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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
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二十八話 通達の皺


二十八話


28-1 通達の皺



役所の紙は、切れ味を見せびらかさない。

そのくせ、いちばん遅く効く。


明灯会の倉庫群に入ったのは、火事の査察でも摘発でもなく、搬入路の一時制限と衛生確認と帳簿再提出の通達だった。どれも正しい。正しいものほど声を荒げない。荒げないまま人手を奪い、段取りを奪い、逃げ道だけを細くする。


羽場桐妙子は、窓口で控えに受領印を押させた帰り、封筒を閉じながら言った。


「今夜は踏み込みません。動かします。相手に“運ぶ理由”だけを残して、“運べる道”を減らす」


高倉源三が、荷車の取っ手を握り直す。


「八百屋の棚卸しだな。棚の前を狭くして、慌てた奴が先に箱を落とすやつ」

「落とした箱だけ拾います。拾う箱を間違えると、こちらが“荒らした側”になりますから」


丁寧な声だった。柔らかい言葉の中身が硬いのは、羽場桐がいつもそういう役をやっているからだ。


東雲丈雲は少し遅れて頷いた。退役した男の頷きは、賛同というより確認に近い。


「逃げ道は残す。残した道に、影を置く。追い立てるのではなく、選ばせる。……良い線だ」


護国宗一が短く息を吐いた。


「相手が“選んだ”と思い込むように、こちらが先に線を引く。そういう事ですね」


紺野健太郎は答えず、封筒の角を見ていた。紙の角が揃っているだけで、胃の奥が少し嫌な方に動く。現場で殴るより、この手の段取りの方が人を殺す匂いがする。


「紺野少尉」


羽場桐が視線だけを向ける。命令ではない、念押しの形だ。


「今夜は、あなたが前へ出ない方がいい場面が多いです。勝っても負ける夜になりますから」


紺野は眉を動かした。


「……分かってる。分かってるが、腹は立つ」

「立っていいです。立ったまま動かないでください」


それで話は終わった。終わらせるのが正しい。こういう話は長くすると、余計な激情が混ざる。


夜。倉庫街の外れ、古い水門脇の通路。


川の匂いがする。濡れた鉄の匂いも混ざる。灯りはあるのに、足元だけが暗い。ここは荷を運ぶ人間が“見られても困らない顔”で通れる抜け道だ。だから通る。


高倉は荷車を押し、ただの配達人の顔で角を曲がる位置に立った。東雲は壁際に寄り、足元へ影を落とす。影は一つだけ。今夜は最小を選んだ。触るだけで足りるという判断だ。


護国宗一は半歩前に出た。刀は抜いていないが、抜くべき瞬間だけは身体が先に知っている姿勢だった。


紺野はもう少し後ろで、通路の奥を見た。見ているのは人の顔ではない。人の“急ぎ方”だ。急ぎ方が変なら、背後がある。


足音が走った。軽い。荷の重さがない。紙を抱えた走りだ。


東雲が声を落とす。


「来た。息が浅い。慌ててるのに、迷ってない。誘導されてる走り方だ」


高倉がぼそりと言った。


「善いことしてる顔の奴ほど、走り方が下手だ。普段は走らねえからな」


宗一がその軽口を受けず、通路へ一歩出た。


「止まりなさい。近衛です」


声は丁寧だ。丁寧な声ほど、命令に聞こえるように作れる。男が振り向く。若い。腕に腕章。明灯会の手伝いの格好だ。手には革鞄。鞄の持ち方が雑で、雑なのに鞄だけは離さない。


