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一条戻り橋  作者: yukko
39/95

救出

体調が良い日は公廉(きみやす)と共に散策するようになった孝子(よしこ)でしたが、最近はその回数が減って来ました。

部屋の中から季節の移ろいを感じることの方が多くなったのです。

公廉は孝子の身体だけを案じる日々です。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



部屋の戻って来た阿漕を見て、惟成は思わず言いました。


「何かあったんか?

 なかなか戻って来はらへんから……。

 お(ひい)さんは? 未だに閉じ込められてあらしゃるのか?」

「あのね、仰山(ぎょうさん)あったんよ。

 それから、お(ひい)さんは……()()()()()ゅうて……。」

()()()()()()? 何や?」

「色々と……()()()()()()の。

 あ……()()()()()()の話の前に……。

 右近の少将さんは、お姫さんのことをちとは()()()遊ばされて?」

「それはもう若さんはお姫さんを想われて、大層お嘆きであらしゃいます。

 『()()()()救い出したい。』と仰せ遊ばされて、その為の下調べをせよと、

 私に下知(げじ)なさいましゃいました。」

「そうやの……そやったら宜しおした。

 お姫さんのこと、ほんまに()()()()()()の。

 今までで一番、()()()()()()()て……

 北の方がお(ひい)さんを閉じ込めあらしゃる雑舎の戸をお開けましゃるのは、

 一日に一回の食事の時だけやの。」

「酷過ぎるやないかっ!」

「そやの。それに……それだけやないの。」

「何があったんや?」

「北の方が、ご自分の叔父の典薬の助をお姫さんに娶わせようとなさいましゃいま

 した。

 ()()()()()で、この御邸に置いて貰っている方で……

 そして、女房から良う思われてない方。」

「女房から良う思われてないって、どういうことなんや?」

「女房らのお尻を追うような方なのよ。」

「えっ? 阿漕、其方……何かされたんか?」

「私は大事無いわ。」

「あぁ……良かった。」

「良うないわ! お姫さんは大変な思いをなさりましゃいましたんやから……。」

「あ……堪忍。

 あの……それでやけどな。それを詳しゅう教えてくれ。」

「今から言うよって、よう聞いておくれやす。」

「分かった。」

「もう、あないなこと……口にするのも(おぞ)ましこと。

 北の方が典薬の助に鍵をお渡しましゃいました。」

「なんやて!」

「今宵も『部屋に入りやす。』と鍵をお渡しましゃいましたけれども、戸の内側も

 外側も……入られへんようにしましたんや。

 外側は敷居の溝に棒を挟んで、しっかり埋め込んだの。

 内側はお姫さんに大きな箱を積み上げて戸が開かんように……とお頼みしました

 のや。

 お姫さんは大きな箱を積み上げましゃいました。」

「うむ。ええ案やな。して、お(ひい)さんは()()()()()であらしゃるのやろな?」

「典薬の助はおろおろしている間にお腹を冷やして、ね。

 こーんな風に()()()を抱えて逃げ帰って行かはったわ。」

「ぷっ……う……ははは………。()()()を下したんか……。」

「そやの、そやのよ。

 典薬の助が()()()を壊してくれたお陰でお姫さんは()()()()()やったの。」

「良かった。ほんまに良かったなぁ。」

「あの……お姫さんは、典薬の助との縁談をお聞き遊ばされてから

 大層()()()()()であらしゃいます。」

「そうやろうな。早うお救いさせて頂かんとな。」

「そうやの………それについては……。」

「それについては? 何や?」

「実はね、明日なんやけど。」

「うん。明日……。」

「あのね……前にあったでしょう石山詣。」

「うん。あった。」

「あの時のように、この邸中の人が皆、参られましゃいます。」

