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ラインラント事変

昭和十一年二月二十四日、フランスの国境に近い非武装地帯だったラインラントにドイツ軍の歩兵部隊十九個大隊が進駐してきた。


 ベルサイユ条約でドイツはライン川左岸以西並びに右岸沿い幅50kmに要塞等の軍事施設を建築・維持してはいけないと定められていた。

ラインラントはドイツの領土でありながら、ドイツ軍が存在してはいけない場所である。

違反した場合は連合国に対する敵対的行為であり、世界の平和を脅かす行為とみなすと明言されていた。

本来の歴史ではこの条約違反は黙認されてしまう。

その先に起きる事はフランスがドイツに負け、支配される歴史であるはずだ。


 だが、シャルル・ド・ゴールは『未来からの贈り物』によってラインラント進駐が起きることを知っていた。

黙っている気などない、今この時期にドイツ軍を粉砕しなければフランスはドイツに支配される。

シャルル・ド・ゴールはペタン元帥に懇願して一個連隊を預かる連隊長になっていた。

そして、ドイツ軍がラインラントに進駐した場合、即座にこれを排除せよとペタン元帥から命令書を預かっていた。

後の時代にフランスを救う英雄になり、第18代大統領となるシャルル・ド・ゴールはまだ新任の大佐にすぎなかった。


 シャルル・ド・ゴール大佐の指揮下にいるのは四個大隊からなる一個連隊だけ。

戦力比は4対19と絶望的な差だった。

だが『未来からの贈り物』を受け取っていたシャルル・ド・ゴール大佐の連隊は他とは全く違った。

最大の理解者であるペタン元帥の肝い入りで大量の戦車を配備してもらっていた。

そして、自分の指揮下の連隊には全く新しい戦術を仕込んでいた。

「ゲール・エクレール」

本来の歴史ならドイツ語でブリッツ・クリーク、電撃戦と呼ばれる戦術をそっくりフランス語に置き換えていた。

電撃戦に不可欠な無線は日本から輸入した是空管(ぜくうかん)ラジオで代用した。

あり合わせの無線機材を小型トラックに乗せ、移動ラジオ局を無線指揮車にしていた。

歩兵の一人一人にまで小型ラジオを持たせ、ラジオ放送で戦況を伝える。

ドイツ軍に電波妨害を行えるだけの機材も戦術もない今なら十分すぎるほど有用だった。


 ペタン元帥が戦術研究の為の実験部隊として作った連隊を預かったシャルル・ド・ゴール大佐は即座に国境を越えて部隊を進めた。

機械化された進撃速度は騎兵連隊のように早かった。

走破性が低い戦車でも、ラインラントは道路が整備され、平地が多い。

主要幹線道路にはガソリンスタンドがあるから燃料の現地調達も可能だ。

旧式な戦車でも最大速で進撃するのに十分な条件が揃っていた。


この日「ラインラント事変」と呼ばれる戦闘が始まった。


 シャルル・ド・ゴール大佐が指揮する機甲部隊はドイツ軍歩兵を蹂躙した。

ルノー D1戦車は保有する150両あまりのうち、60両がここにかき集められていた。

フランスの歩兵は戦車を盾にして突撃を敢行した。

旧式な47mm砲と7.5mm機関銃ですら再軍備をはじめたばかりのドイツ軍には驚異だった。


 そして、ドイツ歩兵を恐怖のどん底に叩き込んだのは、世界最大の重戦車シャール 2Cだった。

全長10メートルを超え、総重量69トンにもなる現時点では世界最大の重戦車。

第一次世界大戦末期に開発が始まった旧式で、昭和十一年時点ですら時代遅れだったが、稼働する十両すべてがここにあった。

時代遅れの鈍重な戦車でも、戦車どころか対戦車兵器すらろくに持たない歩兵部隊だけのドイツ軍には悪夢だった。

最高速度15キロにすぎない鈍足の重戦車でも、自分の足で走って逃げる事しか出来ない歩兵には恐ろしい早さだった。

履帯が大地を噛み砕き、鋼鉄の巨体がじりじりと迫る。

