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陰陽師朝霧、異世界にクレームをつけにいく ~勇者召喚の裏で女神が雑すぎる件~  作者: 和幸雄大


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第12話 まどろみに沈む村

「九人です」


 その一言が、宿の食堂に重く響いた。


 さっきまで騒がしかった食堂も静まり、皆の視線が村長へ集まる。


「眠ったまま、何をしても起きません」


 村長の言葉が終わる前に、エリシアは椅子から立ち上がった。


「場所は分かりますか?」


「はい」


 エリシアの動きに一瞬驚いたものの、村長は何度も頷いた。


「家族にも、その場を離れず見守るように伝えています」


「案内してください」


「すぐに」


 エリシアの言葉に、村長はすぐさま踵を返した。


「悠真」


 剣聖が短く呼ぶ。


「はい」


「聖剣は抜くな」


 悠真は一瞬だけ目を瞬かせる。


「まだ何も出ていません」


「なら、そのままでいい」


「あ、はい」


 前鬼が横で鼻を鳴らした。


「随分と慎重になったな」


「昨日よりまし、らしいので」


「まだ言ってるのか」


「剣聖が毎回言うからです」


 剣聖は何も答えなかった。


 宿を出ると、夜の村は昼間以上に静かだった。


 家々には明かりが灯っている。だが、外を歩いている人間はほとんどいない。


 昼なら畑や道端にいた村人たちの姿も消えている。


 遠くで犬が一度吠えた。それきり、声は続かなかった。


「静かすぎますね」


 ルークが周囲を見回す。


「この時間なら、もう家に戻っていてもおかしくはありません」


 エリシアはそう答えたが、その声には警戒が混じっていた。


 ミツネは白い狐面をわずかに上向け、夜気を確かめるように息を吸う。


「なにか感じます?」


 悠真が尋ねた。


「まだ何とも言えないわね」


「昼と同じですか?」


「だから、それをいま確かめてるの」


「あ、はい」


 ミツネは歩きながら懐へ手を入れた。


 何枚かの札と、小さく折り畳んだ白紙を取り出す。


「それ、何ですか?」


「形代」


「かたしろ?」


「人の代わりになるもの」


「代わり?」


「説明してる時間はないから、見てなさい」


「はい」


 最初に案内されたのは、村の南側にある小さな家だった。


 扉の前では、中年の男が落ち着かない様子で立っている。


 村長の姿を見ると、すぐに駆け寄ってきた。


「妻が起きないんです」


「いつからです?」


 エリシアが尋ねる。


「夕食の支度をしていて、急に椅子へ座って」


 男は家の中を指差した。


「そのまま寝てしまって」


「その前に体調の変化は?」


「眠いとは言っていました」


「ほかには?」


「特には」


 家へ入ると、女性が寝台に横たわっていた。


 規則正しい寝息を立てている。


 その横には、途中まで切られた野菜が置かれたままだった。


 エリシアが女性の脈を取る。


 掌を胸元へかざし、淡い光を流す。


「身体に大きな異常はありません」


 男が大きく息を吐いた。


「よかった……」


「ただし」


 エリシアが顔を上げる。


「目を覚まさない理由は、まだ分かりません」


「そう……ですか」


 男の表情に、再び不安が浮かぶ。


 だが、その不安も長く続かなかった。


 数秒後、男は欠伸をした。


「あなたは眠くないんですか?」


 悠真が聞く。


「眠いですよ」


「いつから?」


「さあ」


 男は首を傾げた。


「昼過ぎくらいからですかね」


「奥さんが起きないのに、眠れそうですか?」


「それは……」


 男は妻を見る。


 確かに心配している。けれど、少しずつその目から力が抜けていく。


「まあ……横になれば」


「駄目です」


 エリシアの声が少し強くなった。


 男が驚いて顔を上げる。


「今夜は奥様を一人にしないでください」


「ですが」


「眠るなとは申しません」


 エリシアは男の目を真っ直ぐに見る。


「ただ、ご自身まで深く眠ってしまわないよう、近所の方にも声をかけてください」


「分かりました」


 返事はした。


 だが、男の声はどこかぼんやりしていた。


 ミツネが寝台の横へしゃがむ。


「少し髪を一本もらっていい?」


 男が戸惑う。


「髪?」


「奥さんの状態を見るのに使うだけ」


「痛いことは?」


「ないわ」


 ミツネは女性の髪を一本だけ取った。


 白紙を広げ、指先で折る。


 頭。


 腕。


 胴。


 足。


 見る間に、小さな人の形が作られていく。


 悠真は思わず覗き込んだ。


「器用ですね」


「仕事だから」


「陰陽師って、こういうこともするんですね」


「こういうこともするのよ」


 ミツネは髪を形代へ巻きつけた。


 その中央へ朱色の線を一本引く。


「離れて」


 悠真たちが一歩下がる。


 ミツネは形代を寝台の脇へ置いた。


