初めて会ったあの時と違って
「……、ハァ」
呪いの地、洞窟近く。
悪魔を統べる女王との戦闘でそれはもう荒れに荒れまくっていたというのに、一週間も経たない内に復興した──どころか、そこらの村が霞むほどに整えられた木造建築物、その一軒の屋根の上でのことだった。
『魔沼』が発する瘴気は以前と比べものにならず、紫の粒子で数十センチ先さえも視認できない状態であった。
ゆえに屋根の上にのぼったところで村全体を見渡すことすらできない。それこそ優れた視力を持つシロであっても、だ。
「サミシイ、ナ」
これが最善だと、シロは理解していた。
シェルファとシロは『違う』。外見一つとっても『外』では隠す必要があるほどに。
シロという存在は『外』ではシェルファの重荷となる。ならば人間に見つからず、シェルファに迷惑をかけないようにするのは当然だ。
もちろんシェルファのことは好きであり、『ツガイ』であるのでずっと会わないわけではないが、それでも会う頻度は控えめにする必要があるだろう。
それでも、寂しいと思う気持ちを消すことなんてできなかった。それだけシロの中でシェルファの存在は大きくなっているということだ。
『か、かわっ、可愛いですう!!』
初めて会った時に抱いた印象は変な奴というものでしかなかった。あの時は何やらベタベタと抱きついてきて──『外』の人間はそういうものなのだろう──素っ頓狂な声をあげる女なんてさっさと追い払ってしまえばいいと思っていたものだ。
『「ヤツ」というのは三メートルを超える巨大な一つ目野郎ですか? それなら、追い払いました。できれば仕留めたかったんですが、カウンターのみだと逃げる敵を仕留めるのは難しいものでして』
『オイ、ハラッタ……?』
変な奴は一つ目の異形と対等にやり合えるほどの力を持っていた。優れた感覚でもって他者の力をある程度は把握できるシロでもそこまでの強者だとは見抜けなかった。
しかも変な奴はシロの怪我さえも瞬く間に癒す術を知り得ていたのだ。
…… 怪我を癒すためのものだと知らず、『オマエ、クサイ、ゾ!!』と言った時はそれはもう盛大に膝から崩れ落ちていたので、今でも申し訳なく思っていたりする。
『わたくしたちもここで生活していいですか?』
『ム……』
いつの間にか一緒に過ごしていたシェルファからそう告げられた時、シロは驚いたものだった。
期間でいえば短く、しかしシェルファがそばにいるのが当たり前に感じていたから。
彼女と一緒だと楽しいと、そう思っていたからだ。
だから、
『たすけて、シロ……』
シェルファにそんなことを言わせるほどに傷つけ、追い詰めた一つ目の異形を前にして怒りが爆発した。
絶対に守ると、もう傷つけさせないと、魂が叫んでいた。
おそらくあの時にはもう、シェルファのことが好きになっていたのかもしれない。
だから、シェルファを傷つける奴はなんであれ粉砕する。一つ目の異形だろうが白と黒の竜巻だろうが悪魔を統べる女王だろうが関係ない。優れた感覚を持つシロはそれらとの力の差を嫌というほど思い知っていたが、それでも逃げるなんてカケラも考えなかった。それが、答えだろう。
「スキ、ダ」
「ぶへっふぁっ!? なっなん、あふあ!?」
胸の内から溢れる想いを、シロは口にしていた。常に思っているからでもあり、いかに瘴気が呪いの地を埋めようとも屋根をのぼってくる者の気配くらいは感知できるからでもあった。
来ているなら、そばにいるなら、想いを伝えるに決まっている。両想いだと分かった今、我慢する必要なんてどこにもない。
ゆえにシロは振り返る。
何やらわちゃわちゃしている最愛を見つめる。
「スキ、ダゾ。シェルファ」
「あ、ぁふ、あうあ……」
いつもの服と似ているが、それでいて装飾なのか魔鉱石とやらを散りばめたものを身に纏っているシェルファは熟れた果実のように顔を真っ赤にしていた。
出会った頃はこちらの意思なんてお構いなしに抱きついていたものだが、気がつけば触れ合うどころか言葉を交わすだけでもいっぱいいっぱいになっていた。
想いを伝え合う前は理解できなかったが、想いを伝え合った今なら理解できる。つまり、シェルファはシロのことが好きだからこそ気軽に言葉を交わしたり抱き合ったりできなくなったのだ。
それだけ、シロのことが好きなのだ。
