-1-
暑さを助長するように、セミの鳴き声が辺り一帯に響き渡る。
夏休みに突入し、毎日が休みとなったあたしは、積極的にムースバターの研究施設に足を運ぶようになっていた。
あたしも留架も、ケータイやスマホは持っていないけど、家の電話で連絡を入れればすぐに知念さんが迎えに来てくれる。
夏真っ盛りで、ミルちゃんは元気いっぱいだ。じっとしていても、あたしが汗びっしょりになるからだろうか。
美味しそうに血を吸う姿は、やっぱり見ていて心が癒される。
「どうして癒されるなんて思えるのか、僕には不思議でならないよ」
留架からはジト目と呆れ声を向けられたりするけど。
そう言いながらも、しっかりついてきてくれているのだから、留架も結構乗り気なのだと考えられる。
「僕は姉ちゃんだけじゃ心配だから、仕方なく行くだけだからね?」
なんて念を押してくるところも、素直じゃない留架の性格が如実に表れていて微笑ましい。
ほんと、愛い奴!
「うわっ! 汗かいてるのに、抱きついてくるなよ!」
「いいじゃない、姉弟なんだし!」
「そういう問題じゃない! ああ~、もう! 姉ちゃんのニオイがこびりつく~!」
「失礼な言い方するわね~。そんなつれない留架も可愛いけど! すりすり!」
「ぎゃ~~~~っ! 頬ずりするな~~~~!」
姉弟のごくごく自然なスキンシップに、木乃々さんは相好を崩している。
「ほんとに、仲のいい姉弟よね~」
「はい、すごく仲よしです!」「仲よくなんてないです!」
あたしの声に合わせて、留架はなぜか心にもない反対意見をかぶせてくる。
まったく、素直じゃないんだから。
「さて、今日は練習試合をしに行くわよ!」
研究所に着くなり、木乃々さんが瞳をキラリンと輝かせながら宣言した。
「練習試合、ですか?」
「そうよ! 市民体育館にムスティーク・バタイユの舞台装置があるから、そこで戦えるように申請しておいたの」
どうやら研究所ではなく、別の場所で戦うらしい。
でも萌波さんと試合するなら、この研究所にある設備でいいはずだ。
とすると、今日の対戦相手は……。
あたしの疑問に、木乃々さんはなにやらDVDらしきものを掲げる。
「ここに今日の相手が戦っている映像があるわ。試合は夕方からだから、それまでに研究しておくのよ!」
☆☆☆☆☆
テレビ画面に映し出された映像を見て、あたしは驚いた。
『ふっ! 神に選ばれしこの俺に、勝てるとでも思っているのか~い?』(ふぁさっ)
随分と長く伸ばした前髪をかき上げ、ポーズを決めつつ完全にカメラ目線で喋る男の子。
映像は練習試合の様子を記録したものみたいだけど、エルヴァーが入るエスプリ・ボワットはさほど広いスペースの取れる場所ではない。
そんなところで動きまくったら、中にある小型モニターとかマイクやスピーカーとかを壊してしまう危険性が高そうに思えるのだけど。
「それにしても、髪の毛が邪魔なら切ればいいのに」
「いや、邪魔になってるわけじゃないでしょ。あれがいいと思ってるんだと思うよ?」
隣に座って映像を見ていた留架からツッコミが入る。
「ふむ。視界の中になにかチラチラ動いてるものがないと落ち着かないタイプの人なのね」
「どういうタイプだよ!」
それはともかく。
『くっ……』
前髪の長い男性と戦っている相手は萌波さんだった。
相手の攻撃をお得意のシールドで防いではいるものの、複数のムスティークによって囲まれてはすべてを無効化できるはずもない。 萌波さんのムスティーク、シューちゃんはひたすらボコボコにされていた。
「……って、どうして向こうは団体なんですか!? 不公平すぎですよ、これ!」
怒りを覚えるあたしを、木乃々さんがなだめる。
「理葉さん、落ち着いて。あれも相手の技だから。いわゆる分身の術みたいなものね」
「そ……そんなことが……」
「エルヴァー本人は、スターシャイニングと呼んでるけど」
「スターシャイニングですか……」
木乃々さんは相手の男の子について、詳細を語ってくれた。
名前は滝瀬潤平。中学三年生らしい。あたしのひとつ上の学年ってことになる。
ムスティーク・バタイユに参加するエルヴァーは、基本的にどこかの研究所などに所属している。この人……潤平くんが所属しているのは、隣の市にある研究施設『ネオジェネレーション』だという。
あたしのいるムースバターとは距離も近いため、練習試合なども組みやすく、比較的交流の深い団体となっているようだ。
ネオジェネレーションでは、それぞれのエルヴァーに細かな設定を与え、アイドルのように展開していく戦略を採用しているのだとか。
潤平くんの場合、『ウザカッコいいムスティーク・バタイユ界のプリンス』というキャッチコピーがついている。
「ウザカッコいいプリンス……」
「まぁ、確かにそのまんまって感じだね」
