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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
132/193

百三十話 園業律心斎


百三十話


130-1 園業律心斎



園業律心斎が広場へ降りた時、東都の音が一枚、剥がれた。


爆発ではない。号令でもない。

ただ、第二首都庁舎群北東の広場を横切る空気が、遅れて目を覚ましたように固まっただけだ。


重さ、と呼ぶのがいちばん近い。

だが、上から押し潰される感じではなかった。先に変わったのは地面の方だった。まだ何一つ壊れていない。壊れていないくせに、揃ってここから先は、同じ値段では通れないのだと言い張り始める。

凛藤はその変化を見た。

見たうえで、一歩だけ前へ出る。


「下がれ」


命令の向く先は、兵でも御親領衛でもない。

場そのものだった。

搬送帯、警備帯、仮設導線、庁舎群のガラス壁、緊急車両の退避路――そこへまとめてここから先は守護の戦場だと叩き込む声だった。


園業は笑わない。

その顔にあるのは歓喜ではなく、確認だ。

ようやく届く位置へ来た。

その一点だけを、静かに確かめる顔だった。


「まだ立て直す気か、凛藤義貞」

「当然だ」


凛藤の返答は短い。


「東都は第二首都だ。地方の一角とは違う。お前の私闘の舞台にしていい街ではない」


その一言で、園業の目だけがわずかに細くなった。

私闘。

言葉は、たしかに的を射ていた。


「私闘、ね」


園業が言う。


「言葉は正しい。だが、正しいから何だ。国を動かす時、人は皆もっと大きな言葉を使う。私はそれが嫌いなだけだ」


そのやり取りを、紺野は南西連絡帯の影から聞いていた。


大義を喋る気は無い。

最初からそのつもりも無い。

東都制圧も、陸軍の発言権も、もうこの男の中では前座へ落ちている。

目の前の守護へ届く機会――それだけが、園業律心斎を前へ出している。


東都の空はまだ青かった。

それが、いちばん嫌だった。

第二首都庁舎群のガラス壁は朝の光を正しく返し、中央駅の高い屋根も、車列を通す路面も、遠目にはまだ国家の機能そのものに見える。燃えていない。崩れていない。悲鳴もまだ街全体を覆うほどではない。

なのに、ここにいる者は皆もう知っていた。


街は壊れてから死ぬのではない。

立ち方を変えられた時点で、都市は半分終わる。

その半分終わった街の中央に、今は二人の守護だけが立っている。


東方守護、凛藤義貞。

万をに越える術を同時に回し、戦場そのものを自分の手順へ組み替える従二位の極致。

神術大聖スペルシーカー


北方守護、園業律心斎。

喰ったものをそのまま次の歩幅と次の質量へ変えていく、暴食の怪物。

一騎夜行ナイトウォーカー


第二首都庁舎群北東の広場は、搬送帯と警備帯と仮設の導線が何重にも噛み合った場所だった。人が立つ理由、車が通る理由、兵を置く理由、その全部が重なりすぎている。だから並の人間は、踏み入るだけで場の意味に圧し潰される。


だからこそ、この二人はそこへ立つ。


紺野の横で、陽鳥が端末を握る。

宗一が止血線を維持し、東雲が外周の緩衝を持ち、真名が駅側の群衆流を捌き、志摩が減衰の流れを読み、綾瀬が切断線の狂いを拾う。

御親領衛の仕事は変わらない。

変わらないが、広場の中央にいる二人だけは、もう街ひとつ分の意味で呼吸している。


園業が一歩、前へ出た。


踏み出した足先から、身体が闇に包まれていく。光さえ引き戻すような、密度を持った暗さだった。

そこで初めて、東都駐屯混成の若い兵たちがその異様さを理解した。


巨大、という言葉では浅い。

人間をそのまま拡大した姿ではない。肩幅も腕の太さも脚の節の長さも背筋の反りも、全部が大きい人型ではなく喰い集めた都合を無理やり人の形へ押し戻したものに見える。


庁舎一層ぶんほどの高さ。

だが、そう見えた時点で負けだった。

本来それで収まるものではない。

東都の一角で使うためだけに、もっと大きく、もっと理不尽で手に負えないものを、そこまで捻じ伏せて押し込めている。大きくあることをやめたのではない。巨大であるという事実そのものを、この広場の都合へ折り畳んでいる。


