百二十四話 正規軍が遅れる
百二十四話
124-1 正規軍が遅れる
東都東外縁の受け入れ線は、車が来ない時ほど広く見える。
本来なら、ここは臨時の中継点に過ぎない。
外から入る増援を一度噛ませ、負傷者を流し、燃料と識別票を渡し直し、東都駐屯混成や第二首都庁舎群外周の各線へ兵と車を割っていく。
広く見える必要は無い。むしろ狭い方がいい。狭い方が、流れは前へ進む。
今朝は違った。
広いのに空いている。
空いているのに、準備だけは全部済んでいる。
東雲丈雲は、仮設照明の下に並ぶ空の誘導標識を見ていた。
第一受け入れ帯。
第二受け入れ帯。
工兵車両待機。
補給再配分。
識別票再発行。
緊急搬送分離。
どの札も立っている。
立っているのに、そこへ入ってくるはずの車列が無い。
「……嫌な空き方だ」
独り言に、風だけが返した。
横では、東都駐屯混成の若い中佐が何度も端末を見ている。
到着予定。
照会中。
再確認。
保留。
たぶん画面の文言はそればかりなのだろう。人間の顔がそういう顔になっていた。
東都駐屯混成は一万二千前後。
全部が死んでいるわけではない。
今すぐ都市中枢へ切れるだけでも四千から五千はいる。
数字だけ見れば十分だ。
だが第二首都東都を守るには、それでも足りない。足りない分を、帝都近衛第二師団や外縁待機の正規軍が埋めるはずだった。
来るはずの兵はある。
問題は、それがいつまでも「来るはず」のままであることだった。
中佐が顔を上げる。
「東雲大尉。帝都側の先遣、まだ入れません」
東雲は頷かなかった。
最初からそういう顔をしていたからだ。
「理由は」
「合流先照合です。第一機動群は出せる。ですが、第二支援路で受ける交通統制隊の署名差がまだ切れていない。港湾連絡で入る補給車列も、第二首都保全識別票の旧式運用が残っていて——」
「他は」
「あります」
中佐は即答した。
そこに迷いが無いのが一番嫌だった。
「帝都近衛第二師団だけではありません。西都側から切れる工兵支援もある。東側の搬送補助もある。
ですが全部、“この受け入れ線へ渡してよいか”の確認で止まっています」
兵が無いのではない。
受け入れ先としての東都が、味方にとって安全な受け皿かどうか、そこで止まっている。
主観では、空の駐車帯の白線だけがやけに眩しく見えた。
何も来ない白線は、たいてい嫌な意味を持つ。
そこへ何を置くつもりだったのか、その予定だけが目立つからだ。
受け入れ線は完全だった。
車両誘導、燃料、応急整備、識別票、通信、負傷者分離。
それだけ整っていて、肝心の増援が入ってこない。
この朝を最悪にしているのは、その“足りなさ”ではなく“整いすぎた空白”だった。
124-2
東雲は、受け入れ線の一番外れにある臨時通信車へ入った。
中は熱い。
狭い。
そして、紙と声で埋められていただった。
帝都。
照合中。
西都。
再確認。
南都。
保留。
東都外周。
受け入れ条件未確定。
同じ語が何度も飛ぶ。
そのたびに、誰かの兵力が少しずつ兵力ではなくなっていく。
通信士が、慣れた手で一枚の照会票を東雲へ差し出した。
「帝都近衛第二師団、第一機動群。出発準備完了、合流先交通統制隊の署名差照会中」
次。
「東都庁舎群向け搬送補助車列。識別票旧式運用に関する再確認中」
次。
「西都工兵支援小隊。受け入れ責任部署の窓口番号差異につき停止」
次。
「湾岸側燃料補給車列。第二首都保全の優先順位付与に異議照会」
東雲は、それを机へ戻した。
「全部正しいな」
通信士は答えない。
答えなくても伝わる。
全部正しい。
署名差を無視する方が危ない。
窓口差異を無視する方が危ない。
識別票の旧式運用をそのまま通す方が危ない。
第二首都東都へ入る車列と部隊なら、なおさらだ。
正しいから、止まる。
止まるから、間に合わない。
東雲は通信車の狭い窓から、外の空いた受け入れ線を見た。
整っている。
そこへ本来なら、帝都側の車列がもう入っていていい。
西都から切られた工兵支援が混じっていてもいい。
南側の補給補助が一部流れてきてもおかしくない。
だが何も来ない。
外の広さが少しずつ空洞に見えた。
空いているのではない。
援軍の予定だけがそこへ何重にも重なって、全部が紙の上で止まっている。
援軍は存在する。
東都外で切れる兵はある。
車もある。
燃料もある。
命令も紙の上にはある。
それでも東都へ届かない。
敵に押し返されたからではない。
