Episode 1|転移
◆
気がつくと、草の上に寝ていた。
背中が湿っている。空を見上げる。見知らぬ青空。
ケイは起き上がった。頭が動こうとしない。
最後の記憶は、研究室だ。夜中の三時まで論文を書いていた。コーヒーを取りに席を立ち——そこで途切れている。次の記憶がない。
周囲を見渡す。木々が高い。鳥の声がする。虫の声もする。道路がない。建物がない。アスファルトがない。人工物が何もない。
額に手を当てる。手が、かすかに震えている。
「……夢か」
にしては、土の冷たさがリアルすぎる。
◆
音がした。
葉の擦れる音ではない。もっと細かい、無数の足音だ。
茂みが揺れた。出てきたものを見て、息が止まった。
蟻だった。
ただし、体長が五十センチほどある。一列になって這い出してくる蟻だ。灰色の外骨格。眼球が六つ、それぞれが別の方向を向いている。触角の先端が薄く光っていた。
一匹、二匹、三匹。
四匹、五匹、六匹。
七匹目が出てきたところで、群れ全体が同時にこちらを向いた。
ケイは後退ろうとした。足が動かない。代わりに、右手が動いた。
空中に何かを描いている。意識より先に指が動いていた。線と記号が空中に浮かぶ。描き終わると同時に、白い光が広がった。
足音が消えた。
気づいたら、蟻が一匹もいない。焦げた地面だけが残っている。
自分の右手を見る。人差し指の先が、かすかに光っていた。呼吸の仕方を忘れている。
「……何をした、今」
自分で自分に聞いた。返事はない。
◆
「動くな!」
振り返ると、馬に乗った騎士が三人、槍をこちらに向けている。
鎧だった。本物の鎧だ。銀色に磨かれ、陽光を反射している。
騎士の一人がケイの服を見た。槍が下がる。
「転移者だ」
別の一人が馬を降りる。地面を確認し、焦げた土を指で触った。エラントの残骸を探すように視線を動かす。何もない。
騎士の顔つきが変わった。
「何匹いましたか」
「数えてる余裕がなかったんですが……七、八匹はいたと思います」
三人の騎士が顔を見合わせる。
「一人でやったのですか」
「気づいたらいなくなってました」
また顔を見合わせた。今度は長い。
騎士の一人が小声で言った。
「……八匹を一瞬で。騎士団でも小隊を組む数だぞ」
「転移直後に?」
「しかも跡形もない」
三人がケイを見る。ケイは自分の手を見ていた。まだ指先が光っている。
「あの」とケイは言った。「ここ、どこですか」
騎士たちは答えるより先に、互いの顔をもう一度見た。
初めまして。紬律と申します。
しばらくは毎日更新を続けたいと思います。
次回は翌日20時公開予定です。




