プロローグ
神隠しは、だいたいロクでもない。
日本の年間行方不明者は、数万人とも言われている。
そのほとんどは、家出や事故や、あまり触れられたくない事情で説明がつく。
警察が動き、家族が泣き、やがて静かに忘れられていく。
でも。
本当にごく一部だけ。
どうやっても説明のつかない失踪がある。
それを、世間では「神隠し」と呼ぶ。
もっとも、それはずいぶんと優しい言い方だ。
私たちの内部資料では、もっと面倒な名前が付いている。
――異界干渉による魂の転移。
要するに、持っていかれたのだ。
この世界ではない、どこか別の世界へ。
そういう案件を専門に扱うのが、陰陽寮の仕事であり。
私は、その陰陽寮に所属する陰陽師のひとりだった。
きっかけは、本当にどうでもいい日常だった。
お気に入りのカフェでフラペチーノを買って、帰る途中。
それだけの、平凡な夕方。
横断歩道の赤信号を待ちながら、私はぼんやりと空を見上げていた。
そのとき、気の流れが、わずかに濁った。
「あれ……?」
違和感は、ほんの一瞬。
次の瞬間、轟音が響いた。
大型のタンクローリーが急ハンドルを切り、横転する。
対向車線のライトバンに激突し、ガラスが砕け散った。
悲鳴が上がる。
煙が立ち上る。
「あちゃー……今日はとんだ一日だわ」
思わず、そんな言葉が出た。
事故自体は珍しくない。
人は驚くほど簡単に死ぬ。
問題は、そこじゃなかった。
私は見ていた。
イヤホンをつけ、スマホを操作しながら交差点に侵入してきた高校生を。
彼に気づいたトラック運転手が、回避しようとして事故が起きた。
原因は明白だった。
……なのに。
その自転車が、どこにもない。
血もない。
残骸もない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
周囲の誰も、それを気にしていない。
おかしいのは私?
いいえ、違う。
これは、抜かれた。
異界に。
「……めんどくさい案件の匂いしかしないわね」
私はため息をついた。
今日はオフだというのに。
本来なら、ここで終わるはずだった。
でも。
交差点を離れる直前。
ほんの一瞬、空間が歪んだ。
目を凝らさなければ見逃してしまうほどの裂け目。
そこから流れ出す、この世界のものではない“気”。
「ああ……確定ね」
ただの神隠しじゃない。
異界干渉。
それも、かなり強力な。
数日後。
陰陽寮から正式な調査命令が下ることになる。
そしてそれが。
女神と、世界の管理を巡る話に発展するなんて。
このときの私は、まだ知らなかった。




