大納言の葬儀と四十九日
公廉の上の息子から使者が文を持って来ました。
その文で「北の方がおかくれになった。」ことが分かりました。
⦅えっ? なんでや?
悪阻が無うなったんと……。
なんでなんや……この文では分からんやないかっ!⦆
急ぎ、公廉は上の息子の邸へ向かいました。
孝子には「従弟の邸へ行く。」とだけ告げて出て行きました。嘘を吐いて……。
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左大将は若君と共に三条邸に居ました。
日々、故大納言の邸を訪ねては泣いている女君を可哀想に思いました。
左大将は後の仏事、供養も、大納言の邸に移り住んで執り行うつもりでいましたが、左大将の父である左大臣が「新しい主上が御即位ならしゃって間もないというのに、長い間暇を取るのは、良うないことや。」と、強く言いました。
女君も「幼い子らが、こちに住めば、物忌みで潔斎などを子らも行いますのえ。けど、三条邸でお暮しやして、殿さんだけがこちに移らしゃるのも、気が咎めまする。殿さんは三条邸にお残りあらしゃいませ。」と言ったので、左大将は三条邸で、慣れない独り暮らしをし、子どもたちの面倒を見て、遊ばせて、気が落ち着かない日々を送りました。
故大納言は早々に亡くなってしまいましたが、大納言への昇進を、急ぎ行ってよかった、と左大将は思いました。
大納言の葬儀は、葬儀によき日であると、大納言が亡くなった三日後に執り行いました。
左大将も参列しましたので供として、四位、五位の者達が、とても多く左大将に続きました。
その中に兵部の大輔も居ました。
左大将は「ほんまに、大納言さんが仰せあらしゃいました通りに、お幸せな最期であらしゃいました。」と申言いました。
中陰の間は、誰かれも、故大納言の子ども達は、いつもと違う、落ち窪に住んで、寝殿には、大徳達が、とても多く籠もっていました。
左大将が訪ねて来ない日はありませんでした。
左大将は立って女君と会い、これからの事などを話しました。
女君の袖が涙で色濃く染まり、精進のために少し青白い顔をしていましたので、可哀想に思って、左大将は、泣きながら女君に言いました。
「涙で色を染めた其方の袂に、私の涙まで落ちるので、袖はまるで淵のように見え
まする。」
左大将の言葉に女君は答えました。
「袖が朽ちるほど、涙の川が深うて、この喪服を淵の衣と呼ぶのであらしゃいまし
ょう。」
こうして左大将が通っているうちに、三十日の忌みが、明けました。
女君は「三十日の忌みが明けましたので殿さんは三条邸に居らせられませ。子らも殿さんを恋しゅう思うておりまする。」と言うと、左大将は「中陰も残り僅かや。四十九日が明けたら三条邸に帰ろう。」と言い、夜には故大納言邸に通いました。
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上の息子の邸に着いて、早速、聞きました。
「何があったんや?」
「お父さん………。」
「ゆるゆると……な。……話してほし。」
「……悪阻がようよう治まり、安堵しておりました。
急に、ほんまに急に産気づいたのでござります。」
「………産気………。」
「産気づいてもおそそもじでござりました。
赤子はおするするとは生まれて来れませなんだ。
赤子は産声も上げられませず……そのまま……。
それから、子がおかくれの後で……気落ちしたのでありましょう。
幾夜も魘されて……痩せ細った身で……産んだ後……おかくれに………。」
「………そないなこと………。」
「……お父さん! 私は……私は……。」
「……其方はお父さんやで、上の子らの為に……な。」
「はい。………………お父さん。」
「なんや?」
「お母さんには私からお話致します。」
「分かった。」
邸に帰る公廉の足取りは重く、苦しい胸の内を孝子には伝えたくはありませんでした。
おかくれ…死ぬこと。
中陰…四十九日。
寝殿…母屋。
大徳…僧。
精進…修行。
淵…水を深く湛えている所。
淵の衣…藤衣=麻布で作った喪服。




