表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陰陽師朝霧、異世界にクレームをつけにいく ~勇者召喚の裏で女神が雑すぎる件~  作者: 和幸雄大


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/53

第52話 悠真 勇者としての目覚め

砦の空気は、夜になっても完全には落ち着かなかった。

井戸の見張り。

排水口の見張り。

水桶の確認。

祈香の管理。

慰霊地と死体置き場の記録確認。

やることが増えた。

雑用に見えることまで含めれば、対応しなければならないことは一気に増えすぎていた。

砦にいる兵士も神官も、誰もが疲れた顔をしている。

それでも、前よりはいい。

何が起こっているのか分からないまま怯えているより、何を見ればいいのか決まっている方がましだ。

たぶん。

私はそう考えながら、指揮室の近くの窓から東門の外を見ていた。

天気は良くない。

空は暗い。

月は雲に隠れている。

遠くにぼんやりと、東側の古い慰霊地が見える。

昼間の書類上の確認では、記録上閉鎖済み。

現地確認では、本当に閉鎖済みとは言い切れない。

本当に、その「記録上」という言葉をこの世界から一度消したい。

「主。」

後鬼が静かに言った。

「東側慰霊地から、わずかに死臭がします。」

「やっぱり来た?」

「まだ、来たとは断定できません。」

「でも?」

「動いています。」

それはもう、来ていると言っていいのでは。

私は机の上に置いていた符を取った。

「サトリ。」

「いる。」

机の端で丸くなって眠っていたサトリが、耳をぴんと立てた。

「においは?」

「骨。」

「土。」

「古い血。」

「黒い水、少し。」

最悪の盛り合わせだ。

「前鬼。」

「応。」

扉の横で待機していた前鬼が、嬉しそうに顔を上げる。

「今度は殴れるか。」

「相手を見てから。」

「骨だろう。」

「骨だからって何でも殴っていいわけじゃない。」

「骨は殴るものではないのか。」

「普通は弔うものよ。」

前鬼は少しだけ考えた。

「動いていたら?」

「止める。」

「つまり殴る。」

「私が言ってから。」

「分かった。」

本当に分かっているかは怪しい。

でも、今日はたぶん戦闘になる場面が来る。

来てほしくないけど、来る。

扉が開いた。

ルークが、緊張した面持ちで入ってくる。

その後ろに、悠真とエリシアが続いていた。

悠真は剣の柄に手を添え、落ち着かない様子だった。

エリシアも祈具を胸元で握りしめている。

「東側の慰霊地で異常が出た。」

ルークが短く告げる。

「見張りから報告があった。」

「異常とは?」

「土が盛り上がった。」

「それから、声のようなものを聞いたらしい。」

「触った?」

「触っていない。」

「近づいた?」

「近づいていない。」

「報告して下がった。」

「良い。」

本当に良い。

少し前なら、絶対にこの中の誰かが確認しに行っていた。

そして、たぶん何か地雷を踏んでいた。

「悠真。」

私は悠真を見る。

「はい。」

「あなたは何をする?」

悠真は一度息を吸った。

「勝手に走りません。」

「助けてと聞こえても、まず言います。」

「戦う時も、指示を聞きます。」

「でも、必要なら前に出ます。」

私は少しだけ頷いた。

「合格。」

悠真の表情に、緊張と覚悟が混じっていた。

今までとは違う。

ただ私の指示だけで止まるだけじゃない。

今日は、戦闘になると予想している顔だった。

「エリシア。」

「はい。」

「慰霊地の祈りは?」

「神殿側の記録では、古い慰霊地は閉鎖後も年に一度、祈祷を行っていたはずです。」

「はず。」

「はい。」

「嫌な言葉ね。」

「申し訳ありません。」

「あなたが悪いわけじゃない。」

私はため息を吐く。

「悪いのは、雑なまま続いてきた運用。」

「それと、死体を操って戦力にする趣味の悪い連中。」

ルークが頷く。

「部隊は出せる。」

「ただし、大人数では動かさない。」

