戦艦筑波
ドイツ海軍が心血を注いで築き上げた艦隊は、あまりにも惨めな末路を迎えた。
フランス海軍は沿岸防衛に徹し、艦隊決戦を挑まなかった。
そのため、「ドイチュラント」「アドミラル・シェーア」の2隻のポケット戦艦は一発も撃たないまま降伏することになった。
完成したばかりの「アドミラル・グラーフ・シュペー」に至っては、造船所に戻され、解体されることになった。
ドイツ海軍総司令官に任命されたばかりのエーリヒ・レーダー上級大将は何も出来なかったのに戦争犯罪者として投獄された。
十九隻のUボートは全て破壊され、建造中の船もスクラップになった。
潜水艦部隊の司令長官だったカール・デーニッツ提督はヴェルサイユ条約で禁止された潜水艦の建造を秘密裏に行っていた犯罪行為の責任を問われている。
こうして、ドイツ海軍の将軍達は投獄され、犯罪者としてギロチンにかけられるのを待っていた。
ドイツ海軍は完全に解体され、艦艇の大半は沈没処分されたが。一隻だけ、技術調査のためにブルターニュ半島西端の軍港ブレストへ回航されたドイチュラントには、フランスにとって見逃せない「不都合な真実」があった。
ヴェルサイユ条約で制限された基準排水量一万トンを二割も超過している。
フランス政府は条約違反を理由に追加賠償を命じた。
ドイツは第一次世界大戦の賠償に加え、ヴェルサイユ条約違反の賠償金まで支払わされることになった。
しかも財源は、禁止された軍備費を回せ、兵器を鉄クズにして売った金をよこせと、敗者に対する要求は苛烈だった。
そこへ、大日本帝国海軍が思いがけない取引を持ちかけた。
梅毒を治療できる新薬、日本が独自に完成させたその製法と交換でドイチュラントを日本海軍へ譲ってほしい。
条件はあった、薬はフランス国内でのみ使用し、国外へは輸出しないこと。
だが、その条件を呑んでもなお、フランス側に異論は出なかった。国内には推定で十万人を超える梅毒患者がいる、国家的な公衆衛生問題となっていたからだ。
それまで主流だったのは、副作用の強いサルバルサンとビスマス製剤を組み合わせる治療法である。
それに対し、日本の新薬は信じがたいほど安全で、確実に効いた。すでに臨床の現場でその効果は認められており、フランスは高値を承知で日本から買い付けていた。
その製法そのものが手に入るとなれば、飛びつかない理由はない。
こうしてフランスは、タダ同然で手に入れたポケット戦艦を国家的医療問題の解決と引き換えに売り渡した。
ついでに、キール軍港に残されていた弾薬、交換用砲身、各種予備品まで引き取らせてもらった。
それらを運ぶために、北ドイツ・ロイドが保有する大型貨客船シャルンホルストまでオマケに付けてもらった。
シャルンホルストはドイツの威光を示すべく、昭和十年の春に就航したばかりの、まだ新しい船だった。
ドイチュラントは、日本海軍籍に移されると同時に「筑波」と改名された。
先代の筑波は、明治の海軍を支えた名高い装甲巡洋艦でありながら、謎の爆発事故で沈没した不吉な名でもあった。
昭和十一年九月。
艦を引き取りにフランスのブレスト軍港へやってきた日本海軍の一団の中には、軍服こそ大日本帝国海軍大佐のそれを着ているものの、どう見ても欧州人にしか見えない男がいた。
東京の大使館にドイツ海軍駐在武官として赴任していたパウル・ヴェネッカー大佐である。
彼が日本にいるあいだに祖国ドイツは敗れ、海軍そのものが消えた。
彼は亡命したドイツ海軍士官の素性を隠し、明治の昔に日本へ渡ったドイツ人と日本人の混血だと言い張っていた。
こうしてヴェネッカー大佐は大日本帝国海軍でただ一人の異邦人大佐となっていた。
彼にとって「ドイチュラント」いまや「筑波」と呼ばれる艦を、日本海軍の軍装で見上げるのは、耐え難い屈辱であると同時に救いでもあった。
祖国の名を冠した戦艦。
他の軍艦が全て処分された今、ドイツに残された最後の軍艦だった。
最後の船を失えば、ドイツ海軍は永遠に世界から消えてしまう。
だからヴェネッカー大佐は決心していた。
この艦を守るためなら、どんな屈辱にも耐える。
日本への回航にあたり、ヴェネッカー大佐は旧ドイツ海軍の将兵に声をかけた。
