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一条戻り橋  作者: yukko
21/95

鏡箱と几帳

孝子の娘の元へ通う婿殿には他にも通われている方が居ました。

孝子は娘を案じていますが、案じても何も出来ないことも分かっています。

⦅はぁ~~っ、私に()()()()があったら……北の方として迎えて貰えるやろうに……()()()()が無い私の娘(ゆえ)。許しとくれやす。許して……。⦆と思っています。

僅かな希望だった姫君の乳母としての立場も、病を得て姫君に永のお暇をした時点で手放してしまったのです。

孝子は母として神仏に祈りました。

⦅どうか子らに幸あれ。⦆と祈りました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



右近の少将は邸を出ることが出来ずに、落窪の君の部屋で微睡(まどろ)んでいました。

微睡んでいると昼を過ぎてしまいました。

そんな時、滅多に落窪の君の部屋に来ることが無い北の方が一人でやって来たのです。

北の方が部屋に入ろうとすると、部屋を遮る中隔ての障子が、固くてなかなか開けられません。


「おやっ? 開けられんやないか……なんで、この戸を閉めてるんや! お開けや

 す!」


落窪の君の部屋の中に居る少将と落窪の君、そして阿漕。

この3人は驚いて顔を見合わせました。

落窪の君は怯えてしまって、気を失う寸前です。


「落窪! 何をしているのや。早う、開けなさい!」


少将は言いました。


「開けなさい。構わぬ。」

「少将さん……。」

「私は几帳の後ろで衣を被って隠れて居よう。」

「けれども……。」

「見つかったら、見つかった時のことや。気になさらんと、宜しですね。」

「は……はい。」


少将の言う通りにすべきですが、阿漕は時を稼ごうとしました。

苦し紛れの言い訳を………。


「お(ひい)さんは、今日明日と物忌ものいみで謹んであらしゃいます。」

「阿漕っ! 其方は三の君の女房のくせに、落窪の部屋に……!」

「申し訳ございません。……お姫さんが物忌でございますので……。」

「この邸は落窪の邸や無い! 己の邸も持たぬ身の落窪如きが……物忌?

