#22 闇深みて血の踊る…
時間軸修正しました。2019/8/20
月がビルの合間に沈んでいく。
新月の夜を思わせる漆黒の空の下で、ハンズフリーにしたスピーカーから、バタバタと忙しなく走り回る音が漏れ聞こえていた。足元の影が、見る間に長く伸びて辺りを夕闇が飲み込んでいく。
左手に嵌めた革の手袋を口元で引っ張りながら、ざらつくコンクリートの壁を背に、次郎はもう片方の手に握られたそのスマホから聴こえる音に耳を傾けた。
『次郎さん、配置完了しました』
声を抑えてそう報告してきたのは、権田原だった。
「オッケー。ヒナちゃんはそこにいる?」
スピーカーの向こうに、念を押すように声を掛ける。
「ちゃんと待機してます」
ふてくされた感のあるヒナの声が返事をした。
心配してはやる気持ちはわかるが、さすがに小学生の女の子を危険には晒せない。
ヒナは安全を期して、権田原たち捜索隊とは別に大槻本家での待機に甘んじていた。
グループLINEで繋いだのは6か所。ヒナのいる本家と、ようやく絞り込んだ物件の中から例の図面のビルと思しき建物5棟に、権田原を筆頭にそれぞれ2~3人ずつの4手と次郎が1人。全部で5手に分かれて目標の建物をひとつずつ包囲していた。
「俺が合図するまで絶対に建物内には入らないこと。あと、怪しい奴らが出て来たら接触はせずに後をつけて俺に報告してくれ」
「わかりました。しかし……」
「しかしじゃねーよ。接触は絶対禁止だかんな」
「それはわかっています。狩人とやらの危険性は次郎さんから教えてもらって重々承知しましたから。ただ……どうしても次郎さんはお一人で行かれるのですか?」
権田原が心配そうに確認する。
膨大な数の候補の中から数件まで絞り込んだとはいえ、捜索のため広範囲に散らばった人員を的と定めたこの5か所に再集中させるには、まだ時間が足りなかった。包囲している各部隊への応援も、まだ徐々に集まりつつあるという状態。
そんな中、次郎が選んだのは捜索範囲の最も北の端に位置した建物だった。
一つだけ遠く離れたこの建物を見張るのは、次郎一人だけ。
「ま、そこは俺ヴァンパイア様だし。ここへ後2~3人応援の人間が加わったところで、足手まといになるだけだよ。一人の方が気楽でいい」
「そうですか……」
次郎は両手に黒の革手袋を嵌め終えて、2ブロック先にある周囲の中では比較的背の高いビルに目をやった。
灰色の壁面、小さな複数の窓、入り口は車両用と通用口の2か所でどちらも固く閉じられている。
商業用ビルなどではない、どちらかといえば閉鎖的な印象を与える建物だった。
そして、高いビルの側面には『滝澤building』の文字。
「そ。んじゃ、そっちの4か所の指揮は一旦権田原に任せるから。下手に音出して相手にバレてもマズイし通話は切るぞ。GPSのモニタリングは引き続きヒナちゃんヨロシクね」
「わかった」とスピーカー越しにヒナが答える。
権田原が「各員現場待機。指示を待て」と言ったのを確認して、次郎は通話を切った。
実は、次郎には思惑があった。
5件まで絞り込めたと報告が入ったとき、順番に捜索するというヒナ達の意向を無視して、次郎はわざわざこの捜索範囲の一番外れにある建物の選んで志願したのだ。
その理由は、この建物の場所と名称にあった。
そう、例の暗号。
―― TZBLB22359
(T)滝(Z)澤(BL)ビルディング。
候補に挙がった建物の中で、あの暗号と符合するのはここだけだったのだ。
シンプルな暗号ですこと。
次郎は小さな声でそう独り言ちた。
健太郎たちを囮にして自分をおびき出すのが目的なら、奴らが仕掛けた暗号めいたヒントはわかりやすいもののはず。間違いなく俺を罠におびき寄せるために。そう確信していた。
そして、このロケーションも次郎にとっては好都合だった。
大槻家の黒服たちも、広範囲に点在する拠点を限られた人員でひとつずつ調べるにはバラけて行動する必要がある。自分たちがマークした建物がハズレだとわかってから移動をしても、次郎が選んだこの離れた場所に駆けつけられるのは、どう頑張っても他を当たって一番最後。ましてや自分が「足手まといになるから来なくていい」と言えば、自分の持ち場に意識を集中している大槻の面々は手を出してこないだろうと踏んだのだ。
相手は金のためなら人の命など躊躇わずに奪う暗殺を生業とする連中。いくら組織立って次郎を補佐しているとはいえ、普通の人間に変わりない大槻家を巻き込むのは望むところではなかった。
初めから一人。
自分のモノを取り戻すのに、危険に身を晒すのは自分ひとりで充分。
次郎は、戦いに身を置く懐かしい感覚が己の中に蘇ってくるのを密かに感じていた。
辺りはすっかりと深い夜に閉ざされていた。
少し先のコンビニの明かりだけが煌々と周囲を照らしている。
次郎はビルから目を離すことなく、スマホを尻のポケットにねじ込んだ。
「じゃあ戦闘開始と行きますか」




