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一条戻り橋  作者: yukko
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三位の中将と乳母

公廉(きみやす)は落窪の君の物語を書くようになって体調が安定して来た孝子を見て安堵していました。

ただ、この所の孝子は体調がすぐれない時が多くなり、不安が募るようになりました。

⦅孝子が無理せんと()()()してくれてるのやったら、ええのや。けど、無理して笑うてるんやったら……どないしたら、ええのや。どないしたら……。⦆と不安に押し潰されそうになっています。

それでも、孝子(よしこ)の前では何も感じさせないように常と変わらぬ公廉を演じています。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



夜が明けて、衛門は惟成に詰め寄りました。


「中将さんにご縁のお話があるやなんて……!

 なんで教えてくれはらへんかったん?

 何時までも隠せるもんやないって分かってはるんでしょう?」

「そないな話、聞いたこともあらへん!」

「けど、他の邸に仕える女房までもが、こちの女房を()()()()()と言わしゃって、

 見舞いに来はるの。あんさんが知らへんはずあらへんわ。」

「そないな、()()()な話知らんわ。なんでや?

 ちょっと、中将さんの様子を見てくるよってな。」


そう言うと、惟成は直ぐに三位の中将のもとへと向かいました。



父親の左大将の邸に居た中将は、庭の梅の中でも一際(ひときわ)美しく情緒漂う一枝を折って、落窪の君の元へと送りました。

「この梅を御覧なさい。この世のものとは思えない美しさやと思いませんか? 其方の()()()も、これで慰めて貰えたら嬉しゅう思います。」という梅と一緒に添えられた文を見て、落窪の君はただ一つ歌を詠みました。


「うきふしに あひ見ることは なけれども 人の心の 花はなほ憂し」

⦅あの頃ほど憂き目に遭うているわけではありまへん。けど、貴方の心がこの梅の花の色のように移りゆくのはやはり悲しいのです。⦆


こう文に書き、梅につけて返した。

文を読んだ中将は⦅なんと風情があって美しい歌や。⦆と感心しました、と同時に、⦅やはり私が浮気をしていると聞いたんやな。⦆そう思うと、心苦しさで胸が詰まりました。

中将は折り返し落窪の君に文を書きました。


「やはり、私が浮気をしていると疑うてあらしゃったのですね。

 今のところ、私は無実ですとしか言いようがありません。

 私の心は歌の通りです。」


「憂きことに 色はかはらず 梅の花 散るばかりなる あらしなりけり」

⦅どんなに辛いことがあっても、私の心は梅の花のように変わらなかったではありませんか。この花を散らすことができるのは、あなたの冷たい心の嵐だけなのです。⦆


この歌に落窪の君は文を返しました。


「さそふなる 風に散りなば 梅の花 我や憂き身に なりはてぬべき

⦅風に誘われて梅の花が散るように、他の女性に靡いて貴女の心が飛んでいってしまったら、私は寂しい身の上に成り果てるでしょう。⦆


中将が⦅落窪の君は一体どないな噂話を聞きましゃた。⦆と頭を痛めているところに、中将の乳母がやって来ました。


「あの右大臣家のお姫さんとのお話のことでございますけど……。

 私は中将さんが仰せ遊ばされました通りに()()()()致しました。

 けれども、『身分の高い北の方も御出でやないようやし、その方の所へは時々お

 通いあれば宜しのやないか。中将さんには露顕の儀(とこあらわしのぎ)は四月やとお伝えしておく

 れ。』と()()()()の御様子であらしゃいました。

 若さん、もう決まりましたえ。

 露顕の儀(とこあらわしのぎ)は四月、そのお心積もりであらしゃいますよう。」


乳母はここまで話が進んでいればもう断ることは出来ないだろうと高を括って、勝手な嘘を抜け抜けと言い放ったのです。

しかし中将はとても恥ずかし気に笑って答えました。


「なんで男が『否』と断った話を、無理に進める必要があるんや?

