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ムスティーク・バタイユ  作者: 沙φ亜竜
第4章 敵はすぐ近くにいるものだから
13/17

-3-

 激しい暑さで目が覚める。

 夏休み中なら、そんな日のほうが多いものではあるけど。

 今日はやけに頭が重い。

 頭痛がするとか吐き気がするとか、そういった症状はない。

 きっと、気が重いから頭も重いのだろう。

 それはわかっていたものの、身を起こす気力は湧かなかった。


 あたしは枕もとに置いてある小型扇風機のスイッチを入れ、寝相のせいで乱れていたタオルケットをかけ直し、二度寝の世界へ。

 寝るときにも扇風機をつけてはいたけど、タイマーをセットして一時間で切れるようにしておくのがあたし流。

 扇風機の風を受けていても、なお暑い。暑さを紛らわそうと何度も身をよじりながら、あたしはベッドの上に体を横たえ続ける。


「姉ちゃん、木乃々さんたちが迎えに来たよ? ……って、まだ寝てたの!?」


 先に起きて一階の居間にでも行っていたのだろう、留架が部屋のドアを開け放ち、そんな声を響かせた。

 寝起きの悪いあたしと違って、留架は早く目覚めることが多い。

 こんなふうにあたしを起こしてくれるのも、いつもどおりの留架の役目だとは言えるけど。


「姉ちゃんってば! 起きなよ!」


 留架は二段ベッドの階段を途中まで上り、あたしの肩に手を添えると、ゆさゆさ揺らし始めた。


「ん~~、動かさないでよ~。あたし、具合悪いんだから~」

「えっ、そうなの? 熱はなさそうだけど」


 おでこをコツンとくっつけ、熱を計る留架。

 相手が恋人だったら、別の意味で熱が出てしまうところだ。


「なんか、体がだるいの~。今日は留架だけで行って~」

「ん……わかった。熱はないけど、夏風邪の前兆かもしれないよね。ゆっくり休んでなよ?」

「うん~」


 留架が去っていく。

 ムースバター研究所の、新たなホープの誕生かな?

 これでいいんだ。留架、頑張ってね。

 なにやらモヤモヤした気持ちが、胸の奥底で渦巻いてはいた。

 だけどあたしは考えるのを放棄して、無理矢理眠りの世界に身を委ねることにした。




 気づけばもう、お昼を過ぎていた。

 頭がぼーっとする。寝ようと思えば、一日中でも眠り続けることができそうだった。

 とはいえ……つまらない。


 とりあえず上半身だけ起こし、部屋中に視線を巡らせてみる。

 枕もとの小型扇風機は止まっていた。あれから一時間以上経っているのだから当たり前だ。

 代わりに、カーテンがそよそよと風に揺れている。窓が開いているせいだ。


 あたしは夜、窓を開けっ放しにして寝たりはしない。べつに防犯意識が強いというわけではなく、単純になにか入ってきたら怖いからなのだけど。

 留架があたしを起こそうとしたときには、開いていなかったと思う。

 きっと、あたしが寝ているあいだに、お母さんが入ってきて開けてくれたのだろう。こう暑いと、室内にいても熱中症になりかねないし。


 なお、この部屋のクーラーなんてない。

 実際のところ、寝ているときにクーラーの冷たい風なんて受け続けたら、確実に風邪をひいてしまう。

 それはあたしだけでなく、留架も同じだ。


 熱中症には注意が必要だな~。

 窓は開けていないけど、寝る際には廊下側のドアを開けっ放しにしている。

 ただ、留架が先に起きると、部屋を出るときに閉めていってしまう。

 だからこそ今朝は暑さで目が覚めた、というのもあったようだ。

 もっとも、ドアが開いていたとしても、ある程度以上の気温になったら汗だくになるのは免れないのだけど。


 う~ん、まだ頭がぼやけたままだな……。

 あたしは伸びをして、少しでも頭をすっきりさせようとする。


「ふ~……」


 息をはき出すと同時に、ふと部屋の片隅、キャビネットの上に目を向けた。

 そこにはプラスチックの虫カゴが置いてある。

 もちろんそれは、ミルちゃんの家だ。


 ミルちゃん、呆れてるかな?

 あたし、飼い主失格だよね。

 ここまで考えて、思い出す。


 ミルちゃんのご飯!