「……あの、ですね」
そういう形もあるのだろう。
それ自体は当人がどうこうできるものではないのだろう。
それでも一抹の寂しさはある。
それ以上にそこまで好かれていることを嬉しく思う。
ゆっくりでいい。シェルファのペースで『ツガイ』らしい距離へ縮めていくことができればいい。
悠然と構えるのもまたオスの務め。
度量を見せてこそオスである。
だから。
しかし。
「わたくし、もっ……シロのこと! ……好きです、よ」
そんな風に絞り出すように言われてはもうダメだった。愛おしさに胸が熱くなる。
我慢、できなくなる。
「……ッッッ!!!!」
気がつけば、強引にシェルファを抱き寄せてその唇を奪っていた。
喰らうように熱烈に、それでいて怯えるように触れるだけの、それ。
本能に任せた邂逅は一瞬のものだった。
それでも、離れた後も唇には感触がありありと残っていた。
肉体の一部が触れ合っただけだというのに柔らかく、熱く、甘美な感触が痺れるように走り続けているのだ。
「ガマン、デキナカッタ」
「…………、」
「シェルファ?」
「ひゅっぁ」
じわり、と。
シェルファの目の端に涙が浮かぶ。
泣かせてしまったと、そう思った瞬間、シロの全身がサァッと冷たくなり、後悔に己を殺したくなった。
「ワッワルカッタ!! イヤ、ナ、オモイ、サセル、ツモリ、ハ、ナクテ! ダケド、ソノ、ホントウ、ワルカッタ!!」
「ち、ちがっ、違う、んですっ」
「チガウ?」
「嫌じゃ、なくて、嬉しくて。胸がきゅうって暖かくなって、幸せな気持ちになって、とにかく嬉しくて。きっきすしてくれるくらい、シロはわたくしのことを好きなんだってことが受け止めきれないくらいで、ですから、はしたないとは思うのですが、それでも!!」
ぎゅう、と。
すがりつくようにシロの肩を掴んで、涙で潤んだ瞳でシロを見上げたシェルファはこう言った。
「もっと、して……欲しい、です」
そんなの、反則だ。
そんなのは、本当に、我慢なんてできなくなる。
「アア、ワカッタ」
抱き寄せて、唇を奪う。
今度は触れ合うだけなんて言わず、長く深く存分に。
「んっんぅっ!?」
初めて会ったあの時は、こんなにもシェルファのことを好きになるだなんて思いもしなかった。
腕の中の少女をこんなにも焦がれるほどに愛おしく感じるだなんて、本当に
ーーー☆ーーー
「ただーいまーなのーっ!!」
「オカエリーっ!!」
元とはいえ公爵令嬢らしくもなくいち早くシロに会いたいからと屋根の上までのぼっていくシェルファを見送ったレッサーは猛烈な勢いで走ってくるキキを両手を広げて受け止めようとして──ゴグシャア!! と跳ね飛ばされていた。
「アアッ、レッサー!?」
「ね、熱烈な歓迎なのぉ……ぐぶう!!」
と、軽く数メートルは宙を舞ったレッサーが地面に叩きつけられる瞬間、もふもふっと彼女を受け止めるものがあった。
「わうわうっ!!」
「ガウッ!!」
「おーみんなもただいまなのっ。元気していたの?」
わうガウばうわふっ!! とレッサーをそのもふもふの身体で受け止めた子犬たちが思い思いの咆哮を返す。
レッサーはそんな彼らを撫でながら空を見上げるも、数十センチ先さえも紫のヴェールで隠された現状に、
「こうして隠してもらえたら、見せつけられることもないの」
主の幸せはもちろん大歓迎だが、それはそれとして見せつけられるのは独り身には辛いものがあった。何せメイドとして生きるのに夢中で出会いなんてこれっぽっちもなかったのだから。そのことに後悔はなくとも、それはそれとして見せつけられて平然としてはいられないものなのだ!!
……まあ、姿が見えずとも声はばっちり聞こえるので何の意味もなかったが。
「ねえキキ」
「ナニ?」
「出会い、欲しいの」
「???」
どうやらキキにはまだ早い話だったようだ。……こういう女の子に限ってさらりと良い男を捕まえたりするのだが。
「せめてキキはあたしよりも遅く良い男を捕まえて……なーのー! 今すっごく最低なこと言おうとしたのーっ!!」
「ヨク、ワカラナイ、ケド、……ウン。レッサー、ハ、コウ、ジャナイ、ト」
一人で勝手に自滅している馬鹿の頭をそれこそ幼子を慰めるように撫でながら、キキは小さく笑みを浮かべるのだった。