「良い判断。」

「死霊相手なら、数で囲む方が危ない時がある。」

「分かっている。」

「ヴァルミナで見た。」

その言葉に、少しだけ空気が重くなった。

モルディス・カース。

交易都市ヴァルミナで死霊兵を率いていたガストニア魔導部隊長。

あの時は、死体を魔晶で動かしていた。

今回は、黒い水と骨の匂い。

まったく、趣味が悪い方向に器用だ。

「行くわよ。」

私は符を袖に入れた。

「今夜は、勇者の戦い方を見せてもらうわ。」

悠真が驚いたように私を見る。

「俺の、ですか。」

「そう。」

「あなたは強い。」

「でも、強いからって、敵の思惑通りに走っていいわけじゃない。」

「はい。」

「強いまま、止まる。」

「強いまま、待つ。」

「強いまま、必要な時にだけ踏み込む。」

悠真は少しだけ目を見開いた。

それから、ゆっくり頷く。

「やってみます。」

「やるのよ。」

「はい。」

東門を出ると、夜風が冷たかった。

慰霊地へ続く道は、昼間よりずっと細く見える。

両側に枯れ草が揺れていた。

遠くで、土の湿った匂いがする。

その下に、骨の匂い。

そして、黒い水の嫌な匂い。

サトリが肩の上で毛を逆立てた。

「近い。」

「数は?」

「いっぱいじゃない。」

「でも、ばらばら。」

「ばらばら?」

「土の中から、少しずつ。」

嫌な出方だ。

一斉に来るより、反応を見ながら出しているのかもしれない。

いや、またその言い方だ。

これはシンプルに、ガストニア側の嫌がらせだ。

死体を使う。

骨を使う。

兵を慌てさせる。

勇者を走らせる。

つまり、最低。

それでいい。

「ミツネ殿。」

エリシアが小さく言った。

「祈りの声が聞こえます。」

「本物?」

「分かりません。」

「分からないなら、近づかない。」

「はい。」

「聞こえた内容は?」

エリシアは耳を澄ませる。

「助けてください。」

「寒い。」

「帰りたい。」

「祈ってください。」

悠真の肩がわずかに揺れた。

私はすぐに見る。

「聞こえた?」

「聞こえました。」

「動きたい?」

「少し。」

「でも?」

「まだ動きません。」

「よし。」

ルークが部下に手で合図を出す。

兵たちは距離を取って広がる。

以前より明らかに慎重だ。

誰も声の方へ走らない。

それだけで、少し勝っている。

慰霊地が見えた。

低い石碑がいくつも並ぶ場所。

その周囲の土が、ぼこり、と盛り上がった。

白い指が出る。

骨だ。

次に腕。

次に頭。

土を割るようにして、地面から這い出た骸骨が立ち上がる。

一体。

二体。

三体。

多くはない。

だが、嫌な配置だ。

道の前。

石碑の影。

見張りの逃げ道。

それぞれ、兵が動きたくなる位置に出ている。

「出たぞ!」

兵の一人が叫びかけて、すぐ口を閉じた。

ルークが低く命じる。

「距離を保て。」

「勝手に突っ込むな。」

「見えたものを言え。」

「骸骨が三体!」

「石碑の影にもいます!」

「声が聞こえます!」

「助けてと!」

「よし。」

私は呟いた。

言えている。

まだ崩れていない。

骸骨の一体が、口を開いた。

声はない。

代わりに、別の場所から女の泣き声がした。

「たすけて。」

悠真の指が剣の柄を強く握る。

「悠真。」

「聞こえました。」

「誰の声?」

「分かりません。」

「動きたい?」

「動きたいです。」

「でも?」

「まだ、動きません。」

その時、骸骨が一斉に走り出した。

思ったより速い。

兵の一人が盾を構える。

ルークが号令を出す。

「構えろ!」

エリシアが祈具を掲げる。

「光よ、穢れを退けよ!」

淡い光の壁が前へ広がった。

骸骨がそこにぶつかる。

じゅ、と音がした。

だが、止まりきらない。

骨の表面から黒い泥のようなものが滲み、結界に食い込んでくる。

「重い。」

エリシアが歯を食いしばる。

「神聖魔法が通りにくいです。」

「黒水で覆ってる。」

私は符を構える。

「死霊そのものじゃなくて、骨に黒い泥をかぶせて動かしてるのね。」

