03:騎士団(私情につき)突撃
「サシャ、ちょっと付き合ってもらえない?」
いいよ、と軽く返事をした数分前のことをサシャは少し後悔してしまっている。隣を歩くモニカの鼻歌が今日も彼女は通常運転であると告げていた。
「クロエ、どこいくの?」
「ん、鍛練場」
それだけ言って足早に進むクロエにサシャは嫌な予感がしてそっと嘆息する。彼女が口にした鍛練場は薔薇乙女騎士団のものではない。クロエの足が向かう先はそれとは正反対の――王国騎士団の鍛練場だ。各隊ごとに鍛練場が設けられており、月に何度か騎士団同士の手合わせが行われる。本日は蒼の騎士団と白の騎士団の第一から第三部隊が手合わせをするらしいとモニカが朝会前に言っていたな、とそこでサシャは気づく。
「ん? あれ、もしかして……クロエ、まさか、蒼の騎士団に殴りこむ気?」
「ああ、よく分かったな。ヴィクセルの顔をぶん殴りに行く」
(うっわぁ…、ヴィクセル不憫……)
「まっじで!? ちょー楽しそうだね!! ボッコボコのズッタズタにしまくっちゃうね! ねっ、サシャ!」
「馬鹿モニカ。使い物にならなくなったら、コッチに余波が来るんだからやめなさい」
モニカの馬鹿力では鍛練場の一部損壊もいいところだ。しかも万が一にも破壊した場合はその予算を薔薇乙女騎士団からおろさなければならなくなるのだから、特にこの二人は経費のことも考えて行動してほしい。サシャの気は重くなるばかりだが、そうこうしているうちに蒼の騎士団の鍛練場へと到着してしまった。
数組ごとに手合わせが行われているようで、二つの騎士団の人間が一様に集まっているのだから相当な人数が場を取り囲んでいる。その中を堂々と進んでいくクロエとそのあとに続くモニカに、サシャは先日の一件もあり気後れしながらも渋々ついていくしかない。彼女たちの存在に気づいた騎士団員たちはざわざわと騒ぎ立てるが、それもクロエの前に立ちはだかった青年によって止む。彼の澄んだ空の色を映した瞳とクロエの濃藍色の瞳が交わる。
「…何用だ。今は生憎お前たちに構っている暇はない」
「誰が構えっつったよ、ハワード。あたしが用があんのはお前じゃない。ヴィクセルの野郎だせ」
「ヒュランダル副隊長なら、執務室にいらっしゃる。ここにはいない」
サシャも何度か見たことのあるハワードと呼ばれた青年は、どうやらクロエとは既知の仲のようだが彼は突然の来訪者を快く思っていないのは丸分かりだ。クロエはヴィクセルがこの場にいないとわかるとすぐに踵を返した。
「ああ、ご丁寧にどーも。モニカ、サシャ行くぞ」
「待て、クロエ。貴様を行かせるわけにはいかない。貴様のくだらない事情にヒュランダル副隊長は付き合っている暇などないんだ」
「……てめえの意見は聞いちゃいねーよ。それともなんだ、お前が遊んでくれるのか? ハワード・ガードナー殿」
「…もう少し、女性らしい言葉遣いを心掛けたらどうだ。仮にも貴族の子女だろう」
眉を顰めて大袈裟に嘆息して見せるハワードに、クロエの口元が歪められる。薔薇乙女騎士団に所属する多くの団員たちは貴族の出であり、クロエやマリアンナに至っては長く王家を支えてきた名家の令嬢だ。だがその言動は平民ともいえるほど粗暴であり、多くの男性騎士たちが彼女たちを嫌う理由の一つがそれであった。
幼い頃よりきちんと家庭教師によって礼儀作法を習ってきているにも関わらず、そんな様子が微塵も垣間見えないのは騎士学校での経験のせいともいえる。女性ながらに騎士を目指すということは、今まで経験したことのないとても厳しい訓練に耐えなければならない。そして男性よりも力量が劣る女性が彼らから憐憫の情や侮蔑の眼差しを向けられることも少なくなかった。そんな男性たちを見返してやる、と彼女たちは心身ともに強くなると彼らに同等だと見てとれるように言動を荒々しいものへと変えていった。もう見縊られるのはご免だ、という彼女たちの思いが総じて体現した結果が現状となる。
「悪女だ魔女だ散々言いたい放題なあんたら相手に、淑女の礼など見せるわけがないだろう?」
苛烈で好戦的な光をその目に宿らせたクロエに、ハワードも応戦するように手にしていた木剣を彼女の喉元に突きつけた。クロエは愉しげに喉を鳴らすと腰に差していたレイピアをサシャへと投げ渡せば、ぱきぽきと指の関節を鳴らした。