圧縮された肉塊。

そうとしか言えない姿だった。


一騎夜行。


捕食で肥大する北方守護の能力。

本来の規模は、こんなもので済まない。済まないからこそ、今この建物一層ぶんの怪物が逆に不気味だった。

園業はその歪んだ巨躯のまま、静かに言った。


「ようやく前へ出てきたか、義貞」


凛藤は答えない。

答える代わりに、右手の指先だけをわずかに動かした。

その瞬間、広場の空気が変わる。


130-2


凛藤は、まだ一歩も深く踏み込んでいなかった。

それなのに景色が先に壊れていく。


いや、壊れているのではない。

使い方が変わる。

路面の白線が、ただの区切りではなくなる。踏み越えた足首を断つ境界へ変わる。

建物の影が、ただの影ではなくなる。そこへ体重を乗せた人間の姿勢を崩す罠へ変わる。

庁舎群の窓の反射が、ただの朝日ではなくなる。目測を半拍遅らせる眩しさへ変わる。

地面の下に走った術式は、踏み込みに合わせて槍にも壁にも拘束にもなる。


標識の支柱、搬送車両の側面、排水溝の金網、警備帯のロープ、そういうそこにあるだけだった物の全部に、役割が追加されていく。

陽鳥が目を細めた。


「……来る」


樋道が喉を鳴らす。


「……これが全部、術?」

「全部よ」


陽鳥は短く答えた。

全部。

そう言うしかない。

凛藤義貞の術式は、派手に撃つためのものではない。

戦場に置ける手を、先に全部置くためのものだ。


切る手。

逸らす手。

止める手。

拘束する手。

爆ぜさせる手。

受ける手。

護る手。

外す手。


その全部が、空間そのものへ埋め込まれていく。

万単位の術式とは、数が多いというだけではない。

人間がこの場で取り得る行動の数だけ、先に答えが置いてあるということだ。


左へ避ける。右へ退く。跳ぶ。伏せる。踏み込む。隠す。流す。守る。殺す。

その全部の"次"に、もう凛藤の手順が待っている。

だから厄介なのだ。

強いからではない。強さが、いつも整理と先回りの形で出るからだ。


広場北側に残っていた路面の優先が一列だけ剥がれる。

庁舎群西側へ寄せられていた障害物から、人を止める理由が変えられる。

地面の流れが、まだ動ききる前に都合のよい方向へ寄せられる。

破壊ではない。

先回りだ。

場の意味を、敵より先に書き換える暴力だった。

宗一が無線へ低く落とす。


『護国少尉より各員。東方守護が盤面へ入った。止血線、現状維持。余計な勇気を出すな。今出ると、敵じゃなく場に殺されるぞ』


誰も反論しない。

反論の余地が無い。

今、広場に立っているのは、そういう存在だった。


園業は、その万単位の術式の網の中で、初めて肩を揺らした。

笑ったのではない。

重さのかけ方を変えたのだ。


園業を包む闇が一段深まり、光を呑む。

人間の原形をかろうじて残していた巨躯が、そこで初めて"捕食者の骨格"を露わにする。


腕が長い。

長いというより、届く。

脚は太いのに床へ沈まず、次の一歩だけを高く買っている。

背筋はわずかに反り、その姿勢だけで分かる。前へ倒れ込めば、人間ひとり程度なら踏む必要もなく飲み込める。その姿は、もはや人より獣に近い。

綾瀬が息を呑んだ。


『……あれで抑えてるんですか』


陽鳥が低く返す。


「そう。あれで"収めてる"」


言葉にすれば建物一層分。

だが、そこへ収める前のものを全員が想像してしまう。想像してしまうから、今の形が余計に怖い。


本来収まりきらない膨大な質量を、広場で殺すのに都合のいい形へ折り畳んでいる。


園業が踏み込んだ。

同時に、凛藤の術式が一斉に噛みつく。

舗装の下から不可視の槍がせり上がる。

白線が刃へ変わり、踏み出した脚の軌道を断とうとする。

窓の反射が視界を焼き、物体の影が足を絡め、支柱に仕込まれた拘束が腕の振りを遅らせる。

上からは重量。横からは斬線。正面には逸らし。背後には追撃。

止めるための手を、凛藤は一度に全部ぶつけた。


それでも園業は止まらない。

耐えているのではない。

喰っていた。

術式がぶつかるたび、園業の身体表面がわずかに脈打つ。削られているように見えて、その実、ぶつけられた意味ごと噛み砕いている。


一騎夜行は、終わらせない前進の能力だ。

捕食で肥大する。

だが、その本質は大きくなることではない。

喰ったものを自分の中へ取り込み、薪にして次の歩みへ変えることにある。


「厄介だな」


宗一が呟いた。 


「ああ」


東雲が返す。


「正面から削るほど、向こうの体勢が広がる」


ただ大きい怪物ではない。

喰われたものがそのまま次の歩幅になる怪物。

だから、凛藤は数える事すら出来ない術理で園業止めながらも、一撃を決定打へ変えきれない。

削れば削るほど、次に何を喰うか読む手間が増える。


130-3


第二首都庁舎群北東の舗装が、中央から輪のように沈んだ。


陥没ではない。

ここに立つ理由そのものが重みに耐え切れず、遅れて地面へ出ただけだ。

並んだ支柱が根こそぎ捻じれ、地面の白線は砕け、

場所そのものが、人がここを存在して良いという意味を失ってゆく。


最初に悲鳴を上げたのは、人ではなく広場だった。

凛藤が術式を維持したまま、一歩前へ出る。

その一歩で、広場の空気が裂ける。

見えない何かが裂けたのではない。

凛藤が置いていた術式のうち、半数近くが一度に"攻める役"へ変わったのだ。


境界を区切るあらゆる線という線が、斬線そのものへ変わる。

地面の下に潜っていた術が、全方位から槍の隊列としてせり上がる。

反射は眩しさではなく、目を潰す閃きへ変わる。

物体の影は足を絡めるだけでなく、そのまま身体に絡みつき引き裂く鎖に変わる。

そこにある全てが、本来在るべき定義の変更を主張する。


園業は受ける。

受けながら前へ出る。


押し込められた巨躯は、重いはずであるのに軽い。

重いのに、一歩ごとの沈みが浅い。

浅いからこそ怖い。

普通の重量物なら、自重で広く立つ。だが園業は違う。膨大な質量を支えるために足場を食うのではなく、その全部を次の前進へ変えている。重さが停滞ではなく、加速の原資になっている。


