
……でも、それが逆に引っかかる。
──そういうレクスはどうなの?
離れていく左手を見つめながら、ペット捕獲依頼の時の光景が脳裏をよぎる。
アックスの事は、大丈夫なの?
あの時のレクスの様子は明らかにおかしかった。依頼の後だって、荒れるように朝帰りを繰り返していた。
それなのに、今はアックスのことを聞いても飄々としている。それどころか、私の様子まで気にかけている。
私はレクスに気づかれないように、バックアップデータの入った鞄を強く握った。
……もしも、アックスが私の店に頻繁に来ていた可能性があると知ったら……レクスはどう思うのかな……。
疑われるのかな……嫌われるかな……。
それは、なんか……物凄く……いやだな……。
「おっ」
「!」
不意にピピッと機械音が鳴り、肩が跳ねる。
横を見ると、レクスが携帯型デバイスをいじっていた。
「どうした? 俺の声でも聞きたくなったか?」
『寒い冗談はいい。本題だ』
空中に浮かんだ電子画面に、心底嫌そうな顔のローガンさんが現れる。
……ローガンさんからの通信か。
「つれないね」
『ジャグナスが動いた』
ローガンさんは手慣れた様子でレクスの軽口を流し、すぐに切り出す。
『レッドギアの件を持ち出して正式に抗議をするらしい』
「殴り込みじゃなくて?」
『時間を稼ぐためだ』
「お行儀よくお話してる姿なんざ想像できねぇけど」
『それでも、今回ばかりはそうして貰わんと困る』
「りょーかい。期待しないでおく」
……まぁ、気持ちは分かる。
ウルフもジャッカルも、話し合うより殴った方が早い連中だ。肉体言語に変わらないことを祈るしかない。
『ウルフとジャッカルの顔合わせは3日後だ。議題はウルフ区画内で無許可に行われているレッドギアの流通』
「つまり、3日以内にコウモリの尻尾を掴めと」
『そういうことだ』
3日……時間はあるようで、全然少ない。
『パーティーに遅れるなよ』
「任せろ。念入りに準備していくさ」
そのまま通話は切れ、レクスは携帯デバイスをくるりと回してから懐にしまった。
「情報屋様の自信作は伊達じゃねぇな……さて、行こうぜ」
「……うん」
そうしてジャッカルの区画内を歩くこと暫く。ふとした疑問が浮かび、口にする。
「そういえば、ローガンさんは大丈夫なのか?」
「んあ?」
「一人でジャッカルの内部にいるんだろ? 危なくないのか?」
「…………あー」
隣を歩くレクスは、どうでもよさそうに欠伸をする。
「アイツがなんで終端信号って呼ばれてるか知ってるか?」
「……知らないけど」
そもそも、そんな通り名があるのを知ったのは最近だ。知る訳がない。
「潜入はアイツの十八番だ。誰にも見つからずに入り込んで、何も残さず帰ってくる。で、姿を見せるのは殺る時だけ」
「……」
「その一瞬だけ、通信にノイズが走る」
視線を前に流したまま、レクスはそのまま言葉を重ねる。
「ノイズが消えた時にはもう終わってる」
「終わってるって……」
「ターゲットがだよ」
それは……つまり……。
「だから終端信号」
「……なるほど」
思った以上に物騒な意味だった。
「ローガンさんって、実は結構危ない人なのか?」
「そ、極悪人だから気は許すなよ。いつ裏切られるか分かったもんじゃねぇからな」
レクスの話を聞いて、なぜローガンさんがあんなにギアの無音を追及するかが分かった。
「あぁ、だから毎回あんな修理依頼をしてきたのか」
そう納得しかけた時──
「ヴィク!」
「うわっ」
ジャッカル区画内を走り回っていたはずのゼヴィが、背中にのし掛かってきた。
「見つけた! 旨い匂い! いっぱい旨いのあった」
「! でかした!」
私はそう言いながらゼヴィにジャーキーを与える。ゼヴィは旨い旨いと噛みつき、その様子によしよしと頭を撫でた。
「……お前さ、ソイツが一応男っての分かってる?」
「だって……こうでもしないと舐めてくるんだもん。何回言っても止めないし……」
「えっ、ちょっ……頻繁に舐められてるってこと? お兄さんそれ聞いてないんだけど。怒らないから詳しく話しなさい。ほんと、怒らないから」
「うるさいな。こうすりゃ収まるんだからどうでもいいだろ」
「よくない! よくないよヴィクちゃん! お前はもっと女の子って自覚持て!」
後ろでギャーギャー騒ぐレクスを無視して、ジャーキーを食べ終えたゼヴィに、どこで旨い匂いがしたか案内しろと命令した。すると、ゼヴィは迷いなく走り出す。
「そっちか!」
「おい待て話はっ!……って、聞いてねぇし」
レクスのぼやきを聞き流しながら、私はゼヴィの背中を追った。
ジャッカル区画の路地は入り組んでいる。廃材と鉄骨が積み上がり、視界は悪い。匂いも、音も、まともに当てにならない。その中をゼヴィは躊躇いなく進んでいく。
「……ったく、犬の散歩も楽じゃねぇな」
レクスは文句を言いながら足を早め、私も遅れないように付いていった。
やがて、最初の犬小屋に辿り着く。
外観は他と変わらない。無機質な監視ポイント。人の気配も薄い。
「ここか?」
ゼヴィはコクリと頷く。
私はレクスと顔を見合わせた後に、EMP手榴弾に触れた。
「まずは、一つ目だな」
◇ ◇ ◇
「お、お前らはなん──」
「はーい、おやすみ~」
レクスの軽い口調が犬小屋に響く。
ドサリと床に転がる市警の姿を確認しながら、擬装ホログラム装置を解いた。
「ほら、犬っころ。調べてこい」
「がうっ!」
「ばっ!? てめっ!」
レクスとゼヴィのやり取りを遠くで眺めながら、装置を点検する。
……やっぱり、プログラムをカムイに頼んで正解だった。そこらのジャンクより断然性能がいい。
いずれ隠密行動を取ることも考えて作成していたが、かなり使い勝手がいい。これでガスマスクを被る必要もなくなった。
本来ならとんでもないクレジットを吹っ掛けられたが、それもカムイのギアとデバイスを改造してやったらアッサリと組んでくれた。
これならもっと良い物も作ってくれそうだなと、一人ほくそ笑む。
「……ヴィク。お前、変な事考えてねぇか?」
「なんのこと?」
レクスの呆れた目線に気づかない振りをしながら、ゼヴィに匂いがあったかを聞く。
「……薄い」
そう言って不満そうな顔をするゼヴィにジャーキーを与えつつ、次の犬小屋へと向かった。
その後も何件もの犬小屋を巡り、中を調べては外れるを繰り返した。
「本当に当てになんのかねぇ」
気絶している市警を縛りながら、レクスは言う。
「このままじゃあ、結局全ての犬小屋を巡る事になんぞ。3日じゃ足りねぇよ」
「これでも絞れてる筈なんだ」
レクスの言い分は最もだ。でも、情報は限られている。一つずつ、確実に行くしかない。
そう頭を悩ませているとゼヴィに名前を呼ばれ、振り向く。
「なんだ」
「旨いの、ある」
ゼヴィは短く答えると、鼻先で地面をなぞるように匂いを嗅ぎ始めた。
「……ヴィク、下がってろ」
レクスは低く告げると同時に、一歩前に出て左手で私を制した。
ゼヴィは一点を見つめたまま動かない。
その視線の先。壁の隙間、配線の影。
──何か、ある。
「……これは」




