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ReBel  作者: シュルク
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act3-third

どうも、無気力ナスビです。

早くも前書きに書くことが無くなってきました。

それでは、今回もよろしくお願いします。

 イギリス時間の8月7日正午前。

 ロンドン市内にあるホテルの最上階。

 VIP専用のスイートルームとなっているその部屋に、一人の女の姿があった。


 ワイングラスを片手にロンドンの町を見下ろす、憂いを帯びたその瞳。

 爽やかな陽射しに彩られた室内は、朱色の気配を漂す。


 ──トントン

 叩かれるドア。女性は振り返ることなくそれに応じる。

 「どうぞ」


 返答を受け、室内へ足を踏み入れる一人の背広姿の男。

 研ぎ澄まされた鋭利な眼つき、青ざめた容貌。


 ワイングラスを片手にロンドンの町を見つめるその瞳は憂いを帯び、爽やかな陽射しに彩られた室内は朱色の気配を漂わす。


 「失礼致します、我が主よ」

 男は女性の側まで来ると、うやうやしく頭を下げた。


 「あら紫藤龍之介(しどうりゅうのすけ)様、(わたくし)の愛しい信徒。嬉しい知らせがありますよ」

 身の丈2メートルはあるその女性は地母神の如き笑みを浮かべ、紫藤に目を向ける。


 「貴方様が開発した薬は見事、(わたくし)の血液に適合しました。貴方様の心を尽くした献身、見事で御座います」

 女の言葉を受けて、紫藤は歓喜に身を震わせた。


 「勿体無き御言葉、感謝の念に絶えません! しかし、嗚呼しかし…畏れながら我が主よ……」

 だが一変して、紫藤は泣き崩れる。


 「恐れることはありません。貴方様を追い詰め、苦しませている出来事を、打ち明けてごらんなさい」


 「ありがとうございます、我が主よ。実は…日本に向かわせた私の分け身の反応が……消失してしまったのです」

 涙ながらに、紫藤は言葉を紡ぐ。


 それはまるで、自らの過ちを告白する生徒の様でもあり、裁きを言い渡されるのを待つ罪人の様でもあった。


 「ですがご安心下さい我が主よ! 八鍬秀雄は無事に始末され、研究所内に居た無辜なる魂は全て、肉の檻から解放されたことでしょう」

 紫藤が言い終えると、静寂が流れる。


 1秒……2秒……。

 紫藤はどんな言葉も受け容れる覚悟で、沈痛な面持ちのまま平伏す。

 3秒……4秒……。

 そして、憐れみのこもった吐息と共に、女性は口を開いた。


 「あぁ、何てこと…関東に於けるダイモンドの支部を集中に収められれば、より多くの民がこの地球(牢獄)から解き放たれましたのに……」

 女性の口から流れる事実が、尚も紫藤の胸を締め付ける。


 彼の眼から溢れる、一筋の涙。

 それは、女性(教祖)の想いに応えられなかった事による自責の涙であり、未だ日本で生き続ける多くの人々へ向けた、身勝手な贖罪の涙であった。


 「それでも(わたくし)は貴方様を必要としますよ、紫藤龍之介」

 女性は身を屈めて、慈愛に満ちた(かお)を浮かべる。


 「おやめ下さい我が主よ…私は最早、名を呼ばれる価値もありません」

 顔を伏せ、静かに首を振る紫藤の左肩に手が触れた。彼を諌める言葉と共に。


 「価値ある者よ、頭を上げなさい」

 厳とした言葉に、思わず紫藤は頭を上げた。

 そして彼の眼に、太陽を背に微笑む彼女の(かお)が飛び込む。


 (お…ぉお……主よ……!)

 言葉にならぬ程の感涙が、紫藤を襲う。

 無力で役立たずな自分を気にかけてくれる女性の慈愛が、彼の心に降り注がれるのを感じて。


 「聴きなさい、(わたくし)敬虔(けいけん)なる信徒よ。()の一族の想いに反して、他の愛人が動き始めております。ですが、彼等彼女等の思惑では真なる救済では無く、新たなる形で魂の煉獄が築かれてしまうでしょう」

 女性の口から告げられた衝撃的な内容に、紫藤は目を見開く。


 「なんと…それでは、新たなる形で魂が冒涜されてしまうではありませんか!」

 血を吐くように叫ばれた慟哭。

 他の愛人によって引き起こされる非道を考えるだけで、怒りで気が狂いそうになる程に。


 「えぇ、何としてでもそれだけは阻止しなければ…」

 「であれば我が主よ! この私にもう一度、機会をお与え下さい! 今度こそ、お役に立ってご覧にいれましょう」


 紫藤の申し出に、女性は顔を綻ばせた。

 「とても良い献身で御座います。では、貴方様は各国へ渡り、愛人の陰謀を阻止してください。日本での事柄は(わたくし)が片付けておきますから」


 その発言に、紫藤は狼狽する。

 自らの過ちの尻拭いをさせてしまうのは、あまりにも忍びないと。

 だが女性はそんな紫藤の唇に指を当て、黙らせた。


 「これは、貴方様の能力でしか達成し得ない任務なのです。それに、(わたくし)は救済を志す者でもあるのですよ。座して待つなんて、出来るわけが無いでしょう?」

 彼女の囁きに、紫藤は(ひざまず)く。

 自らが使える愛人(この御方)こそ、真に仕えるべき救い主であるのだと、再認して。


 「どうかお赦し下さい、愚鈍な私めには貴方様の尊大なお考えに到っておりませんでした。ですが、必ずや期待に応えて御覧に入れます、我が主イザベラ・プリティヴィマータ様」


 イザベラは満足気に頷くと立ち上がり、その両腕を広げた。

 まるで、ホテルの中に広がる惨状を抱くが如く。

 「さぁ、新たに完成したこの薬を元に、救済を始めましょう! 一人でも多くの魂が、邪悪な肉の檻から解放されるために」


 むせ返るような血の臭いが広がる地獄部屋。

 数々の遺体が転がる、赫い床。

 そしてその世界を闊歩する小さな住人。

 遺体より吐き出され、血と臓腑の身体を持って産み落とされたブラッドベイビー(血濡れの赤子)


 この日、後に日の本で展開される地獄の卵は、救世主によって産み落とされていた。


 ✧ ✧ ✧


 愛を体現する十二心。

 此れ等は、我が一族の悲願を達成する切り札である。


 避けられぬ終焉をもたらす神獣を封印する機構の一部であり、有事の際はこの世界の最期の切り札となり得る存在。


 彼等彼女等はその全員が何らかの形で人類を愛しており、その特性故に【愛人(まなびと)】と呼ばれている。


 但し、【愛人(まなびと)】の愛を受け容れてはならない。

 その愛は人類が滅びに向かう毒であり、万が一【愛人(まなびと)】が暴走すれば、我々人類側が止める手立ては無い。


 サバイバーやネイチャー等の能力者とも違い、【愛人(まなびと)】は常時自らの能力を十全に行使出来る。

 更に厄介なのは、そのどれもが世界そのものを崩壊させ得る能力であることだ。


 なので、此処に禁則事項を記す。

 ・【愛人(まなびと)同士を引き合わせてはならない】。

 彼等彼女等はそれぞれが別々の価値観を有しており、それ等が衝突すれば世界の均衡は崩壊する。


 ・【人類文明から隔絶し、外界に興味を持たせるな】。

 愛人(まなびと)は、自らの思想をその強力な能力で強制的に実現することが可能である。

 故に、あらゆる手を尽くして外界から興味を反らさせ、適切に要求を満たせ。


 以上2点の禁則事項が破られた場合、もしくは遵守が困難となった場合は、可及的速やかに我が一族へ連絡せよ。


 あってはならぬ事柄であるが、有事の際は世界の完全なる終焉を留めるため、【プロジェクトクロノス】の発動もやむを得ないだろう。


        〈とある一族の手記より一部抜粋〉


 ✧ ✧ ✧


何が起きて、自分はどうなったのか、琴海は必死に記憶を辿っていた。


 誘拐されてから何処かの研究所に入る所までは明白だ。

 その後に変な薬を打たれ、激痛の中意識が朦朧として……。


 「っ──!」

 そうやって思い出そうとすると、激痛が頭を襲う。

 それでも必死に思い出そうと、過去を辿る。


 断片的に浮かぶのは、SFとしか思えないような出来事。

 自分じゃない何かが、琴海の身体を使って妖精を使役し、研究所を破壊する光景。


 でも──と、琴海は自身の髪に手をかざす。

 この髪は、染められたわけでは無い。

 それは先程シャワーを浴びた時に確認した。


 視線を上げて、ボンヤリと姿見を眺める。

 そう、奇妙なのはこの桃色の瞳だ。


 恐らく断片的なこの記憶は、自身の姿が変わってしまった事と何か関係があるのだろう。


 そう思うと、琴海は自分が怖くなる。

 もしかして、自分は怪物に成り果ててしまったのではないかと。

 


 ──ガチャン!