「久しぶりじゃん? ハワードさんが手合わせしてくれるなんてさぁ」
「…要らぬ騒ぎを起こす害虫の駆除だ」
「言ってくれるねえ、白の第二隊長、さんっ!!」
突きつけられた木剣の軌道を逸らして瞬時にハワードの懐へと入ったクロエは、握り締めた拳を彼の腹部へと叩きこむ。だが寸でのところで後ろへ飛び退いたハワードは脇腹を掠めたくらいで平然としている。二人が闘争心を剥き出しにしている中に入っていく勇者はいないだろう、とサシャはやれやれと肩を竦めれば「ずるーいっ!」とモニカが声をあげた。
「クロエったら、いっつも最初に一番強い相手取っていくんだから!! あたしだって強い人と戦いたいのに~!」
「ちょっと、モニカ」
サシャの制止の声も聞かずに近くで手合わせしていた相手に問答無用でモニカは突っ込んでいってしまった。好戦的な二人に頭を抱えるサシャはモニカが手放した剣を拾い上げ、乱戦を巻き起こす問題児と一対一の殴り合いを始めたクロエを眺めながら嘆息する。
「誰か副隊長呼んできてくれないかなぁ……」
これを私一人で治めるのは無理がある、とぼやいたサシャの周囲もいつの間にか団員たちが集まっていた。警戒心と好奇心を宿し手にする獲物を向ける団員たちに、やれやれとサシャは片目を眇めて三人分の剣を木製ベンチの上へと置き、彼らへと向き直る。その瞳の奥に、獣を見え隠れさせて。
「血の気が多いのも、困ったもんだわ」
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蒼の騎士団執務室。ヴィクセル・ヒュランダルは非番の隊長に代わり、彼から引き継いだ仕事を淡々とこなしていた。書類仕事を厭わないヴィクセルとしてはここ最近身体を休める機会がなかったためにとても有難いことで、鍛錬は白の騎士団に断りを入れた上で部下や諸隊長に任せることにした。だが業務を始めて二時間も経たずに、それはバタバタと忙しない足音によって中断させられた。
「失礼致します、副隊長!!」
「なんだ、騒がしい」
先日蹴破られて少し隙間のできた執務室の扉を乱暴に開けて息を切らして入ってきた団員に、険しい表情ではやく用件を述べよと急かす。こうも急いで駆け込んでくるときは大抵嫌な予感しかない――主に薔薇乙女騎士団絡みの。だからこそ一刻もはやくその対処をしてしまいたいと、さっさと内容を教えろと目で訴えれば団員は息も絶え絶えに報告を口にした。
「申し上げます! 鍛練場にて、薔薇乙女騎士団の隊長三名と蒼、白の両団員が交戦中です!」
「……それで」
「はっ! ヒュランダル第一副隊長を出せとのことで…」
「あんの阿呆はなに考えてやがる…!!」
盛大な舌打ちをしたヴィクセルは足早に団員の横を通り過ぎると鍛練場へと向かう。慌てて団員が追うものの、彼にとっては足手まといにしかならない。そして若干頭に血が上っているヴィクセルを下手に刺激しない方がいいことは、良く知っているので距離を置いて団員はそのあとに続いている。
ずどぉぉおん、という破壊音が耳に届いたところで、ヴィクセルは鍛練場へと駆け出した。ここまで派手にやるということは間違いなくその場にモニカがいると確信し、幾ら修理費を請求してやろうかと苛立ちながらも思案する。彼が鍛練場へと辿り着けば、そこはもう死体の――正式には死んでいないが、倒れ果てた騎士団員たちが積み重なる――山が築きあげられていた。
思わず顔を引き攣らせたヴィクセルは視界の隅によく見知った顔を捉えて、そちらへと顔を向けるとすうっと息を吸い込んで怒鳴り声を上げた。
「モニカ!! お前らいったい何してんだ!」
「んん? おっ、ヴィクセルだ~! やっほー、元気?」
交戦中にも関わず可憐な笑顔を浮かべてぶんぶんと手を振ってくるモニカに、彼の額の青筋がぴきりと浮かび上がる。彼女に話しかけた自分が馬鹿だった、こいつは昔から能天気で人の話を聞かなかったとヴィクセルは元凶を探すが、「下がって!」と飛んできた人影に一瞬目を奪われる。だが、目前まで迫っていたそれに咄嗟の判断で飛び退くと、一寸遅れて先ほどまでヴィクセルが立っていた位置に彼女が足をつけていた。彼は話の通る相手だとわかった瞬間、彼女の名を呼んだ。「サシャ!」
