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百二. 1864年、池田屋~ごっこの終わり~

「一人に()うも梃子摺(てこず)るとは・・・幕府が特別警戒するだけの人物ではあるな」

「島田はん・・・あんた応援に行って来てええでっせ。試衛館の先生方も来いひんし・・・此の侭では埒も明かんしな」

・・・屋根の上で、この様な会話が繰り広げられる。




「骨の無い奴ばかりだな。新選組とはこの程度だったか。原田とかいう奴は如何した!!」

松田が煽る。この人込では弓は撃てない。槍も振り回せないし、剣は届かない。




(しか)しながら現場にはこの時、斎藤 一が急行していた。斎藤隊は先ず蔵破りの通報のあった枡屋に行き、武田が望んだ通り其方の応援につこうとしていた。だが、一歩遅かった様で


『もう跡形も無く消えたですますよう!!今頃来て如何するのですますかあ!!』

『・・・』

・・・斎藤は仮面を貼りつけた様な無表情で()り過し

『ならば、詫びとして斎藤(わたしの)隊の隊士も家宅捜索に使って結構』

『ええっ?』

『・・・只、組長(わたし)は少々用がある故、之で』

・・・刀を右に差し直し、斎藤は単身枡屋を出た。人込を器用にすり抜けてゆく。この男ならば狭い中でも刀を抜いて真直ぐ標的を突く事が出来るだろう。




(・・・・・・)

松田の顔に少しだけ疲れが見える。

「―――!?」

背中にぞわっとした風を一瞬感じる。その直前に気配一つ感じ取る事は無かった。

「!!」

意識より先に身体が反応した。首の絞まる感覚に思わず手が其方にいく。骨や関節を感じさせぬぐにゃぐにゃと太い腕が首に隙間無く巻きついている。

新選組監察方・島田 魁が物音一つ立てる事無く背後の至近距離を取ったのだ。

「次は体術かよ・・・・・・ぐっ・・・!」

武術版のトライアスロンでも遣っている様な気分である。・・・この男、気配が無かったくせに見てみれば縦も横も優に自身を超えている。上辺だけではなく見目通りの怪力で、どんなに指を腕に食い込んでも益々(ますます)強く締るばかりだ。身体も徐々に島田に埋もれていく様だった。


「松田 重助、確―――・・・」


松田が腰を落して踏ん張る。

「―――・・・舐めんなあっ!!」

松田は思い切り前へ倒れ、驚きで緩んだ島田の腕を掴み背負い投げた。島田の腕を離すとすぐに後頭部を蹴り上げ、遠くへ飛ばす。

「ほぉあああっ!?」

島田は間抜な声を上げ、隊士の波を根こそぎ()(さら)って通りの見渡しを良くした。

「・・・・・・相撲ぐらい取れる・・・っ・・・!」

――――・・・ 松田は眼を見開き、肩の周辺をまさぐる。痛みは一瞬で何処かへ()って仕舞った。

・・・体内で、びきりと音がした。島田を投げた時に固定していた鎖骨が再び砕けて、其方(そちら)側の腕を持っていかれたらしい。腕が動かぬどころかぶらぶらと揺れている感覚さえ判らない。

「・・・・・・てめえはもうちょっと痩せろ」

・・・松田は負け惜しみを言いながら其と無く懐手にして片腕を固定する。文字通り短刀一本で戦う事となって仕舞った。之で新選組トライアスロンを切り抜けるのはなかなかに苦しい。


「あーあーなにやっとんねん」

山崎が呆れた顔で島田を見下ろす。チラリと別の方角を見ると、騒ぎの方向を見定めた斎藤 一が足を速めていた。

安藤 早太郎が矢を放つ。



「松田しゃん!!」



―――その矢を突如現れた中津 彦太郎が掴んだ。之には安藤も山崎も眼を瞠る。

中津は松田の前に着地し、加勢した。


「もうよかそうです。後は、ただ引き上げましょうばい」

「遅かったな」

松田は即座に言葉に従う。走り出し、中津も周囲を警戒しつつ後に続いた。斎藤 一が迫っている。

「回収は無事に済んだのか」

「はい。忠蔵しゃんも無事に見つかって、藩邸で寝かしち(もろ)うとりますばい」

二人は速度を上げて走る。屋上より俯瞰(ふかん)する山崎には松田等の位置も斎藤の位置も見えている。松田は逃亡者の勘か、斎藤という追手の存在を知らないにも(かかわ)らず逃げ(おお)せる方向へ突き進んでいた。

山崎の位置からは中津の顔もよく見える。

(えっちょっ、あれ“矢筈山”やん!!)

