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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
128/193

百二十六話 先遣

百二十六話


126-1 先遣



帝都を出た車列は、最初の一時間だけ妙に普通だった。

道路がある。

料金所がある。

連絡橋がある。

休止帯の白線があり、案内標識があり、途中で追い越していく民間の輸送車までいる。

どこにも爆煙は見えず、空にも砲声の残り香は無い。

それなのに、ハンドルを握る近衛の運転兵だけがずっと硬い。前方の道路ではなく、次に届く命令の方を見ながら車を走らせている顔だった。


紺野健太郎は後部座席で肘を膝へ置き、窓の外を見ていた。

右手が膝の横で一度握られる。

前へ出られないから苛立っているのではない。前へ出る前に、もう盤面が細っているのが見えるから腹が立つ。


同じ車内に珠洲原陽鳥。

端末を膝に載せ、ほとんど瞬きもせず外の標識と車列の間隔を見ている。喉はまだ完全には戻っていないのだろう。だが、こういう時の陽鳥はむしろ静かすぎるほど頭が回る。


向かいには樋道芳芙美。

今日ばかりはさすがに脚を組まない。組めば楽な顔を作れるのに、それをしない。自分がこれからやらされる“壊さない仕事”の値段を、ちゃんと知っているからだ。


後続車両に志摩龍二と護国綾瀬。

無線越しに入ってくる声は短い。短いが、それで十分だった。

東都へ近づくほど、皆の言葉は減る。

喋っても値段が下がらないと分かる場所へ、もう入っている。


「健ちゃん」


陽鳥が目を上げずに言った。


「言え」

「三つ。一つ、救急指定車両の数が多い。多いのに、走ってる速度が遅い。二つ、逆走の避難車両が少なすぎる。避難が始まってるなら、もっと荒れる。三つ、一般車両だけが“遠慮する速度”になってる」


