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第15話 最悪の結末

 広場の真ん中には、まだ血と火の残り香が立ちこめていた。倒れ伏した死体がいくつも散乱し、炎の揺らぎの中で民衆の怒号が絶え間なく響いている。そこへ引きずり出されたレオネルは、背中から鋭い刃を突きつけられ、もはや逃れようもない運命を自覚していた。両腕は頑丈な縄で縛られ、足元には数人の暴徒が組みついたまま、彼を離そうとしない。顔には殴打の痕が紫色に(にじ)んでいて、口の端からは血が糸を引いていた。


「こいつを殺せ!」「こいつが国を滅ぼしたのだ!」と(わめ)く声が、四方八方から飛び交っている。かつての王族への畏敬など、微塵(みじん)も感じられない。むしろ恐怖と怨嗟(えんさ)に染まった瞳が、次々とレオネルへ石を投げつけ、荒々しく暴力を加える。短剣や鉄棒を振りかざす者すらいて、広場には絶えず悲鳴や(あえ)ぎ声が混在していた。生者も死人も入り乱れた地獄のような光景に、湿った血の匂いが嫌というほど染み渡っている。


 レオネルはかすれる息を吐きながら、ぐったりと足元へ崩れそうになっていた。すでに正気を留めているか定かではない。呼吸のたびに肺が痛み、瞼を開けるのさえ難しい。それでも、ときおり頭の奥に過ぎるのは、シエラの笑顔だった。愛する人を救えなかった後悔だけが、彼を(かす)かな意識につなぎ留めている。


 しかし、民衆の怒りは容赦なく彼を断罪する。大柄の男がレオネルの頭をつかみ上げ、引き裂くように剣を振りかざす。鋭利な鉄の先端が空を裂き、次の瞬間、血が地面を染める。レオネルは切り伏せられた拍子に膝から崩れ落ち、声をあげる間もなく泥と血の混じる広場に沈んだ。かつて王族として生まれ育った彼も、今はただの肉塊に成り果てたといわんばかりに、民衆はその身体を踏みつけ、蹴り飛ばし、さらに無意味に刃を突き立てる。


「もう死んでる……そんなにやる必要が……」


 そうつぶやく者がいても、周囲の暴徒は聞く耳を持たない。憎悪に飲み込まれた人々が、その遺体を何度も刺し貫いては、砂と血の混ざった地面に押しつける。レオネルの青白い顔には何の感情も浮かばず、虚空を見つめたまま生気を失っていた。いつかは国を背負うはずだった王族の最期は、あまりにも(むご)い肉塊という形で終わりを迎えた。


 その様子を少し離れた場所から眺めていたカトレアは、ふと微笑みを浮かべたまま目を伏せる。顔にはすすと汗の跡が入り交じり、癖のある髪が乱れたまま肩にかかっているが、その姿は異様なまでに艶やかにも見える。かつての社交界の華やぎと遠く隔絶した光景の中で、彼女の瞳だけが妖しく輝いていた。腕の中には奪い取った貴族の宝剣を抱え、血糊のこびりついた柄を撫でている。


「これであなたは何もかも失ったのね、レオネル。愛する人も、未来も。そう……最期まで無力だったわ」


 低く(ささや)く言葉はもはや誰にも届かない。地面で冷たくなったレオネルの身体は、既に民衆の足に蹴られ、形を(ゆが)められていた。まるで興味を失ったようにカトレアは踵を返し、狂乱する暴徒の間を縫うように歩き出す。視界の先では、街の建物がいくつも火の手に包まれ、さらなる放火や略奪が広範囲に広がりつつある。絶叫と慟哭がさながら音楽のように鳴り響き、血の香りを含んだ風が彼女の頬を撫でる。


「そう、これが私の望んだ世界。すべてが、壊されるなら、いっそ何もかもを巻き込んでしまえばいい……」


 誰に向かうとも知れない独白のような言葉が、泥と破片が散る大地に吸い込まれていく。途切れ途切れの叫び声、(きし)む建材の音、そして大勢の命が終わる瞬間を彩る悲鳴。すべてが混ざり合って、ある種の死の合奏曲を奏でるようだった。もはや善良な者も悪人も、貴族も下層の民も関係ない。力のある者が略奪をし、弱い者は踏みつぶされるだけの世界――それを肯定するかのように、カトレアの足取りには迷いがなかった。