紺野はその交錯から目を逸らせなかった。

前へ出ているのは二人だけだ。

だが、広場全体が二人分の格差に悲鳴を上げている。

戦っているのではない。

第二首都の一角に、国家級の出力が二つ、そのまま立っている。

それだけで場の方が先に、ここは元から人が立つ場所ではないと言い始める。


凛藤の術が、一段深くなる。

外から見える術式の数が減る。

減ったのではない。外へ見せる必要が無くなった。

場全体へ伸ばしていた手を整理し、そのぶんをもう少しだけ自分の近くへ寄せている。


陽鳥が端末越しに言った。


「紺野少尉。あの人、まだ切ってない」

「何をだ」

「もっと深い方。外に置く手を、まだ捨て切ってない」


それだけで通じる。

凛藤にはまだある。

場所を守る手数を捨てて、自分を一本の刃へ閉じる手が。

だが、まだ切っていない。

切っていないということは、まだこの街を守る意味を捨てていないということだ。


次の瞬間、園業の肩口へ凛藤の術が初めてまともに入った。

光も爆発も無い。

ただ、押し込められた巨躯が一瞬だけぶれる。

遅れて、左肩の外殻めいた闇が一層だけ削がれた。

血ではなく、喰いかけの夜が零れたような色だった。

園業が、そこで初めてはっきり笑う。


「良いな」


低い声が広場の上で、妙に楽しそうに響く。


「ようやく私の値段を見るか」


凛藤は答えない。

答える代わりに、次の術式を積む。


一万。二万──

そんな数え方にはもう意味が無い。

場の上へ載せられる答えの総量こそが、東方守護の戦い方だった。

宗一が無線へ落とす。


『護国少尉より各員。これ以上寄るな。あそこは二人の戦場じゃない。第二首都の一角ごと切り離された穴だと思え』


誰も逆らわなかった。

逆らえる段ではない。


130-4


凛藤が二度目の踏み込みを入れた時、園業の形が変わった。


大きくなるのではない。

その逆だった。

押し込められた巨躯が、さらに"この広場で殺すのに向いた怪物"の形へ詰まる。

肩が前へ落ちる。首が埋まり、両腕の長さだけが強調される。

人型を捨てたのではない。人型であることを、殴るため、掴むため、喰うための都合へ寄せた。


「……悪趣味だな」


紺野が低く言う。

陽鳥が短く返す。


「うん。まだ広がる前なのに、もう今この場所で一番殺しやすい形になってる」


それが一騎夜行だった。

肥大する闇そのものが本質ではない。

捕食で増え、場に合わせて形を変え、相手に最も効率的な形へ自分を寄せる。

凛藤はそこで初めて、はっきり舌打ちした。


珍しい。

珍しいからこそ、その値段が分かる。


次の瞬間、広場の上空と地表へ置いていた術式の半分が消える。

消えたのではない。

全部、凛藤の方へ戻った。


骨。筋。神経。血流。呼吸。視界。踏み込み。捻り。打撃。回避。

物理だけでは無い、あらゆる概念を内包した膨大な術式が、外側から内側へ、凛藤の内部へだけ閉じる。

陽鳥の声が一段低くなった。


「来る」


紺野は無意識に息を止める。

ようやく分かった。

ここまでの凛藤義貞は、まだこの街を使って戦っていた。

ここから先は違う。

守るための手数を削り、自分自身を目的を果たす為の演算装置に変える。


広場の温度が下がる。

終わりが見えたからではない。

やっと、この二人の戦いが遠くから見える守護戦ではなく、本当にどちらかがどちらかを叩き切る段へ入ったからだ。


凛藤が前へ出る。

園業も前へ出る。

今度は万単位の術式だけでも、一騎夜行の圧縮された闇だけでもない。

東方守護と北方守護。

その二人だけが持つ最後の札同士が、第二首都庁舎群北東の広場でようやく噛み合う。


東都はまだ立っている。

凛藤も園業も、未だ互いを削り切れていない。


凛藤がどれだけ術式を積み上げても、園業はその値段を喰って次の歩幅へ変える。

園業がどれだけ押し込めた怪物の姿で喰らいついても、凛藤はまだ最後まで自分を閉じ切っていない。

どちらもまだ折れていない。

だからこそ、この戦いは一撃では終わらない。


広大な東都にはまだ街と人の息が流れている。

それでも、この場所だけは既に理外の領域に染まっている。


勝敗はまだつかない。

だが、守護同士の衝突の意味は東都の最も深い部分に刻み込まれ始めていた。


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