“矢筈山”は中津の四股名である。力士時代は大坂相撲に属し、中頭7枚目(大坂力士の最高位)にいたので、相撲界のみならず大坂の民衆にもよく知られており人気だった。山崎も昔、情報収集の為の話題作りに相撲興行に足を運んだ事があり、其処で矢筈山を見た。

(暫く見ん思たら・・・まさか、松田の手下になっとったとはな)

―――この時代の不思議である。敵味方という認識の無かった相手がある日を境に明確な敵になる。この、ある日突然敵か味方のどちらかにばっさりと両断される出来事は、現代に於いては体育の授業くらいしか無かろう。

(世知辛い世やわ)




土方に拠る古高の人間燭台が完成した頃、松田は長州藩邸に入った。

「重助」

京都留守居役の乃美 織江が出迎える。とても心配そうな顔をしていた。長州の歴史的変遷の傍観者に徹するこの愚直な吏僚は、父と謂うより母親の様な目線で、長州の若者だけでなく志士達を見守っている。

「髪結を貸して貰えませんか。其と、医者も」

松田は乃美の好意に大いに甘えている。宮部の弟子で桂との付き合いも長い松田は乃美にとっても息子の様な存在である。

乃美は言われた通り、政変以来藩邸に常駐させている髪結と医者を呼んだ。松田の緊急メンテナンスが始る。

髪結と診察が同時進行で行なわれる。頭と半身を固定されながら、松田は座卓に置いてある菓子器を引き寄せて、干菓子を(つま)んだ。


「何とか動かせる様にならんか」

松田が医者に尋ねる。医者は松田の鎖骨に触れ、肩より下をぶらぶらと動かした後


「無茶を言わないでください」

と、断わった。松田は痛みの余り涙目になっている。


「鎖骨だけではなく肘関節も脱臼しているではありませんか。何です、あなた柔術か相撲でも取ったのですか」

「反省するから、放せっ!!いだだだだだだ!!」

医者がじとりとした眼をしつつ松田の関節を揉みしだく。松田が動くと、髪結がぐぎっと頭を押えつけた。

・・・・・・ムチウチ症になるかも知れない。


「すぐに動かせる様になんて無理です。というか、今のあなたには治療したところで無意味だ」

治療したところで、安静にしていなければ治らぬどころか悪化して仕舞う。現代でもそうであるが骨折や脱臼といったものは、固定して自然治癒するのを()たなければならない。

だが刻は、松田の治癒を俟ってはくれない。


「・・・仕方無い。ならば身体に密着させてぎちぎちに固めてくれ。変にぶらぶらして腕の居処が判らなくなるよりましだ」

「はっ?」

「髪は町人髷にしてくれ」

「えっ、町人髷ですか」

「そうだ」


松田がてきぱき注文を入れる。乃美にも袴の無い着物と羽織を貸してくれるよう頼んだ。乃美は着物を用意しながら

「町人に変装するのか」

と、訊いた。基本的に変装や変名を用いない松田にしては、随分と気合いの入った変装である。

「はい」

「町人に変装しては大刀を持てないではないか」

「大刀は片手で扱うには重い。俺は片手剣法を修めていませんし、荷物にしかならないので置いて行きます」

大刀を使えない分、正体が露見(バレ)ぬよう入念に変装をする様だ。


「重助」


乃美は、気遣わしげに言った。


「そんなに身体に難があるなら池田屋へ行くのをやめたら如何だ。古高君が心配な気持ちは解るが」

「いえ、行きます。桂も稔麿ももう池田屋に向かっているのでしょう」

「まぁ、稔麿は元々池田屋に潜んでいるのだが」

乃美は渋々ながら答える。

浪士(オレ)藩邸(ここ)に残ったところで仕方が無い。乃美さんは長州藩士(あいつら)の方をもっと気に掛けてください」

松田は露骨な物言いをした。腕を包帯で締め上げて脂汗を浮べている。政変以来、他の志士には余り無い激痛ばかりをこの男は一身に受けている気がする。

「長州人は優しすぎる。長州人(あなたたち)はもっと、長州藩(じぶんたち)の事だけ考えていればいい。浪士(われわれ)浪士(われわれ)で何とかします」

「そんなに線を引くない」

乃美は悲しげな顔になった。

「長州人と浪人ですっぱり割り切れる訳がなかろうが。()してや肥後は未だ(おいえ)も敵と見られない。癸丑(きちゅう)前の仲を忘れたのか」

「忘れました」

髷姿の松田は言った。乃美は驚いて息を呑む。嘘です。松田は笑った。その冗談に、乃美はうれいしか感じる事が出来なかった。

「・・・友人ごっこも楽しかったのだが、時代はすっかり変って仕舞った。天下泰平の時代に叉遊びたいものです。


―――とはいえ、俺も松陰も、こんな時代にしか生きられない気がしますが」



松田は乃美から受け取った着物を広げた。己の着物の袖を咥える。




古高が自白した頃、松田は仕度を整えて、池田屋に赴こうとしていた。

この頃、中津は既に宮部等と合流し、宮部も叉、土佐勢を呼んで池田屋に入り、吉田 稔麿等長州勢と合流していた。大高 又次郎率いる京の者達も叉、池田屋に到着して役者は揃った。松田を加えて今一度整理してみると、


