第135話
赤沼の状況は刻一刻と変化していた。
攻勢の万策が尽きたマグナを火焔竜が窮地に追い込む。
相手が一撃必殺の決定打を持たないと知って反撃に出た。
赤い水面を掻き分けながら地縛竜は突進するとマグナが右に流れる。
突撃をかわしつつ、背後を取る気でいた。
だがマグナが向かった先には太く長い尻尾が待ち構えていた。
全身をバネにした必殺の一振りがマグナに襲い掛かる。
「!!」
避ける間も無かった。
長大な肉塊から発せられた凄まじい衝撃がマグナを襲う。
その直後、体中の骨が砕ける音がした。
同時にマグナの全身は凄まじい勢いで赤池の中へと叩き込まれた。
沼の水面で真っ赤な水柱が大きく立つ。
タイミングが合わさった火焔竜の尻尾の大振りは火炎放射や大顎の一噛みをもしのぐ最大の武器だった。
マグナの視界が赤から真っ暗に変わった。
瞬時に息が詰まり、水の中の金気が鼻を刺す。
水中に体が沈んだ。早く浮き上がらなければ……。
衝撃でぼんやりしたマグナの意識が何とか生を掴み取ろうと模索する。
だが今度は水面から地縛竜の右後肢が沈み込みマグナの体を踏みつけた。
同時に巨体の重量が圧し掛かる。
地縛竜は獲物に一切、容赦ない。
マグナの息の根を完全に止める為、掴んだ少年の体を赤い泥の中へとめり込ませた。
真っ暗な泥の闇の中にマグナが沈む。
しかもがっしりと掴み掛かった地縛竜の後肢のせいで全く身動きが出来ない。
そうでなくてもマグナは尻尾の一撃によって全身の骨を砕かれていた。
どう足掻いても体に力が入らない。
やがて意識が薄まり始めるとそれと入れ違いの様に暗い闇が脳内に忍び込んでいく。
マグナは闇に負けまいと必死に抵抗する。
しかし闇の勢いは衰える事無く、マグナの気力を蝕んでいった。
そして蔓延る闇に脳内が徐々に侵されていくと未だかつて体験した事の無い感情が生まれた。
不安、焦燥、恐怖、あらゆる不の感情が渦巻き、それを拒絶しようとしても結局、精神の根幹が締め上げられる様な寒気に打ちひしがれる。
そんな感情に支配される中、マグナは理解した。
これが絶望……。
死が訪れる前に蔓延る恐怖をも超えた負の感情だった。
「こりゃ、本気で退散だ!」
頭を掻きながらロウディが赤沼から目を背けた。
沼の中に沈められたマグナは恐らく助からないだろう。
だがそこに何の不思議もない。どんなに強くとも人間が単身、地縛竜と真正面から戦えばこうなる。
「ロウディ!」
そんな時、森の奥からミャールの声が聞こえた。
「ミャール、お前今まで何処に?!」
「助けた鬼っ娘に呼ばれて。これを渡されたんだニャ!」
ミャールが差し出したのは拳大の青い宝玉が嵌め込まれた鬼神の置物だった。
「あの子がこれでマグナを助けてやってくれって言ってたニャ!」
「コイツはもしかして魔法具か? だったら、俺には専門外だ。だがエリッサとスフィーリアなら何とか出来るかもな……」
ロウディとミャールは鬼神の置物を持ってすぐに二人の元に戻った。
マグナの戦いを見ながら何も出来ない二人は未だに目の前の状況に愕然としていた。
それどころか赤沼の泥の中に沈められたマグナを見てスフィーリアは半狂乱に陥っていた。
「ああ、マグナが……マグナが死んでしまいわすわ!」
「スフィーリア、落ち着いて!」
マグナを追ってスフィーリアが沼の中に飛び込もうとしていた。
それをエリッサが必死に止めようとする。
「な、何やってんだよ、スフィーリア!」
そこにロウディも加わり、スフィーリアを止めに入った。
「離して下さいまし! 今すぐ、マグナを助けなければ……」
「だから落ち着けって、痛ててててて!」
暴れるスフィーリアを取り押さえようとロウディが手を延ばした。
だが彼女を押し止める所か、トバッチリで逆に爪で顔を引っ掛れる。
「止めろって、あ~ぁ……。男前が台無しだ……」
そんな中、ミャールが二人の前に青い宝玉の嵌った鬼神の置物を差し出した。
「二人ともこいつを見るニャ!」
ミャールから置物を差し出された瞬間、二人は急に落着きを取り戻した。
そして嵌め込まれた宝玉をまじまじと見つめた。
「これって……」
「魔道具? ……ですわね」
「さっき助けたカペラっていう鬼っ娘に渡されたニャ!」
「攻撃用の魔導具の様ね。装飾からして水系の魔法みたいね」
「容量も大きめですわ。かなり強力な霊力が込められているのが判りますもの」
「亡命の土産に族長の宝物庫から奪い返して来たって言ってたニャ」
それをカペラはマグナを救う為、ワイルドキャットに託したのだ。
「だったら、こいつに目一杯、魔法を込めてブチかまそうぜ!」
「そうですわ。エリッサ、早速、準備致しましょう。これでマグナが助けられるかもしれません」
ロウディの提案にスフィーリアが先に乗った。
おまけに彼女はまだマグナが生きていると信じている。
「でも効くのかニャ? 相手は小さくても地縛竜だニャ」
「そんなのやってみなくちゃ判んないわ! どの道、私達には他の手立ては無いんだもの」
「そうですわ! とにかく全力を尽くしましょう。私とエリッサの二人係りでなら……何とかなるはずですわよね」
二人は互いを奮い立たせる。
そうでなくても何もしなければ地縛竜に踏め付けられたマグナは決して助からない。
精霊師は斥候から置物を受け取ると鬼神の抱く青い宝珠を外した。
そして尼僧と一緒に両掌で宝玉を包み込む。
「ロウディ、ミャール、悪いけど時間を稼いで。この手の魔導具は起動までにかなりの時間が必要なはずよ。それまでに地縛竜に気付かれたら……」
「一巻の終わりって訳だ」
「そして呪文の詠唱中は私達二人は動けません」
「発射完了まで何分かかるニャ?」
「三分……。いいえ、一分で終わらせるからそれまで地縛竜を引き付けて」
「うみゃ、地縛竜を一分?! それは無理ニャ! どんなに頑張ったってせいぜい十秒が限界ニャ!」
リーダーからの要求にミャールが思わず声を上げた。
だがそれを聞いたロウディが口を挟む。
「大丈夫だ。その一分、俺が三十秒、引き付ける。ミャールはその十秒を頼む」
「頼むって、残り二十秒はどうするニャ?!」
「そこは気合とチームワークで何とか乗り切って行くさ」
そう言ってロウディはウインクした。
「ウミャァ……。仕方ないニャ。がんばるニャ……」
ミャールも渋々ロウディに同調した。
しかし二人とも目は笑っていない。
それだけ地縛竜から一分をもぎ取る事は、このパーティにとってさえ至難の業だ。