 がばっ、と飛び起き、急いで二段ベッドから下りる。


 思い返してみれば、昨日の夜もあげずに寝てしまった。

 ミルちゃんのご飯。

 あたしの血。

 腕を見れば、汗がだらだらと流れている。

 ミルちゃん以外の蚊も、何匹か寄ってきていた。


「だめよ? あたしの血は、ミルちゃんだけのものなんだから」


 べつにそういうわけでもないはずなのに、まとわりつく蚊を追い払う。

 ただ、首筋の辺りがかゆい。小さな膨らみもある。すでに血を吸われていたのだ。


「む~……。でも、仕方がないか」


 蚊に刺されることなんて、普通に生活していれば避けようもない。虫除けスプレーを使ったら、ミルちゃんまで近寄れなくなってしまう。

 あたしはのそのそと虫カゴに近づいていく。

 虫カゴの中には土を敷き詰め、木の枝やら小さな草花やらも植えてある。

 そこに、ミルちゃんの姿があった。今は細い木の枝の先端に止まっている。


「ミルちゃん、ご飯だよ~!」


 虫カゴの上ブタを取り外し、声をかける。

 いつもなら勢いよく飛び出してくるミルちゃんだけど、今日は元気がない。

 暑さで動きが鈍っているのだろうか。

 ミルちゃんはふらふらと飛び立ち、汗びっしょりのあたしの腕に止まる。


「さ、たっぷり飲みなさい」


 可愛いミルちゃんの食事シーンを堪能して、安らかな気分に浸ろう。

 あたしはそう考えていたというのに。

 ミルちゃんは一旦、口を伸ばそうとはしたものの、すぐに動きを止めると、腕から離れてしまった。


「えっ? ミルちゃん?」


 窓のほうへ飛んでいこうとするミルちゃんを、くくりつけたままにしてあったヒモをつかんで、どうにか食い止める。


「ミルちゃんも、あたしのことなんてもう、必要ないって言うのね……」


 一瞬、このまま逃がしてしまってもいいのかも、と思ったけど、未練は断ち切れなかった。

 ミルちゃんを虫カゴの中に戻してフタを閉める。

 そして逃げるようにベッドに舞い戻り、タオルケットを頭からかぶった。


 眠ってしまおう。そうすれば考えなくて済む。

 あたしは静かに目を閉じた。

 その途端、部屋のドアが乱暴に開かれた。




「なんで来ないのよ!?」


 部屋に押し入ってきたのは萌波さんだった。

 木乃々さんと知念さん、それに留架の姿もある。

 一度研究所まで行き、わざわざ萌波さんたちを引き連れて戻ってきたようだ。


「だから、具合が悪いって……」

「仮病でしょ!? 昨日のことを気に病んでるだけなんでしょ!?」


 図星だった。

 気力はないけど、それは病気なんかじゃない。

 あたしは研究所に行きたくないだけだったのだ。


「下りてきなさい!」


 強引に二段ベッドから引きずり下ろされる。あたしには抵抗する力すら出せない。


「弟に一回負けたくらいで、なにをうじうじと悩んでるのよ! 負けたなら、次は勝つ。そう思えばいいだけでしょ!?」

「でも……」


 反論を返そうとするも、言葉は続かなかった。


「姉ちゃんの思いって、その程度だったの?」


 今度は留架が質問を投げかけてくる。


「え……?」

「ミルちゃん、元気ないじゃん。姉ちゃんの沈んだ気持ちが伝わってるんだよ。それだけ、つながりが強いってことなんじゃない?」


 留架はそう言って、虫カゴのフタを開けた。

 さっきと同様、若干ふらふらとしながらも、ミルちゃんが飛んでくる。

 そのままあたしの目の前まで来ると、くるりくるりと旋回し始めた。

 まるで、元気を出して、と言ってくれているように。


 いや、実際に言っている。

 声はなくても、気持ちは伝わってくる。

 あたしとミルちゃんは、家族なのだから。


「ミルちゃん……ありがとね」


 指を伸ばして、つんつんとつついてみる。


 ――ぶぅぅぅぅ~~~ん♪


 ミルちゃんは嬉しそうに、指にじゃれついてくる。

 自然と、笑みがこぼれていた。

 それでも、まだ完全に吹っ切れてはいなかったのだけど。


「さ、行くわよ!」


 あたしの腕を、萌波さんが問答無用で引っ張る。


「ちょ……ちょっと待ってください。パジャマのままなんですけど……」

「いいわよ、そのままで!」

「ええ~~~っ!?」


 木乃々さんや知念さん、それに留架も、少々呆れたような顔を見せながらも、萌波さんを止めたりはしなかった。

 結局、あたしはパジャマのままで車に乗せられ、研究所へと向かうことになってしまった。

 むぅ~。うじうじ悩んでいたあたしも悪かったとは思うけど、せめて着替えさせてくれてもいいのに~。



 ☆☆☆☆☆



 パジャマ姿のまま、あたしは研究所の中へと入った。


「練習試合をするわよ!」


 トレーナーとしての役目だと考えているのだろう、すかさず萌波さんが指示を出してくる。

 萌波さんが直々に、あたしの根性を叩き直すつもりなのかな?