「ほうか……そやったら、どなたさんも……?」

「うん。この御邸はお姫さんと私……だけやの。」

「何よりの好機!」

「ええ、ほな、いよいよ……。」

「ああ……いよいよ、お姫さんを御救いさせて頂く。

 若さんがお喜びさんになりましゃるお姿が目に浮かぶようや。」

「あ! 典薬の助!」

「おるんやろな。」

「どないしましゃるの?」

()()()()()が一人……大事無い。」

「そやね。

 ああ……早う夜が明けますように……待ち遠しいわ。」


その頃、典薬の助は冷たい水で衣や袴を洗っていました。

後朝の文を送られるようなことも無く、洗っては厠へ入る、という有様です。

典薬の助は洗濯と厠で大忙し、邸の中は蔵人の少将が舞人として行列に加わる賀茂の臨時の祭りへ出掛ける用意で大忙し、邸が騒がしくなりました。

その日、明日が落窪の君救出の決行日になりました。

「いよいよ、明日。」と阿漕と惟成は胸躍らせました。

阿漕と惟成が落窪の君を救い出すと気持ちが高揚している頃、典薬の助は洗濯に厠にと、疲れたようです。

いつの間にか寝てしまいました。


惟成は夜が明けると、急ぎ左大将の家で待つ少将に会いました。

少将は惟成の話をハラハラしたり、笑ったりして聞きました。


「ようし! 北の方の手中から落窪の君を御救いするのや。

 落窪の君を迎え入れる邸は、この邸では成らぬな。

 父上の邸やのうて、私の邸にしよう。」

「はい、二条の御邸でございますな。」

「うむ、二条の邸は人が住んでおらぬ故、丁度宜し。

 惟成! お姫さんを迎えられるように二条の邸を整えておけ。」

「畏まりました。」


やっと、落窪の君を迎え入れ、二人だけで暮らせると思うと、少将の胸は高まりました。

ただ喜んではいられません。

先ずは落窪の君を救い出さねば、二人だけでの暮らしは絵に描いた餅と同様になってしまいます。

⦅喜ぶのはお姫さんをお救いし、我が二条の邸に迎え入れた時や!⦆と少将は気を引き締めました。



牛の刻、源中納言家には、牛車二、三輌に邸の人々が乗り込みました。

三の君や四の君は勿論のこと、女房、女童(めわら)も乗って行きます。

そんな慌ただしい中でも北の方は、使いの者に典薬の助に渡した雑舎の鍵を取り戻しています。

⦅危ない、危なおす。私が居らん間に、誰ぞが開けるやもしれぬ。⦆と思い、鍵を持って牛車に乗り込みました。

⦅鍵をお持ちあらしゃって、お参りになど……。狡賢い女狐や!⦆と阿漕は北の方が乗った牛車を憎らしく睨むように見ました。


一行が出て行ったのを見届けた阿漕は、急いで惟成に使いを出して知らせました。

阿漕からの一報を聞いた少将は、待っていたとばかり下知しました。


「よし! 車を出せ、急げ!」


少将は、網代車(あじろぐるま)に朽葉色の下簾しもすだれを掛けて、女車のように仕立てています。

人目を欺くために女車に仕立てたのです。

この車に落窪の君を乗せて連れて帰る算段です。

多くの腕利きの男たちを供に引き連れて中納言家へと向かいました。

惟成は先頭を騎乗して走ります。


中納言家に着くと、邸を警護する侍たちがほとんど居ません。

一行の供に付いて行ったのです。

人影も無い邸に密やかに到着した少将たち。

惟成は阿漕の所へ忍んで行きました。


「お車を付ける場所は、どこや?」

「寝殿の北側に寄せて!」

「寝殿? ええのか? この御邸の中心やろ?」

「大事無いわ。人が居らんから構へん。」


大胆にも邸の中へ牛車を招き入れたもので、物音が立ちました。

その物音に気が付いた留守番の男が驚いて阿漕に聞きました。


「何方のお車でございます。御邸の方々はお参りに御出で遊ばしてあらしゃいま

 す。

 案内(あない)も無しに入られるとは……困ります。」

「怪しい方ではございませぬ。

 お留守の女房に御出で遊ばしたご婦人のお車でございます。」


惟成の返事を聞いても尚、制止しようとする男は、少将の手の若侍に当て身を受けて倒れました。

「今のうちでございます。 さぁ早う、早う。」と阿漕が雑舎へと案内しました。