「……何の用ですか。俺、急いで——」


「急いでいるなら、なおさら止まってください。走って転べば、あなたが困る。困れば、あなたの後ろが困る」


宗一の言葉は刺さり方が嫌だった。優しさの形をしているのに、逃げ道を塞ぐ言い方だ。


男が半歩引いた瞬間、東雲の影が足元へ伸びた。伸びたと言っても、抱きつくわけではない。ただ、視界の端に“何かが居る”と錯覚させる程度に、影が形を持つ。


男の足が止まる。止まった拍子に、鞄の持ち手が緩む。


宗一が抜く。

刃は腕ではなく、鞄の持ち手だけを裂いた。持ち手が落ち、鞄が宙に揺れた一拍で、紺野の手が掴んだ。


「……終わりだ」


紺野の声は低い。怒鳴らない。怒鳴らない方が怖いと知っている声だ。


男が唇を噛む。抵抗の顔ではない。計算の顔だ。どこまで捨てれば生きられるかを測っている。


「返せ。俺は、ただ運べって——」

「誰に」


紺野が問うと、男の舌が一瞬だけ止まった。


言葉が止まる止まり方が不自然だった。自分で止めたのではない。止めさせられている。


宗一が続ける。


「あなたを守っているのは、明灯会ですか。それとも、その奥ですか。どちらでもいい。どちらでも、今夜はここで終わります」


男は黙った。黙るしかない。黙った時点で、もう“選んだ”ことになる。追う夜ではない。荷を落とさせる夜だ。


28-2


本部に戻ると、机の上は最初から“開ける前の形”になっていた。


羽場桐は紙を広げ、陽鳥は手袋を替え、髙倉は倉庫名と業者名を並べた表の空欄を見ている。空欄があるということは、そこへ何かが入る見込みがあるということだ。

紺野が革鞄を置く。


羽場桐の目は、鍵、留め具、切断面へ順番に落ちた。宗一の一太刀が何を守り、何を落としたかを一瞬で読み取っている。


「護国少尉。綺麗です。必要な部分だけ落ちています」

「落ちたのは持ち手だけです。中身は落としていません」


宗一の返しは丁寧で、ただの事実報告に聞こえる。だが、その事実が現場の勝ちだ。

陽鳥が鞄に手を伸ばす。


「罠があるかは私が見る。……見ない方が死ぬ罠が増えたから」

「お願いできますか」


羽場桐が言うと、陽鳥は肩をすくめた。軽い仕草で、軽いままでは終わらない。

留め具の内側を覗き、陽鳥が短く言った。


「……簡単すぎね。随分と焦ってる。開封した瞬間に中身を潰すだけの雑な仕掛けよ」


板片を差し込み、仕掛けを止める。留め具が外れる。

中に入っていたのは帳簿が二冊、鍵の写し、照合札の束、封緘袋。


羽場桐が帳簿を並べる。表向きの配布記録は整っている。もう一冊は紙質が悪く、字が急いでいる。高倉が見た瞬間に言った。


「こっちが手元だ」

「理由を」

「生活の汚れがある。足りなかった日が書いてある。腐った日の愚痴もある。嘘をつく余裕がねえ。……飯を回してる帳簿だ」


陽鳥が照合札を指で弾く。


「これ、物じゃない匂いがする」


羽場桐が顔を上げる。


「“匂い”で結論は出せません」

「出さない。けど匂いが外れるなら、外れてほしい」


高倉が札を一枚拾い、数字の飛び方だけを見る。

「物の番号なら、もう少し連続する。飛ぶのは移動だ。……人、か」


宗一が唇を引き結ぶ。紺野は黙った。黙ったまま、喉の奥が少しざらつく。人に札を付けるという行為が、紙の上で当たり前の形をしているのが気味悪い。

羽場桐はそこで、紺野を見る。


「紺野少尉。現場の“空気”を教えてください。数字に書けない方です」


紺野は少し間を置いた。淡白にしたくない時ほど、言葉は選ぶ。


「静かだった。助けられた人間が居る場所の静けさじゃない。揉める声も泣く声も薄い。……薄いのに、人の数だけはある。あれは“収まってる”じゃなくて、“収められてる”」


高倉が小さく頷く。


「腹減ってる場所は勝手に揉める。揉めねえのは、揉める気を抜かれてる時だ」


陽鳥が目を細める。


「揉める気を抜く。うん、嫌な言い方ね。でもそう言う嫌な言い方ほど当たる」


羽場桐はそれを紙に落とした。断定の形ではない。補助線の形だ。


「今夜は踏みません」


紺野が眉を動かす。


「ここまで取って?」

「ここまで取ったからです。踏めば“善意の団体を軍が荒らした”という顔で逃げられる。看板は泳がせる。看板の後ろの手を取る。責任まで引き受けられる形で」


紺野は口を閉じた。腹は立つ。だが、今夜の勝ちは斬ったことではなく、斬らずに“落とさせた”ことだ。その延長線で戦うなら、次の一手も紙になる。


28-3


翌朝。炊き出しの湯気はいつも通り上がっていた。


椀が並び、礼を言う声がある。善い景色だ。善い景色の中で、善い団体の手元だけが乱れる時がある。乱れは目立たない。だが道具に出る。


柄杓が鍋の縁を叩く回数が増える。帳面を閉じる音が強くなる。呼吸の間が短い。焦りは、湯気の向こうで癖になる。


高倉は荷車を押して前を通り過ぎた。野菜は本物だ。偽装ではない。偽装ではない方が、見られても困らない。


立ち止まらないまま目だけで見る。

先に減っているのが、値の高い野菜だった。炊き出しなら最後まで残るはずのものが、先に消えている。

角を曲がったところで、東雲が待っていた。表情は動かないが、目の焦点だけが炊き出し場の裏に置かれている。


「裏の出入りが増えた。表の手伝いが減ってる。……足が選ばれ始めてる」

「逃げ道を作ってるってことか」


高倉が低く返す。


「逃げ道を“作ってる”なら、逃げ道は“決まってる”」


その少し先の影に、紺野が立っていた。立っているだけだ。立っているだけなのに、胃の奥が張る。紙で締めた輪が、いよいよ足首を掴み始める直前の空気だ。


炊き出し場の裏。帳面を抱えた若い手伝いが走り出した。走る方向が表ではない。裏路地だ。昨日までなら誰も気にしない走り方だが、今日の走り方は違う。走る理由が、善意ではなく保全になっている。

東雲が小さく言う。


「来た」


紺野が短く返す。


「追うな。追わせろ。……今日は、選ばせる日だ」


高倉が鼻で息を吐いた。


「嫌な日だな」

「.....嫌だから効くらしい」


紺野はそう言って、走り出した足音を聞いた。

聞いたまま、まだ動かない。動かないことを選ぶのは、紺野にとっていつも苦い。だが今はそれが仕事だと分かっている。


湯気の向こうで、善意の顔が一瞬だけ崩れた。

崩れた瞬間に出る足が、次の夜の入口になる。


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