「本当に、洗うところから始めたい敵ね。」

前鬼が前に出る。

「殴るか。」

「一体だけ。」

「応!」

前鬼が踏み込んだ。

拳が骸骨の胴を打つ。

骨が砕ける。

だが、砕けた骨が黒い泥に引かれて、また集まり始めた。

「ほう。」

前鬼が少し楽しそうに言った。

「戻るぞ。」

「楽しそうに言うな。」

私は符を投げる。

「散った骨は、元の形へ戻るな。」

符が骨片の間に入り込み、黒い泥の流れを止める。

再生しかけていた骸骨が、がくんと崩れた。

「ミツネさん。」

悠真が言った。

「俺、前に出ます。」

「何をする?」

「正面の三体を止めます。」

「倒しきるんじゃなく、兵のところへ行かせません。」

「周りは見る?」

「見ます。」

「声がしても?」

「言います。」

「よし。」

私は短く言った。

「行きなさい。」

悠真が一歩前に出た。

走らない。

飛び出さない。

それでも、速い。

踏み出しながら抜剣した瞬間、剣から白い光がこぼれた。

エリシアの光とは違う。

祈りの光でも、神殿の清めでもない。

もっと真っ直ぐで、乱暴なくらい強い光。

夜の慰霊地が、一瞬だけ昼のように明るくなる。

兵たちが息を呑んだ。

「これが……勇者の。」

誰かが呟いた。

悠真は骸骨の前で剣を振った。

横薙ぎ。

ただの一撃。

白い光が弧を描き、三体の骸骨をまとめて吹き飛ばした。

骨が砕ける。

黒い泥が焼ける。

地面に落ちた骨が、今度は戻らない。

強い。

正直、かなり強い。

「うわ。」

私は思わず声を出した。

「力技としては、すごく分かりやすい。」

サトリが肩の上で頷く。

「勇者、まぶしい。」

「本当にね。」

悠真は息を荒くしていた。

でも、前へ進みすぎていない。

剣を構え、こちらを一度見る。

指示を待っている。

それが、前と違う。

「悠真!」

私は声を飛ばす。

「その位置で止まって!」

「はい!」

悠真が止まる。

そのすぐ前で、地面が盛り上がった。

もしそのまま突っ込んでいたら、足元から骨に絡まれていた。

悠真の顔が強張る。

「今の。」

「罠。」

私は言った。

「強いからこそ、踏み込ませようとしてる。」

悠真は唇を噛む。

「止まってよかったです。」

「そういうこと。」

前方の土から、さらに骸骨が二体立ち上がる。

今度は兵の方ではなく、エリシアの方へ向かう。

神官を狙っている。

祈らせるためか。

邪魔だからか。

どちらにしても最低だ。

「後鬼。」

「はい。」

「エリシアの前。」

「承知しました。」

後鬼が滑るように前へ出て、結界を張る。

骸骨の爪が結界に触れ、弾かれる。

エリシアが息を整え直す。

「助かります。」

「いえ。」

私は地面に符を置いた。

「この慰霊地、管理記録が雑でも、弔いの形は残ってる。」

「そこを使う。」

エリシアが私を見る。

「何を?」

「祈り。」

私は石碑を見る。

「敵は死体を使っている。」

「でも、ここは死体を捨てた場所じゃない。」

「本来は弔う場所でしょ。」

エリシアの目が揺れる。

そして、すぐに頷いた。

「はい。」

「なら、祈りを攻撃に使わない。」

「場所を戻す。」

「弔いの場所に。」

エリシアは祈具を握り直した。

「分かりました。」

リリアがいたら泣いていたかもしれない。

でも、今はエリシアで十分だ。

「悠真。」

私は呼ぶ。

「次に出る骨を、石碑から離して。」

「壊すのではなく?」

「壊していい。」

「でも、石碑を巻き込まない。」

「分かりました。」

「前鬼。」

「応。」

「大きいのが来たら押さえて。」

「殴る?」

「押さえてから殴る。」

「分かった。」

「今のはちゃんと分かって。」

「分かった。」

前鬼が笑った。

夜の土が、大きく盛り上がる。

今度は、人の骸骨ではない。

馬の骨。

いや、馬に似せた骨の塊だ。

背には黒い泥。

首のところに、人の頭蓋がいくつも絡んでいる。

「趣味が悪い!」

私は叫んだ。

「本当に趣味が悪い!」

