後編:おろかなかれらのはじまりおわり
リアルが忙しく、間が開いてしまいました…。
閉ざされたカーテンをそっと引くと明りの消えた病室に柔らかな月光が差し込む。
私は小さなため息をそっとついてその光の中でてのひらを広げた。また、今回もダメなようだ。
「久しぶりだな。バッドエンドは」
吐息と間違えてしまいそうなほど小さな呟きは私以外の誰の耳にも届かない。
個室でよかった。滑稽に震えて、弱々しいこの呟きを誰に聞かれることもない。
彼に殺され損ねた"私"が辿るのは、言葉にするのもおぞましい未来。
あまりにも不幸なその記憶は、そもそもの原因である一番初めの私の愚かな過ちの記憶もろとも、今は転生するときには覚えていない。
負担が大きすぎたのか、月子はもちろんこのところ永い間覚えていない場合が多かったので最近の私は彼に殺されなければすべてうまくいくと勘違いしている。
最初の頃はいつもバッドエンドで、しかも転生するたびにそのおぞましい記憶をまざまざと思い出すので頭が狂いそうだった。呪いのせいで気が狂うことは許されなかったのだけれど。
不幸にならないようにとどんなに準備しても、警戒しても決して成功せず、不幸になる前に自ら死を選ぼうとしたとき、彼がようやく救いの手を差し伸べてくれたのだ。本来はとても優しい彼のことだから、おそらく裏切り者の私にさえ同情して辛すぎる未来が来ないようにしてくれたのだろう。
――きっと涙でぐちゃぐちゃになったあなたの視界では分からなかったでしょう。
私があなたに微笑んだことも。私の口が「ありがとう」と動いたのを。
私の胸を貫く彼の剣にキスしたいくらい私は嬉しかったの。
いまだってそう。"私"はあなたの剣を待っている。どうかその手で、お願いだから終わらせて。ここで生き延びて迎える未来はあまりにも辛い。あなた以外の手が"私"に伸び、あなた以外の手で殺されるのなんて我慢ができない。
それがあなたを殺し、優しいあなたに呪詛の言葉を吐き出させ、私の転生にいつまでも付き合わせてしまうひどい女に対する罰だとしても。
「こわい、こわいわ」
これからどんな恐ろしいことが私を、月子を待ち受けているのだろう。強姦?惨殺?それとも、今までよりももっと酷いこと?
ぽろぽろと涙がこぼれる。
分かっている。分かっているのだ。
全てあの男の罠にはまってしまった私のせいだ。
彼は私の裏切りと思い、私に呪いをかけた。
涙と血を流しながら、どうしてと呟きながら彼は魔女と取引をし、私の不幸を望んだ。愛していた分だけ、私を憎んだ。
しかしそれは同時に、彼の不幸の始まりだった。
優しい彼は何度も転生を繰り返すうちに、次第に私を見ると辛そうな表情をすることが多くなった。呪いを解こうとしているときだってあった。転生していくうちに擦り切れて欠けていく一番最初の記憶を必死に思い出して、私の不幸な人生が始まるぎりぎりまで私を手にかけなかった。そして手にかけるときはいつだってその瞳に悲しげな影が揺れていた。
一番最初の私、そして今の私である“ルナ”は転生後の人格の隅で、こっそりそれを見ていた。表に出ることはできなかった。転生後の人格に干渉することはできず、できることといったら今日のような美しい月夜にひっそりとルナになること以外なく、そしてルナは真実を伝えることができなかった。ペンを持つことも声を録音することも、しようとすると体が動かなくなるのだ。無力さを噛みしめながら、"私"が誤解をして"彼"をまるで自分を追いかけまわす殺人鬼であるかのように扱うのをただ見ていた。そして優しい"彼"が自分が呪いをかけたことを後悔し、何度も"私"を助けてくれる(・・・・・・・)ことに毎回安堵しているのだ。
諸悪の根源のくせに、傍観しているだけなんて、最低だ。
「……たすけて。…たすけて、ウィズ、」
それでも彼を呼び続ける私はなんて厚かましい女なんだろう。
月光に照らされながら、私はシーツを握りしめた。
――その時、
「ルナ、ルナ…?」
ノックの音とともに聞こえてきた声に、私は文字通り飛び上がった。
その声の正体はわかる。聞きなれた心地よい低い響きは間違いなく今の"彼"――英彦のものだ。
では、なぜ英彦が私の名前を知っているんだ。
これまでの転生の間で、彼は私の名前すら思い出せなくなってしまっていたはずなのに。
