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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
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百十話 壊さない条件


百十話


110-1 壊さない条件



東都外環の高架接続部は、夜明け前ほど嫌な場所になる。下はまだ街灯が残り、上は朝の色に染まり切らない。

その中間に、車線変更の白線と工事用の仮設柵と、速度制限の標識だけが浮いて見えた。

道は続いている。続いているように見える。だが、どこで詰まれば誰が死ぬかを、構造の方が先に知っている。


解除命令で車列を通された後、護国宗一少尉はそのまま追わなかった。

追えば、向こうの速度になる。速度が向こうのものになった瞬間、現場はただの遅れた現場へ落ちる。

代わりに切ったのは、一つ先の高架接続部だった。


工事のため片側一車線。

外側は仮設壁。

内側はコンクリートの継ぎ目が露出し、少し先で緩い下り。


燃料車が一台でも横を向けば終わる。終わるから、相手がここを使う理由がある。

紺野健太郎少尉は、仮設壁の影で接続部を見ていた。

前へ出るには近い。まだ壊すには近すぎる。


「ここだ」


宗一が言った。

短い。だが短い言葉ほど、現場では重い。

東雲丈雲は一段外。

道路そのものではなく、道路へ流れ込む前の分岐を見ている。

樋道芳芙美准尉は、仮設壁のこちら側で露骨に嫌そうな顔をしていた。


「ねえ、ほんとにここでやるの?」

「そのために連れて来ている」


宗一が切る。

樋道芳芙美。正三位。

分子円塵

触れたものの分子結合をほどき、形の前提を崩す術。広げるほど楽で、広げた瞬間に全部終わる。

だから、今日は広げない。

東雲が地面へ指で長方形を引いた。

幅は、燃料車の前輪が半分だけ乗る程度。

長さは、一・五メートル。

狭い。嫌になるほど狭い。


「ここだけだ」


東雲が言う。


「路面の表層だけを抜け。下の鉄筋へ触るな。仮設壁も殺すな。—車両を転ばせるな。止めろ」


樋道が眉を吊る。


「要求が全部ムカつく」

「良かったな。現場はもっとムカつくぞ」


東雲は笑わない。

笑わないから、樋道も笑いに逃げられない。

紺野は黙ってそのやり取りを見ていた。

この場で一番壊しやすいのは自分だ。

だから自分が前へ出ない代わりに、誰がどこまで壊さずに済むかを見ている。


遠くで、エンジン音が一つ。

前を行かせた車列ではない。別口だ。

向こうも一手で終わらせる気はないらしい。


110-2


燃料車は一台。

側面に危険物表示。

荷は本物かもしれないし、偽物かもしれない。だが、この場ではどちらでも同じだった。転べば終わる。そこにしか意味がない。

宗一が低く言う。


「来るぞ」


樋道の肩が一度だけ上下する。

深呼吸ではない。呼吸を沈めるための癖だ。

訓練が、そのまま身体に残っている。

掌の中心に、乾いた輪が生まれる。

見えない。だが空気のざらつきだけが先に来る。


見える世界の表面が薄く削れていく。

砂が舞うのではなく砂に変わる前の理由だけが先に剥がれる。

樋道の目には高架の継ぎ目が、急に脆く感じられた。


「広げるな」


東雲が言う。

命令ではない。確認だ。

樋道は返事をしない。

返事をすると、息が跳ねる。息が跳ねると輪が広がる。


燃料車がカーブへ入る。

速度は出ていない。だが重い。重さは速度が無くても人を殺す。

樋道の輪が、指でなぞった長方形へ触れた。

最初の瞬間、失敗しかけた。

長方形の外まで、ざらつきが走りかける。仮設壁の足元、路肩の段差、排水溝の蓋。

「そこも削れば楽になる」と、理屈の方が勝手に勧めてくる。

広がりかけたのは半径四メートル。

長方形の外へ出れば、仮設壁が死ぬ。そうなれば車は外へ逃げる。最悪高架下に落ちる。

ここでの四メートルは、事故ではない。


「縁!」


東雲の声が落ちる。

樋道の唇が歪む。

嫌そうな、泣きそうな、いつもの軽さを全部削った顔だった。


「分かってるよ」


掌が一度だけ沈む。

輪が外へ行く前に、長方形の輪郭だけが先に硬くなる。

縁を固定する。

固定した瞬間、中だけが軽くなる。軽くなるから、そこだけが抜ける。

路面の表層が、音もなく痩せた。

燃料車の前輪がその薄さへ乗る。

乗った瞬間、タイヤが少しだけ沈む。

沈むが、跳ねない。

跳ねないから、転ばない。

宗一がそこで初めて一歩前へ出た。


「ブレーキを踏むな!」


運転席へ向けた声だ。

怒鳴っているのに、怒鳴りではない。

ここでブレーキを踏ませると、荷重が前へ乗り、余計に死ぬ。

燃料車のノーズが落ちる。

落ちるが、止まり切らない。

止まり切らないから、前へ“行こうとする”。

紺野の右手が握られる。

ここだ、と身体が言う。

壊すのではない。止める。

黒い奔流が足元から走る。

燃料車の前輪ではなく、前輪の先のアスファルトへ触れ、転がる理由を薄くする。

道が急に重くなった。重くなったのは車ではない。

道の方が「ここで止まれ」と言い換える感触だ。


一拍


燃料車が止まった。

止まったが、傾いてはいない。だがもう前へは出ない。

仮設壁も死んでおらず、路肩も飛んでいない。

止まる前提の勝ち方だった。


110-3


エンジン音だけが残る。

運転手が、ハンドルを握ったまま動けずにいる。

