第13話 狐面の仮面の下
戦闘を終えたころには、空はすっかり夜の色に沈んでいた。
魔族将を倒したとはいえ、そのまま森で野営するのは得策じゃない。
前鬼は平気でも、勇者パーティーはそうはいかない。
「この先に宿場がある」
ルークが地図を確認しながら言った。
「街道沿いの小さな村だ。今夜はそこへ入る」
私は頷いた。
「異論なし」
前鬼が金棒を肩に担いで笑う。
「飯があるなら何でもいい」
「あなたは少し黙って」
後鬼が冷たく言う。
森を抜けると、やがて橙色の灯りが見えた。
街道沿いにできた小さな宿場だ。荷車が止まり、旅人が火を囲み、馬のいななきが夜気に混じる。
人の営みは嫌いじゃない。
壊すのは簡単だ。けれど、こういうものを維持するのは手間がかかる。
だからこそ思う。
守る側が雑だと、全部が崩れる。
「京ちゃん、見られてる」
肩のサトリが小さく囁く。
「ええ」
当然だろう。
狐面の術者。勇者。騎士。魔法使い。僧侶。格闘家。
そのうえ、赤鬼と青鬼が一緒に歩いていれば、目立たないわけがない。
宿場へ足を踏み入れた瞬間、空気が止まった。
荷物を運んでいた男の手が止まる。
水を汲んでいた女が、桶を持ったまま固まる。
子どもが前鬼を見て母親の後ろへ隠れた。
「……ホブゴブリン?」
誰かが小さく呟いた。
前鬼は悪びれずに笑う。
「ホブゴブリンじゃねぇ、俺は鬼だ。」
「胸を張るところじゃない」
私は低く言う。
その一方で、後鬼に向いた視線は別の意味で止まっていた。
長い黒髪。白い角。青い気配。
人ではないと分かるのに、妙に目を奪う。
男たちが言葉を失い、女たちは一歩引く。
見惚れるのと警戒するのが半分ずつ。そんな顔だ。
後鬼はそれに気づいて、わずかに微笑んだ。
「目立ちますね」
「あなたが抑えなさい」
「努力はしております」
していない。たぶん。
宿の主人は最初こそ引きつった顔をしていたが、エストリアの紋章を見せたルークが事情を話すと、なんとか部屋を用意してくれた。
「騒ぎは起こさないでくれよ……」
「前鬼」
「わかってるよ」
わかっている時の声ではない。
後鬼が横から淡々と刺す。
「壊すのは壁だけにしてください」
「壊す前提で話すな」
ガルドが吹き出した。
少しだけ、場が緩む。
宿に入ってからも、視線はずっと追ってきた。
けれど狐面をつけている限り、私は“顔のない異物”のままでいられる。
それでいい。
食事を終え、部屋へ戻る。
夜は静かだった。
木の窓の隙間から、二つの月明かりが差し込んでいる。
私は部屋の戸を閉め、ようやく狐面に手をかけた。
「……蒸れる」
「ずっとつけてるもんね」
サトリが机の上に飛び乗る。
私は息をついて、狐面を外した。
認識をずらす術具は便利だけど、長時間は疲れる。
少しだけでも外しておきたい。
「京ちゃん、村の人たち、前鬼でびびってたね」
「後鬼にも十分引いてたわ」
「でも男の人たちは見てたよ?」
「放っておきなさい」
私は髪を軽く払って、窓の外を見た。
風がある。
気配は落ち着いている。今夜は、少なくとも大きな襲撃はなさそうだ。
その時だった。
廊下の向こうで、床板が小さく鳴った。
私は振り返る。
戸が、ほんの少しだけ開いていた。
その隙間の向こうに、人影がある。
「……誰」
低く問うと、影がびくりと揺れた。
「す、すみません!」
聞こえてきた声に、私はわずかに目を細める。
悠真だ。
「ノックくらいしなさい」
「しようと思ったんです」
「思っただけ?」
「……はい」
正直でよろしい。
私は狐面を持ったまま、戸口を見る。
向こうの悠真は、なぜか妙に固まっていた。
目が合っている。
でもその目は、私を“知っている相手”として見ていない。
当然だ。
狐面を外している今、認識の術は薄れている。
声や雰囲気に引っかかっても、顔と名前が綺麗には繋がらない。
「えっと……」
悠真が喉を鳴らす。
「その……誰ですか」
やっぱり、そう来たか。
サトリが机の上で肩を震わせる。
私は小さく息を吐いた。
「面倒ね」
「え?」
「見たなら、閉めて」
「いや、でも……!」
私は狐面を顔へ戻した。
かちり、と小さな音が鳴る。
その瞬間、空気がわずかに揺れた。
悠真の表情が変わる。
さっきまで見ていたはずの顔が、輪郭を失うみたいに遠ざかっていく。
「……ミツネ、さん?」
「そう」
私は淡々と答える。
「だったら最初からそう言ってくださいよ!」
「言ってない?」
「いや、言ってましたけど……」
悠真は混乱した顔で額を押さえた。
「なんか、頭が変なんです」
「正常よ」
「全然正常じゃないです」
サトリがとうとう吹き出した。
「勇者くん混乱してるー」
「サトリも笑わないで」
「京ちゃん、笑ってない?」
「笑ってない」
少しだけ、口元が緩んだ気がする。
悠真はまだ戸口で立ち尽くしていた。
見たいのか、見たくないのか、自分でも分かっていない顔だ。
「用件は?」
「あ……その、明日の出発時間を」
「日の出後すぐ」
「わかりました」
それだけ言って、悠真は一歩下がる。
けれど、まだ視線だけは残っていた。
「……ミツネさん」
「なに」
「さっきの人、綺麗でした」
間抜けだ。
本当に、びっくりするほど間抜けだ。
私は狐面の下で目を閉じた。
「寝なさい」
「はい」
今度こそ、戸が閉まった。
静寂が戻る。
サトリが机の上でにやにやしている。
「京ちゃん」
「なに」
「今の、ちょっと面白かった」
「面白くない」
私は窓辺に寄り、二つの月を見る。
神谷悠真。
勇者。
この世界に魂を持っていかれた高校生。
まだ未熟で、前に出すぎて、危うくて。
でも、根は真っ直ぐだ。
だから、たぶん。
この世界の“雑さ”に一番振り回される。
「……死なれると困るのよね」
小さく呟くと、サトリが笑った。
「またそれ」
私は答えない。
窓の外では、宿場の灯りが静かに揺れていた。
明日もまた進む。
勇者と。
狐面の術者として。
この世界の歪みを、少しずつ見抜きながら。