 途端、一階から何かが割れる音が響いた。

 琴海の頭から血の気が引いていく。

 家には琴海一人だけなので、よほど大きな地震が来ない限り物が割れる筈が無い。


 恐る恐る立ち上がり、音を立てないよう慎重に階段へと足を運ぶ。

 やけに大きく聞こえる、自らの鼓動。

 荒くなる息を必死に殺し、階段に足を下ろす。一歩ずつ、慎重に。


 (確かリビングから音がしたけど…)

 階段を降り、正面に見える廊下を覗く。

 人の気配は無い。


 廊下を挟んだ左側にある、応接間と仏間が隣接する部屋の引き戸は閉まっている。

 だが小さな声と物音は、右側のリビングとキッチンのある部屋から聴こえてきていた。


 リビングの引き戸を少し開け、恐る恐る覗き込むと、思わずあっと声を上げてしまった。


 テーブルに置いていたココアの入ったマグカップが落ちたらしいのだが、その前で赤い服の妖精があたふたとしていた。


 (あの子、確かあの時の───)

 奇妙な存在に(いぶか)しむ。

 この記憶の断片が確かなら、目の前にいる存在は、研究所で姿を現した妖精の一人だ。

 だけどその時とは打って変わって、慌てているその様子はどことなく愛らしい。



 琴海は一先ず落ち着きを取り戻し、扉を開いて声を掛ける。


 「あの〜…」

 『ご、ごしゅじんさま!』

 妖精は琴海の存在に気付くと、目に涙を浮かべて頭を何度も下げる。


 『ごめんなさい、ごめんなさい!』

 「大丈夫? その…怪我は無い?」

 身を屈め、一先ず赤い服の妖精に安心してもらおうと宥めた。

 『う、うん……』

 

 事情を聞くと妖精曰く、琴海が飲んでいたココアが気になり、味を確かめようとマグカップに手を掛けたそうだ。

 しかし陶器でできたコップは重く、誤って落としてしまったらしい。


 「そうだったのね。今度からは妖精さんの分も用意してあげるわね」

 『わかった!』

 妖精は(ほが)らかな笑みを浮かべると、嬉しそうに弧を描くようにして飛び上がる。


 琴海は割れたコップを片付け、(こぼ)れたココアを拭き終えると、居間にあるクローゼットへ向かう。


 中には琴海が幼い頃に遊んでいたドールハウスがあり、その中から人形用の小さなコップを取り出した。


 (これ位のサイズなら、あの子も使えるかな)

 そうして台所へ戻り、微量のココアを淹れてリビングに行くと、妖精は観葉植物の葉に腰掛けてくつろいでいた。


 「はい、どうぞ」

 『あっ! ありがとー』

 妖精は手に取って匂いを嗅ぐ。


 『いいかおり〜、とろけちゃいそぅ』

 琴海は頬を緩ませる妖精をしげしげと眺めてみた。


 赤い服の妖精。

 その服はあまり見慣れない造りをしている。


一番近い種類でいえばワンピースなのだが、それよりも遥かに機能性がありそうで、羽を出すためなのか背中側は首元から腰にかけて大きく開いている。


 そう、特異なのはその羽根だ。

 半透明なその羽は腰から突き出る様にして生えていた。


 翼長は大体10cm位だろうか。

 翅脈(しみゃく)が流れるその羽は淡く光る赤色の粒子を放出しており、どうやらその光の粒子は翅脈(しみゃく)の間にある翅室(ししつ)から漏れ出ているようだ。


 『どうしたの? ごしゅじんさま』

 鈴の音を想起させる声。

 正確には直接頭の中に響く言葉が、琴海の鼓膜を内側から震わせる。


 「…飲まないの?」

 暫くしても一向に口をつける気配を見せない妖精に対して、琴海は疑問を口にした。


 『のまないよ』

 妖精はケラケラと愉しそうに笑う。

 話によると、妖精が行う食事は物質に付随する【味】そのものを食べるらしい。

 妖精からコップを手渡されたので口を付けてみると、その意味が理解できた。


 あれ程濃厚でまろやかだった飲み物はすっかり薄味になっており、口にしていて何だか味気がない。


 不思議な感覚に琴海が驚く中、妖精は既に別の物へ興味を示して、そちらに夢中になっていた。


 ボンヤリと、琴海は妖精を眺める。

 記憶の断片で見た妖精と、今目の前を飛ぶ彼女の在り方は本質的には同じ様に見える。


 琴海は、この妖精が悪意や敵意を持って動く存在とはとても思えなくなっていた。

 意を決し、琴海は胸中に渦巻く疑問を尋ねることにする。


 「ねぇ、訊いてもいいかな?」

 琴海の呼び掛けに反応し、満面の笑みで妖精が振り返る。


 『いいよー!』

 「私達、会うのは二回目よね…?」

 『うん!』

 「それじゃあ、始めて会った場所は?」

 『よくわかんないけど、おじさんがいたかっこいいおへやー!』


 覚悟はしていたつもりだったが、無邪気に返されたその答えに琴海は頭を殴られた様な衝撃を受ける。


 「…そっか、ヤッパリそうだよね……私はもう戻れないんだ…」

 手が震えている。

 無理もない、偽物にしか思えない記憶の断片はやはり事実だったのだから。

 

 「私は…怪物だ……もう…人間じゃない……」

 苦しくて、苦しくて、胸が詰まった。

 どうしよう、と心が呟く。

 どうにもならない、と理性が告げる。

 相反する想いが頭の中で繰り返され、涙で視界が滲み出す。


 その時、声がした。

 『ごしゅじんさまだよ?』

 さも当然のことであるかの様に発された、混じり気のない純粋な声。


 目を上げると、妖精が不思議そうな顔で琴海を見据えている。

 その言葉に、理屈なんて存在していなかった。


 幼子にとっての両親がパパとママであるように、妖精にとっての琴海は怪物でも人間でもなく、唯一無二の主人という存在なのだ。


 その感覚が琴海の中に流れ込んで、心を縛り付けていた枷を溶かしていった。

 (そっか、ワタシは私なんだ。他の何者でもない、音宮琴海としての人生を歩んできた私である事に、違いは無いんだ)


 その想いが腑に落ちた時、憑き物が晴れた様な気分になって、思わず一筋の涙が頬を伝う。


 『ごしゅじんさまどうしたの? ぽんぽんいたい?』

 「大丈夫よ、嬉しいだけだから」

 琴海は慌てて涙を拭って、笑みを浮かべる。


 『そっか! よかったねー』

 この妖精は本当に単純で純粋のようだ。

 おそらく自分のお陰で琴海が元気になったとは思っていないのだろう。


 「あなたのお陰よ、ありがとう妖精さん」

 琴海が例を言うと、妖精は照れ臭そうに笑って観葉植物まで飛んで行き、葉の中に身を隠してしまった。


 その愛らしさに和んでいた琴海は、ふと大事な疑問が頭に浮かんだ。

 「そういえば妖精さん、アナタの名前は何ていうの?」

 妖精はひょっこりと顔を出すと、首を傾ける。


 『なまえってなーに?』

 予想外の返答に、琴海は答えに詰まってしまった。

 まさか根本的な疑問を投げられるとは想像していなかったからだ。


 「え…えーっとね、この世界の物質には名前があってー…」

 『むー! わかんなーい』

 しどろもどろになりながらも、何とか一呼吸置いて冷静さを取り戻し、改めて説明する。


 「さっき妖精さんが食べた味の飲み物はわかる?」

 『うん! あまあまさん!』

 「そうよ。でもね、あれにはちゃんとした呼び方があって、それが名前なの」


 『ふーん?』

 どうにも納得のいってない妖精に、琴海は先程妖精に渡した飲み物を指差した。


 「これにはね、ココアって名前があるの」

 『ここあ?』

 「そう、ココア。そして私には音宮琴海って名前があるの」

 『おとめ…おとみ……う〜わかんなーい」

 「ふふっ、大丈夫よ。私のことはご主人様じゃなくて、琴海って呼んで」

 『ことみ…ことみー!』


 新しく得られた名前という概念が余程面白いのか、妖精は観葉植物の陰から飛び出し、琴海の名前を口にしながら愉しそうに飛び回っている。


 そうしてひとしきりはしゃぎ終えると、目を輝かせて琴海の側に近寄って来た。

 『あたしもなまえほしい!』

 「わかったわ、そうね〜何がいいかな」


 琴海は妖精を見つめる。

 華やかな見た目ではあるが、ぱっと見の印象は赤。

 凝った名前にするよりも、彼女にとっては分かりやすい名前の方がしっくり来るだろう。


 「それじゃあレドはどうかな?」

 『れど? うーん……れどー!』

 妖精の反応を見るに、気に入ってくれたことには間違い無いだろう。

 琴海は笑顔を浮かべ、手を差し伸べた。


 「それじゃあこれからよろしくね、レド!」

 『うん!』

 レドと名付けられた妖精は、琴海の指を掴むと何度も上下に振った。

 これが、永きに渡る妖精達との最初の思い出になった事は、言うまでもないだろう。


 「それじゃあ、お祝いにアイスでも食べよっか」

 『あいすってなーに?』

 「とっても冷たい甘々さんよ」

 『あまあまさーん!』


 歓喜に溢れる妖精を尻目に、琴海は冷凍庫の扉を開ける。

 しかしその中で、ほとんどのアイスが溶けかけていた。


 慌てて冷蔵庫の状態を確認すると、電源がショートしてしまっていて作動していない。


 (えっ、どうして!?)

