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一条戻り橋  作者: yukko
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源中納言家の帰還

公廉(きみやす)は優しい日差しの中を孝子(よしこ)と歩きたいと思いました。

孝子の体調が良いこの頃、⦅ならば……!⦆と思い立ったのです。


「のう、孝子。少し外を歩いてみないか?」

「外を……でございますか?」

「うむ。歩こうぞ。少しは歩くと身体に良さそうじゃからの。」

「では、お供仕りまする。」

「おう、付いて参れ。」

「まぁ……おほほ……。」

「わはは………。」


孝子が声に出して笑ったのは久方振りでした。

釣られて公廉も大きな声で笑いました。

公廉が先を歩き、その後ろを孝子が歩きます。

二人は邸の裏に流れる小川に行きました。


⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



夜が更けていきました。

落窪の君は少将と二人で仲睦まじく過ごしています。

阿漕は自室へ戻りました。

部屋では惟成が寒さに身を震わしながら、火鉢に当たっています。

濡れた衣を火鉢で乾かしながら……。


何故(なにゆえ)、これほどまで濡れてしまったの?

 傘は? 持っていなかったの?」

「大傘に若様と二人で入ってたのだ。だがな、途中で(えら)い目に遭ったんだ。」


惟成は雑色(ぞうしき)達に乱暴な目に遭ったことを話しました。

阿漕は怖くなりました。


「なんということでしょう! 

 上つ方であられる少将様がそんなに大変な目に遭われるなんて……。」

「そんな御苦労と危険を(おか)して姫君との逢瀬を守られたんだ。

 若様がどんなに姫君を想っておられるか、分かっただろう?」

「ええ!とは言えないわ。」

「なんだと?」

「これから先を拝見しないと、今の所はまぁまぁ……といった所でしょう。」

「阿漕っ! 本当に女は……強欲だな。」

「えっ? 強欲ですって!」

「そうだろうが、若様の御苦労と危険を『まぁまぁ……。』?

 酷いじゃないかっ! これから万が一にでも、若様の御心が移ろったとして

 今宵のことに免じて30回くらいは不問にして差し上げるべきだぞ。」

「それって、少将様に(かこつ)けて自分のことを言ってるのではないの?」

「違うぞっ!……でも、そう考えてくれても悪くないな。」


そのように話し合っている二人は笑っています。


「所で、若様は三日夜(みかよ)の餅を召し上がれたのかい?」

「ええ、召し上がって下さったわ。

 これで、露顕ところあらわしの儀を無事に終えられたわ。

 ……私、驚いたの。」

「何を?」

「少将様……本当に露顕ところあらわしの儀は初めてでいらせられたわ。

 あのようなお方が、初めて何て………。」

「阿漕は疑っていたんだな。」

「ええ、でも今は違うわ。

 少将様にとっても初めてでいらせられた露顕ところあらわしの儀だと

 良く分かったわ。

 だから、嬉しいの。本当に嬉しいのよ。

 姫様に最良の公達をお迎え出来て嬉しいのよ。」

「若様をお連れした私を褒めてはくれないのかい?」


仲睦まじく話をしているうちに、夜が白み朝の光が部屋に入って来ました。

共寝をしていた阿漕は急ぎ起きました。


「今日は石山詣でお出かけなさっていられる方々がお帰りになられるの。

 だから、早く御支度をせねば……。」

「おい、阿漕……。」

「急いでるのよっ!」


阿漕が手水(ちょうず)や朝食の支度をしていました。

阿漕は気が気ではありませんでした。


⦅あぁ……もう、折角ここまで旨くいったのに! 

 石山詣に行っていた人が、もう直ぐに帰って来られるのね。

 あの北の方がいつも通り急に姫様の部屋に来てしまうでしょう!

 姫様がお可哀想だわ。⦆


少将が源中納言家に着いたのは遅い時間でしたので、朝は直ぐにやって来てしまいました。


「さて、どうやって邸を出たものでしょう。

 こんな格好で、人目についたら大変ですからね。」


そんなことを言いながら、少将は落窪の君と共に居ます。

少将は忙しく働いている阿漕から「源中納言家の方々がお帰りになられる時間が迫っている。」との知らせを受けました。少将は、今直ぐに邸を出ることを決意しました。


「車を取りにやってくれ。気付かれぬように出て行こう。」


しかし、時既に遅く源中納言家の石山詣への一行が邸に近づいています。


「おや、今さら出ても間に合うまい。車が不要になってしまったな。」


少将はそう言うと、これ幸いと部屋を出ずにその場に留まってしまったのです。


「まぁ……もうお帰りになられたのですね。」


落窪の君は⦅この部屋に少将様がいらせられる。こんな隠れる場所もない狭い部屋で、もし誰かが来てしまったらどうしましょう・・・。⦆と居ても立っても居られない思いです。