 その予想は見事に外れていた。


「留架くんと戦うのよ! リベンジしなさい! 負けても、勝つまで何度でも! それくらいの気迫で!」

「は……はい……」


 勢いこそ弱かったものの、返事の声を響かせる。

 あたしは昨日、留架に負けてしまった。

 負けたままでは終わらせない。

 負け逃げは許さない、といったところか。


「姉ちゃん。僕、今日も手加減はしないから!」

「当たり前でしょ? 全力を出し切らせた上で、徹底的に負けを認めさせてあげる!」


 火花を散らし、お互いにエスプリ・ボワットへと入っていく。


「ミルちゃん、頑張ろうね!」


 ――ぶぅぅぅぅ~~~んっ!


 もちろん! とでも言わんばかりに、力強い羽音がスピーカーを通して聞こえてくる。

 ミルちゃんも元気になったみたいだ。

 血は吸っていないのに。

 考えてみたら、ミルちゃんは数日くらい血を吸わなくても、全然気にせず飛び回っていたっけ。

 元気がなかったのは留架が言っていたとおり、あたしの落ち込んだ気分が伝わっていたからだったのだ。


『それじゃ、理葉さん対留架くんの練習試合、スタートよ!』


 萌波さんの声が響く。正式な試合をイメージさせるためか、司会者役を買って出たようだ。

 それだったら、「ムースバター所属、生田理葉! ヴァーサス! 同じくムースバター所属、生田留架! ムスティーク・バタイユ、スタート~~~!」って言わないと。

 そんなツッコミが頭に浮かぶくらいだから、あたしの気持ちも随分と平常どおりに戻ってきていると言えるのだろう。


「留架なんて、さくっと倒しちゃうんだから!」

『自信過剰なのは命取りだって、学んだんじゃなかったっけ?』

「これは当然の真理よ! あたしはお姉ちゃんで、留架は弟なんだから! 人生経験の差、見せてあげる!」

『ふんっ! 姉ちゃんはおかしい上に考えが甘いんだよ! それを思い知らせてやる!』

「おかしくはないよ! 甘いとは思うけど!」

『甘いとは思うんだ……』

「汗の味とか!」

『んなわけないだろ!? 臭いし!』

「臭くない! フローラルな香りのはずよ!」

『おバカすぎる! だいたい姉ちゃん、香水とか使ってないじゃん!』

「体臭がフローラルなのよ!」

『そんな人間、いるかっての!』


 スピーカーを通して思う存分言い争いながら、姉弟ゲンカのごとき試合が展開されていく。

 実際に戦っているのはスフィア内にいるミルちゃんとチョコちゃんだけど。

 同時にエルヴァーであるあたしと留架の戦いでもある。

 ムスティーク・バタイユとは、そういうものなのだ。


「ミルちゃん、ミラージュ・アタックよ!」

『バカのひとつ覚えじゃ、勝てないよ! チョコ、スーパーストレートだ!』

「そっちこそ、バカのひとつ覚えの直線攻撃じゃない!」

『速度は上がってるんだよ!』


 留架が言ったとおり、チョコちゃんの速度は目で追えないほどだった。

 昨日戦ったときからそうではあったけど、さらにスピードアップしているように思える。

 まるでジェット戦闘機のように。


「なによ、この程度! いくら戦闘機みたいに速くたって、直線的に動くだけだってわかってたら、対処するのなんて簡単よ!」


 すなわち、進行ルートで止まって待っていればいい。

 ……といった考えは、やっぱり甘かった。


「うぐっ……!?」


 待ち構えていたミルちゃんが、チョコちゃんによって弾き飛ばされる。


『姉ちゃんはバカか!? 戦闘機の進行ルートに立ち止まってたらどうなるかなんて、幼稚園児にだってわかるよ!』

「ううう……!」


 衝撃に苦しみを漏らし、頭を抱える。

 ……いや、悩んでばかりもいられない。今は試合中だ。


『もう一度、スーパーストレートをお見舞いしてやる!』

「ミルちゃん、こっちももう一度、進行ルートに止まって応戦よ!」

『うわっ! 真のバカだ! キングオブバカだ!』

「あたしは女なんだから、クイーンでしょ!?」

『ツッコミどころは、そこでいいの!?』


 留架の叫び声が響く中、チョコちゃんが突っ込んでくる。

 ミルちゃんは、「えっ、また……?」と困惑しながらも、あたしの作戦に応じてくれた。

 凄まじい速度で迫るチョコちゃんの行く先には、ホバリングで静止しているミルちゃん。


 ぶつかる!