 慌てふためく中、記憶の一部が蘇る。

 落雷と共に家へ帰ってきた時の記憶。

 恐らくその時の余波で電源がショートしてしまったのだろう。


 急いで対処しないと、冷蔵庫の中身が全てダメになってしまう。

 琴海が狼狽していると、レドがフワリとやって来た。


 『どうしたの? だいじょうぶ?』

 「ごめんねレド、アイス食べられなくなっちゃった」

 『どうして?』

 「冷蔵庫が動かなくなっちゃったの」


 レドは冷蔵庫を見上げると、胸を張って言った。

 『だいじょうぶ! れどにまかせて!』

 そして冷蔵庫のコンプレッサーへと口付けをした。


 その後に起きた冷蔵庫の変化に、琴海は驚愕する事となる。

 「うそ、これって──」


 ✧ ✧ ✧


 8月7日、20時を少し過ぎた頃。

 騒ぎの根源となっている廃病院から、少し先にある市街地の外周付近。


 雨の中、叛真定紡(はんまさだつぐ)は傘も差さずに町外れの丘を目指して歩いていた。

 住民の姿はあまり見られない。


 突如発生した地盤沈下によって避難勧告が発令されたため、廃病院のあった山の周辺住民はその場から一時的に立ち退いたのだ。


 ──ブーッ、ブーッ

 携帯が着信を知らせる。

 定紡はポケットから取り出し、それを耳に当てた。


 『ご苦労様、ミスター定紡。キミにしては手こずったじゃないか』

 落ち着いた声の主はどこか面白がっているようで、軽い皮肉を口にする。


 「なんてことはない」

 (わずら)わしそうな定紡の返答に、声の主は軽く笑った。


 『キミに能力を使わせた相手をその一言で片付けてしまうとは、いやはや恐れ入る』

 「終わった仕事の話はどうだっていい。用が無いなら切るぞ、ローベルト」

 素っ気なく答えて耳から離そうとした時、声の主であるローベルト・F(フォン)・ヴァイスハイトは調子を崩す事なく本題を切り出す。


 『まぁ待ちたまえ。キミのコートに仕込んだマイクロカメラから様子は見ていた。中々に面白い事になってるじゃないか』

 「何が言いたい?」

 『キミも気付いているのだろう? アレがただの地盤沈下では無いということを』


 そう、八鍬秀雄(やくわひでお)を始末した直後に発生した不可解な現象。

 地震と共に地の底から吹き上がった爆炎。

 しかし、地脈から新たに発生したものにしては、あまりにも小規模に過ぎた。


 事前の調査で、この町の何処かに実在するダイモンドコーポレーションの極秘研究所の存在までは、把握していた。


 だが、件の廃病院が何らかの形で関係しており、今現在この町の住民を騒がせている地盤沈下がその研究所で何か起きた事を

示唆(しさ)するものだというのなら──。


 定紡は無言で話の続きを促す。

 『個人的に八鍬秀雄とは多少の縁があってね。とは言えキミを責めるわけでは無いし、モチロン僕達も金は必要だから今回の任務に異論は無い……だが、妙なんだ』

 「お決まりの謎解きか。一応聞いておこう」


 こういう時、ローベルトの疑念は嫌な方向によく当たる。

 不確定な要素や情報は多いものの、聞き流してしまえば何らかの形で後悔することの方が多い。


 『ミスター定紡。荷物を隠した丘には辿り着いたかね?』

 「いや、ようやく市街地を出たところだ。あと少し歩けば到着する」


 『なら歩きながらでいいから聞いてほしい。そもそも、今回の仕事には不可解な点が多かった』

 「確かにな。狙われてると知りながら、ターゲットは単独行動をしていた。普通ならABWや衛兵を複数配備していても良いはずだ」


 『その通り(イグザクトリー)。そして地盤沈下は別としても、極めつけはキミが回収したUSBだ』

 その言葉に、丘を登り始めた定紡は、ポケットに仕舞った戦利品を取り出して、濡れぬよう手で雨粒を防ぎながら眺める。


 「これはUSBじゃない……何なんだ?」

 一見するとただのUSBにも見えるが、コネクタ部分に沢山のICチップが収納されており、いわばICチップの本棚の様な造りになっていた。


 『本当かい? 少しこちらに向けてかざして貰えるだろうか』

 言われた通りに定紡は、コートの胸元に縫い込まれたマイクロカメラに謎の電子部品を近付ける。


 『驚いたね。USBに見せかけてはいるが、ブラックボックスの断片だよこれは』

 「ブラックボックス?」

 「ああ、言わば【全機種対応型情報記録媒体】の一部だよ』

 「大層な呼び名だな。それで、謎解きはお預けか?」


 何かを考え込んでいるのか、定紡の問いかけに対し沈黙が流れる。

 その間にも、定紡は丘の頂上へと辿り着き、自身の装備を隠した茂みを探り始めていた。


 『いや、問題ないとも。目的地に着いているなら、キミのアタッシュケースからノートパソコンを取り出してくれないか?』

 定紡は装備品の入ったアタッシュケースを掘り出すと、雨の影響が少ない森林が密集する地帯へと移動し、ノートパソコンを取り出して起動する。


 「ホーム画面に入った。で? どうするつもりだ」

 『この世に出回っている電子機器には公にされていない機能があってね、このタイプのノートパソコンだと……画面とキーボードを繋げる蝶番(ちょうつがい)となっている部分があるだろう? その右端にICチップのうちのどれか一つを近付けてほしい』


 言われた通りにブラックボックスの断片からICチップを取り出し、ノートパソコンに近付けると、自動で蝶番となっている部分に丁度ピッタリ入る大きさの穴が開いた。


 その穴に差し込むと、まるでブルーレイディスクを取り込むようにして挿入され、次々と画面に様々なリンクが表示された。


 「驚いたな。ざっと見ただけでも千を超えるABWの記録が保存されている」

 『やはりそうか。それならば、残りのICチップの内容も似たような物だろう』


 「それで、結局お前は何が知りたかったんだ?」

 『ワタシが知りたかったのは、データの大まかな内容さ。なので礼を言うよ、ミスター定紡。これで謎は解けた』

 「そうか、よければ聞かせてもらえると助かるんだが」

 『モチロンだとも。それでは、真実を明かすとしよう』

 その後、ローベルト・F(フォン)・ヴァイスハイトの推論は以下の通りだった。


 ブラックボックスの断片はダイモンドコーポレーションの各支部がそれぞれ保有する、最重要機密ファイルである。


 常ならば、誰も立ち入れない空間に金庫を配置して収納した上で、厳重な警備体制の下で管理されている。

 しかし、秀雄はそれ程の機密文書を隠さず、その身に着けて現れていた。


 つまりこれは、何らかの理由で彼が研究所の者達を信頼せず、昔から戦闘意欲に溢れたABWのみを開発していたせいで、満足な警備環境を確立出来なかったことが推測される。


 また秀雄が一人で現れたのも、彼とは別の勢力が研究所内で生まれていて、他の職員等はそちらへと傾倒していたからではないか、とのことだった。


 『とは言え、流石にワタシも地盤沈下の原因までは分からないが、考察はできる。秀雄の留守中に何か想定外の事故、例えばABWの脱走か何かを隠蔽するために、施設の自爆機能を起動させたとかね』

 「どの道こちらとしてはありがたい話だ。隠蔽工作の手間が省けたからな」


 それもそうかと笑うローベルトの声を聞き流しながら引き続きデータを眺めていた定紡は、妙な点に気が付いた。


 「ローベルト。調べていて気付いたんだが、それぞれのリンクから入れる資料内に、無意味に配置されたアルファベットや記号が各1文字ずつ存在しているみたいだ」

 『それは興味深い。こちらで詳しく調べるから、何処か落ち着ける場所でブラックボックスの断片内にあるデータを調べて、その記号を送ってくれ』


 「了解だ。まだまだ一波乱ありそうだな」

 定紡は一旦作業を切り上げると、サイレンに彩られる山を尻目にその場を去った。


 ✧ ✧ ✧


 曇ることを知らない、8月13日の晴天。

 見上げれば目を眩ませる太陽は、住宅街を湿った熱気で包み込む。


 体感気温、不快指数ともに天井知らずとなった今年の夏は、道行く人々から水分や気持ちのゆとりを搾り取っていった。


 「あっちぃ〜」

 例に漏れず、補修を免れたことで夏休み気分を満喫していた高橋楓も、その犠牲者の一人だ。


 ここ数日、馴染みのスポーツサークルの人達と冷房の効いた体育館で遊んでいたのだが、たまにはのんびりしたいと思い、琴海の家へ向かっていた。


 (そういえば、あれから一週間経ったし、鈴音おばさん帰って来てるかな)