小銃弾は弾かれ、手榴弾は装甲の前に無力だった。

ドイツ軍の歩兵大隊は押し潰され、蹴散らされ、壊滅状態へと追い込まれていく。


そのとき、彼らに救いの手が差し伸べられた。


 獰猛な恐竜のように歩兵を蹂躙していた重戦車の一両が、突如として爆発四散した。

続いて二両目。三両目。

遠距離から、正確無比な砲撃で重戦車を撃ち抜く戦車がいた。

その車体には鉄十字の紋章。

そして、誇示するように大きな鉤十字旗が掲げられていた。

おそらく、昭和十一年時点で実働している戦車としては、世界で二番目に巨大な車両だった。

ドイツ国防軍大佐の軍服をまとった原乙未生中佐は、砲煙の向こうで嬉しそうにドイツ語で叫んだ。


「九五式重戦車改め、ノイバウファールツォイクだ!」


 日本とフランスが正面から戦争するわけにはいかない。

ゆえに原乙未生中佐は、義勇兵という名目で勝手にドイツ軍へ参戦していた。

より正確に言えば、彼が属していたのは、ドイツ国防軍の中でもナチス党員が固まっている一団だった。


 シャール 2Cも搭載された75ミリ砲を撃ち返したが、正面装甲に直撃してもビクともしない。

同じ75ミリでも初速が遅すぎて貫通しなかった。

鉤十字の旗を掲げたドイツ軍部隊は、日本からもたらされた新兵器を先頭に、フランス軍を押し返し始めた。

フランス側が大小合わせて多数の戦車を投入しても、数の上ではなおドイツ軍が有利である。

第一次世界大戦の延長線にすぎないフランスの戦車は一撃で粉砕された。

たった一両の戦車に次々と戦車を破壊されたシャルル・ド・ゴール大佐は後退するしかなかった。

すでに戦端が開かれた以上、後退してもよかったからだ。


シャルル・ド・ゴール大佐から合図をうけたペタン元帥は議会も大統領も無視して独断専行で命令を下した。

非武装地帯になってから一兵もいなかったラインラントにフランス軍三個師団がなだれ込んできた。

フランス大統領と議会は即時停戦を命じたが、ペタン元帥は独断専行でフランスとドイツの国境付近にいた十三個師団に命令を下した。

そして、ペタン元帥はラジオ局にも同胞を待機させ、戦端が開かれるとすぐに国民を煽った。


「終戦条約は破棄された、ドイツに制裁を!」


ペタン元帥は議会も大統領も無視して独裁者のように軍を動かした。

軍人はペタン元帥に従った。

フランスとドイツは現役総兵力で約18倍、国境付近の部隊だけでも3倍近い兵力差があった。

再軍備を始めたばかりのドイツ軍は満足に抵抗できなかった。


イギリスもラインラントに近いベルギーやオランダも必死で停戦を呼びかけた。

開戦から三週間もたって、やっとフランス政府はペタン元帥を羽交い締めにしてなんとか停戦命令を軍に徹底させた。

だが、ペタン元帥は最初からドイツ皇帝を押さえることを最優先目標として電撃作戦(ゲール・エクレール)を行っていた。

停戦命令が全軍に届いたときには、すでにフランス軍の騎兵隊がベルリンに到達して首都を占領していた。


ペタン元帥の独断専行は国家反逆罪を問うべきヤラカシだったが、国民は熱狂的に支持した。

ラインラントの町で、一両だけ残った重戦車シャール2Cの上でトリコロールの旗を振るシャルル・ド・ゴール大佐は英雄になっていた。


フランスのドイツに対する報復は苛烈な物になった。

ドイツ皇帝ルイ・フェルディナント1世はフランス騎兵隊に連行され、ベルリンから引っ越しを強要された。


皇帝ルイ・フェルディナント1世を乗せた列車はルール工業地帯とベルリンの中間にあるビーレフェルト中央駅でフランスの使節団が乗る列車と合流して止まった。

フランス政府にとって、場所はどこでも良く、要点は全権委任法によって憲法を変える権限すら持っていたドイツ皇帝ルイ・フェルディナント1世に、フランス政府が用意した新憲法に署名させ公布させるコトしか考えていなかった。