 周囲をうろつく私兵の姿も、すでに統制を失い始めている。あちこちで反抗する集団との衝突が起こり、誰もが倒れるか殺すかの二択に陥っていた。カトレアの名を叫んで指揮を仰ごうとする者もいれば、彼女を裏切ろうと密かに画策する者もいる。憎悪と焦燥が限界を超え、理性はもはや欠片も残っていない状態だ。


 そんな地獄の只中で、カトレアは顔を上げて天空を見た。灰色の雲が重く垂れ込み、燃え盛る火の粉が夜空を赤く照らしている。どこへ目を向けても、生命が焼き尽くされる匂いと殺戮の光景ばかり。誰一人として笑顔を失わずにいられる者などいない。むしろ人々は、自分の生存を守るため、殺し、犯し、焼き、破壊を続けるのだ。


「ああ、何と美しい……まだ足りないわ。もっと崩れて。もっと灰になれ……」


 その時、唐突に飛んできた投石がカトレアの頬を(かす)めた。切り裂かれた皮膚から鮮血が滴り、頬を赤く染める。驚く間もなく、次々と他の石や瓦礫が放られ、カトレアの周囲に硬い音を立てて落ち始めた。どうやら一部の暴徒たちが、彼女をも標的と見なし始めたようだ。死や破壊が飽和状態に達し、誰が敵か味方か判別すら失っているのだろう。


「おまえも同罪だ……国を壊した張本人の一人だ……!」

「俺たちの家族を殺したのは、おまえの私兵だろうが……!」


 否応なく耳に飛び込む罵声に、カトレアは笑いながら目を細める。もはや味方など必要としていないかのように、彼女は袖に仕込んでいた短剣を抜き、容赦なく目の前に飛び込んできた男の首を切り裂いた。血が頬や衣服に飛び散り、すでに痛みを感じていた傷がさらにひりついたが、彼女はその痛みを愉悦(ゆえつ)とさえ感じているようだった。


「全部崩れるのよ。もちろん私も、あなたたちも」


 また一人、私兵がカトレアを守ろうと駆け寄ろうとした瞬間、別の集団がその私兵を槍で突き殺した。悲鳴を上げる私兵を見下ろす者たちの顔には、血に飢えた狂気が漲っている。カトレアは首を傾げ、まるで何の感情も抱かぬまま、その光景を受け止めた。崩壊の渦が自分自身に向けられているという現実に、恐れよりも高揚を感じているのだ。


 渦巻く怒号の最中、カトレアの背後を取る影があった。気づいた時にはもう遅く、錆びた(やり)の穂先が彼女の背中を突き破る。鋭い痛みとともに血が吹き出し、カトレアは苦悶の息を漏らした。打ちつけるような衝撃に身体がぐらりと揺れるが、絶叫すらしない。むしろ口元に笑みを(たた)えながら、振り返って自らの凶手を見据える。


 相手は泥まみれの暴徒で、顔が血と(すす)で覆われている。カトレアと視線が合うと、(ひる)むように一瞬後ずさるが、次の刹那、狂気を振り切るように槍をさらに突き込む。カトレアの口から血泡がこぼれ落ち、喉が切り裂かれたようなうめき声が響く。だが、その瞳にはまだ消えない炎が宿っていた。


 崩れそうになる脚で踏みとどまり、彼女は最後の力を振り絞って短剣を振りかざす。相手の喉を深々と裂き、さらに複数の暴徒が槍や剣を携えてカトレアに殺到する。ごうごうと燃え盛る周囲の建物が炎の反射を投げかけ、彼女の顔を血の仮面で彩っていた。痛みを超えた絶頂のような表情を浮かべ、カトレアは声にならぬ笑いを振り撒く。


「……これで……いいの……」


 その言葉を最後に、いくつもの武器がカトレアの身体を突き破った。血がしぶきを上げ、凄まじい衝撃とともに地面へ倒れ込む。視界は暗転し、揺れる火の粉が星のように煌めいた。もはや意識も繋ぎとめられないほど身体は壊れ、四肢を思うように動かせない。呼吸もままならないまま、彼女の唇がかすかに(ふる)えた。