 なんやかんやで、楓は一週間近く琴海と会っていなかったことに今更ながら気付いた。


 「もしかしたら、お土産とかで美味いお菓子とか貰えるかも!」

 そこまで思い立つと暑さも忘れ、軽い足取りで遊歩道を進むのだった。


 その頃琴海は2階にある母の部屋に侵入し、室内をくまなく物色したり、パソコンを使って様々な情報を漁っていた。

 その側で、レドは退屈そうに古いドールハウス内のテーブルに腰掛けている。


 一週間が過ぎても、母が帰ることは無かった。何度も連絡を試みるが、一向に繋がらずに音信不通の状況が続いている。


 ここ数日、琴海は戸惑い続けていた。

 夏だと言うのに、以前ほどの暑苦しさが感じられない。


 一昨日も、シャワーを浴びていた時にうっかり最高温度で浴び続けてしまっていた。

 にも関わらず、火傷をしなかったどころか熱さも感じなかったのだ。


 さらに空腹も感じられず、気付いたら食事を抜いてしまっていた日もあった。

 しかし健康に影響は見られない。


 この身体的変化は、生命体として明らかに異常である。

 不安と焦燥感を掻き立てられて、琴海はどうしようかと必死に頭を悩ませた。


 その中で、とある記憶の断片が呼び起こされる。

 それは誘拐されたあの日、紫藤龍之介と名乗った男による、母についての言及。


 そういえば、と琴海は思い至る。

 これまでは言い付けを守って、母の寝室に入ったことが無かったことに。


 いても立ってもいられず、少しでもこの状況を解決する糸口を探すため、意を決して足を踏み入れたのだった。


 「何…これ……」

 母のパソコンを操作して、何とか立ち上げる事には成功した。

 だがそこに映った画像に、琴海は困惑を禁じえない。


 ──キンコーン

 途端、呼び鈴が来客を知らせる。

 配達を頼んだ覚えは無い。


 ──キンコン、キンコン、キーンコーン

 ゆっくりと息を呑む、誘拐犯の関係者が訪ねて来たのかと。


 「おーい琴海ー! 遊びに来たぜ〜」

 その声を聞いて、ホッと息を吐く。

 楓だ、しかしいつもなら出迎える所だが、今回はそうもいかない。


 大切な幼馴染の親友をこの異常事態に巻き込みたくないため、琴海は居留守を決め込む事にした。


 「おーい、いないのか〜?」

 尚も楓はインターホンを連打している。

 沈黙を貫くが、悲劇は突然に。


 琴海に相手をしてもらえず暇を持て余していたレドは、玄関の呼び鈴にも我感せずといった顔でボンヤリと窓の外に目を向けていた。


 淀んだ空気を入れ替えるため、僅かに開かれた隙間から入る夏の空気は、蒼い匂いを運んで来る。

 そしてその窓の外に、レドの興味を惹く存在が姿を現した。

 それは、日光を浴びて白い輝きを放つ、1匹のモンシロチョウ。


 『わー! いっしょにあそぼ〜』

 初めて目にする(はかな)げな美しい存在に、レドは満面の笑みを浮かべて窓へ向けて飛び立った。


 「あっ! 駄目!」

 琴海が気付いた時には既に遅く、レドは外へと飛び出していた。

 慌てて捕まえようと窓を開け、そして──


 「「あっ」」

 ドアの前に立つ楓と目が合ってしまった。


 「え、誰?」

 諦めて帰ろうとしていた楓は、突然二階の窓から姿を見せた金髪の美女にたじろぐ。


 「かっ楓! えっと、これはその……」

 明らかに挙動不審なその姿に、楓は徐ろに携帯を取り出して耳に当てる。

 「もしもしポリスメン?」

 「待って! 私よ、琴海! 今出るから通報はしないで〜!!」





 暫くして。

 「で、琴海。イメチェンしてちょっと遅い大学生デビューしたいのは分かるけど、無視は酷いな」

 居間にあるソファーの上で、楓は唇を尖らせていた。


 「ごめんね、ちょっと見られるのが恥ずかしくて……」

 どうやら勘違いをしている様子なので、琴海はこれ幸いとばかりに話を合わせる。


 「ふーん、そっか。似合ってるのにねぇ」

 楓はその大人びた顔を意地悪げに歪め、机の上に無表情で横たわるレドに目を向けた。


 琴海は楓を迎え入れる直前、(あらかじ)め気付かれないように、レドに人形のフリをするよう指示していた。

 琴海を全面的に信頼しているからか、言う事を聞いて大人しくしてくれている。


 (ごめんねレド、少し我慢してね)

 声には出さず、琴海は念じていたつもりだったのだが──。

 『うん、れどがんばる!』

 あろう事か、レドは元気いっぱいに返事を返してきた。


 「レド!」

 「うぉ! 急にどうした?!」

 突然声を上げた琴海に驚き、レドに興味を示していた楓は視線を戻す。


 「う、ううん何でもない」

 「そう? ならいいけど」

 そう言って楓は机の方に近付いて、まじまじとレドを見つめる。


 (よかった、聞こえてなかったみたい)

 一先ず窮地を逃れたことに安堵して、琴海は胸を撫で下ろす。

 楓はレドを手に取り、ジロジロと興味深気に眺め始めた。


 「しっかしよく出来てんな〜。肌の質感も本物みたいだし、羽なんてどうやって光ってんだこりゃ」

 「ふふっ、すごいでしょ?」

 言いながらも、琴海の額に冷や汗が滲む。

 いつバレてもおかしくは無いタイミングだが、なかなかどうして気付かれない。


 「なんだか懐かしいな。覚えてるか? 昔は人形やぬいぐるみなんか並べてさ、おままごととかでよく遊んだよな」


 もちろん覚えている。

 幼い頃、天気の悪い日は家の中で遊ぶしかないため、二人で遊ぶ時は決まっておままごと等で人形を使った遊びをしていた。

 今となっては懐かしい思い出である。



 「そんでさ、あたしは怪獣のソフビなんか持って来たりして、最終的にはバイオレンスなおままごとになってたな!」

 こんな感じに、と楓は笑いながらレドを動かす。

 

  『いたい!』

 だが楓が無理矢理動かしたことで体を強く掴まれたレドが、怒りのハイキックを楓の手にお見舞いした。


 「うわっ! ちょっえ!?」

 これには流石に楓も動揺し、焦りの色を見せる。


 『あっ、ごめんなさい。じっとできなくて』

 レドは言いつけを守れなかったことを恥じ、琴海の前に来て頭を下げた。


 「いいのよ、私こそ我慢させてごめんね」

 レドの貞操が守られたのに安堵しつつも、琴海は気を滅入らせる。避けたかった結果を前に。


 「琴海! なんか浮いて…いや飛んでるんだけど!?」

 こうなってしまっては最早、隠し通すのも誤魔化すのも不可能。

 琴海はありのままに起きた出来事を全て話すことにした。

 

 ✧ ✧ ✧


都内某所にあるビジネスホテルの一室。

 激戦の場を後にした定紡は、英気を養うため束の間の休息を味わっていた。


 部屋には彼以外には誰も見当たらず、本来では快適であるはずの空間。

 しかし定紡は完全に油断する事はなく、有事の際にはすぐに動けるよう、行動の節々でも周囲への警戒は怠っていない。


 どんな事態が起ころうとも、最高の反撃が出来るように。


──ヴゥゥゥッ

 定紡が風呂から上がり、バスローブに着替えた直後、テーブルに置いていた携帯が振動する。


 手に取って耳に当てると、案の定待ち侘びていたローベルトからの暗号解析結果の報告だった。


 「お休みのところ失礼するよ、ミスター定紡。今朝キミが送ってくれたそれぞれのリンク内に潜んだ文字を調べてみたんだがね、どうやらコレは特殊な司令を伝達するためのURLであると判明した」

 意外な報告内容と共に、定紡の携帯にデータが送られる。


 それは人生を奪われた銃士にとって、ようやく手に入れることができた最初の手掛かりとなった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 以下、データ内容より一部抜粋。

 アイザック・ハーマンより一部を除く全支部長への緊急通達。


 我々は、これまでに沢山の研究とそれに伴う成果を獲得してきた。

 それは諸君らの尽力の賜物であり、私はこれを嬉しく思う。


 しかし現在、我々の叡智の結晶であり脅威ともなった【愛を体現する十二心】の制御が非常に困難となり、万が一にも被害が生じた場合、人類終焉シナリオに近付いてしまうこととなる。


 現に、【身勝手の愛人】の存在が消失し、【救済の愛人】が単独行動を開始した。

 

 故に、此れ等二名の存在が確認された際は戦闘行為を禁ずる。対話を持ってその場に留め、速やかに以下の連絡先から本部へ報告せよ。


 000-000-000


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「ようやく奴の尻尾を掴めた。ここからだ……俺は、必ず奴を見つけ出す。そして必ず復讐を遂げる」

 粗方データに目を通すと、定紡の眼には鬼が宿っていた。


 復讐。その行動を否定するのは簡単である。

 意味が無い、何も残らない、虚しいだけ、法に任せろ。

 それ等の言葉は、意見は、思想は、一般的には正しい。

 しかし、何事にも例外は存在する。


 叛真定紡、彼がその例外と言えよう。

 親を奪われ、故郷を滅ぼされ、恩師を失った。

 そんな彼を、この世界は見捨てた。

 彼の慟哭は、無残にも握り潰されたのだ。


 何故なら、相手はこの世界を牛耳る財閥の一族が運営する、ダイモンドコーポレーション。そこに属する者であるからだ。


 それ故、彼の心が変質するまでに時間はかからなかった。

 時に恨みを肩代わりし、時に命を狙われ、それでも尚報復するべく探し、追い求めていた。


 彼は、因縁と怨嗟が渦巻き続ける人生を歩み続けたのだ。

 それがどれ程の苦しさだったのか、想像できる者は少ない。


 故に今回入手した情報は、ようやく掴む事ができた弱点の断片となり得る。ようやく一歩、進む事が出来るのだ。

 

 そんな彼の哀しき覚悟の人生を、いったい誰が異論を唱えられようか。


 ✧ ✧ ✧


 場面は戻り、琴海の家にて。

 「え〜っと、マジ?」


 説明を聴き終えた楓は、困惑しつつ疑念の目を向ける。

 しかし琴海の眼は真実であることを物語っている上、こんなバカげた嘘を言うような()では無い。


 「うん。それに、証拠はレドの他にもあるの」

 琴海は廊下を挟んだ先のリビングにある冷蔵庫へと、楓を連れて行く。


 「この冷蔵庫がどうしたの?」

 楓が首を傾げていると、琴海は背部に手をかけ、冷蔵庫の向きを変える。


 一見何の変哲もない様に思われたが、冷蔵庫背面の下部に視線を流すと、その異常性が理解出来た。


 冷蔵庫は稼働しているが、プラグがコンセントに刺さっていない。

 それによく見ると、冷蔵庫は仄かな薄いオレンジ色の光を纏っており、手をかざすと熱を感じるのがわかる。


 「何これ、なんか温かいんだけど! 中の物は大丈夫なの?」

 「安心して、中は普通に冷えているわ」

 そう言って開かれた扉の中は、冷気が充満していて、ヒンヤリとした空気が溢れていた。


 楓は驚きのあまり、頭の中が真っ白になって理解が追いつかずに混乱してしまう。


 「後ね、お母さんのパソコンからも色々と見つかったの。言いたいことは後で聞くから、取り敢えず来て」

 このままでは半刻ほど驚いたままであろう楓の手を取って、琴海は階段を登る。


 その先に連れ込んだのは、母の部屋。

 起動したまま放置してある、パソコンの前。


 「ち、ちょっと待ってくれ琴海! まだ頭が追いついていないんだ。一回整理させてくれ」

 「あっごめんね、少し焦ってたみたい」

 我に帰った琴海は、申し訳無さそうにして手を離した。


 「ふぅ……」

 深呼吸一つ。楓は瞳を閉じて、現実を正しく直視してみようと試みる。


 まず、状況。──誘拐された親友が、超人になって帰って来た。

 次に、認識。──詳しくは判らないが、妖精を使って何かが出来るらしい。

 そして、整理。──事件が起きたのは今から約一週間前、小さく報道されていた地盤沈下と何か関係が……?


