十八話 舞台裏
十八話
18-1 舞台裏
帝都の催事というものは大抵、表に出ている華やかさより裏の方が忙しい。
広場の中央に組まれた仮設舞台は昼の陽を受けて白く光り、客の入っていない客席区画にはまだ縄と柵の匂いが残っている。夕刻から始まる地域振興の合同演目、その目玉として支倉真名の名が印刷された紙は、周辺の商店の軒先から路面の掲示板まで抜かりなく貼られていた。
平時の仕事である。そう言えば聞こえは良い。
実際には、警察だけで回せる規模の催事だが、ここしばらく帝都では人の集まる場所に低位神術師が寄ってくる。目当ては財布の時もあれば騒ぎそのものの時もある。今回は「念のため」近衛に照会が入り、さらに羽場桐妙子中尉がその紙を見て、念のための念のためを重ねた。
結果として、御親領衛から出たのは二名だった。
支倉真名と樋道芳芙美。
組み合わせとしては不安しかない、と高倉源三なら言っただろうし、羽場桐も否定はしなかっただろう。だが羽場桐はそれでもこの二人を出した。理由は単純である。
人が集まる場所では、目立つ者と目立たせる者が一番使いやすい。
「ねえ樋道くん」
舞台袖の仮設控室で、真名が台本代わりの進行表を折りたたみながら言った。
「そこ座らないで。衣装皺になる」
「えー、床じゃん」
「床だから言ってるの」
樋道は不満げに口を尖らせながらも立ち上がる。女装姿は相変わらず完成度が高く、雑に立っていても一枚絵として成立するあたりが腹立たしい。本人もそれを知っているのでなお悪い。
「真名ちゃん今日なんか厳しくない?」
「現場だから」
「いつも現場じゃん」
「アイドルの現場と軍の現場を同じにしないで」
真名はそう言って、樋道の肩口を指で払った。埃は付いていない。付いていないのに払ったのは、樋道の集中がさっきから舞台ではなく鏡に向いているのを見抜いているからだ。
樋道は鼻を鳴らす。
「ボクだってちゃんとやるよ。真名ちゃんが変な男に囲まれたら分子単位で消してあげる」
「そういうのをやらないために来てるの」
「冗談だって」
冗談の顔ではない、と真名は思う。思うが言わない。言えば樋道は拗ねる。拗ねた樋道は能力と同じで雑になる。雑な正三位は催事に一番向いていない。
外では設営業者の声が飛び交っていた。照明器具の角度調整、音響の試験、来賓動線の再確認。舞台というものは始まる前が一番うるさい。始まってしまえば段取りに従うだけだが、始まる前は全員が自分の仕事を最優先だと思って動くからだ。
その喧騒の中で、真名はひとつだけ妙なものを聞いた。
いや、聞いたというより、耳が先に選んだ。
「……二消一灯でいい、だろ。今日は人が多いから」
通路の向こう、照明機材を運ぶ作業員ふうの男が、別の男にそう言った。
ごく普通の会話に見える。照明の段取りなら、灯りの数を減らして一本残すことくらいは言うだろう。催事の現場ならなおさらだ。
だが真名の指先が進行表の端で止まる。
言葉それ自体ではない。言い方だった。確認でも指示でもなく、合図のように短い。
樋道が真名の横顔を見て首を傾げる。
「どしたの」
「……何でもない」
即答したが、何でもなくはない。
羽場桐がここ数日、本部で帳簿を追っている相手の話を真名は詳しく知らない。知らないが、知らされている言葉はある。もし現場で不自然な符丁を聞いたら、意味が分からなくても覚えて帰れ。勝手に繋ぐな。騒ぐな。
それだけだ。
真名は進行表を畳み直した。
「樋道くん、ちょっと舞台周り見てくる。あなたはここで待機」
「えっ、ボクも行く」
「ダメ。あなたが一緒だと視線が増える」
「それ褒めてる?」
「半分ね」
樋道は不満そうにしながらも椅子に座り直した。こういう時、真名の言葉は通る。能力のせいだけではない。人前に立つ仕事をしている人間の「今は動くな」の重みを、樋道は案外よく知っていた。
真名は笑みを作って控室を出る。仕事の顔だ。
舞台裏の灯はまだ半分しか点いていない。
18-2
広場の人の流れは、川に似ていると言えば少し美しすぎる。
実際にはもっと濁っていて、気まぐれで、時々理由もなく逆巻く。催事の客は演目に集まるが、演目そのものより「人が集まっている場所」に集まる者もいる。視線は視線を呼び、関心は関心を増幅する。支倉真名の能力は、その当たり前の現象を少しだけ強く、少しだけはっきり触れる力だ。
『輝陽星陰』
──範囲内の人間の関心と無関心を操作する。