ドイツ軍はすでに存在しない。
ゆえに彼らには、貨客船シャルンホルストの船員という建前が用意された。
だが、誰ひとりとしてその建前に従いたがらなかった。
貨客船に乗れと命じても、彼らは首を縦に振らない。
彼らは快適な客船ではなく、筑波となったドイチュラントに乗りたがった。
死ぬなら、この艦と共に死にたい。
その願いすら奪われた者たちは、頑として譲らなかった。
もともと余裕のない船体である。
人を詰め込めば詰め込むほど、まさに「ポケット戦艦」の名のように、人間をポケットに押し込む有様になった。
ついには抽籤まで行われた。
泣きながら外れ籤を握り潰す者もいた。
怒鳴り合いの末、殴り合い寸前になる者までいた。
それほどまでに、彼らはこの艦に執着した。
厳選に厳選を重ねても、居住区画が一杯になった。
寝台は三人で一つを交代で使い、通路にまで人があふれる。
食事も飲料水も最低限しか支給できない。
それでも、旧ドイツ海軍の将兵たちは文句を言わなかった。
彼らはドイツ海軍そのものとなったドイチュラントに乗れるならどんな苦痛も平気だった。
彼らは宝物のようにドイチュラントを磨いた。
最後に残されたドイツ海軍の誇り。
ドイツ海軍が滅びていないと信じる、唯一の拠り所だからだ。
定員を大きく超えた状態で、ブレストから日本へ向けて地球を半周する。
それが無茶であることは、誰の目にも明らかだった。
飲料水タンクの容量が足りない。
そこで船内の空所という空所に、水を満たしたドラム缶が並べられた。
わずかな隙間には乾パンと缶詰が押し込まれ、甲板にはザワークラウトと塩漬けニシンの樽がずらりと並ぶ。
それらの上から防水布を被せ、荒天でも流されぬよう、何重にも索で縛り上げた。
それでもなお、無補給で日本へたどり着くことは不可能だった。
途中で水と燃料を補給しなければならない。
昭和十一年十月
フランスを発った直後、その艦尾にぴたりと張りつくように、一隻の汚い漁船が現れた。
妙な形の船だった。
漁船にしては、船型が不自然すぎる。
やがて見張りの一人がつぶやいた。
「あれは漁船じゃない」
それは、廃船から剥がした廃材を貼り付けて漁船に偽装した潜水艦だった。
完成していた十九隻のUボートは全て破壊された。
建造中の船もスクラップになった。
だが、キールのゲルマニア造船所で昭和十一年三月二日に起工してから、建造中だったU-35だけは隠され、密かに生き延びていた。
彼らは最後の希望を託して秘密裏に潜水艦の建造を続けていた。
それは、彼らが必死で監視の目を誤魔化しながら進水させた未完成の潜水艦だった。
魚雷を撃つことも、潜ることもできぬ潜水艦未満の船が、二基のディーゼルを震わせながら、必死で追いすがってきたのだ。
言葉を交わすまでもなく、その意図は明らかだった。
自分たちも、新しい故郷へ連れて行ってくれ。
他国の目が完全に届かぬ海域まで出たところで、両船は速度を落とした。
波間に揺れる小舟で使者が渡され、ほどなくして指揮官同士が顔を合わせる。
漁船に化けたU-35を預かっていたのは、クラウス・エーヴェルト中佐だった。
彼は、再建ドイツ海軍がようやく作り上げた最初のUボート、U-1の指揮を執った男であり、祖国の潜水艦隊再興に人生を捧げてきた将校だった。
ドイチェラントだった筑波の甲板に上がったエーヴェルト中佐は断言した。
「ドイツ海軍は消えていない!」
ヴェネッカー大佐は敬礼すると力強く答えた。
「ドイチェラントはここにある!」
二人の力強い言葉を聞いた将兵は泣いていた。
予定外の客が増えた。
それは、たった一隻の未完成の潜水艦にすぎなかった。
だが、筑波となったドイチュラントは兄弟を迎え入れた。
かつての祖国の名を背負った艦は、いまや異国の軍艦として東方を目指している。
その後ろに、漁船の仮面をかぶった未完成のUボートが続く。
極東の国、大日本帝国。
彼らはみな、そこでドイツ海軍をもう一度蘇らせると信じた。
祖国は失われても、ドイツ海軍は失われていない。
新しい故郷……
その言葉だけを、胸の中で繰り返していた。




