8.黒猫王子は月夜に笑う
「──はぁ……」
窓の外の月を眺め、ため息をつく。
ここ最近、休みの日ともなると、これがすっかり習慣になってしまった。
何故なら……
クロさんと、もう一ヶ月も会えていないから。
『全てを片付けたら、迎えに行くよ』
そう言われたっきり、彼は一度も姿を見せていない。
理由は、わかり切っている。
「……そりゃあ忙しいよね。国の今後に関わる、大事な時期だもの」
ルイス隊長率いるラザフォード第二部隊は、その名の通りロガンス帝国の中でも二番目に権威のある部隊だったそうで……
だからこそ、条約の締結や被害状況の確認、復興支援部隊の派遣など、あれこれ指示を出したりで大忙しなようだった。
……わかっている。
「仕事とあたし、どっちが大事なの?」、なんて言う女にはなるまい。
だけど、寂しい。
素直に、寂しい。
だって、こんなに会えないことなどなかったのだ。
いつもたった一時間の逢瀬だったけれど、それでも……
今となっては、お客さんとホステスとして過ごしていたあの時間がどれほど贅沢なものだったのかと、思い知らされるようで。
「…………」
ふと、西の方角を見る。
クロさんのいる、ロガンス帝国のある方だ。
それから、初デートの最後に見た、眩く輝くロガンス城を思い出す。
あたしの部屋の窓からは見えないけれど……
彼のいる場所からは、あのお城が見えているのだろうか?
「……いつになったら迎えに来てくれるのかな? あたしの王子様は」
白い月を見上げ、ぽつりと呟く。
……まぁ、見た目は王子様でも、中身は悪の大魔王みたいな人なんだけどね。
なんて、言ったら怒られそうなことを考えている……と、
「──呼んだ? 僕のお姫さま」
そんな声がする。
今まさに、思い浮かべていた人の声がする。
まさか、と思い、暗い部屋の中を振り返る……が、そこには誰もいない。
はぁ……寂しすぎて、ついに幻聴まで聞こえ始めたか。
と、再び窓の方を向くと、
「やぁ」
「…………っ?!」
……人間、本当にびっくりすると声が出なくなるらしい。
あたしは、驚きのあまり声にならない叫び声を上げ、仰け反った。
だって、窓の外に、逆さまの状態で……
クロさんが、ぶら下がっていたから。
……って?!
「えっ、待っ……ここ、二階ですよ?!」
「うん。上のヴァネッサの部屋から降りて来たから」
「いや……いやいやいや! もっと普通に登場してくださいよ!!」
「え〜。だって、この方が怪盗っぽいでしょ?」
「か、怪盗?」
「そう」
クロさんは軽やかに体を捻ると、タッと部屋に降り立ち、
「君を、奪いに来たからね」
にこっと笑い、静かに両手を広げた。
「さて、再会の挨拶はハグがいいかな? それとも、キス?」
なんて、悪戯っぽく尋ねてくる。
その口ぶりが、意地悪な微笑みが、泣きそうなくらいに愛おしくて。
ずっと……ずっと、その笑顔に会いたくて。
あたしは、今までの寂しさを全てぶつけるような気持ちで、
「……っ、どっちもです!」
その胸に飛び込み、唇を重ねた。
自分からキスをするのは、初めてだったかもしれない。
けど、そんなことはどうでもいい。
あなたに触れたくて、たまらなかったのだから。
「……寂しかったでしょ」
唇を離し、彼が言う。
ここで「寂しかった?」と聞かないのが、クロさんのクロさんたる所以である。
疑問形ではなく、断定なのだ。
「く……クロさんだって」
あたしも負けじと言い返すが、駄目だ。会えたことが嬉しすぎて、声が震えている。
それを悟られたのか、クロさんは「あはは」と笑い、
「そうかも。だから、急いで迎えに来たよ」
「え……?」
「下を見て」
彼に促され、窓の外を見下ろす。
すると、一階にある【禁断の果実】の前に、ロガンス帝国の紋章が入った豪華な馬車が停まっていた。
「あれに乗って行くよ」
「へ? どこに?」
「ロガンス帝国」
「いつ?」
「今から」
「今から?!」
そんな……いくらなんでも急すぎる!