映像を見続けていっても、終始そんな印象。前髪を執拗にかき上げ、上から目線の言葉を浴びせかける。
対する萌波さんは、そのウザさに爆発寸前。
『うき~~~~っ! 潤平くん! あんた、少しは黙ってなさいな!』
『ふふっ、萌波さん、キミは随分と怒りっぽいね! この俺の優雅さを見習って、もっとエレガントになるべきだよ!』
こんなことを言われたら、怒るのも当然だろう。萌波さんは会話すればするほど熱くなっていく。
ちなみに、ムスティーク・バタイユの世界では、下の名前にさんづけ、くんづけで呼ぶのが通例となっているらしい。だからあたしも、潤平くんと呼んでいたわけだけど……。
考えてみたら、男の子を下の名前で呼ぶなんて、ちょっと恥ずかしい気もするな。
『もう頭に来た! 次で決着をつけてあげるわ!』
『ふっ、望むところだよ! やれるものならやってみるがいいさ!』(ふぁさっ)
怒りに任せた単調な攻撃など、まともに決まるはずがない。
シールドもろとも突撃を試みる萌波さんのムスティーク、シューちゃんだったけど、あっさり避けられ無防備な背中をさらすことになる。
そこへ、潤平くんのムスティークがキラキラ輝きながら体当たりをかます。
『これにて、ジ・エンド!』(ふぁさっ)
一瞬にして、勝敗は決まっていた。
「って、またウチに内緒で敗北した試合の映像を……! 木乃々さん、そういうのを見せるの、やめてくださいよ!」
ちょうど試合が終わったタイミングで、萌波さんが飛び込んできた。
映像で捉えられていたのと同様に、顔を真っ赤に染めて怒鳴り散らしながら。
「いいじゃないの。理葉さんは大切な後輩よ? 相手を研究するためには最適な資料だと思うけど」
「潤平くんとの戦いなら、他の試合だってあるじゃないですか! ウチが勝った試合もあるのに、どうして無様に負けてるのを選んで見せるんですか!?」
「だって、あなたの負けっぷりを見ると、なんだか楽しい気分になれるじゃない?」
「人の不幸を楽しまないでください!」
木乃々さんと萌波さんの言い争いはどんどん激しくなっていく。
萌波さんは「がるるるる」とうなり声を上げ、噛みつかんばかりの勢いだった。
「まぁまぁ、落ち着いてください。ほんとに役立ってますから、萌波さんの試合映像。心から笑えますし!」
「笑うなっっっ!」
あたしがなだめようとすると、萌波さんはなぜか怒りの度合いを増す。
素直な思いを吐露しただけだったのに……。
しかも、これからあたしが潤平くんとの練習試合に臨むという話を聞くと、萌波さんはさらに不機嫌になる。
「どうして新人の理葉さんにだけ、練習試合が組まれてるんですか!?」
続けて、あたしも初耳の話が繰り広げられる。
「それだけじゃないわ。勝ったら鮎季さんへの挑戦権も得られることになってるの」
「な……っ!? ウチのほうこそ、リベンジしたいと常々思ってるのに!」
鮎季さん……。
前に映像を見せてもらった、あのミサイルお嬢様のことか。
県内最強のエルヴァーだとか言ってたっけ?
そんな相手と戦って、あたしなんかに勝ち目があるのだろうか。
「まずは潤平くんに勝たなきゃならないけどね。ま、場数を踏む目的のほうが強いわ」
木乃々さんは、いまだに頭から怒りの湯気を立ち昇らせている萌波さんを完全に放置して、あたしの疑問に答えてくれた。
「理葉さん、期待してるわよ?」
「あ……はい」
萌波さんに悪いな、という思いを抱えながらも、あたしは素直に頷く。
ちらっと視線を向けてみると、萌波さんはギリギリと歯を噛む音が聞こえてきそうなほど悔しそうな顔をしていた。
「あっ、そろそろ会場に向かわないとね。行くわよ、理葉さん、留架くん!」
「やっぱり僕も行くんだ……」
少々不満そうな留架も引き連れ、あたしは木乃々さんや知念さんとともに、会場となる市民体育館へと急いだ。
☆☆☆☆☆
「試合前に、適当にご飯でも食べておいて。お金はこれくらいあれば足りるわよね? 私たちは手続きがあるから行ってくるけど、迷子になっちゃダメよ?」
「もう! そんな子供扱いしないでください!」
あたしと留架は、木乃々さんからお金だけ受け取って、食堂でご飯を食べることにした。
そこは市民体育館に併設されている食堂で、随分と安い値段設定になっていた。
「姉ちゃん……こんなに暑いのにカレーなんて……。っていうか、汗かきすぎじゃない?」
「いいのよ、好きなんだから! 暑いからこそ、汗をかかなきゃ! ミルちゃんだって喜ぶし! ね~!」
――ぶぅ~~~~ん♪
ヒモにくくりつけたミルちゃんも、一緒にこの場に来ている。ミルちゃんはあたしの家族だから、木乃々さんに預けたりなんてしないのだ。
「はぁ……。べつにいいけどさ。食べ終わったあと、絶対に抱きついてこないでよ? 汗臭いんだから」
これはあれだよね? 抱きついてほしいってことの裏返しだよね?