 だが結論として、楓は何も理解できない事を把握し、考えるのを止めた。

 「取り敢えずあたしは信じる。でも上手く話を呑み込められないや、ごめん!」


 手を合わせ、小さく頭を下げる楓に、琴海は笑いかける。

 「大丈夫よ、私だってこんな現実受け入れ難いし…でもこれを見て」


 琴海は見えやすいように、モニターを傾ける。

 そこには一眼レフで撮られたと思われる、白衣の姿で新生児を抱いて微笑む琴海の両親の姿が写し出されていた。


 「何なんだよ…これ…」

 さすがの楓も、この写真には不気味なものを感じざるを得ない。

 端的に言えば、何かもが歪なのだ。


 現代のSF作品に出てくるような研究室に立つ二人。

 その手に抱かれる赤子はカッと目を見開き、こちらを見つめている。


 通常、生まれて間もない赤子は、目を開く事すら困難である。

 しかし、産まれたばかりだと思われる新生児は、明確な意思を持ってこちらを見ていた。


 その眼はまるで深淵を宿しているようでもあり、遥か過去からこちらを覗き込んでいるような……。

 だがそれだけではない。

 写真の右下に視線を滑らせれば、それ以上の衝撃が楓を襲う。


 「ちょっと待ってくれ! これって──」

 そこに記録された年号と日付。

 2002年4月26日。本来であればありえない数字だ。

 何故ならば……。


 「そう、この写真の日付は、丁度私が産まれた時と一致するわ。そうすると、この赤ちゃんは私の可能性が高い」

 「待てよ、それなら元気そうなおばさんが白衣を着て写ってるのはおかしくないか?」


 楓の疑問はもっともだ。

 出産は大変な労力を伴う行為であり、産後は憔悴(しょうすい)している事が大半である。


 故に琴海が産まれた日付を考えるならば、本来寝たきりになっていそうなものなのだが──。


 「そう、私はこの日にお母さんから産まれてないとおかしい」

 気丈に振舞っていた琴海の声が、上擦っていく。

 その姿勢は、昨日までであれば貫き通せただろう。

 然し、楓が訪問する前に写真を見つけてしまった琴海には、込み上げる恐怖を抑える事は叶わなかった。


 「でもそうじゃないなら、私は何? いったい、誰から生まれたって言うの!?」

 楓は涙を浮かべて声をうわずらせる琴海に、何も言えなかった。


 本来生まれた時の情報は、自己を確立させるための重要な土台である。


 然しそれが偽物だったとするならば、それは自らが存在する意味の消失と同義であり、その絶望はいったいどれ程のものなのだろう。


 「一旦落ち着こう、な? 案外加工された画像なのかもしれないだろ」

 その言葉がどれだけ空虚なものか、発した楓自身も良くわかっていた。


 だけど気休めでもいいから何か言わないと、また親友が壊れてしまいそうで、大丈夫だよと笑ってあげたくても、否定できるだけの材料が見つからない。


 『ことみー。なんだかねむいよ〜』

 唐突に、レドがフラフラと飛びながら部屋に入って来た。


 「いいわよ、おいで」

 滲んだ涙を拭って平静を取り戻すと、琴海は手を差し出す。

 そしてレドは弱々しくその上に降り立つと、光の粒子となって姿が消えてしまった。


 「レ…ド……? どう……し……」

 それと同時に、琴海の意識も瞬時に闇へと沈む。


 「おい琴海!? しっかりしろ!」

 楓は突然倒れた琴海を受け止める。

 肩を揺らして必死に呼びかけるも、全く反応が無い。


 それどころか、金色だった琴海の髪色がみるみるうちに元の栗色へと戻っていくではないか。


 「何なんだってんだよ…いったい」

 ようやく一つだけ、楓は実感を得る。

 一連の奇妙な話や状況は、その全てが現実(リアル)なのであると。


 ✧ ✧ ✧


 【意識の強制遮断】

 これは、能力者が常に念頭に置いておかなければならない(かせ)である。


 周知の通り、ゼノ・スフィアを宿した者達は一騎当千の力を得る。

 しかし乱用すれば、その能力は場合によって最悪の形で自らに牙を向ける事となるだろう。


 それこそが、脳に負荷がかかることによって引き起こされる、【意識の強制遮断】だ。


 能力の内容によって使用に当たる制限時間に差はあるものの、戦闘中だった場合に引き起これば敵にとっての格好の的となるだろう。


 然し、その悲劇を回避するのは容易ではある。能力を解除すれば良いのだ。

 脳に負荷がかかることで引き起こされるとするならば、其れは休息を取ることで回復すると思われる。


 先程制限時間については能力の内容にもよると述べたが、ある程度の条件は判明している。


 即ち、ゼノ・スフィアによってこの世界に影響を及ぼす度合いが強い程、制限時間は短くなるのだ。


 先代の失敗を踏まえ、敢えて此処に記すが、能力の解除はその者自身の意思で行わなければならない。


 例え能力者が寝ていようが、気絶していようが、死ぬことが無い限り能力そのものは常に発動し続けている。

 故にゼノ・スフィアを扱う際は、なるべく必要最低限に留めた方が賢明だろう。


 ただし、唯一愛人(まなびと)に関しては例外である。

 彼等彼女等による能力の使用には、あらゆる面に於いて一切の制限が存在しない。


 万が一愛人と敵対関係にある場合、なるべく刺激しないように立ち去り、全力で逃げろ。


 我々が愛人に対して出来る唯一の生存戦略は、今の所これ以外には存在し得ない。


        〈とある一族の手記より一部抜粋〉


 ✧ ✧ ✧


ふわふわとした、安らぎに満ちた空間。

 水中を漂っているようで、それでいて空に浮かんでいるみたいな、曖昧な場所。


 きっと、これは夢なのだろう。

 音宮琴海である私は、そうやって静かに意識する。


 深く、暗い蒼色に染まった空間。

 あちこちでひしめき合う、星の瞬き。


 星。あまりに小さく光る別世界を目にすると、それはまるでちっぽけな自分を見せつけられているようで。


 自在に、(そら)の中を進んでみる。

 ふわふわとした浮遊感を感じるのに、恐くはなくて、寧ろそれが心地良いとすら感じる。


 「意外と大丈夫そうね。心配する必要は無かったかしら」

 誰かの声が響いた。

 でもそれは、私がよく知っている(こえ)


 「こっちよ」

 姿は見えないけれど、この空間の何処かに誰かがいる。


 私は、星々に満ちたそこを泳いだ。

 でも思うだけで移動出来るから、わざわざ手足は動かさない。

 ただ行きたい方向へ意識を向ければいい。


 この空間はどこまでも続いているみたいで、果てがない。

 かなりの距離を移動しているというのに、いったい何処にいるんだろう?


 

 「久しぶりね。それとも、はじめましてかしら」

 また、聲がした。今度は背後から。

 振り返ると、誰かが中空で(たたず)んでいた。

 地面なんて見当たらないのに。


 その姿を視て、私は理解する。

 あぁ、どうりで知っていたわけだ、その(こえ)を。

 だって、目の前に立つ若い女の姿は、私自身だったのだから。


 「あなたは、私…?」

 疑問を口にしてみたものの、心の奥底では違うと感じる。

 その通りに、目の前の自分は首を横に振った。

 やはりそうだろう。私なら、他人を見下すような眼で相手を見たりしない。


 「惜しいけど、違うわ」

 「なら、貴方は誰なんでしょうか?」

 私の問いかけに、同じ姿の相手は鼻を鳴らして。


 「ワタシが誰かなんて、些細なことよ。こうしてアナタの前に姿を見せたのだって、特例中の特例なんだから」

 何が言いたいんだろう、わけがわからない。

 でも、相手が嘘や隠し事をしていないと(わか)るのは、夢の中だから──?

 

 だとしても、自分とそっくりの相手の呼び方が分からないのは、なんだかもどかしい。


 それを彼女は察してくれたみたいで、渋々といった感じで答えてくれた。

 「なら便宜上、アナタの姉でいいわ。理由は聞かない事をオススメするけど」


 「わかりました。えと、お姉ちゃん」

 言って、唇がむず痒くなる。

 姉妹という存在に、憧れたことはある。

 でも夢の中とはいえ、姉に等しい存在ができてしまうだなんて、思っても見なかった。


 私とまったく姿が同じで、それでいて無愛想で、なのに安心感を感じているのは、奇妙だとは思うけど。

 でも、私に双子がいたのなら、きっとこんな感じなのかな。


 「ニヤけてないで付いて来なさい。この先にあるモノを、アナタは知るべきよ」

 「あっ、ちょっと引っ張らないで下さい!」

 慌てる私を無視して強引に宙を(すべ)る、お姉ちゃん。


 その背中からは怒りの様な、それでいて何かに急かされているような余裕の無さを感じて、私は口を(つぐ)んだ。


 途端、私達の身体は蒼穹の星屑に吸い込まれる。

 思わず目を(つむ)る程の、体中に感じるパチパチとした感触。

 

