Episode 8|研究室
◇
東京、十二月。
窓の外で銀杏が枯れている。暖房が古くて、隙間から冷気が入ってくる。
キャロルが白衣の下に何か着込んでいた。金に近い茶色の髪が、窓の光を受けている。背が小さい。
デスクが三つ。PC。棚には論文の束。コーヒーメーカー。消えかけのホワイトボード。暗号理論の研究室だ。
マコトが向こうで資料を積み上げている。年内に提出する気があるのかないのか、顔を見ればわかる。ない方だ。
「コーヒー、いる?」キャロルが言った。
「いらない」
「どうせ飲むくせに」
返事をしなかった。しばらくして、マグカップが横に置かれた。
キャロルが隣に座った。自分のPCを開いた。いつからか、こういう配置になっていた。ケイのデスクの隣。当たり前のように。
式に戻った。
展開の途中で同じ場所に詰まる。経路を省くと整合性が崩れる。省かなければ遅い。どちらでも駄目だ。マグカップを手に取った。冷めていた。
「また同じとこ?」キャロルが手元を見ずに言った。
「なんでわかるんだ」
「毎回同じ顔するから」
ケイは少し止まった。「……そうか」
「うん」
キャロルが自分の画面に目を戻した。
◇
手が、止まった。
今度は違う止まり方だった。
——定義ごと、変えればいい。
キーを叩いた。展開式が一行に収まった。
一行だった。
キャロルが顔を上げた。何も言っていない。ただ、こちらを見ていた。茶色の目だ。
画面を向けた。
キャロルが身を乗り出した。二人の横顔が、画面に並んだ。
息を止めていた。十秒かからなかった。
「変換のルール自体を変えてる」静かな声だ。「こんな発想、見たことない」
「誰もやってないから」
「なんでやってないんだろ」
「思いつかなかったんだろ」
「これ、すごいことになるよ」
「かもな」
「かもじゃないと思うけど」
マコトが顔を上げた。「解けたの?」
「解けた」
マコトが立ち上がった。「見せて」
画面を向けた。マコトが数秒見た。「……わかんない」
「そうか」
「お前のはいつもそう」マコトが苦笑した。「キャロルさんは?」
「わかる」キャロルが言った。
マコトが少し間を置いた。一瞬、キャロルを見た。「そっか」
それきり、自分のデスクに戻った。
キャロルが画面から目を上げた。
「続き、聞かせてよ。この式が何に使えるか」
「どうぞ」
先に椅子に向き直っていた。