言葉だけ抜けば軽い。軽く聞こえる。
だが単純な力ほど骨に入る。人間は何を見て何を見ないかで行動を決める。逆に言えば、そこをずらされるだけで転び方が変わる。
真名は人混みの外縁を歩きながら、意識を薄く広げた。
広げると言っても網を投げるようなものではない。もっと地味で、もっと疲れる。注目の向きの偏りを指先で撫でるように整えていく。警備員が立つ場所へ視線を集めすぎない、来賓動線へ興味を向けさせすぎない、舞台裏の搬入口を「見えているのに気にしない」側に落としておく。
派手さはない。だが催事で一番役に立つのはこういう力だ。
「支倉さん」
背後から声をかけられ、真名は振り向いた。警察側の現場責任者らしい男が帽子を取って会釈する。
「近衛さんにまで来てもらって助かります」
「いえ。何も起きないのが一番ですから」
営業の笑顔で返す。半分は本音だ。
男は周囲を見回し、少し声を落とした。
「さっき照明業者の追加が入ってましてね。申請は通ってるんですが、時間が急で。最近はこういうの多いんですよ」
真名の目が一瞬だけ細くなる。
「追加、ですか」
「ええ。機材車一台分。書類は揃ってます」
書類は揃っている。そこが嫌なところだと真名は思う。雑な連中ならもっと分かりやすい。分かりやすければ現場で潰せる。だが紙が揃っている相手は現場だけでは潰しきれない。羽場桐の顔が浮かぶ。たぶん今ごろ本部で同じ種類の紙を見ている。
「差し支えなければ、担当名だけ見てもいいですか」
男は少し迷ったが、近衛の名札と真名本人の顔を見比べてから頷いた。祭の目玉に喧嘩を売る理由はない。
真名が受け取った控え票には、業者名と搬入担当の名がある。見慣れない名だったが、筆跡の癖だけは妙に整っていた。複写票なのに、急ごしらえにしては丁寧すぎる。
視線を上げると、搬入口の近くで先ほどの作業員ふうの男が別の箱を運んでいた。照明器具のケースに見える。見えるが重心が違う。持ち慣れた人間の持ち方ではない。
真名は警察責任者に票を返す。
「ありがとうございます。少しだけ裏を歩きますね」
「お願いします」
真名は歩きながら、能力の向きを変えた。
今度は警備の死角ではなく、搬入口の周辺にいる人間の「気づき」を少しだけ起こす。露骨にやれば騒ぎになるので、ごく薄く、何か変だと思う人間を二人三人増やす程度に止める。
関心が増えると、隠れている側は焦る。焦れば段取りが崩れる。
それで十分だ。
舞台裏の通路を曲がったところで、真名は小さく息を吐いた。樋道が居ないのは正解だった。ここで樋道が居れば、相手の不自然さに気づいた瞬間に距離を詰める。距離を詰めた樋道は強いが、その強さは催事と相性が悪い。
真名は端末を開き、短く打つ。
搬入口追加照明業者
申請票あり
符丁らしき会話「二消一灯」
現場で崩しに入る
送信先は羽場桐と高倉だった。
羽場桐は紙を読む。高倉は紙の匂いを読む。
本部側で効くのはあの二人だと、真名はもう知っている。
その時、背後から軽い足音が来た。
「やっぱり一人で動いてるじゃん」
樋道だった。
真名が振り向くより早く、樋道は真名の隣に並ぶ。顔は笑っているが目が笑っていない。珍しく空気を読んでいる顔である。
「待機って言ったでしょ」
「待機してたよ。三分は」
「短い」
「でも真名ちゃん、顔が“仕事”だった」
真名は少しだけ黙ってから言う。
「騒がないで」
「騒がない。……まだ」
その「まだ」が信用できるかどうかは半々だったが、樋道が本当に何かを察している時の勘は侮れない。
通路の先で、照明ケースがひとつ床に置かれた。
置き方が乱暴ではない。むしろ丁寧すぎる。壊したくない物の扱いだ。照明器具より、別の何かを。
真名が目線だけで樋道に合図する。樋道は小さく頷いた。
舞台の表では、開演前の音楽が流れ始めていた。
華やかな音だ。
裏では紙と視線と癖がぶつかっている。帝都らしいと言えばそれまでだが、こういう場所ほど国の歪みはよく見える。善意の催事の皮の下で、善意を隠れ蓑に使う者がいる。
真名はそのことに怒っていた。アイドルとしてではない。御親領衛としてでもない。
人前に立つ側の人間として、だ。
18-3
同じ頃、御親領衛本部では羽場桐妙子が帳簿の束を三つに分けていた。
山を崩す時に大事なのは、先に高いところから触らないことだ。高いところから触ると崩れ方が読めない。崩れ方が読めない紙は、時々人を潰す。比喩ではなく実際に潰す。軍の書類はそういうものだ。
