英雄候補
英雄になることを期待され、王城で育てられた少年――ノア。
十二歳の成人の儀。
魔法が全ての世界で彼を待っていたのは、誰も予想しなかった「判定不能」という結果だった。
期待を一身に背負っていた少年は、その日の夜、王城から追放される。
そしてその道中、命を狙う暗殺者に襲われたノアは、自分でも知らなかった力に目覚める。
それは魔法ではない。
ただ、身体能力だけを異常なまでに引き上げる力だった。
これは、英雄になることを期待されながら全てを失った少年が、
一人の冒険者として未知の洞窟へ挑み、
やがて世界の運命に巻き込まれていく物語。
夜明け前の空気は冷たい。
ヴァルハルト王国の王都を囲む城壁は朝靄に包まれ、その向こうには、天を突くような巨大な山が黒い影となってそびえ立っていた。
誰もがその山を知っている。
ノルディア山。
世界樹へ続く唯一の道であり、人類が決して制覇できない魔の領域。
僕は、その山を一瞥すると、木剣を握る手に力を込めた。
「はっ!」
乾いた音が訓練場に響く。
木剣は藁人形を正確に捉えた。
だが、それだけだ。
「もっと腰を落としなさい。」
後ろから飛んできた声に、僕はすぐさま姿勢を直す。
「はい!」
振り返ることなく返事をする。
王城に来て十二年。
返事が遅れれば叱られることは分かっていた。
訓練を見ていた騎士は腕を組み、ゆっくりと頷く。
「剣筋は悪くない。ですが、まだ足りません。」
僕は木剣を下ろした。
「分かっています。」
「……いや、ノア様は分かりすぎていますよ」
騎士は苦笑した。
「十二歳でここまで剣を振る子どもはそういない。それでも毎日一番早く来る。毎日一番遅く帰る。ノア様が努力家なのは誰もが認めています。」
僕は少しだけ照れくさそうに笑う。
「努力することに才能は関係ありませんから。」
その言葉に、騎士は何も返さなかった。
王城にいる者は皆知っている。
僕、ノア・ヴァイスは特別な子どもだった。
生まれた日。
魔法測定で、火、水、土、風、雷――そのどれにも反応しなかった。
歴史上でも数例しか無い現象だったらしい。
魔法測定では測定できない属性は2つだけ。
光と、闇。
王家はヴァイス家ごと王都へ迎え入れ、僕を未来の英雄として育て始めた。
そして今日。
その答えが出る。
成人の儀。
魔法の暴走を防ぐために付けられた封魔環が外され、初めて魔法が解放される日だった。
「お兄ちゃん!」
元気な声が訓練場に響く。
振り返ると、小さな少女がこちらへ走ってくる。
銀色の髪を朝日に輝かせながら、満面の笑みを浮かべていた。
「コア。」
「また朝から修行?」
「うん。」
「もう十分じゃない?」
「十分じゃないよ。」
木剣を肩へ担ぐ。
「もし本当に光属性だったら、ぼくは世界樹を救わなきゃいけない。」
コアはきょとんと首を傾げる。
「お兄ちゃんならできるよ。」
その一言に、僕は思わず笑ってしまう。
根拠なんてない。
けれど、コアだけは昔からそう言ってくれた。
「お兄ちゃんは一番頑張ってるもん。」
僕は妹の頭を優しく撫でた。
「ありがとう。」
すると、遠くから鐘の音が響いた。
王城の朝を告げる鐘。
訓練場にいた騎士たちが一斉に動き始める。
「ノア。」
聞き慣れた声だった。
父だ。
ヴァイス家当主、エドガー・ヴァイス。
没落寸前だった家は王家の庇護で立て直されつつあったが、父の穏やかな笑顔だけは十二年前と何も変わらない。
「陛下がお呼びだ。」
「今ですか?」
「ああ。」
父は笑う。
「緊張しているか?」
僕は少しだけ考えた。
「……してます。もし光じゃなかったら。そんなことを考えてしまいます。」
父は静かに笑い、僕の肩に手を置いた。
「なら、一つだけ昔話をしよう。」
二人はゆっくりと城の回廊を歩き始め国王のところへ向かう。
「お前が生まれた日。測定師は水晶を四回も使い直した。何度測っても、火も、水も、土も、風も、雷も反応しなかった。最後には王都へ馬を飛ばしてな。その日のうちに、王家の使者がやってきた。」
