戦地へ
瞼の上からでも眩しいと感じる強い太陽の光で目覚めると、そのまま少しだけベッドの中でぼーっとする。それからベッドを出て着替えを済ませる。ここ数日の習慣だ。
軽く腕を回して体調を確認すると、マジックバッグからプールストーン携帯調理器具を取り出し湯を沸かしてコーヒーを作る。コーヒーを移したマグカップを片手に窓へ近づいて外を眺める。目に映るのは常夜の魔法都市で光の洪水を演出する建物群ではなく、陽光で白さが増した雲海が一面に広がっている景色。幻想的で美しい光景を眺めながら熱いコーヒーを飲んでホッと息を吐いた。
俺が今いるのは空に停泊している飛空艇だ。だが、この飛空艇は俺の所有物ではなく、自由都市が所有しているものだ。そして、ここは自由都市の最北にあるフィッシュプールという場所の上空である。
ヴァジの依頼を受けてから約二週間が経っている。あのヴァジとの会話後、すぐ城に戻り皆を集めて説明した。もちろん、会話内容や俺の推理も全部だ。伝聞や推測など不確かな情報ばかりだが、俺が単独で討伐に向かうには必要だったのだ。
俺とヴァジの他にシリウスも参加するのだ。ヴァジの強さは不明だけれど、シリウスの全力戦闘に巻き込まれたら絶対に無事では済まないとわかる。そんな場所に仲間たちを連れて行くわけにはいかない。
当然ながら単独で向かうことに全員から反対された。自由都市が信用できず危険過ぎること。国の代表が護衛もなしに一人で他国へ向かうのも論外なのに、その上、未知の魔物と戦闘予定であることには議論の余地すらないと言われた。
その言い訳として、ヴァジには『自由都市がギルに対して敵対行動を取った場合、ヴァン・ジークフリートは魔法都市側につく』と一筆書いてもらっている。普通の紙に書いただけの物だが、英雄であり、商人でもあるヴァジが書いたのだ。その信用度は非常に高く、自由都市に対しての抑止力には十分だろう。
未知の魔物との戦闘の危険性に対しては、「シリウスが参加するんだぞ」の一言で反論をねじ伏せた。シリウスが負けるような事があれば、俺が参加せずともいずれはその魔物に殺されることになる。俺だけではなく大陸中の人々が死ぬかもしれない。なら、英雄二人がいる戦場に参加して生存率を上げた方が賢い選択だと言えるだろう。
そう言葉を尽くして許可を得ることに成功した。まあ、リディアの「また私たちを置いて一人で戦うのですね」という一言には罪悪感で押しつぶされそうになったが。
リディアたちを連れて行くことも考えなかったわけではない。巨人の攻撃すら受け止める事が可能なエリー、巨人すら一撃で屠る破壊力を持つシギル、感知範囲外からの超長距離射撃ができるエル、魔力消費を気にすることなく無限に魔法が使えるティリフス、近接のスペシャリストであるリディア。非常にバランスが良く、大抵の敵に負けることなど考えられない。それでも連れていく事はできなかった。
彼女たちには俺が留守の間、または俺たちが敗北した場合に魔法都市の防衛戦力になってほしかったからだ。
俺は様々な二つ名で呼ばれているが、王国との戦争で『人災』と呼ばれるほどになった。ランクアップしているのかランクダウンしているのか微妙なところだけど、とにかく他国の人々に恐れられているらしい。それこそ魔法都市を相手取ろうとは思わないほど。つまり、俺一人が魔法都市にいるだけで抑止力になっているのだ。
しかし、俺が留守の間はその抑止力が失われる。攻め込まれる要因になる。だからこそ別の抑止力が必要なのだ。
その別の抑止力こそが俺の仲間たちだ。特にリディアは俺と同じく王国との戦争で『赤い女剣士』という二つ名で呼ばれ恐れられるようになり、抑止力としての効力を発揮できる存在だ。
なんだよ、俺とは違ってかっこいい渾名じゃないか。通常の三倍速そうだし、赤い髪のリディアにぴったりだ。悪口を渾名にしがちのこの世界の住人にしてはセンスが良い。そう思った。だが、大丈夫。安心して良い。これも悪口だ。
『赤い』の部分は別の読み方がある。『血の』と。戦争の時、リディアが援軍を呼ぶために立ちはだかる王国兵士を斬り伏せ、返り血を浴びながらダンジョンから脱出したのが元らしい。生き残った兵士が王国で広げていると聞いている。そしてそれは王国だけに留まらず、別の国にも広がりつつあるそうだ。都市伝説的な怪談として……。
