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Overture2202(13)

 その時まで、プライマリーはただの《人形》に過ぎなかった。

 公式の記録に残る最初の人形である以上、ただのと表現するのは語弊があるかもしれないが、少なくともその時点ではプライマリーに『何かをしたい』という能動的な考えはなく、与えられた事を受け入れ、処理する事が行動の基本となっていた。

 ──切っ掛けはそう、アルフレッドの私室の隣から聞こえてきた『音』だ。

 そこはアルフレッドの寝室(と言ってもまともに使用される事は滅多にないが)で、初めて耳にした『音』はプライマリーの知識と照らし合わせても『不適合』なものだった。

 確かに数日前からその部屋を工事関係の人間が出入りしていた。大がかりではなかったが、どうやら改装していたようだ。

 理由を聞こうにも当の持ち主であるアルフレッドはいつも以上に多忙らしく、しばらく顔を合わせていなかった。

 彼の助手的な立ち位置にいるロイも何も聞いていないらしく、プライマリーに尋ねてきたくらいだ。

 今までなら工事について何かしらの説明があるのでこちらへ知らせがまったくないという事には少し違和感を感じはしたが、まともな会話も出来ないほど多忙だからだろうとプライマリーは放置していたのだが──。

 改装が終わった後、人々の出入りがなくなってからその『音』は聞こえだした。

 隣の部屋に待機していれば、人よりも何倍も良い聴力は音を拾う。通常は無人で物音一つしないそこから伝わって来たのは明らかに何かがいる気配だった。

 それが普通の生活音であれば逆にそこまで気にかけなかったかもしれない。

 いかにアルフレッドがプライマリーにとって管理権限者マスターであり、制作者クリエイターであろうと、求められない限りはそのプライベートに口を挟む権利など存在しない。

 それでもその『音』にプライマリーが興味を抱いたのは、何者かがそこにいる気配はするのに、奇妙なほどに物音がしないからだった。

 人間という生き物は無頓着に音を発生させる生き物だ。足音、咀嚼、寝息──本人が意識しない領域で様々な音をたてる。それが一般の人間とは比べ物にならないほどに微弱なのだった。

 まるで野生動物のようだ、とプライマリーは与えられた知識からそんな結論を出す。

 だが、この《連邦》では特に理由がなければ愛玩動物の類は飼う事を許されていない。というのも旧時代に多くの動植物が絶滅種に追いやられた結果、そうしたものも大半が保護対象となってしまったからだ。

 そうでなくてもアルフレッドにそれらを飼う理由はないし、知る限りではそうした生き物に興味があるとも聞いてはいない(嫌いではないようだが)。

 ──それならこの奇妙な『音』はなんだ?

 興味というよりはむしろ『マスターを保護せよ』という一種の刷り込み的な指令から、プライマリーはその部屋の中を改めようとした。

 不審者がいるとは思えないが、万が一という可能性もある。人間であっても特殊な訓練によって生活音を極限にまで減らす事は可能だからだ。

 アルフレッドの経歴は何しろ目立つ。政治的権力とは無縁だが、その才能に嫉妬する人間がまったくいない訳ではないはずだ。

 この頃にはプライマリーは駆動系の問題による活動時間の制限はほぼなくなっており、立ち入り禁止区域以外であれば自由に動き回れるようになっていた。

 だが、まだ後にアルフレッドに畏怖を抱かせるほどの『人と相違ない』段階ではなかった為、その時の行動はプログラムに従ったとは言え、ある意味では初めての自発行動と言えただろう。

 管理権限者であるアルフレッドのプライベートスペースは制限をかけられていなければ自由に出入り出来る。今まで必要がなかったので立ち入った事は数えるほどしかないが寝室もそうだ。

 プライマリーは何の用意もなく、無頓着に部屋の前へ移動した。ツクリモノであるが故にほとんど音をたてずに行動する事が出来る。

 ──そう、常人ならば気付くはずがなかったのだ。なのに。


「……いるんだろ?」


 中からそんな確信のこもった微かな声が聞こえた時、プライマリーは自分の推察が合っていたこと、そしてその対象が己の『想定』を超えるものである事を知った。

(──人間?)