 濁流の中を進んでいるみたいに煌めく星屑の抵抗を受けた私は、揉みくちゃにされる中で次第に方向感覚さえもわからなくなる。


 それでも私の手を握る確かな感触を頼りに、なんとか歯を食いしばって耐えて、耐えて、耐えて──。


 「着いたわよ」

 ふと突然、激しかった奔流から解放された。

 あれ程騒がしかった星々の感覚も、強く握られていた手の感触も、全て消えている。


 恐る恐る目を開け、周囲を見渡してみる。

 そこは、色の無い湾曲した部屋。

 例えるなら、そう。巨大な球の内部の様でもあって、壁面には無数の光る筋が羅列していて。


 「いつまでもうずくまってないで、こっちに来て座りなさい」

 その空間の丁度中心に当たる場所。

 宙に浮かぶテーブルを挟んだ向こう側。

 そこには優雅に座って紅茶を(すす)る、お姉ちゃんの姿。


 私は促されるままに、テーブルの手前側にある椅子に腰掛ける。

 宙に浮いているからか、重心が心許ない。


 「ここは…?」

 「現実と虚構の狭間よ。時間が無いから、早速本題に入らせてもらうわ」

 そう言うと姉はティーカップを置いて、真っ直ぐに私を睨め付ける。

 気に触るような事をした憶えは無いけど、どうしたんだろう。


 「アナタは生きたい? それとも死にたい?」

 その問いに、私は思わず当惑した。

 答えるまでもなく、生きたいに決まっている。

 急に何を言い出すのだろう。


 「ワタシはね、生きたいの。でも今のアナタじゃ、また敵に襲われたりでもしたら今度こそ本当に殺されてしまうわ」

 無言で話の続きを促した私に、姉はそう言い放つ。


 確かに私は(さら)われて、酷い目に遭わされ、意識を失った。

 でも、何故か身体が勝手に動いて、気が付いたら全てが終わった後だった。


 だけど、それは私の身に起きた出来事だ。

 百も承知である問題を、何故夢の中の幻影が指摘するのだろう。

 「私が死ぬと、お姉ちゃんも死んでしまうのでしょうか?」


 「そうね。ワタシとアナタは一つの体を共有する、言わばルームメイトよ。元々この肉体はワタシのものだったのだけれど、今はアナタが主導権を握っているのだから、無茶して死なれたりでもしたら、道連れにされちゃうわ」


 ワタシはそれが嫌なの、と凛とした口調でお姉ちゃんは言葉を締めた。

 今の話が本当だとするなら、私の命は元から自分だけのものではない。

 けれどこれまでに、多重人格でも二重人格だった覚えも無い。


 「私には、何を言っているのか分かりません。同じ身体を共有しているのなら、あなたはお姉ちゃんでは無い筈です。本当は何者なんですか?」

 「それは自分の手で見つけ出しなさい、アナタが見つけた赤ちゃんの画像が鍵になるから。代わりに、アナタの疑問を一つだけ解消しておくわ」


 疑問……そうだ、突然の出来事に頭から離れていたけれど、ここはどんな場所なんだろう?

 これまで夢だと認識しているのに、一向に目が覚める気配が無い。


 「ワタシ達が今居る場所は、ゼノ・スフィアと呼ばれる概念の本体内部よ」

 「ゼノ・スフィア?」

 聞き慣れないけれど、私が誘拐された先の研究室にいた男が、そんな単語を口にしていたような気がする。


 「最近妖精が現れるようになったでしょう? 他にもそれと同様に不思議な力は存在していてね、ゼノ・スフィアはそういった超能力を扱う感覚器官とでも思いなさい」

 「はぁ…でも私にはこの風景が、細胞によって構成されているとは思えません」

 私の返答に、姉を名乗る幻影は呆れの色を顔に浮かべた。


 「当たり前でしょう? ゼノ・スフィアは魂そのものに付着しているんだから」

 そうしたら、今私達は自分の魂の外側に存在している事になる。

 そうなると現在、私達は死んでいる事になるんじゃないのだろうか?


 「バカね、それじゃあワタシが姿を現した意味が無いじゃない。安心しなさい、死んだわけでは無いから」

 ますます訳がわからない。

 尚も質問しようと口を開いたら、声が出なくなった。

 段々と視界も霞んできて、景色が遠退き始める。


 「時間切れみたいね」

 姉を名乗った幻影は険しい顔で、周囲を見渡す。


 「これだけは覚えておいて。アナタは、一人じゃない」

 言葉と共に小さくなる幻影(お姉ちゃん)の姿を、私は女性の形をした光に吸い込まれながら、いつまでも、いつまでも、見つめていた。


 星屑の中、完全にその姿が見えなくなるまで。


 ✧ ✧ ✧


 8月13日。

 夕陽の日差しが目に当たり、眩しさを感じて琴海は目を開けた。


 見慣れた天井。

 クーラーが設置されてないのが唯一の不満点ではある、琴海の自屋。


 いつもと違う点といえば、ベッドの側に座る見慣れた医者の姿位だろうか。


 「おー、目が覚めたか〜。気分はどーだ〜?」

 彼女は気の抜けた声を琴海に投げる。

 丸眼鏡の奥から覗く、眠たげな眼差しを手元の資料に向けたまま。


 小さい身体に見合わない、黒い大きなガウンを羽織っているこの幼女こそ、琴海の主治医である。


 名を華村佐月(はなむらさつき)

 こんな見た目ではあるが、中身はれっきとした成人済みの女性だ。


 「少しボンヤリしますが……問題ありません」

 ボワついた頭で、琴海は答える。


 「そりゃ寝起きだからな〜」

 雑に返答しつつ佐月は顔を上げ、無造作に手にしていた資料を琴海の机に投げ出すと、椅子から降りる。


 「ちょっと診察するからそのまま座ってろよ〜」

 そう言って佐月はベッドによじ登り、琴海の体を強く抱き締めた。


 彼女の診察方法は特別である。

 体を密着させることで相手の身体状況を完璧に把握することが出来るのだ。


 「うん、もう大丈夫そうだな〜。にしても鈴音が居ない時に限ってこんな事になるなんて、災難だなオマエも〜。……いや、寧ろ仕組まれてんのか〜?」


投げやりな同情を示しつつ、ブツブツと考えに(ふけ)る佐月。

 そんな彼女を眺めていると、琴海は妙な確信に近い予感を感じ始めていた。

 なぜ、他の医者と比べて診察方法が異質なのかを。


 「先生も、不思議な力が使えるんですよね?」

 冷や汗が、首を伝う。

 どんな反応が返ってくるのか……もしかすると、敵であってもおかしくはない。


 「そーなるな〜。でも安心して良いぞ〜患者を傷つける医者は、ここには存在しねーからな〜」

 しかしその不安は杞憂に終わった。


 ブラックアウトの症状が見られた時点で、琴海の身にただならない出来事が起きたのは間違いない。

 佐月の返答は、それを見越してのものであった。


 「よかった……私、妖精が見えるようになって」

 信頼の置ける主治医が自分と同類である事に安堵し、琴海は溢す。己の異常性を。


「見た目も変わってしまって驚きましたよね……それに身体の感覚も、なんだか鈍感になっているみたいで……」

 琴海の(かお)に堕ちる、昏い影。

 其れは未来に対する恐れか、それとも現状による不安か。


 「アタイが驚く理由は無さそうだけどな〜」

 そう言って佐月は手鏡を琴海に渡す。

 覗き込んでみると、思わず驚きの声が漏れた。


 「髪が、元に戻ってる? 眼も……」

 「アタイが来た時には、そんな感じだったぞー」

 見た目が戻ったのは喜ばしい事ではあるのだろう。

 だからと言って流すわけにはいかない。


 現に、蒸し暑いはずの部屋で琴海は汗一つかいておらず、肌に当たる僅かな陽射しの温もりが、なんとか感じられる程度であったから。


 「腕出しな〜。ちょっと採血するからー」

 言われた通り、琴海は腕を伸ばす。

 だが、それは佐月による驚異の事実を知らせる宣告であった。


 「そんな……針が弾かれて……通らない?」

 その事実に、琴海は驚愕を禁じ得かった。

 へこみはすれど、いくら強く押し込んだところで針は皮膚に穴を開けるに至らない。

 今の琴海にとっては、鉄製の針すらも爪楊枝(つまようじ)同然なのだから。

 

 「いいか琴海、オマエは異常なんかじゃない。身体能力が上がり、常人を遥かに超える耐性を得ただけだ」

 あくびを交えて佐月は答える。


 そうは言うが、それこそ正しく異常な事ではないのか。そう困惑の色を浮かべる琴海を諭す様に、佐月は尚も続ける。


 「世の中にも様々な障害を抱えている輩は沢山いるだろ〜? アタイ達の症例は認知されていないだけで、極論を言えば他の障害と何も変わらないんだ」


 まるで遥か昔から存在するかの様に話す佐月。

 研究員達が改造していた訳では無いのであろうかと、琴海は疑念を抱く。


 「すると過去にも?」

 「そうだな〜、有名な所だとアーサー・ペンドラゴンや卑弥呼辺りか〜? 紀元前から残るおとぎ話は、全てアタイ達の様な症例を記録した物だと考えられたりしてるぞー」


 琴海の鼓動が激しく揺れる。

 物語の世界に憧れた時期はあったりもしたが、まさかそれが実際に起きた出来事だっただとは、にわかに信じ難かった。


 「その様子だと驚きつつも受け入れられないって感じか〜」

 佐月は少しの思案の後、琴海が落ち着くようにその小さく柔らかな手を重ねた。


 「ゆっくり息を吐け〜、それから意識を己の内側に向けて集中してみろー」

 戸惑いは残るが、それでも琴海は佐月を信じて意識を集中させる。

 心の底で微かに感じる、妖精達の気配。

 脳裏に浮かぶは、レドの存在。


 「よーし、それじゃあ今度は感じ取ったその感覚を外側に向けて放出してみろ〜」

 琴海は内側の気配に念を込め、ゆっくりと息を吐き出す。


 (出てきて、レド)

