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最終話 父の死をきっかけに住職になって借金を抱えたら割とエモかった件

「2週間で、200,000,000円。……クソッ、無理だ。論理的に不可能だ」


深夜の本堂、パソコンの放つ青白い光だけが、僕の青々とした坊主頭を照らしていた。画面に並ぶのは、冷酷な資金シミュレーションの赤字の山。東條金融から突きつけられた、先代死亡による一括返済の特約条項。西新宿のIT企業で数々の不可能を可能にしてきた僕だったが、こればかりは手の打ちようがなかった。銀行の融資審査には最低でも1ヶ月はかかる。クラウドファンディングを立ち上げたところで、2週間で2億円がキャッシュで口座に振り込まれるはずもない。


「ここまで、完璧にターンアラウンド・プロジェクトを進めてきたのに……。結局、あの親父の作った負債に、僕の人生は潰されるのか」


机に突っ伏した僕の視界に、1冊の古びたノートが入った。本堂の引き出しの奥で見つけた、父・義正の「住職日記」だ。何気なくページをめくった僕は、あるページで指を止めた。そこには、僕が実家を飛び出した5年前の日付が書かれていた。


『雅英と大喧嘩をした。あいつは冷徹だと言ったが、本当は違う。あいつは誰よりも傷つきやすく、だからこそ数字という絶対的な鎧をまとって、必死に戦っているんだ。東京のビジネス誌に雅英の名前が載っていた。入社以来トップセールス、か。本当にすごい奴だ。誇らしい。このボロ寺は、俺の代でめちゃくちゃにしてしまった。誰の相談でもタダで乗り、連帯保証人にまでなって、2億円もの借金を残してしまった。だけどな、雅英。俺は、お前がいつか帰ってきたくなるような、誰かの「駆け込み寺」としての新政寺を、泥にまみれてでも守り続けなきゃならんのだ。お前がいつか、その天才的な頭脳で、この場所を本当の意味で救ってくれるその日まで』


ノートの余白には、僕が東京で活躍していた頃の、小さなネット記事のスクラップが不器用に貼り付けられていた。


「なにいってんだよ、親父……」


視界が、急に激しく滲んだ。涙が、ポロポロと古い日記のページにシミを作っていく。親父は、僕を拒絶してなんていなかった。僕の合理主義を、その力を、誰よりも信じて、僕が帰る場所を守るために、あの頑固な背中で2億円の重圧に耐え続けていたのだ。


「お前に務まるか、じゃなくて……務めてみせろ、って意味だったのかよ」


僕は法衣の袖で乱暴に涙を拭い、立ち上がった。眼鏡のブリッジを強く押し上げる。脳細胞が、西新宿時代をも超える超高速のアルゴリズムで回転を始めた。


「待ってろよ、親父。僕のビジネス(ロジック)と、お前の遺産エモーションを掛け合わせたら、どんな奇跡が起きるか……あの高利貸しに、たっぷり拝ませてやる」




そして、運命のタイムリミット当日。本堂の扉が、不躾な音を立てて開け放たれた。


「さあ、約束の2週間だ。若住職さん」


黒塗りの最高級外車から降り立った東條金融の代表・東條が、2人のいかつい部下を引き連れて本堂に土足で上がってきた。その手には、新政寺の土地建物の差し押さえ書類が握られている。


「200,000,000円の一括返済、用意できたかね?まあ、無理だろうがね。大人しくそこにある立ち退き書にサインをしなさい。この美しい境内も、明日からは我が社のゴミ処理施設の建設現場だ」


東條は勝ち誇った顔で、書類を僕のデスクに叩きつけた。横で母の芳子が不安そうに僕の法衣の袖をギュッと握る。だが、僕は一歩も引かなかった。むしろ、最高に不敵な営業スマイルを浮かべてみせた。


「東條さん。あなたの言う通り、2週間で2億円の融資を受けるのは、現代の金融システムでは不可能でした」


「ほう、降伏宣言か」


「違います。融資が無理なら、別の方法でキャッシュ(現金)を調達すればいい。ビジネスの基本ですよ。……さあ、皆様!事前のアポイント通り、中へどうぞ!」


僕がパンと手を叩いた瞬間、本堂の障子が一斉に開いた。そこから雪崩のように入ってきたのは、1人や2人ではない。数十人、いや、100人を超える人間たちが、本堂の畳を埋め尽くしていった。


「な、なんだお前たちは!?」東條がうろたえる。


先頭に立っていたのは、筆頭総代の大貫さんだ。


「おいおい、東條金融さんよ。新政寺をゴミ処理施設にするなんて、地元の名士であるこの私が許すと思うかね?阿出川住職のプレゼンを聞いてな、うちの親族、本家分家、関連会社の役員総出で、新しくできる『マンション型永代供養墓』の最高級個室プランを、50人分、100年先まで生前一括大口契約させてもらったよ!」


続いて、紫色の風呂敷包みを持った佐藤さん夫婦が前に出た。


「お坊さん!東京のシニアコミュニティの友人たちに、ここのリバースモーゲージ型の樹木葬の話をしたら、みんな『ぜひ新政寺さんにお願いしたい』って、今日30人分の生前契約書と内金を持って集まりましたよ!」


