エピローグ
祖国へ帰る方法は、行きと同じだ。赤の国側が用意した魔法道具と、魔法で帰る。
エステルは、共に残った侍女と共にそのときを待っていた。場所はとある部屋。
大きな姿見の形をした魔法道具が立て掛けられ、離れた場所にある同じ魔法道具に繋がるようにされているところだった。繋いでいるのは、行きとは異なる人物。エステルが会ったときはいつも王の側にいたあの壮年の男性だ。
カーティスはこの場にはいなかった。帰るときには立ち会うと言っていたから、彼のことだから来るだろう。
――昨日、エステルは何も答えられなかった。カーティスから向けられる目と言葉、全てに圧倒されたのだ。
カーティスはやはり気にした様子はなく、何事も無かったように行こうとしていた塔へとエステルを誘い、そこから前日までのように何事もない流れがあった。その塔が何の役割をしているのか、中には何があるのか。案内と説明もされたが、ろくに頭の中に残っていようはずがなかった。
夕食のときの記憶も何を喋ったかとか記憶がなくて、夜は中々寝つけなかった。
ずっと考えて、考えて、考えていた。
やがて魔法道具が繋がったところで、ちょうどカーティスがやって来て部屋の中の視線がカーティスとエステルに集まった。
「赤の王、この度はお言葉に甘えさせて頂きありがとうございました。とても楽しい日々でした」
「次に会うのは婚儀の際か」
「そうなるでしょうか」
別れの挨拶となり、エステルは金の国の王女として用意していた別れの挨拶をすらすらと口にして、カーティスと言葉を交わした。
そして、挨拶もそこそこに別れが来る。
「では、行き同じく一度国境付近に出るようになっております。ご案内致します」
「ありがとうございます」
魔法道具を繋げた本人が案内してくれるようで、エステルは促されるまま鏡の方へと行く。
カーティスから離れて、祖国へ帰るべく。
(……もう会わないわけではないわ。また会える。この先時間はたくさんある)
だから別に、そう、今ここではなくてもいいのだ。今回過ごした時間の倍の時間が待っている。少し間は空くけれど、また会うのだから今でなくてもいい。
(今でなくても……カーティスだって、答えは絶対聞きたいわけではないから、昨日もう聞かなかったのじゃないかしら)
鏡の前に立ち、「お入りください」と言われるままに足を踏み入れようとする。前に、頭の中で待ったをかける自分がいた。
(今言えなかったら、この先も言えるのかしら)
好きだと自覚して、改めて惹かれていって、それなのに想い自体は心の中に秘めていた。
昨日カーティスの言葉を受けたあの場で言えなくて、一晩考えた今は言い訳をしている。こんなことで、いいのだろうか。
いいはずが、無かった。
思考の一部が主張し、エステルが思い立つには一瞬。考え、言い訳していたさっきまでが嘘みたいに、エステルは後ろを振り向いて、カーティスを見つけた。
「カーティス」
金の王女としての礼儀としての赤の王ではなく、エステルとして彼を呼んだ。「何だ」と彼は言った。
「私は、私の意思であなたに嫁ぐわ」
同盟のための婚姻は決まったも同然だけれど。
相手が何か反応をする前に、エステルは続けて言う。
「あなたが好きだから」
はっきりと、届くようにその瞳を見つめて初めて胸に仕舞い込んでいた想いを本人に打ち明けた。
そして言ってすぐ。エステルは前に向き直って、魔法道具を通り抜けた。迷いなく、通り抜けると一度通ったことのある場所へ。
早足に、周りの誰の顔も見ずに声もきこえずにもう一度鏡を通り抜けると――祖国の見慣れた城の内装が広がり、そこには父と兄や側近たちがエステルを待っていた。
気がかりそうな気弱な表情をしていた父がエステルが出てきたことに気がついてぱっと表情を明るくし、兄は微笑みをより柔らかくした。
「お帰りエステル!」
「お帰り……エステル、顔が真っ赤だが、熱でも出したのかい?」
「え!? ほ、本当だ。え、エステル、やっぱり無理をさせてしまったのだな……!?」
「ち、違うわ」
エステルは真っ赤で熱くて堪らない顔のまま、違うと否定しなければならなかった。そんなのではない。
けれど一度心配した父が騒ぎ始め、場は混乱していく。エステルも誤解を解こうにも、顔の熱は引いてくれない。
言ってきてしまった。でも迷っていたことで引っ掛かっていたこと。それに本心だから――カーティスはどんな顔をしているだろう。
*
しん、とした空気が流れる中、その場にいる全員が窺うのはもちろん赤の王の様子。
金の王女が大胆な発言をしたように聞こえ、去ってから、赤の王の動きの一切が止まった。
そんな中、微かな音が聞こえはじめたその源は……他ならぬ王か。
「――はははははははっ」
いきなり笑い声を響かせた王に、全員がぎょっとして王を見ると、赤の王は笑い声の通りの笑み。
――金の王女の去った赤の国には上機嫌な赤の王がいた。
「未だかつてこんな陛下見たことないんですけど!? こわっ」
そしてその様子を見た一人の公爵が気味悪げにしていたとかしていなかったとか。
赤の王と金の王女が正式に婚姻を結んだのはそう遠くない日のこと。自らの妃と共にいる赤の王は彼女から目を離すことは滅多になく大層大事にし、王妃は夫となった赤の王に遠慮ない物言いをしながらも側で支え、笑いの絶えない相思相愛の夫婦であったとか。
赤の国が大陸を統一する日は、もう少し、先のこと。