ほ~んと、留架ってばいつもどおり、素直じゃないんだから! 愛い奴!
食事を終えたあたしは、汗びっしょりになった頬を、留架のぷにぷにほっぺにこすりつける。
留架は案の定、ぎゃーぎゃーと声を上げ、喜んでくれた。
「喜んでないから! うわっ、びちょって……。やめてよ、姉ちゃん!」
嬉しいくせに拒んでくる留架。
当然ながらスキンシップを続けるあたしだったのだけど、その視界の片隅に見覚えのある男の子の姿が映り込んできた。
「ん~?」
じっと目を凝らしてみる。
そこにいたのは、研究所で見た映像に出ていた今日の対戦相手、滝瀬潤平くんだった。
前髪が邪魔そうなあの感じ、絶対に間違いない。
ただ、明らかに雰囲気が違う。
一番端っこの席にたったひとりでひっそりと座り、壁のほうを向いてなにやらやっている。
手に持っているのは、どうやら携帯型のゲーム機のようだ。
ゲームで遊んでいるところなのだろう。随分とゲームの世界に入り込んでいるのか、たまに「た~!」とか「や~!」とか気合いの声を響かせ、「よっしゃ~!」と叫んで笑顔になったりしている。
ひとつ年上ではあるけど、ごくごく普通の男子中学生といった様子だった。
「潤平くん」
近寄って、声をかけてみる。
「うわぁ!? ……キミ、誰?」
「あ、わからないですよね。今日の対戦相手の、生田理葉です」
あたしが自己紹介して頭を下げると、潤平くんは慌ててゲーム機を手提げバッグにしまい込み、態度も一変させる。
「そ、そうか、今日の俺の息抜きの相手ってわけだね! ふっ。せめて退屈はさせないでくれたまえよ!?」
ふぁさりと前髪をかき上げ、胸を張って実に高圧的に言ってのける。
「えっと、よろしくお願いします」
右手を差し出すと、一瞬躊躇しているようだったものの、自分の服でよく手を拭ってから握手に応じてくれた。
「ま、キミなんかでは俺には勝てないと思うけどね。そうだ、少しは楽しめるように、ハンデをあげたほうがいいかな?」
「いえ、そんなのいらないです。なんか……勝てそうだし」
「ちょ……っ!? キミ、失礼じゃないか? はは~ん、俺を怒らせて冷静さを失わせようって魂胆だね? ふっ、浅はか! 実に浅はかだよ、理葉さん!」
「ん~、そういうつもりはないですけど……」
どうしてこの人は、こんなふうに喋るのだろう。
所属している研究所の方針だって話は聞いているけど……。
「とにかく、俺はもう行くよ!」
「あれ? まだ時間は結構ありますよね? あっ、ゲームの続きをするんですね!」
「な……なにを言っているんだい? 試合前の精神統一だよ! 戦いの前なんだから、当然だろう? それに、ゲーム? そんなくだらないもの、俺はしたこともないね!」
「え……さっき楽しそうに遊んでたじゃん」
留架がツッコミを入れる。
「なんのことだか、俺には全然わからないな! それでは失礼するよ! 俺の華麗な戦いぶりによって、キミも試合後には俺のファンになっていることだろう! アデュー!」
早口で言い捨て、潤平くんはそそくさと去っていった。
「変な人だったね、留架」
「姉ちゃんにだけは言われたくないだろうけどね」
「それ、どういう意味?」
「いい意味だよ」
「ふむ。ならよし!」
その直後、手続きを済ませた木乃々さんたちが戻ってきた。
あたしは微妙な気持ちを抱えたまま、試合会場へと足を踏み入れた。