 どこまで破壊すれば満足なのか、カトレア自身にも分からない。ただ、この地獄絵図の最深部で迎える死が、彼女にとってある種の勝利なのだろう。遅すぎる破滅の念が、その口元ににじむ笑みとともに消えていく。焼けつく煙と血、炎と絶叫、何もかもが巻き上がって、最後の息が喉で引き裂かれた瞬間――カトレアの身体はびくりと痙攣(けいれん)し、それきり動かなくなった。


 こうして、公爵家の娘もまた、暴徒の手で命を奪われた。彼女の近くには散乱した私兵の遺体や、誰かが奪った宝剣が転がるばかり。いずれどこかの火種が吹き飛び、さらに灰を積み重ねるだけだ。もはやここにいる誰一人として、この世界を救おうなどという者は残されていない。


 やがて夜が明けるころ、都は広範囲に焦土と化し、人間の姿すらまばらな無法地帯となった。建物は崩壊し、至るところに瓦礫(がれき)や死体が積み上がり、血と泥が焼け焦げた臭いを発している。かろうじて生き延びた人々は、廃墟と化した街の片隅で(おび)え、飢え、膝を抱えているだけ。王家も公爵家も、かつての権力や秩序はなんの役にも立たず、消え残ったのは恐怖の記憶と絶望の光景だった。


 鳥すら寄り付かない焼け(ただ)れた街並みを、陽の光が無情に照らし出す。道端にはシエラやレオネル、カトレアといった名を刻んだ者たちの首が無残に転がっているわけでもなく、むしろ多くの死体の一つとして、誰かに蹴り飛ばされ、挟まれ、踏み荒らされているだけかもしれない。個々の死はまったく価値を持たず、国という大きな建物は丸ごと崩落してしまったのだ。


 誰も救われず、いつか善行を積んだ者たちも報われないまま命を落とした。思えばこの国には光があったはずだが、それは今、黒煙に巻かれて見えなくなっている。見るべきものは血の跡、屍の山、煙を噴き上げる瓦礫(がれき)だけ。今さら誰が来ても、もう手遅れである。


 夜が明けても絶望の匂いは拭えず、街中に漂う腐臭と焼け焦げた空気が、最後の抵抗のように空へ舞っていく。未来を語る者がいなくなり、瓦礫に埋もれた死者たちも、何の弔いも受けられず朽ち果てる。見る者がいるとすれば、それは通りすがりの野獣か鳥かもしれないが、餌すらもはや腐っているため、この地を避けるだろう。


 残されたのは、意味を失った大量の亡骸(なきがら)と、黒く焦げた建物の残骸が広がる風景。かつて数多の人間が暮らし、笑い、愛し合った場所が、一晩にして崩壊の泥沼へ沈んでいる。誰かが小さくすすり泣く声がかすかに聞こえるが、その声もすぐにかき消されていくだろう。助けに来る者などいない。すべてが崩落し、結局は無為に血と絶望を()き散らして終わったのだ。


 こうして、国は滅び去った。カトレアもレオネルも、誰もかもが破滅し、何かをなし得る者など一人もいない。かろうじて息をする者がいるとしても、それは次の死までの時間を稼いでいるだけにすぎない。目を上げれば、焼け落ちた都の灰色の空と、折れた塔の残骸が幽鬼のようにそびえている。そこにかつての繁栄の影はもう見えず、ただ血と痛みだけが土に染み込む。


 すべてが終わった。無益な破壊の連鎖と、底知れぬ狂気の果てに、国も人も、希望も未来も灰になり果ててしまった。もしこの地を俯瞰する視点があるとすれば、目に映るのは廃墟の上に薄い朝日が照らすだけの光景だ。絡みつく死臭と落ちきれない煙が漂う中で、何ひとつ生産的なものはない。ただ瓦礫(がれき)と死体が累々と横たわり、かつての名も立場もすべて無意味に崩れてしまったという現実が突きつけられるばかり。


 この世にはもう、善い行いも報いも存在しない。最後の望みさえ踏み砕かれてしまった。いずれこの廃墟も風に削られ、爪痕すら残さない荒野になるのだろう。そうして全員が死に、何も残らなかったという結末だけが、血まみれの地に刻まれている。虚空には(かす)かな煙の臭いと悲鳴の残響が漂うだけだ。そして、誰の目にも触れないまま焼けこげた街並みが静かに横たわり、最悪の結末を知らせるかのように沈黙しているのだった。


(完)

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