顔は見えない。だが、どういう顔かは分かる。事故を起こしかけた顔ではない。事故にされかけた顔だ。

宗一が近づき、運転席の窓を指で叩いた。


「エンジンを切れ。降りるな。いま動くな」


短い指示。

短いから、相手の思考に入り込む余地が無い。

東雲は樋道を見た。

樋道は肩で息をしていない。

していないが、指先が少しだけ震えている。震えるのは恐怖ではない。出力を絞った反動だ。


「どうだ」


東雲が問う。

樋道はすぐ答えなかった。

すぐ答えると、自分がやれた気になる。やれた気になった瞬間に、次で死ぬ。


「……あと三十センチ外してたら、壁までいってた」


言ってから、樋道が自分で顔をしかめる。

言葉にしてしまうと、値段が定まる。

東雲は頷いた。


「それでいい。分かってるなら次は死ににくい」


宗一が路面の痩せた長方形を見下ろす。


「この形、残るか」


樋道が短く返す。


「残る。応急舗装をかけないと、昼には目立つ」


「なら十分だ」


宗一は言って、門の脇の監視員へ手を振った。

後方で待機させていた工事監督役の軍属が、ようやく近づいてくる。

軍属を入れるのは今だ。早く入れると、現場が紙になる。

遅く入れると、人が死ぬ。

監督役が路面を見て、顔色を変えた。


「これは……」

「高架の損傷じゃない」


宗一が先に言う。


「表層だけだ。記録しろ。時刻、車両番号、停止位置。——理由は書くな」


監督役が一拍迷い、頷く。

理由を書かせない。理由は後で紙に食われる。

数字だけ残す。

紺野は、燃料車の前へ立たない。

立てば運転手は止められた顔になる。

代わりに、高架の継ぎ目を見た。

剥がれた長方形。薄く痩せた路面。仮設壁は無傷。


「……やれば出来るじゃねえか」


紺野がぼそっと言う。

樋道がすぐに噛みつく。


「褒めてる? 褒めてるならもっとちゃんと褒めて。ボク、こういう命懸けの可愛さ評価されたいんだけど」


だが声に、いつもの軽さが少ない。

自分でも分かっているのだ。今のは“上手くいった”ではなく、“死ななかった”に近い成功だと。

東雲が静かに言う。


「一回出来た、じゃ足りない。現場は二回目でも死ぬ」


樋道が黙る。

黙れるのは、言われたことが正しいと分かっているからだ。

宗一が端末を取り出す。


「羽場桐中尉へ入れる。高架接続部で一件止めた。解除命令はまだ来ていない。——路面の痕は残る」


通信が繋がるまでの短い無音の間、紺野は燃料車を見ていた。

偽物かもしれない。

本物かもしれない。

どちらでもいい。いま問題なのは中身ではなく、“ここで事故が起きる形”そのものだ。

その形を一度、こちらが潰した。

羽場桐の声が入る。


『羽場桐です』


宗一が短く報告する。

羽場桐は最後まで聞き、すぐ答えた。


『記録だけ残してください。理由は不要です。理由は後で向こうが整えます』

「了解。次は」

『次は、演習で押し切る段へ上がります。高架で止められたなら、次は地上の物流結節でしょう』


宗一が一拍置く。


「紺野少尉と樋道准尉は使えます」


端末の向こうで、羽場桐の沈黙が一瞬だけ落ちた。

値段を見ている間だ。


『ええ。ですが、使えると分かったことも、向こうは欲しがります』


通話が切れる。

紺野はその言葉を胸の中で反芻した。

使える。

その一言は、味方の評価であると同時に、向こうの採取対象になる。

右手が、一度だけ握られる。

怒りではなく、前へ出る理由が増えた時ほど、自分を止めるための握りだった。


110-4


燃料車はようやくエンジンを切った。

静かになると、高架の上の風の音が前へ出る。

風は同じなのに、さっきよりずっと冷たい。現場が一つ終わるたび、次の現場の冷たさが増す。


工事監督役が痩せた路面を測っている。

監視員が時刻を書き、車両番号を書き、停止位置を書いている。

理由は誰も書かない。後で必ず書き換えられる。だから数字だけ残す。

樋道が自分の掌を見て、小さく息を吐いた。


「……ほんと、これ疲れる」

「当たり前だ」


東雲が言う。


「広げる方が楽だからな。制御はいつも疲れる」


紺野が視線だけを寄こす。


「次もこれでやれ」


樋道が顔をしかめる。


「他人事みたいに言うなよ。ボク、今かなり偉かったんだけど」

「ああ、偉かった」


紺野は珍しく即答した。


「だが次もやれ。でなきゃ意味が無い」


樋道が何か言い返しかけ、結局やめた。

言い返さなかったのは、褒められたからではない。

次もやれの方が正しいと分かってしまったからだ。

宗一が戻ってくる。


「移動する。ここはもう向こうが見た。次は別の形で来る」


東雲が頷く。


「今度は事故じゃない。仮に死人が出ても、“そういう段だった”と言える場所に来る」


紺野の喉の奥がざらついた。

次はもっと露骨だ。

露骨になるほど、向こうは紙を厚くする。

こちらは逆に、動きを細くしなければならない。


高架の下では、もう朝の通勤の流れが始まりかけている。

何も知らないまま、何も起きなかった顔の都市が動き出す。

紺野は痩せた路面を最後に一度だけ見て、踵を返した。


制約が一つ増えた。

壊せない。

倒せない。

通せないが、止め切りすぎても駄目。


戦い方は狭くなる。

狭くなるほど、先に順番を取った方が勝つ。

その嫌な実感だけを残して、一行は高架を離れた。


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