 私は変わり者やし、身分が高い訳でも無いやないか。

 無理にでも夫婦(いもせ)の契りをさせようなどと言う人もおらんやろ。

 もうこないなことを私の耳に入れんといてくれ。

 疎ましい限りや。

 『北の方がおらん』? なんで右大臣さんがお知り遊ばしたんやろな。

 落窪の君は十分に私の北の方になり得るお(ひい)さんや。」


中将がそのように言うと、乳母の顔色が変わりました。

縁談に見向きもしない中将に、乳母は血相を変えて声を荒げて言いました。


「それは困ります!

 あちらの右大臣さんも、『露顕の儀(とこあらわしのぎ)は四月』とお決め遊ばして、

 もう今、露顕の儀(とこあらわしのぎ)の用意に()()()()であらしゃいます。

 どうか、良うお考えましゃいませ。

 右大臣さんのように身分の高い方が無理に仰せ遊ばすことを、今さらどない

 なるとお思いであらしゃいますか。

 お断り出来るとでも思わしゃいますか?

 それに、公達は、北の方のご両親たちに持て成しをお受けであらしゃいます。

 大事に大事に持て成されるのが今めかしいというものございます。

 『他に気にかけているお姫さんが居る』と仰せ遊ばすのでございましたら…

 まぁそれはそれで通うお方として、右大臣家のお姫さんに文をお出しましゃい

 ませ。

 今二条邸のお方も、一応は上達部(かんだちめ)のお姫さんやと伺うております。

 けど、『落窪の君』やなんて、見っとも無いお名をつけられてしもうたお方。

 姉妹の中でも一段と劣る扱いをお受けましゃったと聞いております。

 邸の薄暗い部屋に北の方が閉じ込めましゃったとも……。

 そないな扱いをお受けましゃったお姫さんに、こないな比類ない御心を注ぎま

 しゃることは、()()()なことでございます。

 女人は殿方に大事にされる一方で、両親に大切に()()()されるのが奥ゆかしい思

 うのでございます。」


しかし中将の愛情は乳母の言葉に微動だにせず、中将は顔を赤らめて言いました。


「私の考え方は古いということやろなぁ。

 今めいていること、なんとも思わんのや。

 ちやほやと持て成されとうもないし、両親が()()()しているお姫さんを娶りたい

 とも思わへん。

 落窪やろうが、上がり窪やろうが、それが何やと言うんや?

 私が落窪の君をを忘れたないという心は、何があっても変わらん。

 他人がとやかく言うのは常のことや。

 けれども、お乳の人(おちのひと)の其方までこないなことを言うやなんて、悲しいし情けな

 いやないか………。

 落窪の君が其方のことなど心にも掛けていないように見えてるやもしれんけど、

 落窪の君が今に其方に何か心を掛けてくれると私は思うてる。

 落窪の君は、そないな心優しい女人や。」


そう言う姿は、とても頼もし気に見えました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



孝子は落窪の君の物語をゆっくりと書き進めています。

⦅最後まで書きたい……それに、子らにも会いたい。会いたい。下の息子に……会いたい。⦆と切に願うように成りました。


「孝子、この乳人(おちのひと)は、なんや!」

「吾が君さん、そないにお(おこ)りましゃらんといておくれやす。」

「そやかて、こないな勝手な事!」

「けど、中将さんの御心がお分かりやすかったと……。」

「まぁ、それは……そやな。大切に想うてはることは分かった。

 けど、そやったら、北の方として迎えてやって欲しいな。

 こないな立場やったら身の置き所があらへん。」

「さよでございますね。」

「そや、頼むわな。」

「はい。」


孝子は公廉が望む物語にしたいと思うようになりました。

おひる…起きること。

おいとしい…気の毒な。

けもじ…奇妙な。

きあい…気分。

おこたえ…返事。

すかすか…急ぎの。

ふたふた…急いで、落ち着かない様子。

上達部かんだちめ…三位以上の貴族。

けもじ…奇妙な。

せもじ…世話。

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