 想いと共に毛先にかけて流れる、金色の輝き。

 瞳の奥から溢れる、透き通った桃色。

 そして、どこからともなく光の粒子が現れ、琴海の眼前で集約していく。


 それ等は一塊(ひとかたまり)となり、一対の(はね)を有した人の形を(かたど)る。

 そして光が弾けると、元気よく赤い服の妖精が飛び出した。


 『ことみおはよー!』

 「おはようレド。体は何ともない?」

 『うん! ぐっすりねたから、げんきいっぱーい!』

 ケラケラと笑って琴海の周囲を飛び回る様子は、どことなく可愛らしい。


 「これは珍しーなー。能力(ちから)を使うと、見た目が変わるのか〜」

 佐月はそんな二人の様子を興味深気に観察した後、意外な言葉を発した。


 「で、琴海には妖精(そいつ)の声が聴こえてんのか〜?」

 「……華村先生には聴こえないんですか?」

 「そーみたいだなー」

 佐月は妖精という単語を口にする事から、姿は視えているのだろう。

 しかし、声が聴こえていないとはいったい……。


 「あの、どうすれば他の人にも彼女の声を伝えられるんでしょうか?」

 「能力なんて十人十色。同じゼノ・スフィアの使い手でも、相手の能力なんて分かりっこねーだろー」

 琴海の抱いた疑問は、されど佐月によって無下にあしらわれてしまった。


 その辺はもう少し診察してみても良いはずだが、彼女が言い切ってしまうならば、仕方が無い事なのだろう。


 「で、どうだ琴海ー。その妖精は恐いと思うか〜?」

 「いえ、彼女……もといレドはとても可愛らしく、敵意も感じません」

 その回答を聴いて、佐月は満足げに頷く。


 「それで正解だぞ〜。自分の手足に怯える奴がいない様に、自分のゼノ・スフィアを恐れる奴はいないんだからな〜」

 そうして琴海は理解した。

 妖精達の存在は自身の一部なのだと、心の底から。


 「そんな事より琴海、医者として一つ忠告しておくぞ〜」

 「何でしょう?」

 「その妖精は出しっぱなしにするなよー。またぶっ倒れちまうからな〜」

 佐月は警告する、しっかりと言い聞かせるかの様に。


 曰く、ゼノ・スフィアは脳のあまり使われない部位を極端に稼働させて行使する。

 それにより脳が受ける負荷は膨大であり、個人差はあるものの、過度に使用すれば脳死は免れない。

 そのため、体が生命維持のため強制的に意識を遮断させるのだ。


 数時間すれば自然と目覚めるものの、頻繁にブラックアウトを起こせば最悪の結末を迎える事に変わりはない。

 そのため能力を使用した後は、自らの意思で解除する必要がある。


 これは寝ている時も、ブラックアウト以外の要因で意識を失っても継続されてしまうため、必ず自らの意思で行わなければならないのだ。


 彼女の説明を、琴海は血の気が引く思いで聴いていた。

 そして恐る恐るといった調子で、訊いてみた。

 「あの、それなら私……一週間の間、能力を使いっぱなしだった事になるんですけど」


 「一週間!?」

 この報告には、普段は怠惰な佐月も白目をむいた。

 そして事細かな問診によって状況把握に務め、改めて体を密着させて過去一週間の身体状況を調べる。


 「ハァ〜、鈴音のやつはなんて化物を生み出しやがったんだ……」

 結果、琴海は覚醒してから今回の件に至るまで、本当に一度も能力が解除されていなかった。

 その事実に佐月は、ただただ絶句するしかない。


 「あの、どういうことですか?」

 「普通は不可能なんだよ〜、オマエは充電しないまま一週間もパソコンを使い続けれんのか〜?」

 出来るわけがない。

 だが現状を鑑みると、琴海の使用時間による制限は一週間となる。


 「まぁブラックアウト自体は起こるみたいだからなー、誰よりも長く使用できるとは言え、今後は必要な時だけにしろよ〜」

 なんとか落ち着きを取り戻した佐月は眼鏡の位置を直し、資料を手に取って何事かを書き加え始める。


 「分かりました。ですがその、能力ってどうやったら解除できるんでしょうか?」

 「アタイの能力じゃないんだし知るかよ〜。取り敢えず何にもないとこから現れたんだから、消えてくれって頼んでみればー?」

 些か乱暴な話の気もするが、琴海は申し訳無さそうにレドへと視線を向ける。


 「ごめんね、レド。一旦姿を隠せる?」

 『わかった! またね〜』

 それに対するレドの態度はあっけらかんとしたもので、笑顔で手を振ると光の粒子となって中宙へ姿を消した。

 それと共に琴海の髪色は栗色に戻り、瞳も桃色から黒茶色へと戻る。


 「琴海……? 気がついたのか!」

 突如背後から声がし振り向くと、楓が安堵した様子で部屋の入り口に踏み入れていた。


 「気分は? もう大丈夫なのか!?」

 「心配かけてごめんね。もう大丈夫よ」

 「良かったー! サッツンが来てくれなきゃどうなってたか」

 歓喜に沸き立つ楓の言葉に、佐月は眉をひそめる。


 「待て、サッツンってまさか私のことか〜?」

 「他に誰がいんのさ。ありがとサッツン♡」

 「こう見えてもアタイは歳上なんだぞ〜、毎回会う度にあだ名を付けようとすんじゃねーよー」

 佐月は絡んでくる楓を面倒くさそうにあしらいつつ、徐ろにガウンの裾から二枚の旅行券を取り出した。


 「それよりもだ、オマエらまだ夏休み期間だったよな〜。日帰りで良いから旅行にでも行ってこーい」

 そう言って手渡された旅行券は、一般人であれば入手することすら難しい、あらゆる国や地域で使えるMVPT(超特殊優待旅行券)だった。


 「そんな、こんな高価な物受け頂けません」

 突然の贈り物に驚く琴海の側で、楓は鼻息を荒くする。


 「すげぇ……MVPT券なんて初めて見た! でも大丈夫かよ、あたしはともかく琴海は病み上がりだぜ?」

 「遠慮しねーで受け取れよ〜。これも治療の一環なんだからさー」

 佐月曰く、今の琴海は現状に対して憔悴しており、とても不安定な状態にあること。

 そのため旅行によって知見を広げる事で、心身共に安定させられるのではと考えてのことだった。


 「ほら、病は気からってよく言うだろ〜。それに、琴海を襲った奴らについては本人が何とかしちゃったんだから、思い詰める必要はもうないのさー」


 佐月の言い分は分かる。

 だが、それだと楓はともかく琴海の母に連絡が取れない現状では、手放しでは容認し難い。


 その懸念を琴海は呈するが、大したこと無いとでも言うように手の隠れた袖をヒラヒラと振って、佐月は緩い笑みを浮かべた。


 「あー、それならアタイがなんとかしておくから大丈夫だぞ〜。それでも心配ならコレ着けときなー」

 そう言って二人に投げ渡される、小さな宝石が一つだけはめ込まれた、ステンレス製の指輪。


 「これは…?」

 「御守りみたいなもんた、いいから着けてみろよ〜」

 礼を述べ、二人はそれを嵌める。


 指輪は意外と頑丈な大きめな造りで、親指の根本まで深くはめ込むことでようやくピッタリ収まった。

 夕陽に当てて仰ぎ見れば、まるでおとぎ話に出てくる秘宝のよう。


 「へへっ、なんかテンション上がるな」

 楓に目を向ければ、小躍りしそうな勢いで浮足立っていた。

 彼女はアクセサリー等の女物を好む質ではない事から、父親に許可を取る前から旅行に行く気満々なのだろう。


 「そんじゃアタイはもう帰るけどよ〜、これも治療の一環なんだから、夏休みの間に絶対に行けよー」

 「わかりました。あの、それで診察費の方は……」

 「気にしなくていいぞ〜。今年の分は、鈴音から去年の暮れに纏めて貰ってるからなー」

 佐月はあくびを混じえて適当に返すと、そのまま琴海の家を後にした。


 その後、二人は旅行について話し合った。

 夏休みが終わるまで、残り1ヶ月半。

 治療の一環と言う訳で、それまでに何処かへ旅行に行くのは確定だ。


 折角MVPTを貰ったから、どうせなら海外に行きたいと楓は目を輝かせる。

 だが琴海としては、あまり旅行に日数をかけたくはない。

 双方の意見を重ね合わせた結果、日帰りで韓国へ行く事で話し合いは落ち着いた。


 「でもいいの? 楓のお父さんに許可を貰わずに勝手に話を進めちゃって…」

 「大丈夫、無理矢理にでも頷かせてやるさ!」

 そう言って楓は親指を立てて、不敵に笑みを浮かべる。



 そして翌日。


 『琴海! 許可をもぎ取ったぞー!』

 (あぁ…楓のお父さん、ごめんなさい)

