表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一条戻り橋  作者: yukko
40/91

落窪の君が居なくなった源中納言家

公廉(きみやす)は嬉しそうに言いました。


孝子(よしこ)! これは良いぞ。うむ、良い!」

「何がでございますか?」

「何が、とは……其方の落窪の君のことではないか。」

「まぁ、早速お読みあらしゃいましたのですね。」

「おう、読んだぞ、読んだ。

 少将がやっと動いたな。」

「はい。」

「其方も……その……。」

「はい? 何か?」

「いや……何でもないわ。」

「左様にござりまするか。」


何か言いたげで言わなかった夫の心を知りたく思った孝子でした。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



右近の少将の二条の邸は綺麗に清掃されていました。

邸に着いた時、少将は落窪の君を優しく抱いて牛車から降りました。


「さぁ、姫君。今日からは私と二人でこの邸に住みましょう。

 ここは私の父も母も居ません。

 二人だけです。だから遠慮など不要です。

 貴女は今日からこの邸の女主で、私だけの恋人。

 そして、私だけの、ただ一人の妻。

 貴女は私の腕の中に閉じ込められてしまったのですよ。」


少将は夢の中に居るのではないかと思っています。

愛する姫君と、これからは誰にも気兼ねなく愛し合える――それが、その幸せが信じられないとも思うのです。

この腕の中に居る愛しい姫を……。


「例え、かぐやの姫のように月の世界から使者が来ても

 私は貴女を離しません。」


優しく落窪の君を抱きしめながら、今はその幸福に浸かっている少将です。

落窪の君は少将に抱き締められている腕の強さ、胸の温かさを感じながら、⦅こんなに幸せになれるなどと思いも寄らなかったわ。⦆と思っています。


閉じ込められていた間のことを互いに話しては、泣いたり笑ったりしました。

特に典薬の助の失態については、惟成から聞いていましたが、姫を助け出し憂いがなくなった今、やっと少将は大笑い出来ました。


「なんともはや、だらしがない求婚者だね。

 北の方はそれを知って、どんなに呆れるのだろうね?」


打ち解けて、(くつろ)いだ様子で、そのうちに二人は眠ってしまいました。


阿漕も惟成と語り合っていました。


「無事に救い出せて本当に良かった。」

「ええ、上手く行ったわ。」

「姫様が出て行ったと知った北の方の顔を拝みたかったなぁ……。」

「本当に! そうよね。し残したことがあったわ。」


阿漕は北の方への復讐を考えていました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


源中納言家では、祭り見物を終えた北の方達が邸に戻って来ました。

邸は、門が開け放たれていました。


「はて、何で開いてるのや?」


何気なく不審に思った北の方が、急ぎ雑舎に行きました。


「何があったのや!

 ……落窪! 落窪がおらへん。

 留守番の者は何をしていたんや!

 こんな邸の奥に入られたのに気付かんかったんかっ!」


北の方は戸を打ち破られた雑舎を見て、中に居るばずの落窪の君が消えてしまったことに激怒して叫ぶかのような大声で(まく)し立てました。

息を吹き返した留守番の男は呆然としながら話しました。


「何が何やら分からん間のことでございました。

 女車が入って来ましたんや。

 私が咎めましたら、やられてしもうて……

 申し訳ございません。後は全く覚えておりません。」

「阿漕の仕業や! あの女房が………。

 阿漕! 阿漕はおらんのか?」

「お(たあ)さん。」

「三の君、其方のせいや。其方があの阿漕を庇いだてせなんだら……。」

「お(たあ)さん。そないなこと言わしゃっても……。」

「女車が入って来たんやな?」

「はい、大殿様。」

「そいつが曲者や。女車に見せかけて男が乗って居たんや。

 男や()うて、あの戸を打ち破れるはず無い。

 いったい誰や! どこのどいつが、こないなこと……。

 中納言の邸と知った上で押し入ったんや!」


源中納言も激怒しています。

それよりも激しく憤っているのは北の方でした。

落窪の部屋には調度品が全て無くなっていました。

そして、あの典薬の助の文を読んだのです。


「なんやて……落窪はまだ……典薬の助の妻になってなかったやなんて……。

 典薬の助の阿保が!」


北の方は典薬の助を呼びつけました。


「これ、どういうことであらしゃいましょう?」

「えっ!  それは、色々と、な。

 あったんや。色々あってな。」

「頼りない、頼りないとは思うておりました。

 なれど、こんな頼りないお方やとは思いませなんだ。」

「あの……北の方……。」

「私は鍵を渡しました。何をならしゃれば、妻に出来たんでございますか?