 二本の指を揃え、短く息を吐く。


「其の身の気、形代へ映せ。急急如律令」


 形代の胸元に淡い光が灯る。


 寝台に横たわる女性の呼吸に合わせるように、光がゆっくり明滅した。


「……どうです?」


 悠真が小声で聞く。


 ミツネは答えない。


 形代を指先で持ち上げる。


 紙一枚のはずだった。


 なのに、持ち上げる手がほんの少し沈んだ。


 狐面の向こうの表情は見えない。


 けれど、手の止まり方だけで何かを感じたことが分かった。


「重い?」


 前鬼が聞く。


「紙だろ、それ」


「紙よ」


 ミツネはもう一度持ち直した。


「でも、妙に沈む」


「沈む?」


「うまく言えないわね」


 形代を掌へ乗せる。


「呪いなら、もっと濁る」


「妖気なら?」


「臭う」


「瘴気なら?」


「札が先に反応する」


「じゃあ、これは?」


「だから変なのよ」


 前鬼は腕を組んだ。


「分からん」


「正直で結構」


「分からんものは分からん」


「そういうところは嫌いじゃないわ」


「そうか」


 前鬼が少しだけ満足そうな顔をした。


 その横で剣聖が形代を見ていた。


「触っていいか」


「駄目」


 即答だった。


「そうか」


 剣聖もそれ以上は聞かなかった。


 三人のやり取りを見て、悠真は思わず笑いそうになったが、寝台の女性を見て姿勢を正した。


 次の家。


 その次の家。


 村長の案内で、一行は一軒ずつ回っていった。


 老人。


 若い農夫。


 十代ほどの少女。


 宿の裏手で働いていた女性。


 年齢も仕事もばらばらだった。


 共通しているのは、ただ眠っているように見えることだった。


 苦しんでいる者はいない。


 汗をかいている者もいない。


 呼吸も穏やか。


 身体だけを見れば、よく眠っているようにしか見えない。


「これで五人目です」


 ルークが言った。


「まだ四人いるのか」


 悠真は小さく息を吐く。


 一軒出るたびに、別の家族が待っていた。


 泣く者。


 必死に名前を呼び続ける者。


 エリシアの袖をつかみ、起こしてくれと頼む者。


 それでも時間が経つと。


「朝になれば……」


「少しくらい寝かせても……」


「今日はもう……」


 そんな言葉が混じり始める。


 最初は泣いていた女性が、突然欠伸をする。


 夫の手を握り続けていた妻が、いつの間にか椅子へ座る。


「……変だ」


 悠真は呟いた。


 エリシアが横を見る。


「何がですか?」


「みんな、本当に心配してるんですよね」


「ええ」


「なのに」


 悠真は家の中を見る。


「その気持ちが、途中で消えていくみたいに見えます」


 エリシアは答えず、眠っている村人の家族へ目を向けた。


 少し離れたところでは、サトリがミツネの袖をつかんでいる。


 宿で休ませる予定だったが、本人が「少しだけなら」とついてきたのだ。


 もちろん、ミツネからは何度も念を押されている。


「サトリ」


「読んでないよ」


「本当に?」


「ちょっとしか」


「読んでるじゃない」


「だって気になるんだもん」


 ミツネが無言で札を一枚取り出した。


「ごめんなさい」


 サトリは即座に両手を上げる。


 悠真が近づいた。


「大丈夫か?」


「今のところは」


「無理するなよ」


「悠真に言われると複雑」


「なんでだよ」


「ついこの前まで自分が一番無理してた人だから」


「それは……」


「言い返せない?」


「言い返せない」


 サトリが少し笑う。


 その笑顔が、すぐに消えた。


「あの人」


 サトリが一人の女性を見る。


 眠っている娘の手を握っている母親だった。


「何?」


「心配してる」


「うん」


「すごく心配してる」


 サトリの狐耳が伏せられる。


「でも、その上からくる」


「何が?」


「もう座っていいよ」


 サトリが目を細める。


「もう目を閉じてもいいよ」


「誰かの声?」


「違う」


「じゃあ」


「その人自身の気分」


 サトリは唇を噛んだ。


「それが嫌なの」


「今日はそこまで」


 ミツネが間に入る。


「でも」


「約束」


 サトリはしぶしぶ頷いた。


「……はーい」


 次の家へ向かう途中、悠真は前を歩く前鬼へ声をかけた。


「前鬼さん」


「なんだ」


「次の人、身体が大きいらしいです」


「運べって?」


「お願いします」


「任せろ」


 前鬼は一言だけ答えた。


 その少し後ろでは、剣聖が村の路地を見回している。


「剣聖」


 前鬼が声をかけた。


「なんだ」


「静かすぎるな」


「ああ」


「こういうのは好かん」


「俺もだ」


「意外だな」


「何が」


「お前、こういう静かなのが好きそうだ」


「静かな場所と、静かになった場所は違う」


 前鬼は少しだけ目を細めた。


「なるほどな」


 それきり二人は黙った。


 悠真は後ろからそのやり取りを聞いていた。