返事をすることもできずに口をパクパクとさせているうちに、英彦がドアを開ける。
月光が入ってきた彼の顔を照らし、その美しさに息をのむ。
「ルナ…」
もう一度彼の口からこぼれたその名に、私はようやく返すことができた。
「ウィズ、」
彼の綺麗な顔が歪む。
彼が駆け寄ってきて、痩せた腕で私を抱きしめた。痛いくらいの強さでも、まだ足りなくて私は彼の背中に腕を回す。病院着が破けるほどに掴む。顔をうずめた胸元は消毒薬の匂いでいっぱいで、彼の匂いなど分からない。そもそもウィズの匂いなどぼろぼろの記憶ではもう思い出せないのかもしれない。けれど、この薄い生地から伝わる温もりは、懐かしくていとおしい。
「ごめん、ごめんね、ウィズ…!!」
上手く口が回らない。ああ、もどかしい。
「俺が、俺がいけなかったんだ、ごめん、ルナ…!!」
お互いの震えを分かち合うように、さらに身を寄せる。もっともっととしがみつき、体の境界線すら邪魔に思う。
「…ウィズ、私…」
「何も、言わなくていい。…全て分かってる。思い出したよ、一番最初の出来事。俺は君を信じきることができず、君への想いを憎しみに変えてしまった。自分の勘違いに気付いた後も、君の呪いを解くこともできず、君を傷つけ続けた…」
私は息をのんだ。私があの男の罠に嵌ってしまったために彼を手にかけてしまったことを、彼は転生の途中で気づいていたのか。
「俺は呪いを解く方法を忘れていた。…いや、必要ないと思って、ろくに魔女の言葉を聞こうとしていなかった」
―――『ウィズダムの坊や、呪いには必ず解呪の条件をつけないと成立しないんだよ。よくお聞き、お前さんの呪いの条件は―――』
「“俺が太陽に許されること”、それが条件だった。転生後で、まだその条件を覚えている間も訳も分からず解呪には至らなかった」
「たいよう、」
「…分かるかい?…太陽。俺たちのそばに、いつもいたあの子だよ」
「…まさか、ソレイユ?」
「そう、君の助手をしていた、あの子だ。俺と君の中を取り持とうと奔走していた、誰よりも俺たちを祝福してくれていたあの子だ」
ようやく思い出した。何故忘れてしまったかと不思議に思うほどいつも一緒に居た年下の少女。私のことをお姉ちゃんと呼び、慕ってくれた妹のような存在。
「君のことを信じずに君を呪った俺を、ソレイユは憎んでいたんだろう。今の俺、英彦の時にはすでに覚えていなかったけれど、ソレイユは転生の最初の数回目にすでに一度接触したことがあったんだ」
「ソレイユも、転生していたの…?」
「ああ。俺が君にかけた呪いによって、というわけじゃなくて、ソレイユ自身が魔女と契約したらしい。――呪いの解除条件に勝手にしたのだから、自分には二人の結末を知る権利がある、と言っていた」
「…」
私は口をつぐんだ。どちらにせよ、ソレイユを私たちの転生に付き合わせてしまったことには変わりない。ソレイユにも、苦しい思いをさせてしまった。
「…そんなに悲しい顔をしないで。ソレイユは俺たちよりもはるかに残っている記憶が少ない。今回の"ソレイユ"は転生していることすら分かっていなかった」
「今回の"ソレイユ"は、もしかして、陽乃…?」
「うん。ソレイユは君の本当の妹になりたいとよくいっていたけど、本当になるとは思っていなかっただろうね」
「陽乃が…」
「さっきまで、英彦の病室で一緒に話していた。陽乃の許しの言葉で英彦は解呪の条件を思い出したんだ」
「許しの、言葉って…」
「陽乃に…ソレイユにウィズダムが許された」
「それは…!」
「もう、呪いは解けた」
彼の一言で、ようやく止まり始めた涙がまた溢れた。
声にならない嗚咽をこらえ、彼の首筋に縋り付く。
最初の記憶と、それから数々の転生で刻み付けられた記憶がごちゃごちゃに入り混じり、湧き上がるモノは、喪失、安堵、後悔、感謝、悲嘆に愛情に後ろめたさと回帰と疲労とそして――ああ、もうわからない。
でも、幾度も、数えきれないほど繰り返された地獄はもう来ない。彼と殺しあうことはもうない。それだけは分かった。
触れ合う彼の温もりが、そう教えてくれている気がした。
強く抱き返される感触に身を委ねて、私は瞳を閉じた。
ルナとウィズダムの決着はついたということで。
本編ラストとしてエピローグがございますので、よかったら月子と英彦のこれからを見てやってくださいませ。