ビーレフェルト中央駅を見下ろす丘の上に立っているシュパレンブルク城に目をつけたフランス使節団は皇帝を城へ連れ込むと憲法を公布させた。

ドイツ国民は最悪の独裁者に全てを委ねてしまった事に気付いても手遅れだった。


昭和十一年四月一日に交付されたドイツの新しい憲法は公布された地名から「ビーレフェルト憲法」と呼ばれた。

それは、たった二行しかない、子供が思いついた冗談のような憲法だった。


第一条

ドイツ皇帝ルイ・フェルディナント一世を国家元首とし、全てに優越する絶対の権限を持つ。


第二条

軍備を永久に放棄する。ドイツはいかなる兵器も研究してはならず、保有してはならず、いかなる軍事訓練も受けてはならない。


ドイツ人は憲法の公布日が四月一日だった事からアプリル(エイプリル)シェアツ(フール)憲法と呼んだ。

こんなふざけた憲法が本物であるはずがない。

誰もがそう思った。

だが、それは紛れもない本物だった。


シュパレンブルク城に監禁されたドイツ皇帝ルイ・フェルディナント一世は、フランスが用意した文書に署名し、読み上げるだけの機械へと成り果てた。

「皇帝は操り人形だ」「新憲法は子供じみた冗談にすぎない」と叫ぶ抗議や騒動は、やがて『ビーレフェルトの陰謀』と呼ばれるようになった。


戦争に嫌気が差していたイギリスは、これを恒久平和の実現として賞賛した。

「世界中の国から軍隊が消えれば、戦争も消える」

オランダもベルギーもデンマークもポーランドもドイツ軍に侵略される恐怖が永遠に消える夢にすがった。

そんな無責任な礼賛が、新聞をはじめ言論界を賑わせた。

もちろん、ドイツ以外で本当に軍隊を手放す国など一つもない。


政府に無断で軍を動かしたペタン元帥の国家反逆罪は有耶無耶になり、フランスの英雄として讃えられた。

凱旋門の前に広がるエトワール広場には帰ってきたシャール2C重戦車が展示され、その上にはトリコロールの旗を掲げるシャルル・ド・ゴール大佐の銅像が乗せられた。

いつのまにか、フランスの人々はエトワール広場をシャルル・ド・ゴール広場と呼び始めた。


ドイツの小中学校では宥和政策と称して、フランス語の授業が増やされた。

フランス語の授業が増えた分、ドイツ語の授業時間を縮小したカリキュラムが作られた。


ドイツの工場は兵器の製造を一切禁止され、刃物ですら長さ制限を設けられナイフすら作れなくなった。


ドイツの警察はフランス国家憲兵の下請け組織にまで没落した。

拳銃もサーベルも所持を禁止されたドイツ警察は警棒一本で犯罪者に立ち向かわなければならなくなった。


ドイツ軍は解体され、軍人だった人々は公職に就くことすら禁止され路頭に迷っていた。

軍人以外の生き方を知らない彼らは絶望した。


ペタン元帥とシャルル・ド・ゴールの目的は単純明快だった。

「第二次世界大戦を起こさせない、フランスを二度と戦禍に巻き込ませない」

彼ら愛国者が目的を達成するための手段は容赦なく苛烈だった。

ナチス党も共産党も多くの党員が犯罪者として処刑されていった。

未来を知らないドイツ人はなぜ、ナチス党員であるだけで死刑になるのか理解出来なかった。

ペタン元帥とシャルル・ド・ゴールは恒久的な世界平和のため、ナチス党員を絶滅させるつもりだった。


停戦後、大量のフランス軍の戦車を撃破した九五式重戦車改めノイバウファールツォイクは、全ての砲弾を撃ち尽くし、故障して動けないところをフランス軍に鹵獲され、持ち去られてしまった。

ドイツにプレゼントした設計図も全てフランスに押収された。


ドイツ軍の軍服を脱ぎ捨て、日本に帰る準備をしていた原乙未生中佐は、行き場を無くしたドイツ人達に声をかけた。

彼らは、強大な猛獣を駆って自分達を助けてくれた日本人にすがった。


東方アーリア人……


アドルフ・ヒューンライン突撃隊大将が発した妄言が伝染していた。

彼らにはなぜか、日本人が持ち込んだ日本製のノイバウファールツォイクこそドイツ民族が誇るべき戦車だと思えたからだ。


日本政府は彼らを出稼ぎ労働者の名目で日本へ招待した。

ドイツが再軍備のために用意した兵器と設計図、膨大な工作機械が鉄くずの名目で日本へ輸出された。

かれらはヨーロッパに無くなった居場所を遙か遠い日本へ求めた。

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