 少しずつ、二人が普通に話すようになってきている。


 最初は会った瞬間に戦いそうだったのに。


「何がおかしい」


 剣聖が振り返る。


「別に」


「そうか」


「ちょっとくらい聞いてくださいよ」


「興味がない」


「またそれですか」


 前鬼が笑った。


「小僧、まだまだだな」


「前鬼さんまでそっち側ですか」


「何の側だ」


「知りませんよ」


 九人目を確認し終えた頃には、夜もかなり深くなっていた。


 村長の家の前に、一度全員が集まる。


 エリシアは疲れた様子を見せず、村長へ確認を続けていた。


「ほかに姿が見えない方はいませんか?」


「今のところは九人だけです」


「だけ、ではありません」


「あ……」


 村長が俯く。


「申し訳ありません」


「責めているのではありません」


 エリシアは少し声を和らげた。


「今夜は村の者だけで見回りをするのは危険です」


「では?」


「私の護衛騎士を村の各所へ配置します」


 ルークがすぐに頷く。


「承知しました」


「村人の方々にも、互いに声をかけ合ってください」


「分かりました」


「一人で眠らないように、とまでは言いません」


 エリシアは少し考える。


「ですが、誰が起きているか確認できるようにしてください」


「すぐ伝えます」


 今度の村長は、明日とは言わなかった。


 悠真はそれに気づき、少しだけ安心した。


 ミツネは家の軒下へ移動していた。


 地面に布を敷き、その上へ形代を並べる。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 九枚。


 それぞれに違う髪や糸が結びつけられている。


「これ、全員分ですか?」


 悠真が聞く。


「そう」


「何か違いは?」


「見てるところ」


 ミツネはしゃがんだまま、九枚を順番に触れていく。


 一枚目。


 二枚目。


 三枚目。


 どれも指先で持ち上げると、わずかに沈む。


 四枚目も同じ。


 五枚目も。


「全部重い?」


 前鬼が覗き込む。


「似てる」


「紙なのにか」


「物の重さじゃない」


「難しいな」


「私も困ってる」


「お前でもか」


「何よ、その言い方」


「何でも分かる顔してるからな」


 ミツネが狐面を前鬼へ向けた。


「封滅するわよ」


「何も言ってねえだろ」


「今言ったでしょ」


「褒めたんだ」


「そうは聞こえなかったわ」


 後鬼がそのやり取りを少し離れた場所から見て、静かに微笑んでいる。


「ミツネ様」


「なに?」


「少年の形代だけ、位置が違います」


 ミツネの手が止まった。


 九枚のうち、一番端。


 林で倒れていた少年の形代。


 ほかの形代と同じように置いたはずなのに、ほんの少しだけ向きがずれている。


「風?」


 悠真が尋ねる。


 後鬼が首を横に振った。


「今、風はほとんどありません」


 ミツネが少年の形代を持ち上げる。


「……これ」


「何かある?」


 悠真が近づく。


 形代の足元。


 紙の端に、薄い灰色の染みのようなものがついていた。


 泥ではない。


 すすにも見えない。


「林でついたんですか?」


「作った時にはなかった」


「じゃあ、今?」


「分からない」


 ミツネは指先を伸ばす。


 その瞬間。


「ミツネちゃん」


 サトリの声が飛んだ。


 ミツネの指が止まる。


「なに?」


 サトリは村の中央に立っていた。


 狐耳がぴんと立ち、顔だけをゆっくり左右へ向けている。


「読んじゃ駄目って言ったでしょ」


「読んでない」


「じゃあ何?」


「向こうから入ってくる」


 サトリの顔から血の気が引いていた。


 悠真が駆け寄る。


「大丈夫か?」


「うん」


 返事はしたが、サトリは村の暗がりを見たままだ。


「サトリ?」


「増えてる」


「九人より?」


「違う」


 サトリが首を横に振る。


「寝てる人じゃない」


「じゃあ何が?」


 サトリの指が、村の家々へ向いた。


「あっちも」


 別の家を指す。


「こっちも」


 さらに、その奥。


「起きてる人たち」


 悠真の喉が鳴る。


「何を考えてる?」


 サトリは少しだけ黙った。


「もう寝ようかなって」


 エリシアが村を見る。


 家々の明かりが、一つ消えた。


 少し離れた家でも、灯りが消える。


 その次も。


「普通に夜だからじゃ……」


 悠真が言いかける。


 サトリが首を横に振った。


「違う」


 小さな声だった。


「さっきより多い」


 ミツネが立ち上がる。


 その手の中で、少年の形代がぱたりと折れた。


 誰も触れていない。


 紙の身体が、眠るように地面へ倒れる。


 サトリが震える声で言った。


「みんな、もう起きなくてもいいかなって思い始めてる」


 村のどこかで、灯っていた明かりが一つずつ消えはじめた。

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