「羽場桐中尉」
高倉源三が湯呑みを机の端に置く。湯は薄い。濃い茶を出すと羽場桐が飲まないのを知っているからだ。
「支倉さんから来ましたか」
「来たけど。……嫌な文面だな」
羽場桐は端末を見せないまま言った。見せないが、高倉にはだいたい分かる。
「追加業者?」
「ええ。しかも申請票付き。現場で崩しに入るそうです」
高倉は腕を組んだ。
「現場で崩せるならまだ良い方だ。崩せない紙は、もっと奥で押されてる」
「だから見ています」
羽場桐の手が三つの束のうち真ん中を引く。明灯会関連の寄付処理帳、備品購入記録、催事協賛名簿。表向き善性を崩さずに内部だけを締めるには、表の善を否定しないまま流れだけを細くする必要がある。
難しい仕事だ。だが羽場桐はこういう仕事を嫌っていない。好きでもない。ただ必要だと知っている。
「高倉さん、以前あなたが言っていた市場の帳面の癖」
「“釣りの丸め方”ですか」
「それです。ここの寄付記録、端数処理の揃い方が不自然です」
高倉が帳簿を受け取り、目を走らせる。八百屋の親父の目になる。軍属でも神術師でもない、商いの数字を見る目だ。
「ああ……これは綺麗すぎるな」
「綺麗すぎる」
「寄付ってのは、善意の顔してる時ほど汚れるもんです。金持ちが見栄で切る額と、貧乏人が無理して出す額は端数の癖が違う。ここは揃いすぎてる。揃えた人間がいる」
羽場桐は頷き、別の紙を差し出した。
「照明業者の搬入申請。今日付けです」
高倉は紙を見た瞬間に眉を寄せた。
「……判子が新しい」
「分かりますか」
「分かるというか、匂いが違う。紙も墨も新しいのに、書き方だけ古い。古い書式を真似てる」
羽場桐は端末に追記していく。支倉真名の現場報告と、高倉の所見を繋げる。ここで重要なのは断定しないことだ。断定は強いが、早すぎる断定は紙を殺す。紙が死ぬと次が追えない。
本部の仕事は、相手を逮捕することではない。逃げ道を減らすことだ。
そこへ、机の向こうから呑気な声が飛んだ。
「楽しそうだな」
硯荒臣である。相変わらず書類の山の向こうに座っている。いるだけで部屋の空気の重さが少し変わるのに、本人はだいたい退屈している顔をしている。
羽場桐は立たない。報告の体勢だけ整える。
「明灯会関連の催事協賛と外部業者申請に不自然な一致が見つかりました。現場では支倉さんが崩しに入っています」
「崩れるか」
「崩します」
即答だった。
荒臣は赤い目を細める。
「そういう率直な返事は好きだな」
褒め言葉に聞こえるが、羽場桐は表情を変えない。荒臣の「好き」は評価であって保障ではない。次の瞬間にはもっと面倒な仕事が飛んでくる。
実際飛んできた。
「なら高倉君も行け。数字の鼻は現場で使った方が早い」
高倉が目を丸くする。
「俺ですか? 八百屋ですけど」
「知っている。だからだ。軍人は書類を正しく読むが、商人は書類の嘘を嗅ぐ」
高倉は困ったように頭を掻いた。否定しにくい言い方をされると弱い。
羽場桐はもう端末で車両申請を書き始めている。早い。荒臣が気まぐれで言ったことを気まぐれのまま終わらせない速度だ。
「高倉さん、現場同行お願いします。表向きは搬入経路の安全確認補助です」
「表向きって言葉がもう怖いなあ……」
「怖くない仕事は御親領衛にありません」
「それはそう」
高倉が立ち上がる。
羽場桐は支倉真名へ短く返した。
了解
崩し継続
高倉向かわせる
騒ぎは起こさないでください
送信を終えた指が一瞬止まる。
騒ぎは起こさないでください。
催事の現場に樋道芳芙美がいることを思い出して書き足そうとして、羽場桐はやめた。書いたところで遅い。支倉真名は分かっている。分かっているから樋道を使う時は最後まで使う。
荒臣が湯呑みを手に取りながら言う。
「中尉」
「はい」
「善いことをしている連中は厄介だな」
羽場桐は紙から目を離さず答えた。
「善いことをしている顔をしている連中の方が厄介です」
荒臣は少し笑った。
「訂正できるならまだ大丈夫だ」
本部の紙はまだ生きている。現場の灯もまだ点いたままだ。
帝都の歪みは簡単には正されない。そんなことは最初から分かっている。分かった上で、今夜一つ潰す。善意を壊すのではなく、善意の内側に潜った手だけを剥がす。
手間のかかる仕事だ。
だが手間を惜しんだ先にあるものを、この部隊は何度も見てきた。
だからやる。
紙でも灯でも、先に消すべきものは選べる。