 その瞬間、

 ミルちゃんがふらつく。

 違う。残像を残して避けたのだ!


「名前をつけるなら、ミラージュ・ディフェンス!」

『安直だ!』


 留架のツッコミの声は、直後、驚きに変わる。

 チョコちゃんが、はね飛ばされていたからだ。


「と見せかけて攻撃する、名づけて、ミラージュ・ディフェンス・アタックよ!」

『なんだそりゃ~!?』

「しかも追い討ち攻撃のオマケつき! こっちはキツツキ・アタック!」

『蚊の口は、そういう使い方をするものじゃない~~~~!』

「常識に囚われてちゃダメなのよ!」

『やっぱり姉ちゃんの頭はおかしいよ!』

「負け犬の遠吠えね!」


 ミルちゃんのキツツキ・アタックを食らったチョコちゃんが、スフィアの底部へと向けて落下していく。

 そしてモニターに表示される、『You Win』の文字。

 留架側のモニターには今、『You Lose』と表示されていることだろう。


「勝った……。勝ったわ! やったよ、ミルちゃん!」


 ――ぶうううぅぅぅん、ぶんぶん!


 ミルちゃんも喜んでいるみたいだ。激しく羽を動かし続る音が、勝利の雄叫びのようにスピーカーから聞こえてきた。




 試合後、エスプリ・ボワットから出て留架と対面する。


「留架、手を抜いたりなんて、してないよね?」

「当たり前だよ。本気だった。本気で姉ちゃんを泣かしてやろうと思ってた」

「泣かないよ、あたしは。もう子供じゃないんだから」

「いやいや、昨日はしっかり、涙を流してたじゃん!」

「き……記憶にないもん!」


 なんだかんだと言い合いが始まってしまったけど。


「でも、よかった。元気になったね、姉ちゃん」

「もちろんよ! ……ま、感謝しておくわ!」


 お互いに右手を差し出し、がっちりと握手する。

 あたしも留架も、まだ汗びっしょりだったけど、とても清々しい気分に包まれていた。


「いい戦いでした」


 所長さんが拍手をしながら歩み寄ってくる。

 相変わらず、顔は怖い。

 ただ、その声にはいつにも増して優しさが含まれているように思えた。


 所長さんはさらに、いろいろと語ってくれた。

 まず、留架はチョコちゃんを与えてもらい、あたしと戦いはしたものの、ムースバター研究所の正規のエルヴァーにはなっていないのだという。


 実際のところ、所長さんとしては正式にスカウトしたいと考えていたみたいだけど。

 留架はその申し出を拒否した。

 あたしの能力を高めるための手伝いをする、という条件でのみ、協力を了承していただけだったのだ。


「交換条件として、研究所内では試合をするとき以外、蚊の着ぐるみを着るように約束させられちゃったけどね……」


 そう言う留架の背後には、ニマニマした顔で小さなサイズの着ぐるみを持つ木乃々さんの姿があった。

 なるほど、その条件を突きつけたのはこの人か。留架のことがお気に入りっぽかったもんね、木乃々さん。

 留架は嫌そうな表情を浮かべながら、木乃々さんに連れていかれた。

 しばらくして、蚊の着ぐるみを着た姿で再登場。


「留架~~~~! やっぱり可愛い!」


 すりすりすり。当然、頬ずりを開始。


「うが~~~~っ! だから汗臭いってば! 今日はとくに臭い! なんだこれ!?」

「ん~~。そっか、パジャマだからかな? 寝汗もたっぷり染み込んでるだろうし」

「そのせいだ~~~! うぎゃ~~~~、臭い~~~、汚い~~~~!」

「なに言ってるのよ! 大好きなお姉ちゃんを汚いだなんて! 素直じゃないな~!」


 さっきの所長さんの話を総合して考えると、留架ってば、あたしのために協力してくれたってことだもんね!

 つまり、あたしのことが大好きだって言るようなものだもんね!

 ほんとにもう、最高に愛い奴!

 あたしの両腕に包まれて、留架は幸せそうに大声を上げ続けている。


「幸せじゃないから! 離れてってば! うわっ、抱きしめるなっての! パジャマが……パジャマのニオイが……!」


 とかなんとか言っている留架の顔を、あたしは胸の辺りに思いっきりぎゅ~~~~っと抱きしめてあげた。


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