来る前に、全部が“本当に味方か”“本当にここへ渡していいか”の照会へ変わってしまうからだ。
「援軍が来ないんじゃない」
東雲は小さく言った。
近くにいた通信士が顔を上げる。
「大尉?」
「援軍が、援軍である証明を求められたまま止まってる」
それが、この朝の東都だった。
124-3
受け入れ線の外で、東都駐屯混成の中佐と、第二首都庁舎群警備の大尉が言い争いになりかけていた。
怒鳴ってはいない。
だから余計に危ない。
「こちらは受け入れ可能です」
中佐が言う。
「少なくとも第一機動群だけでも先に入れれば、外周の穴は埋まる」
「その第一機動群に混ざる交通統制補助が、どこまで北都主力に通じた部隊なのか切れていません」
大尉が返す。
「第二首都庁舎群へ入れてから問題が出れば、修正では済まない」
「なら何もしない方がいいと?」
「そうは言っていない」
「言っているのと同じだ」
東雲はそこで口を挟まなかった。
どちらも正しいからだ。
中佐は兵の不足を見ている。
大尉は第二首都中枢の喉元へ混ぜ物を入れる怖さを見ている。
どちらも職務として正しい。
だからこそ、ここでどちらかを切ると後で国ごと裂ける。
少し離れた場所では、識別票の再発行台が空いている。
そこへ来るはずの兵が来ない。
燃料再配分台も空いている。
救護分離帯も空いている。
全部がいつでも受けられる顔をしているのに、その顔が逆に東都の孤立を完成させていた。
真名が遅れて合流した。
駅側からだ。
顔が少しだけ険しい。
「地下も同じ」
真名が言う。
「人の流れは作れる。でも、正規軍の受け入れが鈍いと、その流れをどこへ逃がしていいかが途中で細くなる」
東雲が頷く。
「こっちも同じだ。受け入れ線はある。だが、受け入れる側が揺れてる」
第二首都東都に兵を入れる。
その一歩が、他の都市と違って重い。
普通の地方都市なら、多少乱暴でも“あとで直す”が効く。
東都は違う。
通信、官庁、金融、搬送、鉄路、港。
そのどこかへ味方のふりをした混ぜ物を入れたら、後で直すでは済まない。
だから揺れる。
揺れるから遅れる。
遅れるから、外の援軍は東都にとって存在していても、東都の中では兵力にならない。
真名が低く言った。
「受け入れる側まで“本当に味方か”で止まり始めたら、もう都市が自分で孤立してるのと同じですね」
「そうだ」
東雲は短く答えた。
東都は包囲されているのではない。
東都自身が、自分へ入る味方を味方として受け切れなくなり始めている。
それが一番、始末が悪かった。
124-4
東雲は端末を取り出し、羽場桐妙子へ繋いだ。
繋がるまでの数秒の間に、空の受け入れ線へ風だけが吹く。
その風の音が妙に大きい。
本来なら、兵の足音と車のアイドリングで埋まっていていい音だった。
『羽場桐です』
「東雲丈雲です。東都東外縁受け入れ線」
報告は短くする。
短くしないと、いま必要な判断の輪郭がぼやける。
「援軍はあります。帝都、西都、その他、切れる兵も車もあります。受け入れ線も整っています。ですが、全部が合流先照合、署名差確認、旧式識別票、窓口差異、混入懸念で止まっています」
向こうで一拍。
短い。
だが、その短さの中に“やはりそこか”が入っている。
『受け入れ側も揺れていますか』
「ええ」
東雲は答える。
「東都側も、入れるべき兵を兵として受ける最後の一歩で止まります。間違えば第二首都の喉元へ混ぜ物を通す。だから正しい。正しいから、東都は自分で孤立します」
沈黙。
羽場桐の計算の沈黙だ。
『承知しました。兵力不足ではない。信頼崩壊による孤立、で確定します』
「はい」
『では、大部隊はもう前提にしません』
それしかない。
東雲にも分かっていた。
兵が大きいほど確認が増える。
確認が増えるほど、東都には間に合わない。
小さい部隊だけが、まだ短い指揮線で前へ出られる。
信頼では無く、他が信用できないからだ。
「妥当です」
『次は御親領衛を前提に切ります』
「ええ」
通話が切れる。
東雲は端末を下ろし、真名と一緒に受け入れ線を見た。
白線。
識別票台。
燃料台。
空いたままの受け入れ区画。
全部が、来るはずだった援軍の形をしている。
だが、その形はもう助けにならない。
助けは存在する。
それでも東都は孤立する。
東雲はその嫌な事実を胸の中で反芻し、それから踵を返した。
ここから先は、正規軍が来る前提で街を守ってはいけない。
その前提だけが、もう死んでいた。