「ヴィクセル、来てくれて助かった。確認だけど今残っているのって隊長格?」
「じゃなきゃお前らとまともに渡り合えないだろ! というかなんでお前らここにきた!? 用件はなんだ!!」
「ああ、うん。婚約の件でクロエがね…。あ、婚約おめでとう」
周囲に交戦相手がいなくなったことを確認し、サシャは険しい顔つきをしたままのヴィクセルに向き直ると肩を竦めて見せる。
「クロエが婚約に猛反対みたいで、ヴィクセルのことぶん殴りたいんだってさ」
「思いっきり私情じゃねえか…! なんで止めなかった!!」
「…それ、本気で言ってるの? 一度決めたら覆さないクロエを引き留めるとか至難の業でしょ。ましてや興奮状態じゃ、尚更無理。自殺行為もいいところ、幼馴染の貴方が一番分かっているはずでしょうに」
思いのほか至極まともな正論を返され、ヴィクセルは怒りにその拳を震わせながら押し黙る。誰よりもクロエと付き合いの長いヴィクセルにとって、今回の騒動は予想の範疇を超えていた。
「…なんでクロエに黙っていたの?」
「……いえばなにかと噛みついてくるだろう、あれは。それに即行で決闘を申し込まれても不思議じゃない」
「ああ、うん…否定できないわ」
「こちらとしても婚約に漕ぎつけるまでは大変だったからな。やっと一段落したと一息つく間もなくこれだ、少しはゆっくりさせてくれ」
一年はかかったぞ、と溜息をつくヴィクセルの疲労を滲ませた表情にサシャは苦い笑みを浮かべる。二人の婚約は決して容易ではなかった理由は、部外者であるサシャでさえ想像がつく。
マリアンナは侯爵令嬢、家格の低い子爵家のヴィクセルでは、侯爵家側が納得するはずがない。ましてや嫡男ではなく次男とくれば尚のことだろう。自慢の娘が苦労する将来を思えば渋るのは当然のことだ。あの侯爵からどうやって許しを得たのかが気になるところだが、この手の話題はヴィクセルが不機嫌になってしまうのでサシャは詮索しないことにした。
「…私は別にマリアとの婚約を反対するつもりはないし、相手が貴方だから安心しているよ。あの子がこの婚約で少しは大人しくなると思えば、幼馴染としても気が楽だしね。だからマリアのこと、幸せにしてあげてね」
「……ああ、わかっている」
素直な返答の、若干の間が置かれたのは照れ隠しだろう。顔は顰め面だというのに、耳だけは薄紅に色づいているものだから、それが先日のマリアンナを思い起こさせる。微笑ましいものだとサシャの口元は自然と弧を描く。
「それより、サシャ。この前隊長になにをしたんだ」
この雰囲気に耐えきれずに、思い出したように話を変えてきたヴィクセルに、今度はサシャが顔を顰めることとなった。
「失礼だね、なにもしてないよ。人のこと散々悪く言ってくれているようだけど、被害者はこっちなんですからね」
「は? 隊長がお前に危害でも加えたっていうのか? そっちの方があり得ないだろ」
「ちょっと、私のことなんだと思ってんのよ。それに隊長個人というよりも、公爵家のご厚意に対してこっちは困ってるの。個人的なものならどうにかできるけど、家が絡むとそうもいってられないでしょ…」
はあ、と額に手を添えて嘆息するサシャは、先日自分の身に起きた出来事を思い返す度に気分が沈むようだった。マダム・フーリエを筆頭に職人達による細部までの採寸に始まり、数十種類の生地を使った色合わせに素材選び、挙句の果てにはデザイン論争が起こった。飛び交う単語に思考回路がショートした結果、本能が“逃走”という行動を促したのだ。淑女にあるまじき行為ではあったので、サシャは反省しつつも数日後には完成しているだろう見合い用のドレスに不安を抱いていた。
「…サシャ。薄々気になってはいたんだが、隊長とは懇意なのか?」
「そう見える?」
「いや……なんとなく、そう思っただけだ」
「…ヴィクセル、貴方ほんとうにストラスクライド隊長が好きねぇ」
「おい語弊があるぞ」
「まあ、それは置いといて。そろそろクロエ達を止めに行かないと、まずいと思わない?」
呑気に会話を交わしている間に高さを増した騎士の山を一瞥し、サシャは土埃が舞い上がる方向を指差した。歓声ともいえるモニカの叫びに、ヴィクセルも現実へと引き戻されたかのように「…そうだな」と爪先をそちらへ向けた。