 こんなんやったら、他の者にでも下げ渡した方が良うございました。

 役に立たへんのに、この邸に置いて貰うてること、分かってはるのですか?」

「そないに怒らんでも……。」

「典薬の助ぇ――っ!」

「ひぇ~~っ、堪忍や。堪忍。

 けどな、そないに怒りなさっても、もう、しゃぁないですやろ?

 初めの晩はお姫さんが病気や、言わはって、近づけられへんかったんや。

 次の晩、昨夜は戸が開かへんのですわ。

 そのうち、身体が冷え込んでしもうて、な。

 お腹がぐるぐる。御居処(おいど)からはビチャビチャ漏れてしもうて……。」

「もう! もう、ええわ。退(さが)っとおくれやす。」


激しい憤りだった北の方でも、流石に典薬の助の話を聞き笑ってしまいました。

傍で聞いていた女房達も吹き出して笑ってしまったほどでした。

典薬の助だけが憤懣遣るかたないのか……。


「私も一生懸命、気張らせて頂いたんや。

 そやけど、出物腫れ物所嫌わずや。

 腹下しには敵いませなんだ。しゃあないやおまへんか。」


ついに堪え切れなかった女房達が笑い出しましたら、典薬の助はふくれっ面を見せて出て行きました。


「なんで? なんで、落窪のお姉ちゃまを閉じ込めはったの?

 なんで、落窪のお姉ちゃまを、あないな年寄りと一緒に?

 ねぇ、なんでお(たあ)さんは、落窪のお姉ちゃまにイケずしはるの?

 そやから、お姉ちゃま、出て行きはったんと(ちゃ)うの?」


幼い三郎君の言葉に、その場にいる誰もが言葉を失いました。


「子どもは黙って、口出ししたらアカンのや。」

「ねぇ、お(たあ)さん。

 僕、落窪のお姉ちゃまの所へ遊びに行きたいん。

 行ってもええ?」

「この子は何を言うてますのや。行き先は分からへんのに……。」

「いつか、お姉ちゃまに素敵な公達がお通いにならしゃって……

 そうしたら、僕、お祝いしたいなぁ……。

 ほんで、お姉ちゃまのお婿さんに教えて貰いたいなぁ……。

 お姉ちゃまにもお琴を教えて貰うて、いっぱいお喋りしたいなぁ。」

「あの落窪なんかに婿など来うへんわ。

 この邸を出たら飢えて死ぬだけや。そこらへんで野垂れ死にしてはりますわ。

 この中納言家の私が産んだ子らと同じやない。同じやないのや!」


北の方は金切り声をあげて叫ぶように言いました。

  


⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



公廉の少し後ろを孝子は歩いていました。

散策を終えて、邸に戻った時、急に孝子の身体が宙に浮きました。


「あれ~っ、吾が君様。何をならしゃいます!」

「妻を抱き上げただけじゃ。」

「皆に見られてしまいます。」

「見られても良い。夫が体の弱い妻を抱き上げて部屋に戻るだけじゃ。」

「あ…吾が君様、恥ずかしゅうございます。」

「其方は私の胸に顔を当てて居れば良い。

 誰にも顔を見られぬわ。」

「吾が君様。」

「少しは右近の少将のように出来ておるかな?」

「右近……吾が君様、あれはお若いお方。」

「年を重ねた私では不足か?」

「そういうことを申しておるのではございませぬ。」

「長き間、離れておった故、取り戻すのよ。時を……。

 年を重ねた我でも、其方を抱き上げることくらいは、まだ出来るのだな。

 安堵した。」

「吾が君様。」


孝子は公廉の胸に赤く染まった顔を埋めるようにしています。

その孝子の様子をも公廉は愛おしく思えました。

御居処(おいど)とは、お尻のことです。

イケずとは、意地悪の意味です。(【いけず】ですが……敢えて【イケず】という表記にしました。)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