戸は閉められていて錠が()してあります。

⦅こないな所に閉じ込められまっしゃったおられたんか……お(ひい)さん、()()()()お助け致します。⦆………少将は胸が轟きました。

少将は落窪の君が閉じ込められている雑舎に駆け寄りました。

少将は自ら鍵をひねり開けようとしましたが、元より動きません。

少将は惟成を呼びました。


「惟成、この戸を打ち壊すぞ。」

「はい。」

「舎人も来い! 打ち破るぞ!」

「承知!」


少将が自ら身体毎、戸に打ち付けました。

惟成も舎人も続き、身体を戸に打ち付けます。

そうこうしていると、戸のうちたてが壊れたのです。

戸が打ち破られて、少将は雑舎に走って入りました。

惟成も舎人も急ぎ、その場から少し離れた場所へ行きました。

主が大切に想う姫君との再会の場に邪魔をしたくないからです。

二人だけの再会の時にして差し上げたかったのです。


少将が一人で雑舎に入ると、薄暗い中、震えながら座っている落窪の君を見つけました。

手を広げて落窪の君を腕の中に仕舞い込むように抱き締めました。


「お(ひい)さん!」

「少将さん……。ほんまに少将さんであらしゃいますのね。」

「私や。右近の少将。

 ようやっと救い出せる時を得られた。

 さぁ、私と二人でこの邸を出ましょうぞ。」

「出ても宜しのでございますか?」

「出て貰わな私が困ります。

 これからは二人で暮らすのやから……。」

「少将さん……嬉しゅうございます。」

「さぁ、早う出ねばならぬ。

 お姫さん、共に参りましょう。」

「はい。」


少将は落窪の君を抱き抱えるように車に乗せました。


「さぁ、阿漕も乗れ。共に参るのやろ?」

「今暫しお待ち下さりまし。」

「阿漕?」


阿漕は典薬の助からの文を目につく所へ広げて置いて出て来ました。

そして、落窪の君の櫛の箱や身の回りの品を忘れずに持ち、牛車に乗りました。


「二条へ……参ろうぞ!」


少将の言葉で、牛車は飛ぶように中納言家の門を出ました。

供の屈強な男たちが前後を守り、牛車は少将の二条の邸へと向かいました。

惟成も阿漕も嬉しくて堪りません。

少将は、やっと得ることが出来た掛け甲斐の無い妻を、腕の中に仕舞い込んで幸せを感じています。

落窪の君は、夢ではないかと思いながら少将の腕の中で、やっと訪れた幸せを噛み締めています。

上手く救い出せた喜びを皆が感じながら、二条の邸へと向かっています。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



公廉は物語を書いている孝子を案じて言いました。


「書きましゃってて宜しのか?」

「大事ございませぬ。」

「誠にか? 無理をしては成らぬのやぞ。」

「はい。無理はしておりませぬ。」

「誠にか? 誠に無理をしてはおらぬのやな。」

「はい。」

「その言葉に偽りはないのやな。」

「吾が君さん。お信じ下さらぬのでございますか?

 それは、悲しゅうござりまする。」

「否、其方を信じてない訳やない。

 ただただ、案じているから……それだけや。」

「では、お信じ下さるので?」

「信じるぞ。信じておる。」

「嬉しゅうございます。」

「う……うむ。」


今日の公廉は物語の感想など全く無く、孝子の身を案じる言葉だけでした。

にがにがしい…悪くなる様。

心文字…心配。

すなわち…直ぐに。

おとしめし…老人。

おするする…ご無事に。

おいど…お尻。

おなか…腹。

おうつとり…心が塞ぐこと。

おとしめし…老人。

すなわち…直ぐに。

下知(げじ)…上から下への指図。命令の意味です。

牛の刻…現在の時刻で11:00~13:00です。(おおよそ正午頃)

下簾しもすだれ…車に乗っている女性を隠す簾。女性用の車に掛けます。

うちたて…錠を差すために戸につける金具のことです。



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