 電話口で勝ち誇った様な報告を聴いて、琴海は胸の内で手を合わせる。

 彼女の報告から、ほぼ有無を言わさない宣言で押し通したのだろう。


 それから二人は日帰り旅行の日取りを決め、それに向けて準備を始めた。

 運命が刻まれ始めたとも知らずに。


 ✧ ✧ ✧


 同日深夜頃。

 様々な欲望が渦巻き、華やかな佇まいの店が立ち並ぶ歌舞伎町。


 新宿を代表する輝かしい街の中に創業6年を迎える、ホテルと融合した映画館がある。

 だが大通りから少し外れれば、活気の薄い通りが顔を出覗かせる。


 人通りは少なく、飲食店からであろう様々な料理の香りと、マンホールから漂う下水の臭いが混ざり合って、重苦しい空気が辺りに漂う。


 そんな通りにポツリと佇む一軒の喫茶店、{アマ・デトワール}。

 怪し気な風俗店が建ち並ぶ中、場違いな程にお洒落で爽やかな佇まいに、普通ならば誰もが足を止めるだろう。


 しかし昼夜問わず、通行人が気に止める事は無い。

 それもそのはずである。

 この{アマ・デトワール}は、能力者にしか知覚できない特殊な喫茶店だからだ。


 だが運良くこの喫茶店に出逢い、ガラスを嵌め込んだ木製の扉を開けば、なんとも芳醇(ほうじゅん)な空気が来客を温かく包み込むだろう。

 琴海の診察を終えてやって来た、この華村佐月と同様に。


 「いらっしゃいませ〜♪」

 客が少なくて暇を持て余していたと思われる可愛らしい店員さんが、明るい笑みで迎える。

 その笑顔が眩しくて、ただでさえ外出が苦手な佐月は目を逸らした。


 「何名様ですか?」

 「ンァ〜、それなんだが……」

 言い淀んで、佐月は店内へ視線を走らせる。

 

 店内最奥のテーブル席。

 そこには明らかにやんちゃな大学生と言った風貌の青年が、泡立つ黄色い飲み物を手に涙を流している。

 暗く淀んだ空気をその身に纏わせて。


 「アレと待ち合わせてるんでー」

 「あ、お連れ様なんですね……ではごゆっくりどうぞ〜♪」

 佐月が指し示すと、店員は少し引きつった笑みで佐月を案内してくれた。


 「見つけたぞ〜、こんな所で何やってんだー」

 青年が座る席へと歩を進め、佐月は少し荒げた口調で声をかける。


 「先生ぇ……オレぁもう先を視たくねぇ、勘弁してくれよぅ……」

 「ジンジャーエールに酔う効能はねーぞ〜」

 ヤレヤレと青年の向かいに腰を下ろしつつ、佐月は呆れ顔を向ける。


 「いいか〜、患者が診察に協力してくれなきゃ、アタイだって助けてやれねーんだぞ」

 「だからってよぅ、オレはもうあんな未来は視たくねぇっ!」

 佐月は無言で見つめる、机を叩いて嘆く青年を。


 彼の名は金本賢介(かねもとけんすけ)

 医者の家系に生まれたが故にその道を目指すも、金を浪費して毎晩遊び呆ける残念な男である。


 「その悩みを解消するために診てやってんだろ〜。取り敢えずもう一回だけその眼を使ってみな〜」

 淡々と、有無を言わさぬ口調。

 非情ではあるが、能力者を診察する上で敢えて必要な態度でもある。


 「わかったよチクショゥ……」

 ソファに背を預け、深呼吸一つ。

 意を決して、賢介は視界に意識を集中させた。


 途端に黒くなる景色。

 そして眼前に表れる、二つの鏡。

 それぞれに映るは二つの風景、異なる未来。


 様々な怪物が跋扈(ばっこ)する終末世界で、生きるために連日逃げ回る未来を写す、右の鏡。

 見知らぬ場所で赤子の怪物の群れに襲われ、絶命する未来を写す、左の鏡。

 何度確かめても、変わることのない可能性。

 どちらを選んだとしても迎える、絶望の終着点。


 「どうだ賢介〜、何か変化はあったかー?」

 佐月の問いに、賢介は能力を解除して力無く首を振った。


 「ヤッパリ世界は滅ぶんだな?」

 声を落として確認する佐月の言葉に、賢介は歯を噛み締める。


 「なぁ、先生ぇ。オレはどうすればいい?」

 「ンァ〜、片方の可能性では死んでねぇんだろ? ならそっちを選べば良いんじゃないのか〜?」


 佐月の言い分も一理はある。

 しかし、この先怪物から逃げ回るだけの人生であるならば、死んだ方がマシなのでは無いだろうか。


 だけど、と賢介は拳を握る。

 生を謳歌したい。

 裕福な家庭に産まれ、恵まれた身体を手に入れ、自分に都合の良い能力まで手にした人生。

 故に良い思いも沢山して来たが、それでも彼はまだまだ死にたくは無かった。


 「オレはこれから先も遊んで暮らしてぇ。でもよぅ、それが無理なら、オレぁどうすりゃいいんだ!」

 「決まってんだろ」

 間髪入れずに言い放つ佐月。

 その言葉に、賢介は顔を上げる。


 「運命は選ぶもんじゃない、自分の手で切り開くもんだ。どっちも選べないなら、第三の選択を自分で作ってみせろ」

 無理だ、有り得ない。

 この未来を選択する能力は、二つのうちどちらかが必ず現実で巻き起こる。

 故にそれ以外の可能性を引き起こすのは不可能。


 その事実は、他ならぬ賢介自身が良く分かっていた。

 だが佐月のその言葉には、妙な力がある。

 不可能すらも可能に出来ると思わせる説得力がある。


 (……そうだなぁ、こんな時位は足掻いてみるか)

 残りのジンジャーエールを一気にあおると、力強くテーブルに置く。

 その顔からはこれまでの弱さが抜け落ち、代わりに不敵な笑みを浮かべる彼の姿。


 「華村先生さんよぉ、オレを鼓舞したからにはいい案があるんだろうなあ!」

 「あたぼーよー」

 爛々と眼を輝かせる賢介へ、佐月は親指を立てる。


 「神谷孝介(かみやこうすけ)をこの時間に空港へ迎えに行かせるから、オマエはそいつと一緒に離島へ飛びな〜」

 「孝介の奴がかよ!?」

 賢介が驚くのも無理はない。

 彼にとってその名は、見知った部類に入るのだから。

 そして差し出されたメモ用紙を見れば、合流地点と時間が書かれている。


 「場所はわかったけどよ、何だって紙なんだ?」

 「んー、携帯貸してみ〜」

 怪訝に思いながらも、賢介は言われた通りに手渡す。


 佐月は手にした携帯に視線を落とすと、一息の内に握りつぶしてしまった。


 「ちょっとぉ?! 何しやがんだテメェ!!」

 「がなるんじゃねーよー。これでいいんだからさ〜」

 「いいわけあるか! どーしてくれるんだよこれぇ」

 涙目で携帯の残骸を掻き集める賢介を眺めつつ、佐月はゆったりと椅子に背を預け、口を開いた。


 「その携帯はダイモンドの傘下にある企業が開発したんだぞ〜、んなもん信用出来ねーだろー」

 「だからって──」

 尚も噛み付こうとする賢介を、佐月は手で制して続ける。


 「とにかく、その日に指定の場所までちゃんと来いよー。ご要望通り、道は示してやったんだからな〜」

 その後も賢介は不満そうではあったが、佐月に促されるまま渋々店を出て行った。


 「ありがとうございました〜♪」

 店員の声と共にドアが閉まるのを見届けた佐月は、大きく息を吐いてテーブルの上に頬を乗せる。


 「アタイに出来るのはここまでだ、鈴音。オマエは今、無事なのか?」

 未来を憂いて呟く佐月は、何を想うのか。

 運命(さだめ)(とき)に何が起こるのか。


 それは誰にも、彼女本人にすら分からない。


 ✧ ✧ ✧


 関東のとある空港内。

 第三ターミナル内にある、国際線出発口のチェックインロビーの椅子。

 そこに、ノートパソコンを開く叛真定紡の姿。


 今は旅行シーズンなのか、辺りは沢山の旅行客で賑わいを見せる。

 そんな周りの喧騒を無視しながらデータを確認していると、定紡の脚にスーツケースがぶつかった。

 ふと見上げると、それに気づいた女子大生風の二人組が、頭を下げる。

 「あっ、スミマセン」

 「いえ、大丈夫です」

 定紡はそれに軽く応じ、視線をパソコンの画面に戻す。


 「おい、あれ……」

 「え? やだ、ウソでしょ」

 それから暫くすると急に周りがざわめき出した。

 ふと気になって視線を上げると、ロビーの窓からジャンボジェット機がこちらに向かって、突っ込んでくるのが目に入る。


 咄嗟に他の群衆の中に紛れ込んでその場から離れたのと、ジャンボジェット機がロビーに突っ込だのは、ほぼ同時だった。


 ──ズガシャンッ、ドガガガガガガガガ

 凄まじい衝撃とともに、崩壊した天井が落ちてきて、その場にいた大半の人々は、悲鳴と共に次々と瓦礫の下敷きになっていく。


 喧騒も遠退き、辺りが静寂に包まれようとしたその時。

 「グゥ……クッ──」

 定紡は瓦礫の隙間から這い出した。

 瓦礫に貼り付いた血で汚れた手を上着で拭き取り、自分の荷物の無事を確認する。特に大きな損傷は無いようだ。


 辺りを見回す。

 空港の窓を突き破った旅客機は、前半部分だけターミナル内に乗り上げている。

 その衝撃で天井の一部が崩落し、ターミナル内には瓦礫や電灯、鉄骨や旅行客の荷物が散乱していた。

 何とか被害を免れた生存者も確認できるが、巻き込まれてしまった人の状態は、悲惨そのものだった。


 ──ガゴンッ

 突然旅客機の歪んだ扉が弾き飛び、中から妖艶な美しさを秘め、派手な衣装に身を包んだ女性が姿を現す。


 その女性は旅客機を出て正面に立つと、両手を天に向けて掲げる。

 「さぁ皆様、救済のお時間で御座います!」

 嬉々として女性が声を上げると、旅客機の残骸から大量の黒い何かが物凄い勢いで這い出て、次々と人々を襲っていった。


 この日、破滅をもたらす女神が姿を表した事で、物語は始まりを告げる。

 地獄と化した世界で生きる人々の、様々な想いを乗せて。

今回も、ReBelを読んでくださり、ありがとうございました。


今後もReBelの応援を、どうかよろしくお願いします。

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