『オーセブルクダンジョンには出るらしい。真っ赤な女が。全身が血塗れなんだ。何百、何千というヒトを斬り殺し、その返り血で髪や服は赤く染まっているんだ。出会ったら逃げるきることはできない。尋常ではない速さで追いかけてきて、追いつかれたら滅多刺しにされるそうだ』
そんな内容なんだが、色々と想像を掻き立てる言葉を付け足して怪談として話されている。王国では悪いことをした子供に「オーセブルクダンジョンに連れていく」と叱ると、「もう悪いことはしない」と泣きじゃくりながら約束するそうだ。
その話を聞いたリディアは遠い目をしながら放心していたが、どうあれ恐れられているのに違いはない。リディアには悪いがその二つ名を抑止力として活用させてもらうことにした。
そうして俺は心置きなく自由都市へ向かったのだ。
魔法都市で仲間たちの説得を含めた準備に3日。オーセブルクに移動で1日。そこから自由都市の飛空艇に乗り込んで5日掛けて自由都市首都へ。自由都市で飛空艇の補給に1日掛かり、それからさらに1日を費やし北に移動して、慌ただしくもフィッシュプール上空に到着。けれど、目的地に着いたが二日間をこの上空で待機している。
シリウスの到着を待っているのと、索敵をしているのが待機の理由らしい。ちなみに索敵は俺が乗る飛空艇とは別の船数隻で行っている。自由都市は半年で十数隻の飛空艇を所有するに至ったようだ。いまさらながら財力の差に驚く。
とまあ、そんな感じで俺は待機と言う名の暇を持て余している。
「いつ出撃するかわからないから常に気を張っているし、フィッシュプール上空に着いてからはぐっすりと眠ってないなぁ。こういう時は『狂化』スキルを手放したのが悔やまれる」
『狂化』スキルがあった時はある程度の危機感があってもぐっすり眠れたし、活動時間も長かった気がする。怒りの感情の揺らぎは煩わしいが、睡眠に限っては便利だったかもしれない。
飲み終わったマグカップを机を上に置いて大きく伸びをしていると扉がノックされた。「はい」と答えると、いつも俺の部屋の扉の前に立っている自由都市兵が扉越しに要件を伝えてきた。
「ギル陛下、英雄ジークフリート様が面会を希望しております」
……陛下ねぇ。この世界の基準では俺の立場が王様だってのは理解しているけど、やっぱり慣れない。俺が小市民だからかなぁ。
この兵士のように扉越しで要件を伝えるのは無礼じゃないかと疑問を覚えたが、ヴァジが言うには俺に与えられている部屋は他国扱いなんだとか。つまり、現在この部屋は魔法都市国土ってことだ。自由都市国民は足を踏み入れるどころか、扉を開けることすら許されない。他人を入れる場合は、俺自身が扉を開け、招き入れる必要がある。なんとも面倒だがこれが自由都市の法律なのだろう。
「ヴァジ……、英雄ジークフリートの都合は?」
「いつでも問題ないそうです」
ってことは、すぐに来てほしいってことか。この遠回しな伝言ゲームにもうんざりだ。
「すぐに会おう」
そう答え、いつもの外套を羽織ると扉を開けた。
この飛空艇はバカでかい。詳しく測っていないから正確ではないけれど、俺の所有する飛空艇の5倍近いと思う。地球の話になるがガレオン船の大きさは約500トンで、かなり大きいものでも1000トン程度。現代の小さなコンテナ船は1万トンから3万トンで、それに比べると大したことがないように思えるが、鉄製だということを忘れてはならない。この世界の船は木製だ。俺の所有する飛空艇も木製で、やはり500トン程度だが持て余すぐらいには広く感じている。なのに、自由都市の飛空艇はさらに大きいのだ。俺の飛空艇より速度は少し遅いが、この大きさで少し遅い程度で済んでいるということは、エンジンも一つではないはずだ。その分、必要魔力も増えることになり、魔法士が何人も必要になる。
この船は大金がかかる。製造も維持も航行にも、だ。
そんな広い船内を兵士に案内されていく。1分ほど歩くと目的の部屋に着いたようで兵士が立ち止まる。
同じような扉が並ぶ中でよく間違えないなと感心していると、兵士が扉をノックしていた。
「ジークフリート様、ギル陛下をお連れいたしました」
室内から扉越しに「入れ」とヴァジの声が聞こえた。兵士が躊躇いもなく扉を開け、俺に中へ入るよう促す。
俺が中に入ると案内してくれた兵士は入らずに扉を閉めた。どうやら外で待機するようだ。
案内された部屋は作戦室のようなところではなく、家具や調度品も俺に用意された部屋と一緒だった。つまり、ここはヴァジの部屋か。