北の方が知ったらと思うと恐怖が押し寄せて来ました。


一方、阿漕もあわただしく動き回っていました。

少将に手水を……そして朝食を差し上げて忙しく働いていますが、如何せん身体が足りません。

⦅あぁ、もう一人手伝いがいれば……。⦆と思っている所へ久し振りに大きな声がしました。


「阿漕! どこに居るのじゃ! 早う、出迎えなさい! 阿漕!」

「は、は……い。只今、参ります。」


中納言家の人々が屋敷に帰って来てしまったのだ。


三の君付きの女房ですので、襖障子を開けて中に入ることはせずに、格子戸を二つ隔てて北の方の前に参上すると、早速、北の方のお小言を受けました。


「お帰りなさいまし。」

「どこに行ってたのじゃ。遅いではないかっ!

 他の者たちは疲れきっているっていうのに、其方はずっと休んでいたはずじゃ。

 それなのに、出迎えにも出てこないなどと……一体どういう了見じゃ!

 あの落窪に忠実なだけの其方のような……私達には使えない者、おらぬはっ!

 こんな不真面目な者は、落窪に返してしまおうか。」

⦅まぁ、そうして下さいまし。姫様にだけお仕えしたいのですもの。

 でも、そんなことを言えば、どうなるのか……。謝っておこう。⦆

「申し訳ございませぬ。色々と散らかっておりましたので。

 皆様がお帰りになる前にと片付けておりました。」

「あぁ、もう良い! 早うお手水を持って参れ。」


阿漕はその言葉に従って、手足を洗う水を取りに行きました。

なんとか少将のことは気づかれずに騙しおおせたと思うと、足ががくがくして地に着いていないように感じました。

そして、急ぎ、北の方を手伝いました。

それから、源中納言家の人達がやっとのことで埃を払いました。

阿漕は源中納言家の人達の夕餉の食膳に着いたのを見てから台所に来ました。

下働きを呼んで叔母がくれた白米と交換して少将と落窪の君の食事を貰い受け、落窪の部屋に二人の食膳を出しに行きました。


食膳にあまりにも色々なご馳走が並んでいるので、姫がこういったものに不自由だと聞いていた少将は不思議に思いましたが、おそらく阿漕が走り回って揃えたのだろうと思い、ひどく奥ゆかしく思えたのです。

⦅無理をしたな。このような時に……。⦆と少将は阿漕の働きを健気に思いました。

姫も⦅いつの間に、このように整えてくれたのかしら?⦆と思うと、阿漕の苦労が偲ばれて胸がいっぱいになり食べられませんでした。

少将も食が進みませんでした。

昨夜の餅でまだ食欲が無いのではありません。

あちこちから聞こえる人の声や物音の為に、落ち着いて食べられなかったのです。

⦅この有様では、暫くは邸から出られぬな。⦆と少将は腰を落ち着けることにしました。


阿漕は少将と落窪の君が残された食事を鍋に移し変えて綺麗に盛り付けて、惟成に出しました。


「長いこと阿漕の所に通って来た私だが、こんなお下がりを貰えたことは一度も

 無かった。

 やっぱり若様が通われたからなんだろうな。」

「北の方のご温情があってね。その門出のお祝い。」

「うわ、恐ろしい話よ。北の方のご温情などと………

 槍が降るぞ。それとも物の怪かな?」


阿漕と惟成はそう言って、顔をつき合わせて笑い転げました。


⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



優しく流れる小川の(ほとり)を孝子を伴って歩いている公廉は⦅この小川の流れのように、いつまでも流れていて欲しい。孝子の命も、この流れのように……長らえて欲しい。⦆と思いながら、小川の流れを眺めています。


「吾が君様、今日はありがとうございます。」

「何がじゃ?」

「このようにお連れだしあらしゃって……。」

「そのようなこと………気にしなくとも良い。

 其方が外に出るのは戻ってから初めてだな。」

「はい。」

「疲れてはおらぬか?」

「いいえ、清々しい心持でございます。」

「そうか……疲れては成らぬ故。歩いて間が無いが、早々に帰ろう。」

「はい。……あの吾が君様。」

「何じゃ。」

「また孝子と歩いて下さりまするか?」

「勿論じゃ! 何時でも言えば良い。」

「はい。」


部屋に御戻ってから孝子の身体を案じた公廉は床に()すことを孝子に命じたのです。


「良いか。休むのじゃ。」

「なれど……。」

「良いから休め。床に臥しておれば良いのじゃ。」

「はぁ………。」

「さぁ、早う、早う。」


無理やり床に臥されてしまった孝子は溜息を洩らしながらも⦅吾が君様は案じて下さるけれど、私は大丈夫なのに……でも、吾が君様のお優しさに私は……ただただ嬉しく、この上ない幸せだと感じている。⦆と思っています。

手水(ちょうず)とは、顔や手を洗うことです。

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