いつ声がかかってもいいようにと、荷物はまとめてあったが……
ローザさんやヴァネッサさん、お店のみんなに、きちんとお別れも言えていないのに。
「大丈夫だから。とりあえず、下に降りて。荷物はこれだけ?」
と、確認もそこそこにあたしの鞄を持ち、強引に腕を引くクロさん。
戸惑いながら、引かれるがままに階段を降りると……
「あ………」
ローザさん、ヴァネッサさん、お店のみんな、それに顔なじみのお客さんまでもが、そこに並んでいた。
「みんな……どうして……」
「そのがきんちょに言われてな。今日、レンを連れて行くって」
「突然だからびっくりしたけど……クロちゃんらしいわね」
あたしの問いに、ローザさんとヴァネッサさんが答える。
時刻は午後十時。お店は営業中だ。
それなのにみんな、わざわざあたしのために、店の外へ出て来てくれたようだ。
「本当に……行くんだな」
一歩近付いて、ローザさんが言う。
その綺麗な顔が、見たこともないくらい、寂しそうに歪んでいる。
「……うん。あたし、ローザさんにはすごくお世話になったのに、なに一つ、恩返しできなかった……ごめんなさい」
「馬鹿。こういう時はな、『ありがとう』って言うんだよ」
ばしっと背中を叩かれ、見上げた彼女の顔は……
涙を浮かべながらも、眩しいくらいの笑顔だった。
それから、あたしはローザさんの横で既に号泣しているヴァネッサさんを見つめ、
「ヴァネッサさん。本当に、お世話になりました。危険なのを承知の上で、あたしを保護してくれて……感謝してもし切れません。ありがとうございました」
深々と頭を下げると、ヴァネッサさんは首を振りながら涙を拭う。
「……レンちゃん。あなたは強い娘だわ。だから、どこへ行っても大丈夫。自分の幸せを信じて、真っ直ぐに進みなさい」
「ヴァネッサさん……」
「ロガンスに行っても、あなたの実家はずうっとここよ。何かあったら……ううん。何もなくても、いつでも帰っていらっしゃい」
優しい笑顔で告げられた、その言葉に……
堪えていた涙が、ついに溢れた。
そんなあたしを、ローザさんがぎゅうっと抱き締める。
「そういうことだから、たまには顔見せろよな。そんで、一生懸けてあたしに恩を返しな! じゃないと……寂しくて死んじゃうんだからな!」
「……うん。約束。絶対に、帰って来る」
涙で濡れた顔を見合わせて、あたしたちは、笑った。
それから、お世話になった先輩ホステスさんたちを見回し、頭を下げる。
「みなさんも……短い間でしたが、本当にありがとうございました。ここで働けて幸せでした。ずっと一人ぼっちだったあたしの"家族"になってもらえて、嬉しかった」
「何言ってんのよ。家族はずうっと家族。これからも、離れていても、ね」
そう言ってもらえて、また涙が溢れる。
と、その横で、ローザさんがクロさんの前にずいっと立ち、
「……レンを泣かせたら許さねーからな、がきんちょ」
腕を組みながら、言い放った。
すると、クロさんは自分より背の高いローザさんを見上げるようにして、
「……泣かせるよ。だって、レンちゃんの泣き顔、可愛いんだもん」
「なっ……てめぇ!」
「一緒にいれば、悲しませることも、傷付けることもあるだろう。けど、絶対に離れない。ずっと側にいる。彼女がもう……独りで泣くことがないように」
口元に笑みを浮かべながら、真っ直ぐにそう言った。
それに、ローザさんは「けっ」と顔を逸らし、
「あたし……やっぱお前のこと、嫌いだわ」
きっぱりと、そう宣言した。
ローザさんたちとの、最後の別れを惜しんで。
あたしは、クロさんと共に、馬車へ乗り込んだ。
ベラムーンの街から一直線に伸びる街道。
この先には、あのロガンス帝国がある。
ルイス隊長やみんなが住まう、あの国が。
「それじゃあ、行ってきます。みんな、どうかお元気で!」
窓から身を乗り出し、ローザさんたちに手を振る。
同時に御者が鞭をしならせ、馬車が動き出した。
あたしとローザさんたちは、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
互いの姿が豆粒よりも、砂粒よりも小さくなっても、ずっとずっと、手を振り続けた──
「……見えなくなっちゃった」
「いつでも会いに来れるよ。戦争は終わったんだからね」
「……そうですね」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
ローザさんたちに手を振り終え、あたしはクロさんの隣に座る。
そして……流れていく景色を眺め、この半年間の出来事に思いを巡らせた。
……あの街で、死ぬはずだった。
自分のものとも他人のものともわからぬ、真っ赤な血に染まったまま。
だけど、ルイス隊長に救われた。
あの隊のみんなに、心まであたためてもらった。
ヴァネッサさんやローザさんのいるあの店に預けられてからは、楽しいことも困ったことも、なんでも分かち合える家族ができて……
……そして。
クロさんに、出逢った。
最初は、本当にただの『嫌な奴』だった。
なのに、いつの間にか、『好きな人』になっていた。
意地悪で、わがままで、強引で……
だけど、笑顔がすごく可愛い人。
あたしの全てを……奪った人。
そんな王子様が、迎えに来た。
馬車に乗って、月夜の晩に。
なんだか、おとぎ話のようだ。
あたしは、お姫さまでもなんでもないけれど……
でもきっと、本物のお姫さまより。
今のあたしの方が、幸せだ。
ふと、夜空を見上げる。
今夜は満月。優しく包み込むような光が、ベラムーンの街を白く照らしていた。
その光を見つめ、あたしは……思い出す。
『──この世界にはたくさんの色があるけれど、
中でも不思議な色があるの。
一つは青。一つは緑。
そしてもう一つは……
フェレンティーナ。あなたの、赤い色。
その三つが重なると、どうなると思う?