黒い骨馬が突進する。

狙いは、慰霊地の外へ逃げかけた兵だ。

悠真が動く。

だが、今度も走りすぎない。

斜めに出る。

兵と骨馬の間に入る。

剣を両手で握る。

白い光が、さらに強くなる。

「止まれ!」

悠真が叫んだ。

剣が振り下ろされる。

光の刃が、骨馬の前脚を断つ。

巨体が崩れる。

それでも止まらない。

黒い泥が骨を繋ぎ直そうとする。

「前鬼!」

「応!」

前鬼が横から飛び込んだ。

骨馬の首を片手で掴み、地面へ叩きつける。

土が跳ねる。

石碑が揺れる。

「石碑!」

「壊してない!」

「今ぎりぎりだったでしょ!」

「壊してない!」

言い返す前鬼を横目に、私は符を骨馬の胸部へ投げた。

そこに、黒い魔晶の欠片があった。

小さい。

だが、脈動している。

ヴァルミナで見たものに似ている。

「やっぱり。」

私は奥歯を噛んだ。

「モルディスの系統ね。」

「そこですか!」

悠真が叫ぶ。

「そこ。」

「聖剣で焼ける?」

「やります!」

「待って。」

悠真が止まる。

ちゃんと止まった。

私は符を重ねる。

「そのまま焼くと、周りの骨ごと爆ぜるかもしれない。」

「じゃあ。」

「私が流れを止める。」

「あなたが核だけを斬る。」

「はい!」

私は地面に膝をつき、符を四方へ打つ。

「東を塞げ。」

「西を返せ。」

「南を鎮めろ。」

「北を断て。」

四枚の符が青白く光る。

黒い泥の流れが、一瞬だけ止まる。

「今!」

悠真が踏み込んだ。

一歩だけ。

本当に一歩だけ。

でも、その一歩に全部の力が乗っていた。

白い剣が、黒い魔晶を貫く。

ぱきん、と乾いた音がした。

骨馬が崩れる。

黒い泥が煙になり、夜風に散る。

一瞬、慰霊地に静けさが戻った。

兵たちは固まっている。

エリシアも、ルークも、言葉を失っていた。

悠真は剣を下ろし、肩で息をしている。

私は立ち上がった。

「悠真。」

「はい。」

「今のは、かなり勇者だった。」

悠真が驚いた顔をした。

「褒めてます?」

「褒めてる。」

「かなり?」

「かなり。」

サトリが頷く。

「勇者、すごく光った。」

「それはそう。」

悠真は少しだけ笑いかけた。

でも、すぐに真顔に戻る。

「まだ、いますか。」

「サトリ。」

「におい、薄い。」

「奥にひとつ。」

「本体?」

「違う。」

「見てるだけ。」

やっぱり、まだいる。

本体ではない。

でも、こちらを見ている何か。

私は慰霊地の奥を見る。

そこに、赤黒い光が一瞬だけ灯った。

魔晶の光。

モルディスの目を思わせる色。

「見てるんでしょう。」

私は低く言った。

「見たなら覚えておきなさい。」

「この子は強い。」

「でも、あなたたちの誘導通りに走るほど、もう雑には使わせない。」

光が揺れた。

答えはない。

ただ、湿った風が吹いた。

その風に混じって、骨が擦れるような笑いが聞こえた気がした。

前鬼が前へ出る。

「追うか。」

「追わない。」

「なぜだ。」

「誘われてるから。」

「そうか。」

「あと、慰霊地の処理が先。」

前鬼はつまらなさそうにした。

でも、止まった。

本当に、少しずつ学んでいる。

エリシアが慰霊地の中央へ進み、祈具を掲げた。

今度の光は、攻撃ではない。

慰めるための光だった。

「ここに眠る方々へ。」

エリシアの声が静かに響く。

「乱された眠りを、もう一度鎮めます。」

ルークが兵に命じる。

「周囲を固めろ。」

「触るな。」

「骨は勝手に動かすな。」

「神殿とミツネ殿の指示を待て。」

指示が早い。

悪くない。

私は悠真の隣に立った。

悠真はまだ息を整えている。

手が少し震えていた。

「大丈夫?」

「はい。」

「嘘は?」

「少しあります。」

「正直でよろしい。」

悠真は苦笑した。

「俺、強いんですね。」

「今さら?」

「実感が、あまりなくて。」

「そう。」

私は骨馬が崩れた跡を見る。

「強いわよ。」

「普通に強い。」

「たぶん、この世界の人たちが勇者に期待するくらいには。」