 まずプライマリーはその疑念を抱いた。この場合、それはいわゆるヒト科であるかという意味ではない。

 法令──《バイオリミット》と呼ばれる、制限法において定義された『人間』であるか否か、だ。

 もしそうでなければ、プライマリーは即座に上層部に報告し、この部屋の中にいる『ナニカ』を処分するよう求めなければならない。仮にプライマリーに攻撃能力があれば、自らそれを行う事になっただろう。

 何故ならバイオリミットに触れる者は、構造的にヒトであってもヒトではないと見なされているばかりか、即刻通報・処分するように定められているからだ。

 だが、すぐにプライマリーはその疑念を自ら却下した。そうであるなら、いかなる理由があろうとこんなすぐ側を一般人が闊歩するような場所に置くはずがない。併設している軍部にそうした危険人物を収容する施設があるのだからそちらに入れるのが筋だろう。

 何よりここはアルフレッドの私室なのだ。彼は血縁の者が一人も残っていない天涯孤独の身と聞いているし、レジスタンスの中でも特にブレイカー(バイオリミットに抵触する者についた呼称)を憎んでいたはずだ。

 何故《人形》制作に従事する事になったのかと尋ねた時、そのような事を彼は答えた。もちろん、それが建前である可能性も無ではないが、まったくの出まかせという事もないだろう。

 まだまだプライマリーは人の感情の機微をそこまで推察出来ないものの、その時のアルフレッドはとてもわかりやすい感情を削いだような硬い声をしていたのだから。

 行動に迷ったのはほんの僅か。その迷いを見透かしたかのように、扉の内から聞こえる声は続けた。

「入れば? ……どうせ、こっちは何も出来ない」

 何処となく投げやりにも聞こえるぞんざいな口調。どうやら比較的若い女性のもののようだった。少なくともプライマリーの知る《連邦》所属者のどれとも一致しない。すなわち、知らない人間だ。

 居住区と研究・開発セクションの一部に関して行動制限をかけられていない程度に『自由』の身だが、これでも『特注品』である。第三者との接触は誰かしらの付添がある事が望ましいとされていた。

 だが、今ここにはプライマリーしかいない。そして行動を求められている以上、何かしらのアクションをせねばならない。

 おそらくこのまま立ち去り、詳細を知るであろう人物──アルフレッド──に説明を求めるべきだ。だが、プライマリーは動けなかった。

 部屋の中にいる人物は入室を求めている。そしてプライマリーはその部屋に入る事を禁じられてはいない。その部屋は管理権限者であるアルフレッドの私室である。

 危険性は低い──総合的に判断し、プライマリーは行動に移した。

 『備品』という認識である為か、外部からも(ついでに内部からさえ)難攻不落で知られるセキュリティはあっさりと中へ入る事を許す。

 微かな音と共に開かれた扉の向こうに広がる広いとは言えないその部屋は、無人状態であるかのように光源を落とされ真っ暗だった。

 人と異なる『眼』を持つプライマリーだが、戦闘用の人形ほど暗視には優れていない。想定を超えた暗さに戸惑いながらも闇を透かして室内を確認すれば、そこはかつてとは随分と様相を変えていた。

 奥に寝台が備え付けられているのは以前と同じだが、それはアルフレッドが使っていたシンプルなものではなく、様々な機材が添え付けられた物々しいものに代わり室内の空間を狭くしている。

 室温も随分と低く設定されているようだ。プライマリーの温感センサーはそれが『肌寒い』ものだと伝えている。

 寝台を取り囲むほとんど稼働音がしない極限にまで音を抑えている思われる数々の機械はプライマリーも初めて見る物がほとんどだったが、その用途は理解出来た。

(──医療用だ。それも、特殊治療用の)

 音と光を抑えているのは、それらが良くも悪くも人体にとって刺激となるからだろう。それらを必要とする事自体、この部屋にいる存在が只の人間ではない事を示している。

 そうでなくても室内にはうっすらとだが消毒剤と薬剤の臭いが漂っていて、この部屋の用途がただの『寝室』ではなく、『病室』の一種である事は間違いなかった。

 そしてその物々しい寝台の上に横たわる人影が一つ。

「──あなたは誰? どうしてこの部屋にいるの」

 プライマリーはあえて初対面の人間と会話する上で必要とするプロセスを全て飛ばして単刀直入に問い質した。相手が何者であれ不審者である事には変わりない。悠長に自己紹介や挨拶から入る必要性を見い出せなかったからだ。

 だが、先程まではまるでこちらの事を扉越しでありながらも見透かすような事を言っておきながら、相手はすぐには返事を返して来なかった。

 寝台の上に横たわる人物を探るように見れば、どうやら相手は大きく目を見開き、ひどく驚いているようだ。やがてぽつりとその口から声が零れ落ちる。

「……子供?」

 ──それがプライマリーと『アンジェ』の出会いだった。

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