法の良心
エレノアが城に戻ると、夕食の準備が出来ていた。
ミラは、眼を真っ赤に腫らしたエレノアを見つけても何も言わなかった。
王妃が亡くなってから、城の中の日常はいつも通りに進んでいく。
エレノアは食事に向かう途中、コリンにアドバイスされたように、周りを見回すと、今までと違ったものが見えてきた。
自分を取り残して前に進む大人達。
ではなく、取り残されないように必死に日常を送る大人達。
平気なふりをして、自分を欺く。
エレノアが思っていたよりも、大人達は切り替えが出来ていないのだと気付いた。
気付いた瞬間、エレノアは頭が冷静になった。
悲しんでいたのは自分だけではないのだと。
今日は思う存分泣かせて貰った。
そして、我慢しないで泣いた事で頭もスッキリしていた。
お母様が亡くなった事は悲しい。今でも思い出すだけで涙は溢れる。だが、このまま立ち止まっていることも出来ないのだと、エレノアは漠然と思った。
夕食に集まったのは、兄弟3人。
王は王妃がいなくなってから、ともに食事をすることはない。
そして、兄弟3人が揃っても、以前のような会話は無くなっていた。
一度、悲しみに覆われてしまったら、以前のような明るさを取り戻す事は難しい。だが、このままお互いが気まずくなれば、そこに良からぬ企みを持つ者がハイエナのように集まり、最悪な場合、王族が空中分解してしまう。
そんな事、亡くなった王妃が望むわけがない。
パチン───
食事中に突然エレノアが、生前の王妃がしていたように手を叩いた。
ジョーイとパトリックは驚いてエレノアを見つめる。
エレノアはニヤリと笑った。
「明日は馬で遠乗りです。三人で行きましょう!決定事項です。」
エレノアの言葉を聞いて、パトリックは眼を輝かせ、ジョーイは頭を抱えたのだった。
──────
翌朝、エレノア達は乗馬服に身を包んでいた。
「姉様、騎士みたいです!」
ジョーイと一緒に騎乗しているパトリックが顔を綻ばせて嬉しそうに言ってきた。
「ありがとう、パトリック!貴方もカッコいいわ!」
「エレノア、なんでまた急にこんな…」
「お兄様ごめんなさい。でもあまり後にしたくなかったの。」
「エレノアの頼みだからね。しょうがないから今日の分の書類は明け方までに終わらせたよ。」
「ありがとうございます!さすがお兄様!」
エレノアの感謝に、ジョーイは苦笑しながらも安堵した。
最近は兄弟同士の雰囲気がどんどん暗くなってきていたからだ。
正直、エレノアの突然の提案には困惑したが感謝もした。
王妃の他界により、長男であるジョーイは一番多くの王妃の代行業務に時期国王第一順位という公務。そして『法の良心』というプレッシャーで押し潰されそうになっていた。
「じゃあ、今日は泉に向かう遠乗りコースにしよう。」
「同感ですわ!絶好の遠乗り日和ですしね!」
エレノア達は走り出した。
もちろん、護衛が少し後ろから付いてくる。
馬は風のように走った。
エレノアは出来るだけ馬を速く走らせ、風が気持ちいいと感じ、その感覚は久しぶりだと思い出した。
そして、横目でジョーイとパトリックを見れば、彼らも同感だったようだ。最近消えていた笑顔が浮かんでいた。
泉に着くと、一緒に持ってきたレジャーシートを木陰に敷いた。
エレノアとジョーイはそこに腰掛け、パトリックは護衛とともに泉の浅瀬に入って遊んでいる。
エレノアとジョーイは暫く沈黙が続いたが、先に口を開いたのはジョーイだった。
「今日は誘ってくれてありがとう。本来は兄である私が何か提案をするべきだった。」
二人は泉を眺めながら話し始めた。
「いいえ、お兄様は私達の負担の殆どを担ってらっしゃいます。私が自由でいられるのも、お兄様のお陰だと思っておりますの。」
エレノアはジョーイの謝辞にゆっくり首を振り、言葉を続けた。
「実際、私は自分の事しか考えられていませんでした。お母様がいなくなり、なんで私ばかりがこんなに悲しいのかと…悲しみは皆同じはずなのに。こんな時だからこそ、お兄様やパトリックと協力するべきだと反省致しました。」
エレノアの瞳は潤んでいたが力強い瞳だった。
「エレノアは強くなったんだね。」
ジョーイは苦しそうに笑った。
「私は正直、『法の良心』という肩書きが重い。」
ポツリとジョーイは弱音を吐いたが、エレノアはそのまま言葉を待った。
「いくら平気なふりをしても、内心はいつも不安だらけだよ。お母様は本当に素晴らしい『法の良心』だった。いたずらに恩赦を振りかざすわけでもなく、冷静に物事を捉えられる人物だった。それが私には出来ない。」
ジョーイは顔を両手で覆った。目の前の現実から逃れるように。
「そんなの当たり前です。」
「へっ?」
いきなりのエレノアの言葉にジョーイは呆けた顔でエレノアに振り向いた。
「お兄様は、インスタ映えやフォトジェニックってわかります?」
「え?何?急に何を言ってるの?いん…ふぉじぇ…何?何語?」
エレノアは敢えて、前世でしか聞かない言葉を言った。
「ある遠い異国の言葉ですわ。つまりそういう事ですの。」
「え…?えぇ?ちょっと、エレノアが言ってる意味がよくわからないんだけど…」