悠真は黙った。

私は続ける。

「でも、強いことと、勝手に連れてこられていいことは別。」

悠真が私を見る。

「この世界を守る力があることと、帰りたい気持ちを奪われていいことも別。」

「あなたが強いからって、女神様やこの世界があなたを備品みたいに扱っていい理由にはならない。」

悠真の目が揺れた。

「ミツネさん。」

「私は世界を救いに来たんじゃない。」

私は慰霊地を見たまま言った。

「あなたを連れ帰るために来た。」

「その途中で魔王だのガストニアだの死霊術師だのが邪魔するなら、対応する。」

「でも、目的を間違えるつもりはない。」

悠真は何も言わなかった。

ただ、剣を握る手が少しだけ緩んだ。

その沈黙だけで十分だった。

エリシアの祈りが終わる。

慰霊地に残っていた冷たい気配が、少し薄くなった。

完全ではない。

でも、乱された場所が少しだけ落ち着いた。

「ミツネ殿。」

ルークが近づいてくる。

「被害は軽い。」

「負傷者は?」

「一人、転倒した。」

「死者は?」

「出ていない。」

「良かった。」

本当に良かった。

「ただし、東側の慰霊地は再封鎖。」

「骨と土は記録してから処理。」

「黒い魔晶の欠片は?」

「回収できるか?」

「私がやる。」

私は骨馬の跡へ向かう。

黒い魔晶の欠片は、悠真の一撃で割れていた。

それでも、まだ赤黒い光がわずかに残っている。

符で包むと、じゅ、と嫌な音がした。

「また証拠が増えたわね。」

サトリが鼻を動かす。

「モルディスのにおい、少し。」

「やっぱり。」

「でも、遠い。」

「今はそれでいい。」

私は欠片を封じる。

「遠くても、つながった。」

ガストニア。

モルディス。

黒い水。

骨。

死霊術。

線は見えてきた。

ただ、線を追いすぎるとまた話がややこしくなる。

今は単純でいい。

敵が来た。

倒した。

証拠を取った。

クレームが増えた。

それで十分だ。

砦へ戻る頃には、夜はさらに深くなっていた。

兵たちの顔には疲れがある。

でも、怯えだけではない。

勇者が走らずに戦った。

死霊を止めた。

京花とエリシアが慰霊地を鎮めた。

それを見たからだ。

「ミツネさん。」

悠真が門の前で言った。

「俺、次も走らずに戦えますか。」

「一人なら分からない。」

私は答えた。

悠真は少しだけ目を伏せる。

「でも、一人じゃないなら?」

「できる可能性は上がる。」

「だから、言う。」

「止まる。」

「見てから動く。」

「はい。」

「それに、今日分かったでしょ。」

私は少しだけ笑う。

「走らなくても、あなたは十分強い。」

悠真は、今度こそ小さく笑った。

「はい。」

砦の中へ入ると、リリアが不安そうに待っていた。

エリシアが無事を伝えると、リリアは泣きそうな顔で頷いた。

私は机に向かい、今日の記録を書いた。

東側慰霊地。

死霊兵。

黒い泥。

骨馬。

黒い魔晶。

モルディス系統の可能性。

勇者の聖剣による浄化効果。

そして、最後にもう一つ。

女神へのクレーム追加。

勇者は強い。

だからといって、本人の同意も帰還手段も曖昧なまま、戦場に置いていい理由にはならない。

私はその一文を書いて、深く息を吐いた。

本当に、言いたいことが増えていく。

この世界は広い。

魔法もある。

神殿もある。

魔王もいる。

勇者も強い。

そして、どこもかしこも管理が雑だ。

私は筆を置き、窓の外を見た。

遠くの慰霊地は、もう見えない。

けれど、あの夜の骨の音はまだ耳に残っている。

次は、モルディス本人が来るかもしれない。

それでもいい。

その時は、はっきり言ってやる。

死体を道具にするな。

勇者を餌にするな。

そして女神にも、まとめて言う。

人を勝手に呼ぶなら、せめて帰し方くらい用意しておけ。

私は狐面を外さず、静かに目を閉じた。

今夜、悠真は走らなかった。

それでも、戦えた。

それだけで、この夜の意味はあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