明るく輝く、光になるの。
だからね、フェレンティーナ。
あなたの赤い色はとっても大事で、
とってもすてきな色なのよ。
だからもう、泣かないで──』
……ねぇ、母さん。
あたし、赤い色が嫌いだった。
自分の髪や瞳の色が、大嫌いだった。
赤は、辛くて残酷な現実ばかりを映す色だったから。
でも……でもね。
こんな赤色を、『生きている色』だと……
『好きだ』と言ってくれる人に、出会えた。
だから、今は……
あたしも、自分の色が好き。
これから先、どんな未来が待っているかはわからない。
今まで以上に辛いことや、悲しいことがあるかもしれない。
けど、きっと大丈夫。
この人と一緒なら、大丈夫。
だって、こんなあたしでも……
誰かを照らす『光』になれるかもって、今なら思えるから。
「……行ってきます、母さん」
ガタゴト揺れる、車輪の音に紛れるように。
あたしは、生まれ故郷であるイストラーダ王国の夜空に、小さく呟いた。
……それから。
あたしは居住まいを正し、隣に座るクロさんへ、こう投げかけた。
「ところで……ロガンスへ行くと言っても、具体的にはどこへ向かうのですか? あたしの住むところだって、これから探さなきゃいけないでしょうし……」
とりあえず、家が決まるまではどこかの宿に泊まるしかないのだろうか?
それとも……クロさんのお家に居候させてもらえたり?
なんて、少しドキドキしながら答えを待っていると……
クロさんは、頭の後ろに手を組んで、一言。
「今向かっているのは、ロガンス城だよ」
「……は?」
「だから、お城だよ、王城。前に見せたでしょ? あそこ、僕の仕事場兼住居なの。僕ってば国お抱えの研究者だからね。言ってなかったっけ?」
「き、聞いてないですよ!」
「ということで、今日からあの城が君の家だよ」
「へっ?!」
「当たり前でしょ? 君には一生、側にいてもらうんだから。一緒に住まないと……ね?」
言って、有無を言わせぬ圧のこもった笑みで、あたしを見つめる。
まさか、あのお城に住むことになるなんて……いよいよおとぎ話じみてきた。
……これ、夢だったりしないよね?
と、無言で頬をつねるあたしを見て、
「……目を覚ましたいのなら、いくらでも起こしてあげるよ? 王子様のキスで」
顔を覗き込み、悪戯な笑顔を向けてくる。
何度見てもドキドキしてしまう……ずるい笑顔だ。
相変わらず翻弄されまくりな自分が悔しくて、あたしも負けじと反撃する。
「そんなこと言って……実はクロさんがキスしたいだけなんじゃないですか?」
しかし……
反撃は、失敗に終わった。
何故なら、
「……そうだよ」
そう言って……
手を掴まれ、ぐっと顔を覗き込まれたから。
彼の妖艶な笑みが月明かりに照らされ、一層妖しげに映る。
「言っとくけど、君が思っている百倍は……僕も、君に会いたかったよ」
「…………っ」
「だって……可愛い可愛い僕の恋人を、早くいじめたくて堪らなかったからね」
「なっ……?!」
「さぁ……覚悟はいい?」
「え……ちょっ……!!」
「夢の方がマシだったって思えるくらいの意地悪で、君をトロットロにしてあげるから……楽しみにしていてね?」
「………………」
そのまま、キスと共に、静かに押し倒され……
あたしは、その甘い感覚に、身を委ねた──
「……言い忘れてた」
「…………なにを……?」
「……僕は、赤い色が好き。
…………"君の色"だからだよ」
-完ー
これにて完結です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
と言いつつ、実はまだ書きたいエピソードがあったり。
ここまでの経緯をクロ視点から書いてみたいなぁ、などと構想を膨らませていたりもします。
他にも書きたい物語がたくさんあるので、いつになるかはわかりませんが、またここにクロとレンが現れた時には、温かく見守っていただけると嬉しいです。
数ある作品の中から目を留めてくださり、本当にありがとうございました。
2018/09/25 追記
↑のように考えていたのですが。
書きたいことが後から後から溢れて止まらないので、続編を執筆することにいたしました。
タイトルは『黒猫王子はメイドと踊る』です。今作より、ちょっぴりオトナな内容になっております。
そちらもぜひお楽しみください。
よろしくお願いします!