長州藩。吉田 稔麿、有吉 熊次郎、内山 太郎右衛門、佐伯 稜威雄(いつお)、広岡 浪秀、国重 正文、山田 虎之助、佐藤 一郎、(杉山 松助)。9名。

肥後藩。宮部 鼎蔵、宮部 春蔵、松田 重助、高木 元右衛門、中津 彦太郎。5名。

土佐藩。北添 佶摩(きつま)、望月 亀弥太(かめやた)、石川 潤次郎、伊藤 弘長、越智 正之(野老山(ところやま) 吾吉郎(あきちろう)、藤崎 八郎)。7名。

林田藩。大高 又次郎、大高 忠兵衛、北村 義貞。3名。

久留米藩。渕上 郁太郎。

鳥取藩。河田 佐久馬。

沼田藩。南雲 平馬。

上田藩。村上 俊平。

糸魚川(いといがわ)藩。松山 良造。

松山藩。福岡 祐次郎。

豊岡藩(兵庫県但馬地方)。今井 三郎右衛門。

京。西川 耕蔵、木村 甚五郎。


等約30名。この内約半数がこの日の内に死に、更に10名近くが捕縛され刑死する。




松田は短刀を忍ばせ、羽織を掴んだ。着難そうに傾く松田の背を、(たお)やかな手が支える。松田は振り返った。


「おていさん・・・・・・」


―――小川亭の女将・ていである。

・・・・・・ていは松田から羽織を取ると、ふわりと松田の肩に着せた。

「・・・・・・(かたじけな)い」

松田は低い声で言った。

「いいえ」

・・・ていも静かな声で返した。

忠蔵が尾行され、古高が逮捕された事実を受け、てい、りせの身にも危険が及ぶ事を予想して彼女等も長州藩邸に避難して貰った。

りせと忠蔵も藩邸の部屋に居る。

「腕・・・大丈夫ですか」

「動かさなければ平気です」

羽織の袖の片方が空洞である。・・・・・・ていは空洞の袖を握って、ぷらぷらと控えめに揺らした。

「・・・何をしているのですか」

「いいえ別に」

ていは()めず袖を揺らす。松田は初め戸惑っていたが、手を取って遊んでいる様で、其がていなりの洒落だと気づくと可笑しさが込み上げてきた。

―――笑う。

「―――。よかった・・・」

ていも微笑む。え?―――松田は不思議に思って訊いた。ていは少し紅くなって

「・・・だって、京に来んはってから、ずっと私を避けてはって」

と、言った。・・・・・・松田の顔がみるみる染まり、すぐにてい以上に紅くなる。

「そんな事は・・・っ!「桂はんに言われてですか?」

・・・・・・っ。松田は片方しか自由でない手の遣り場にも困って、ぽりぽりと頬を掻いた。

「済みませんおていさん桂の奴が余計な事を・・・」

「いーえー、桂はんに言われた事を意識してぎこちなくなるなんて可愛(かい)らしなー思ただけさかい」

!!松田はショックを受ける。だが能々(よくよく)考えてみると、ていは結婚経験のある謂わば“大人の女性”である。桂に唆されたからといって相手を意識するのは初心(うぶ)である証か。

ていは松田をからかっていたらしい。狐の様にこんこんと口に手を添えて(わら)うも、開いた瞳は水気を帯びて揺らいでいた。



「・・・・・・けど、恋愛ごっこも、よかったですえ。―――ときめきを、思い出せたさかい」



「・・・・・・」



松田は瞼を伏せて苦笑する。微妙な違いながら、恥らいから照れくささへ気分が変っている。併し、恋愛ごっこももう仕舞いである。

「―――よかった」

・・・・・・好きになる男が死んでばかりいると、精神衛生的に良くない。今が引き際だ。

松田の遺体を捜し出し、埋葬したのが他ならぬこのていである。ていは彼等が死んだ後も面倒を看た。


「―――行ってきます」


松田はからりとした口調で言った。陽気な態度で、恥らいも照れくささももう無い。強いて謂えば、家族を見る様、であった。



「おはようおかえり」



と、ていは見送った。松田は落ち着いた表情で

「俺はそぎゃんな子供じゃなかばい?」

と、返した。最後に自然体を取り戻した。



「・・・ならな。あとぜき、忘れたらでけんよ」

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