紺野は外を見る。

確かにそうだった。

白い搬送車。

庁舎管理の識別票。

緊急物資の赤い札。


それらは妙に迷いが無い。

逆に一般車は、止められているわけではないのに、どこまで前へ出ていいか自分で測りながら走っている。

道路が混んでいるのではない。

道路の意味だけが、既に選別されている。


「まだ何も始まってない顔してやがる」


紺野が低く言う。

陽鳥が小さく頷く。


「始まった後の顔だけ、先に配られてる」


それがいちばん嫌だった。

東都はまだ燃えていない。

だが、街の順番だけはもう“燃えた後にどう動くか”で組み直されている。


車列は帝都東郊の高速輸送線を東へ切り、そのまま東都外縁の第二受け入れ線へ向かう。

本来なら、そこには正規軍の増援車列が幾つも入っていていい。


帝都近衛第二師団。

西都近衛第一師団からの工兵支援。

東都駐屯混成の繋ぎ。


数字だけなら、東都はとっくにもっと厚く守られていていい。

いない。

いないのではない。

来る前に死んでいる。

道路そのものが少しずつ細くなっていくように見えた。

本当に幅が削られているのではない。

通っていい理由だけが一つずつ先に取り上げられていく時、道はこういう顔になる。


東都へ向かう輸送線はまだ生きている。

完全封鎖ではない。

車線も生き、橋も生き、料金所も機能している。

それでも、第二首都へ届く頃には、その血流は既に選別済みのものに変わっている。

都市はまだ立っている。

だが立ち方の方は、もう別のものになり始めていた。


126-2


東都東外縁の受け入れ線は、整いすぎていた。

白線。

誘導帯。

識別票再発行の仮設机。

燃料再配分台。

応急整備用の天幕。

負傷者分離帯。

全部ある。

全部あるのに、そこへ入ってくるはずだった大部隊の影だけが無い。


宗一が待っていた。

近衛少尉の軍装のまま、立ち姿だけがもう半日分疲れている。


「護国少尉」


紺野が車を降りるなり言う。

宗一は敬礼を省いた。

省いたのではない。もうそういう段ではない。


「遅くはありません。ですが、正規の後詰めは前提から外してください」


最初の一言がそれだった。

説明でも挨拶でもない。現場の値段の提示だ。

東雲がその奥から歩いてくる。

受け入れ線の空白を背負った顔をしていた。


「兵はある」


東雲が言う。


「足もある。命令もある。だがここへ入る前に、全部“本当に味方か”の紙へ変わる」


真名も遅れて合流した。

駅側からだ。

靴の先に薄い埃が乗っている。地下と地上を行き来した歩き方だ。


「地下は癖がついた」


真名が言う。


「人の流れ、もう戻しにくい。いまはまだ静か。でも静かなまま死ぬ準備だけ進んでる」


紺野は、受け入れ線の空いた白帯を見た。

ここには本来、正規軍の先遣が入っていていい。

帝都の機動群。

西都からの工兵支援。

燃料補給車列。

だが何も無い。

整った空白は、戦場で一番嫌な景色の一つだ。


「志摩」


紺野が無線へ言う。


『ああ』

「どう見える」


志摩の返事は短かった。


『静かすぎる。外周の端末線、死んでるっつーより“死ぬ前に息止めてる”感じだ。派手な断絶はまだ無ぇ。だから余計に嫌だ』


綾瀬が続ける。


『物品規格も変です。第二首都庁舎群向けの識別札だけ、版の違う旧式と新式が混じっています。現場で混ぜる必要の無い混ざり方です』


宗一が低く言う。


「つまり、受ける側も揺れる」


誰も否定しなかった。

増援は来る前提で考えない。

ここから先は、その一文だけで十分だった。


126-3


宗一が地図を開いた。

作戦卓ではなく、受け入れ線の補給台を逆さにしてその上へ広げた簡易図だ。

こういう時、紙の綺麗さは役に立たない。必要なのは、泥と風で飛ばないことだけである。


「護国少尉、配置を」


羽場桐の声が端末越しに入る。

本部側ももう迷っていない。

宗一が答える。


「私が止血線。東雲大尉が外周緩衝。支倉十席は駅地下から地上連絡帯の群衆流。志摩七席はその外側。護国綾瀬八席は規格線と搬送札の違和感拾い。

樋道五席は路面と通行幅、壊さない切断。珠洲原十二席は観測。紺野三席は内側へ打ち込む楔」


紺野はそれを聞きながら、東都の方角を見る。

まだ煙は無い。

まだ炎も見えない。

だが、あの街へ入る時にはもう“普通の前線”というものが存在しないことだけは分かる。

前線は道路であり、導線であり、識別票であり、誰が何の理由で通るか、その順番そのものだ。

陽鳥が端末を見たまま言う。


「観測は欲張らない。こっちが“見始めた”と向こうに悟られた時点で、次の札が切られる」


東雲が頷く。


「その方がいい。いまの東都は、派手な遮断より静かな言い換えの方が高い」


樋道が嫌そうに口を曲げる。


「つまり、めちゃくちゃ綺麗に嫌がらせしろってことでしょ」

「そうだ」


宗一が即答する。


「綺麗にやれ。壊して勝つ方が安い場所は、今日はもう一つも無い」


綾瀬が地図の隅に置かれた物品札へ目を落とす。


「混ざっています。景道院系の規格と第二首都向け物資の規格が、一部だけ接続されています」


真名が眉をひそめる。


「そこまで来るの」

「来ています」


綾瀬の返答は短い。

短いが、それで十分嫌だった。

学校。

庁舎。

搬送。

駅。

全部が少しずつ同じ図面の上へ寄せられている。

持ち場は、最初から決まっていたわけではない。

街の死に方が、いまその場で隊員の役割を決めている。

それが御親領衛らしいと言えばらしい。

らしいが、今回はあまり嬉しくないらしさだった。


126-4


最初の異変は、音ではなかった。


東都中央駅側の信号表示が、一斉に切り替わる。

歩行者導線の案内板。

地下への警告灯。

庁舎群外周の臨時通行標識。

緊急搬送の優先表示。

それらがほとんど同じ秒で色を変えた。

誰も悲鳴を上げない。

誰も撃たれない。

それでも、その瞬間に街の中で“この順で動け”という新しい命令が可視化された。

真名の端末が震える。


「来た」


それだけ言って、駅側へ走る。

走るが、全力ではない。全力で走った瞬間に、群衆の流れがそれを異常と見るからだ。

そういう走り方まで、この女は知っている。

同時に、外周の端末線が一つ遅れて死ぬ。


『東の保守線、落ちた』


志摩の声。

低い。

だが、初めてわずかに熱が混じる。


『切られたんじゃねぇ。“要らない線”に格下げされた。

静かに落ちやがった』


綾瀬がすぐに被せる。


『識別札も切り替わっています。第二首都保全の優先区分が一段上がった。今から一般の搬送と庁舎系搬送は、同じ道路を使えません』


東雲が受け入れ線の方を見たまま言う。


「始まったな」 


主観では、街が一度だけ呼吸の順番を忘れたように見えた。

空が暗くなるわけではない。

地面が割れるわけでもない。

ただ、人と車と情報が“次に何を優先するか”を同じ瞬間に言い換えられると、都市はほんの一拍だけ生き物であることをやめる。


東都第二首都庁舎群周辺で切り替わった標識は十七。

駅地下の導線変更が三。

外周の保守線格下げが二。

緊急搬送優先の再設定が五。


数字にすれば、それだけだ。

それだけで、街の立ち方は十分に変わる。

宗一が低く言う。


「護国少尉より各員。ここから先は“まだ何も起きていない顔”をしたまま、本番へ入る。止血線、維持。顔を追うな。後ろの仕手を取れ」

『了解』

『分かった』


短い返答が重なる。

紺野は右手を握り、そして開いた。

怒りを掴み、ほどく。

いま必要なのは爆発ではなく、楔だ。


東都の空はまだ高い。

人も歩いている。

車も流れている。

何も壊れていないように見える。

それでも、もう始まっていた。

爆発より静かな始まり。

それがいちばん嫌な戦争の始まり方だと、ここにいる全員が知っていた。


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