その話は何度も聞いてきた。
それでも父は毎年、成人の儀の前日になると同じ話をする。
「ノア。お前が英雄だから愛しているわけじゃない。お前がノアだから、私たちは家族なんだ。」
僕は少し照れながら笑った。
「はい。」
「だから、どんな結果でも帰ってこい。ヴァイス家は、お前の家だ。」
その言葉だけが、妙に胸へ残った。
まるで、今日が人生の分岐点になると知っているようだった。
僕は無意識に左手首へ視線を落とす。
銀色の封魔環。
十二年間、自分の魔力を封じ続けてきた腕輪。
今日、それが外される。
英雄になるのか。
それとも――。
そんな話をしているうちに国王の執務室へ着いた。
国王の執務室は、朝の日差しに照らされ静まり返っていた。
壁一面に並ぶ本棚。
歴代国王の肖像画。
そして、部屋の奥には一枚の大きな窓。
窓の向こうには、王都を見下ろすように巨大な山がそびえ立っている。
僕は思わず足を止めた。
何度見ても、その大きさには圧倒される。
山頂は雲に隠れ、麓は深い霧に包まれている。
人類最大の禁域。
あの山の中心に、世界樹が存在する。
「見慣れても、つい見てしまうか。」
穏やかな声に振り向く。
机の前に座っていたのは、一人の老人だった。
白髪交じりの髭を整え、年齢を感じさせる皺を刻みながらも、その瞳だけは鋭い。
ヴァルハルト王国国王。
アルフレッド・ヴァルハルト。
僕はすぐに片膝をついた。
「お呼びいただきありがとうございます、陛下。」
「楽にしなさい。」
国王は柔らかく笑う。
「ここは戦場ではない。」
その言葉に僕は立ち上がった。
王でありながら威圧感は少ない。
幼い頃から何度も言葉を交わしてきた相手だからこそ、その人柄を知っていた。
「今日はいよいよ成人の儀だ。」
「はい。」
少しだけ考え、苦笑する。
「……正直、自信はありません。」
「そうか。」
国王も笑った。
「お前には、生まれた時から期待が集まりすぎた。」
期待。
その言葉は、ぼくにとって嬉しくもあり、重くもあった。
王城へ来てから十二年。
剣を学んだ。
歴史を学んだ。
政治を学んだ。
魔物の生態。
洞窟での生存術。
そして…英雄として必要な鍛錬。
人より多く学び、人より多く汗を流した。
それでも。
魔法だけは、成人の儀を行うまで分からない。
「ノア。」
「はい。」
「私は、お前が光属性であることを願っている。闇属性は長い人類の歴史の中でも1人しかいない。」
国王は山へ視線を向けた。
「だが、それ以上に願っていることがある。」
僕は黙って続きを待つ。
「どのような結果であれ、自分を見失わないことだ。」
静かな声だった。
「才能は人を強くもするが、縛りもする。お前は十二年間、期待という重荷を背負って生きてきた。だからこそ、自分の心だけは失うな。」
その言葉を胸の奥へ刻み込む。
「はい。」
その返事を聞き、国王は満足そうに頷いた。
「今日はもう修行は禁止だ。」
「え?」
「体を休めるのも英雄の務めだ。」
僕は思わず笑ってしまう。
「では時間まで家族と過ごさせていただきます。」
「そうしなさい。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
その空気は、王と臣下ではなく。
祖父と孫のような穏やかさの様だった。
執務室を出ると、廊下の窓から日に染まり始めた王都が見えた。
遠くでは鐘の音が鳴り響いている。
成人の儀を迎える者たちへ送られる祝福の鐘。
僕は左手首の封魔環へ触れた。
今日、この腕輪は外れる。
自分は英雄になれるのか。
世界樹を救えるのか。
そんな期待と不安が入り混じる中、一つだけ確かな想いがあった。
(どんな力でもいい。)
(ぼくは、この世界を守りたい。)
その願いだけは、十二年前から一度も変わっていなかった。
しかし、僕はまだ知らなかった。
この日が、人生を一変させる一日になることを。