 図々しいことこの上なしや。

 己の邸や無い。物忌などお止め。

 ()()()()開けなされ! さぁ、早う。お開け!」


これ以上北の方を怒らせてはならないと落窪の君は阿漕に言いました。


「阿漕、開けとくれやす。」

⦅少将さんに北の方の罵りを聞かれとうありませぬ。⦆

「……はい。」


阿漕は鍵を外しました。

北の方は荒々しく戸を開けて入って来ました。


「二度と勝手に鍵など掛けると承知せえへん………おやっ?」


いつもと違う落窪の君の部屋。石山詣に行く前と変わっている落窪の君の部屋。

いつになく綺麗に片付いて、几帳まで立っています。

姫君も美しく着飾って、部屋の中には香の香しい香りが漂っています。


「なんでや……なんで、この部屋は……こないに()()()()に……まるで違う。

 私の留守中に何かあったのかえ? 香まで焚いて……。」

「……何もございません。」


少将は几帳のうちから、そっと北の方を覗き見⦅気が強そうなお方に見ゆる。意地も悪そうに見ゆる。⦆と思いました。


「ほんまのこと?」

「は………い。」

「さよで………何も無かったのやったなら、それで宜し。

 そやそや、ここへ来た用事を忘れる所やった。

  実は旅先で良い趣の鏡を()()()()ましたんや。

 そや、落窪……。

 其方、趣がある良い鏡箱をお持ちやったわねぇ。

 あれを暫くお貸し頂きたいのやけれど、どない?」

「はい。どうぞお持ち下さりませ。」


落窪の君は直ぐに返事をしました。

元々、物惜しみしない人でしたが、今は⦅少将さんが居ることを北の方に知られとうない。⦆ことと⦅早う帰って欲しい。⦆一心で鏡箱を譲ったのです。

「まぁ、ありがとう。心安く物を貸すのはええ心掛けですえ。」と言いながら北の方は落窪の君の鏡箱を引き寄せますと、箱の中から姫の鏡を取り出しました。

そして、代わりに自分の新しい鏡を入れますと、まるで誂えたかのように、すっぽりと綺麗に収まりました。


「あらっ、丁度ええ大きさやわ。この鏡箱の古い蒔絵はええものやわ。

 趣がある鏡には、やはり趣があるええ蒔絵の鏡箱が合うものやねぇ。」


北の方は自分の物になったかのように鏡箱を撫でています。

阿漕は北の方のやり方が憎くて仕方なかったので口を出しました。


「あの、こちらさんの箱は如何致しましょう。

 箱が無ければお困りになりましゃいます。」

「それはまた別な物を持たせる故。お待ちやす。」


北の方は満足そうに鏡箱を抱いて立ち上がりました。

ふと、あたりを見渡した北の方が几帳に気が付いたのです。


「この几帳は誰のものですのや? どこから持って来ましたんえ?

 他にも見慣れへん物があるやないの……。」


落窪の君は几帳の内側を覗かれないかという恐怖で返事も出来ません。

⦅少将さんのお耳に……この言葉を入れとうありませなんだ。⦆と落窪の君は恥ずかしくもありました。

今まで几帳などの調度品が無かった部屋だと少将に知られたことも落窪の君は恥ずかしく思われました。

阿漕が落ち着いて落窪の君の代わりに返事をしました。


「その几帳は私の知り合いから借りた物でございます。

 いくらなんでも几帳が無いのは、()()()()()ことでございます。」

「へぇ~~っ、さよか。」


そう言いつつも、尚も北の方は疑わしそうに部屋を見回してから出て行きました。

阿漕は憤慨しています。

北の方に部屋の中の声が届かないと思う場所まで行った頃……「あぁ! また()()()されましたわ。あの鏡箱は本当に見事な品でございましたのに……。」と悔しそうに阿漕は言いました。


「北の方さんはお姫さんに何か()()ことなんぞございませんのに………

 北の方さんはお姫さんのお道具をこないな風に()()()なさりましゃるのですか

 ら!

 北の方さんは食器ですら、()()()なさいましゃいました!

 この前、他の姫に婿を取った時などは『修理して上げましょう。暫し、お待ち

 を』などと仰せ遊ばして、屏風も何もかも、()()()なさいましゃいました。

 今ではまるで自分の物のようにお部屋に立てたままお忘れであらしゃいます。

 こないなことが続いておりまする。

 お姫さん、お父上の中納言様に訳を話して取り返して頂きましょう。

 そうせんと、お姫さんのお道具らが、あのまま北の方の姫様方の物に

 成り果ててしまいます!」

「阿漕……。」

「お姫さんのお持ちの物は片端から、()()()なさいましゃいますのを、お姫さんは

 お人が良うあらせられます故に………。」

「宜しではありませんか。貸してください!と仰せ遊ばされたんやから、ね。

 いつかお返し遊ばしますでしょう。」


少将はおっとりして人が良い落窪の君の性質を好ましく思い、より一層、落窪の君を愛おしく思われました。

少将は几帳を押しやり出てくると、落窪の君の傍に行き優しく抱きしめました。


「北の方は思ったより若い方やった。

 北の方の姫さんらは北の方に似ておいやすのかな?」

「いいえ、皆さん()()()()()()あらしゃいます。

 北の方さんを悪いお方やとお思いであらせられるのですね。

 それにしても北の方は、少将さんが覗き見られてあらしゃったと知ったら……

 どないに仰せであらしゃいましょう。」


そう言って笑う様子に、落窪の君が少将に打ち解けてきたのを感じて本当に可愛いと思いました。


⦅普通の姫君と大差ないと、()()()()やからと邸に出えへんかったら……

 この人を諦めていたら……今のこの想いを一生感じずに過ごしたやもしれぬ。

 あぁ、あの()()()()の中を来て良かった!⦆


少将は落窪の君への想いで心が満たされていました。

そこへ北の方が取り上げた鏡箱の代わりの品を女童(めわら)に持たせて寄越しました。

九寸くらいの黒い漆塗りの箱で、深さは三寸ほどで、古ぼけて漆が所々剥げ落ちている物を差し出して、「これは絵が剥げて黒っぽいですが、漆が枯れて大層ええ品です、と北の方が仰せ遊ばしました。」との口上でした。


()()()な口上ですこと。

 漆が枯れて……ねぇ。物は言いようでございますね。

 こないな薄汚く()()()な物……お姫さんに使わせようとは……。

 お姫さん、鏡はこないな箱にお入れ遊ばさず、出されたままになさいませ。」


阿漕が頻りに憤慨してそう言いました。

阿漕が落窪の君の鏡を鏡箱に納めてみると、その寸法があまりにも違っていました。


「大きさも……鏡を納められないではありませぬかっ!