「呼び出して悪かったな」
「進展か、問題か。どっちだ?」
フィッシュプール上空に到着した時、何かあれば知らせると言われた。呼び出されたってことは状況に進展があったか問題が起きたかのどちらかだ。だが、予想外にヴァジは「どっちもだ」と答えた。
「まず進展は二日前にあった。目標の姿を発見した」
「二日前ってここに到着した日じゃねーか。その日に知らせろよ」
「到着したばかりで準備も済んでいなければ、シリウス皇帝も到着していない。俺も行動を起こす気はなかったからギルには休んでもらうことに専念してもらい、後日伝えようと思っていたんだ。それに目標の魔物か確証がなかったのも理由の一つだ」
一理あるか。個人的には教えてほしかったが、知らないほうがゆっくり休めるって人もいるだろう。一応は気を使ってくれたってことか。目標の敵か確証がなかったのも納得できる。なんせ、フィッシュプール基地が破壊されてから1ヶ月ぐらいは経っているからだ。まだここにいるって考える方がおかしい。
「どうやって目標だと判断したんだ?」
「そいつは破壊されたフィッシュプール基地内にいた。偵察していた飛空艇の報告によると、その魔物は俺たちが到着した日に半壊している建物から出てきたそうだ。それから基地の北側にある飛空艇発着場で海を眺めていたらしい。二日間、全く動かずにな」
日数が大分経っているし、半壊した建物から出てきた程度なら火事場泥棒の可能性もあるが、そのあと全く動かず二日間海を眺めていたっていうのは確かに怪しい。人ならば食事や排泄をする。断食や排泄物を垂れ流す趣味でもない限り動くだろう。人間ではない。目標と判断するのが正しい。だが、疑問も増えた。その魔物は破壊し終わった基地で1ヶ月もの間、何をしていた?……わからない。
「それが進展か。問題の方は?」
「目標が南に向かって移動を開始した」
「それに何の問題が?たしかに南方向に進めば、自由都市首都ブレンブルクがあるが……。飛空艇で一日の距離ならまだまだ余裕はあるはずだ」
「ああ。首都までは余裕がある。しかし、途中に大きめの村がある。魔物がその村に到着するまでそれほど時間がない」
「……避難は?」
「当然、既に周辺の村や街に連絡は済んでいる」
「……避難が完了している、ではないのか。つまり、村に残っている住民がいるってことだな?」
俺の質問にヴァジは答えず肩を竦めるだけだった。
老人や貧しい者たちは避難せずに死を選ぶことも珍しくはない。老人は老い先短いからと生まれ育った場所に骨を埋める覚悟し、貧しい者はそもそも移動するための金がない。村には決して少なくない数の人が残っている。
思わず舌打ちが出た。
「どうすんだ?護るのか?それとも見殺しか?」
「護る決断をした場合、もう一つ問題が増える」
「なんだよ?」
「シリウス皇帝が間に合うかどうか微妙だ。俺の見立てでは戦闘開始には間に合わないだろう」
「………最悪だ。シリウスは何でこんなに遅いんだ?」
「入国手続きに手間取ったようだ」
悪態をつきたいところだが、領空侵犯の概念を植え付けたのは俺だから何も言えねぇ。
「はっきり言って、俺はシリウスの代わりは務まらない。そう宣言した上で聞く。自由都市の英雄はどちらを選ぶ?」
もう一度聞くと、ヴァジは苦笑しながら頭をボリボリと掻き、大きな溜息を吐いた。
「護るしかないだろ。戦うしかない。それが英雄だ」
「くそ……」
俺に選択肢はない。決定権があるのはヴァジだ。今回の魔物が帝国に出没すれば、戦う時と場所の決定権はシリウスにある。魔法都市なら俺だ。だが、残念ながら今回は自由都市。ヴァジが選ぶ。
もし俺がヴァジの決定に逆らって逃げ出せば、この先魔法都市が窮地に陥っても自由都市と帝国が助けに来ることはない。当然、この魔物が魔法都市に出没したとしても滅ぶまで放置される。
この魔物は自由都市のフィッシュプール付近に2度出没した。次もここの可能性が高い。けど、たった2回だけの出没情報では確定とは言えない。3度目は魔法都市かもしれないのだ。たとえ俺が今日戦死したとして3度目の出没が魔法都市でも、帝国と自由都市は助けなければならない。
それが俺たちで交わされた契約であり、約束だ。
逃げ出すことは許されない。やるしかないのだ。
「飛空艇を出せ。迎え撃つぞ」
生き残るためにどうすべきか考えなければならない。
次の投稿は12月4日予定です。