さらに、死後離婚を成立させた恵美子さんが、凛とした笑顔で続けた。


「住職!私が立ち上げた『新しい一歩を踏み出す女性の会』のネット掲示板で新政寺さんの取り組みを紹介したら、大反響です!『夫と同じ墓に入りたくない』という全国の女性たちから、樹木葬【木漏れ日の詩】の生前予約申し込みが殺到しています!これ、全員分の申込書と前受金です!」


「なっ……何だと……!?」東條の顔から血の気が引いていく。


それだけではない。骨の取違いで遺骨を失いかけた高橋さんが連れてきた都内のマンション住まいの友人たち、父・義正が生前に借金の連帯保証人になってまで助けた地元の農家や商店街の人々が、全員、手に手に通帳や現金袋を持って、本堂に集まっていた。


「みんな、先代の義正さんには命を救われた恩があるんだ!」

「若住職の新しいお墓の計画なら、喜んで生前契約するよ!」「新政寺を、俺たちの駆け込み寺を、潰させてたまるか!」


100人以上の熱気と怒号が、本堂を激しく揺らす。これぞまさしく、現代の「お墓戦争」の最終局面、新政寺連合軍の総力戦だ。


僕はノートパソコンの画面をパッと東條に向けた。そこには、当寺のオンライン入金口座の画面が表示されていた。


【現在の預金残高:204,500,000円】


「東條さん。これが僕の、いや、僕と父が作った新政寺のターンアラウンド(事業再生)の結末です」僕は法衣の袖を力強く翻し、眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。


「あなたがただの『不良債権』だと思っていた2億円の借金。ですが、その裏には、父が何十年もかけて地域の人々と紡いできた、圧倒的な『エンゲージメント(信頼)』という名の見えない巨大な資産が隠されていた。僕は元IT営業マンとして、その資産を現代のニーズに合わせて『樹木葬』や『マンション型永代供養墓』という形にパッケージ化し、キャッシュに変えただけです。……200,000,000円、今、貴社の口座へ全額一括で電信振込いたしました。即時着金しているはずです。……さあ、受領書をいただけますか?」


完璧な、ぐうの音も出ない完全なるクロージング。東條はスマホの着金確認画面を見て、ブルブルと震え出した。差し押さえ書類を握りしめた手が、激しく屈辱に震えている。


「ば、馬鹿な……。こんな、宗教法人の経営再建ターンアラウンドなんて、あるわけが……っ!」


「神や仏は売上を達成してくれませんが、人と人の繋がりは、時に2億円の壁すらぶち破るんですよ。……お引き取りを、東條社長」


東條は、部下を引き連れて、這う這うの体で本堂から逃げ出していった。その背中に、本堂を埋め尽くした檀家や参拝客たちから、地鳴りのような大歓声と拍手が巻き起こった。


「雅英……本当にありがとう。お父さんも、きっと喜んでるわ」


母の芳子が僕の肩を抱いて、今度は嬉し涙をボロポロと流した。大貫さんや佐藤さんたちも、僕の周りに集まって「大した坊主だ!」と背中をバシバシと叩いてくる。


僕は、本堂の奥にある本尊、そしてその横にある父の遺影を見上げた。写真の中の頑固親父は、相変わらず不器用な顔をしていたが、心なしか、「よくやったな」と小さく笑っているように見えた。


「フッ。……終わってみれば、割と、いや……めちゃくちゃエモいじゃないか、お寺の経営ってやつも」




それから、数ヶ月後。


新政寺の境内は、見違えるほど美しく活気に満ちあふれていた。


本堂の裏手には、一本のシンボルツリーを囲むようにきれいに整理された区画が広がり、たくさんの人々が穏やかな顔でお参りに訪れている。新しく完成した、伝統ある瓦をあしらった美しいデザインの「マンション型永代供養墓」も、茨城県内はおろか都心からの見学者で連日大盛況だ。僕はすっかり、ミリ単位に刈り上げられた青い坊主頭と、墨色の法衣姿が板についていた。


「住職ー!義正がまた暴走してまーす!」


境内の向こうから、派手なミニスカート姿の大貫さんの孫・ミカが、お腹の大きなゴールデンレトリバー(サクラちゃん)のリードを引いて手を振っている。その後ろを、やんちゃなオスのゴールデンレトリバー「義正」がワンワンと元気に駆け回っていた。


「こらミカさん!境内はドッグランじゃない!あと犬の義正、本堂の柱におしっこをかけるな!資産価値が下がるだろうが!」


僕は法衣の裾を泥だらけにしながら、大声を上げて彼らを追いかけた。東京での、西新宿のガラス張りのオフィス、数字だけがすべての冷徹なコンクリートジャングル。あの頃の生活は、もう遠い過去のことのように思える。


今の僕は、泥にまみれ、人々の隠された悲しみや家族の愛に不器用により添いながら、毎日を必死に駆け抜けている。


「信仰心なんて関係ない。これはビジネスだ。……なーんてね」


僕は悪戯っぽく微笑み、青空に広がる桜の木を見上げた。

父の死をきっかけに住職になって借金を抱えたら、割と、いや、とんでもなくエモい人生が始まってしまった。


だけど、この泥だらけの法衣こそが、今の僕の、最高に誇らしいオーダーメイドスーツだ。


新米住職・阿出川雅英の、人と人を繋ぐターンアラウンド・ストーリーは、これからもこの新政寺で、ずっと、ずっと続いていく。


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