エレノアはイタズラそうに笑うが、ジョーイはますます混乱するばかりだ。
「エレノア、降参だ。教えて?」
ジョーイが両手を合わせてエレノアに懇願した。それを見てエレノアは満足そうに鼻をフフンと鳴らした。
「お母様は戦場に出ていたと聞きます。でも生憎、私達は戦場を知りません。お母様が勝ち取った経験値は何事にも変えられません。いくら私達が学んでも、それは机上の話であり別物です。唯一お母様と同じ事は平和を維持したいという気持ちだけです。親子でも知識と経験は違うものです。」
エレノアの言葉を聞いて、ジョーイは悲しそうな表情になった。
「つまりは、いつまでたっても私ではお母様には追い付かないという事かな?」
「いいえ。」
エレノアはゆっくり、言葉を選ぶ。
「お母様は直感的な方でした。ですが、お兄様はどちらかというとお父様と同じく、論理で物事を考える事が多いと思われます。お兄様はお兄様らしくあれば良いと思います。」
「そうかな…」
「公務については、何も申し上げる事は出来ませんが、辛いときの気晴らしくらいならいつでもお供致しますわ。」
ジョーイは納得していない表情だったが、エレノアはそれ以上は何も言わなかった。
人間関係で悩むのならいくらでも、相談に乗る。しかし、仕事をうまく乗り切るかどうかは自分との戦いになる。
エレノアは前世の頃から仕事に対して信念を持っていた。
そして今のジョーイに対しても、考えは同じであった。
だから、エレノアとしてのアドバイスをするだけ。そこから先はジョーイ一人で乗り越えなければ先には進めない。
─────
その夜、エレノアは眠れずにいた。
静かにベッドを抜け出すと、エレノアの足は自然と王妃の部屋に向かっていた。
部屋の前は、王妃が生きていた頃から何も変わっていない。エレノアがドアノブに手を掛けると、ドアは抵抗なく開いた。
まさか開いていると思っていなかったのか、一瞬エレノアは驚いたが、そのままゆっくり部屋に吸い込まれた。
部屋は暗いが、窓の外の月明かりでうっすらと部屋の様子は見てとれる。
「誰だ!」
「!?」
突然の鋭い声により、エレノアは思わず身体をビクつかせた。
エレノアが恐々と正面に眼を凝らすと、部屋の窓の向かい側のソファーからこちらを覗く人物がいた。
「エレノアか…」
その声でエレノアは声の主に確信を持ち、眼を見開いた。
「お父様?」
エレノアは思わず王がいるソファーへ駆け寄った。
そこには、寝間着にガウンを羽織っただけの父親が月を眺めていた。
「眠れないんですの?」
エレノアはおずおずと尋ねてみた。普段の王からは想像が出来ないような弱々しい姿だった。
「月を見ていた。」
「月…ですか?」
エレノアも王の視線を追うように月を見た。今日は満月。
不気味なくらい明るい。
「エルザはとても素敵な女性だった。」
エルザとは王妃の愛称だろう。手元のグラスに視線を落とし、王がポツリと吐き出す。
「エルザは私が王位に就くとき、『貴方が国王という太陽になるなら、私が月になって夜も太陽の光を照らす支えになろう』と言ってくれたが…。だが、私にとっての太陽は彼女ただ一人だ。」
王が持っていたグラスからは氷がカランと澄んだ音を奏でた。
「彼女を失った悲しみをゆっくり悼む事も許されない。王が弱れば国も弱る。王とは国の奴隷だ。孤独なものだな…。」
王は自嘲気味に嗤う。感情を表に出さず、葬儀でも表情を動かさなかった父親。
「でも、お母様は沢山のものを残してくれましたわ。私達家族です。」
エレノアは固く握られた王の拳に両手を置いた。
「そうだな…」
王の同意にエレノアはニッコリ微笑む。
「悲しんでお母様を悼む事も必要です。しっかり悲しんでから、お母様に恥ずかしくないような国を作って行きましょう。」
「あぁ…」
月明かりに照らされたエレノアが、エリザベートとだぶって見えたのか、一瞬王は眼を見開いたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「エレノア。もう遅い。そろそろ寝なさい。」
「はい、お父様。」
エレノアは王に言われた通り部屋から出ていこうとした。
「エレノア。ありがとう。」
王は窓に眼を向けたままだったが、エレノアは微笑むと、一礼をして部屋から出ていった。
「もう、リチャードは相変わらず無愛想なんだから!」
「そんな事言ったって仕方ないだろ!」
「良いわ。私が貴方の分まで隣で笑ってあげる!感情表現が下手っぴぃな王様!」
「下手っぴぃって失礼な…。っえ!?隣って!?」
「鈍いわねぇ。貴方がプロポーズしないから、私から結婚してあげるって言ってるの!」
「ええぇ!?エルザ!!良いのか!?王妃になる事を嫌がってなかった!?」
「仕方ないでしょ。貴方が国王という太陽になるなら、私が月になって夜も太陽の光を照らす支えになるしかないじゃないの!」
「エルザぁ!!愛してる!!一生幸せにする!!」
頬を染め照れた彼女の顔に触れようと手を伸ばすが、いくら探っても宙をさ迷うだけだ。
「エルザ…ふ…ぐふっ…うぅ…。」
肩を震わせ、嗚咽を洩らす小さな男が一人いるだけだった。
次は夕方くらいに更新予定です