 こないな物をっ!」

「阿漕、そないなこと言うてはなりませぬ。」


阿漕を嗜めた落窪に君は女童に言いました。


「ありがとう(かたじけの)うございました。結構なお品でございます。

 そう申し上げておくれ。」

「はい。」


そう言って落窪の君は女童を退がらせました。


少将は興味深げにその鏡箱を手に取って眺めました。

⦅よくもまぁ、こないな物を取っておきしゃったもんや。⦆と思わせるほど古くて使い古した物なので、思わず吹き出してしまいました。


「ほほう……北の方はよくもまあ、こないな古びた物を見つけ出されたもんや。

 それはお大事にしまってあらしゃったのやろな。

 今では、お目に掛かれぬ値打ちの代物(しろもの)でございますね。

 ほんまに畏れ多いことや! ご厚意を有難く頂戴せな……な。」


三人揃って思わず笑い声を立てました。

その日は一日中、少将は落窪の君の部屋に籠っていました。

少将と落窪の君は、夜通し二人で語り合いました。

夜明けと共に、少将は惟成を従えて、そっと邸を発ちました。

落窪の君はその後姿を見送りながら、急に訪れたこの幸せが、まだ信じられません。

いつ、この幸せが北の方によって引き裂かれてしまうようで恐ろしい想いもしています。


「それにしても、阿漕。

 色々、整えてくれてありがとう。

 嬉しかったわ。少将さんを御持て成し出来たのは其方のお陰やし。

 取り分けて、この几帳。ほんまに嬉しかったわ。」 

「叔母が良うしてくれたのでございます。

 お姫さんがこないにお喜びさんにあらしゃいまして、この几帳がほんまに役立ち

 ましてございます。

 几帳が無ければ少将さんを御隠し出来しません。

 ほんまに几帳があって宜しゅうございました。」

「誠に………何よりも其方の心遣いがあればこそやと思うてますえ。

 其方が後見で宜しおした。 この御恩は忘れませぬ。」

「何を仰せ遊ばされます! (かたじけの)う勿体のうございます。

 何よりも嬉しいことは少将さんの御心であらしゃいます。

 ようやっと、ようやっと、お姫さんがお幸せになりましゃる……

 このめぐり逢いが嬉しゅう存じます。」

「けれども………お(もう)さんやお継母(たあ)さんがお許しなりましゃいませぬやもしれへ

 ん。」

「どうかご安心あらしゃいませ……。

 お姫さん、右近の少将さんは男らしいお方であらしゃいます。

 例え、中納言様が、北の方様が何と仰せ遊ばそうとも………

 必ずや、お心を貫いて下さいます。

 阿漕はそのように存じます。」

「阿漕………そうであれば、この上のう……。」

「お姫さん、ご案じ遊ばしますな……。

 そして、そのような事態になれば………。

 この邸の皆の鼻を明かしてやることが出来まする。

 ………そないなった暁には、どないに嬉しいことでしょう。」


落窪の君と阿漕の話は弾みました。 

 


⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



公廉は無官の身。それ故の心労もありますが、生来の明るい性質によって⦅飢えて命を失うことはあるまい。⦆と軽く考えています。

いいえ、そう考えないと日々の暮らしが辛いものになってしまうからです。

ただ、孝子の身体を癒すためには何でもしたいと思っています。

その想いがあっても出来かねることがあるのが、この世の常なのでしょう。

そんな日が来ないことを公廉は祈っています。

おたから…お金。

きゃもじな…華奢な、綺麗な、清潔な。

こしらえる…買う。

おいとしい…気の毒な。

ともじ…盗むこと。取られること。

すなわち…直ぐに。

くす…貰う。

おいとぼい…可愛い。

おさがり…雨が降ること。

けもじ…奇妙な。

そもじ…粗末。

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