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礫の又蔵  作者: ひざ小僧
序章
1/9

礫の又蔵

「親分! 起きておくんなせぇっ! 」


「・・・ んがんごっ お、ぶ、文吉けぇ・・・ なんだ、早ぇじゃねえか」


「早くないですよ、親分! もうすぐお昼じゃありませんか。親分はほんと、朝弱いんだから」


「すまねえな・・・ カミさんが亡くなってから、とんとだらしなくなってよ」


「あぁあぁ、なんか酒くせぇっすよ・・・ まあね、あっしはまだ、祝言あげてねぇですけど、親分の気持ち、なんとなくわかりやすよ。朝ごはん、どうしますか? 」


「あぁ、そこまでしんぺいするこたぁねえよ・・・ で、朝っぱらから、何かあったのかぃ? 」


「ええ、この先の長屋でちょいともめごとがありやして。町役人もおいでいただきてぇって申すんで」


「やれやれ、騒々しい長屋だな、じゃ、出張(でばってくるか」


「早くお支度なすって、お願ぇしやすよ。」





「・・・ で、何事でぃ」


「ご足労おかけしまして、あいすみません。この甚平長屋の大家をしておりやす、圭ノ介と申します」


この時代、長屋の大家といえば、親も同然という。大概、長屋の建物の所有者は別にいて、大家は管理人として所有者に雇われている身分だ。大家は家賃の取り立ての責任を負うほか、様々な行政上の命令やお達しなど、お上の命令は町役人を経て、長屋の大家にたどりつく。大家が店子に法令を伝達するわけだ。


「こんなつまらねえことでお呼び立てしてもうわけありませんが・・・ うっとこの長屋に、夫婦もんで『カン吉』ってのがいるんですが、ゆうべ、夫婦喧嘩やらしまして」


「なんでぃ、夫婦喧嘩かぃ。そんなもん、犬に・・・ 」


「又蔵親分、普通の夫婦なら放っておけばいいんですが、カン吉の嫁ってのがやたらにでかい女でしてね、小さいときは『相撲取り』なんてあだ名がついてたぐらいなんでさぁ・・・ それがおお泣きして暴れまわるもんで、長屋全部がガタガタ、ミシミシいって、危ないんですよぅ。今、少し落ち着いてるんで、親分さんに解決してもらおうと・・・ 」


「そんな大女なのけぇ。どれ、会わせておくんな」





「おい、カン吉! 親分さん連れてきたぜ! 」


大家がカン吉を呼ばわる。なるほど、大女が暴れりゃ倒れちまいそうな古い長屋だ。戸の奥に、山かと思うような大女が背中を丸めて震えている。泣いているのか?


その横に、男の割には小さな男が、口をへの字に結んであぐら座りしている。これが、カン吉か。大女に小男、(のみ)の夫婦ってわけだ。


「いってぇ、喧嘩の原因はなんでぃ? 」


大女に声をかけてみた。


「この宿六やどろくが、浮気したんですよっ!」


なんだって? 浮気かい。まあ、これが女房なら浮気したい気持ちはわかるが(おっとしまった)、ずいぶん勇気があるじゃないか。この嫁じゃ、ばれた日にゃ実際に殺されちまいそうだ。


「違うっていってんだろ、しつけぇな! 」


お、意外に気が強ぇんだな、カン吉。


「じゃあ、およしのところで一体何してたのよっ! 」


「お良ってぇのは誰でぃ? 」


「隣の長屋に住まっている未亡人で、これがまた、色っぺぇのなんのって・・・ あいたっ! なにしやがる! 」


大根が飛んできて、大家のおでこに命中した。


「その女狐の部屋に、亭主が入ってったんですよ! ああ、けがらわしい! 」


「お良さんの悪口はおよし! 」 ・・・しゃれですかね?


「親分さんっ! 馬鹿亭主が、お良の部屋で何してたか、言わないんですよ! 」


「お前の考えてるようなことじゃねぇんだ。変なこと考える、お前の方がけがらわしいや! 」


「キィイイーーー!! 」


また暴れだしそうになったので、大家と文吉と俺で抑えつけた。


「おい、文吉。ひとっ走り、お良のところへ行って、話を聞いてきてくれ」


「へい! 」


「おい、カン吉。文吉が帰ってきたらどうせ知れてしまうんだ。何があったかてめぇの口から言っちゃもらえめぇか」


カン吉、しばらくためらっていたが・・・


「・・・ へぇ、親分・・・ こんなに嫁に信用がなかったかって、業っ腹だが、親分さんの前じゃ仕方ねえ。・・・ 実は、これでさぁ」


ごそごそと部屋の隅にある行李の中から、何かを取り出した。



「それは… 腹帯? 」


「へい。水天宮様の腹帯でさぁ・・・ 」


嫁は目をマン丸くしている。「あんた、なぜそれを? 」


「おめぇのことは何でもすぐわかるんだよ。毎日一緒にいりゃあ気づくさ。


おめぇ、しばらく前に、源斎先生のところに行ったろう。そこの・・・ なんていったか、変わった名前で、やたら顔つきのいい、お弟子さんがよ、通りで会ったら、『おめでとう』って言ったんだ。おいら、訳がわからねぇで聞いたらよ、『おめでた』だっちゅうじゃねえか。おいら、うれしくってよぅ。おめぇが(はら)んだと知って、何か祝いをしたくてよ。


・・・ お良さんにはよ、お前は知らなかったかも知れねえが、実家に預けた娘さんがいなさるんだ。お良さんの蕎麦屋で、聞きつけたんだよ。


それで、なんちゅうか、母親としてはよ、どんなもんがお祝いとしてもらったらうれしいか、聞いてみたくってよ・・・ お前を驚かせたくて、内緒にしようとしたもんだから、馬鹿な誤解のもとになっちまった。蕎麦屋で話すりゃあよかったんだが、この長屋の連中もしょっちゅう行ってる店だしな。


お良さんは、笑ってたよ。特別なことをすることはねぇ、毎日息災で家に帰ってあげりゃいいんですよって。でも、気持ちだというなら、安産祈願で有名な、水天宮様がいいんじゃねぇかって。お守りでもいいし、腹帯なんか特に有名ですよってな」


「あんたっ! それ、本当かい。・・・ ごめんなさいよ! 許しておくれよ! 」


そういってガバとカン吉に抱きつき、また派手においおいと泣きだした。カン吉は、自分より一回りも大きい嫁にあまりとどかない腕をまわして、背中をなでてやっている。大女だが気持ちの小さい女。小男だが気持ちの大きな男。われなべになんとかっていうところか。


文吉がほどなく帰ってきて、カン吉と寸分たがわない証言をした。


やれやれ、一件落着だ。のみの夫婦、そのうち「うれしぃよう」「ほれてるよぅ」だとかいちゃいちゃしだしたので、ばかばかしくなって、大家ともども、早々に退散した。


しかし、だ。何も経産婦はお良だけじゃねぇ。この長屋にも、隣の長屋にも、母親は何人かいるだろう。お良を選んだってことはやはり、男の欲目ってのがあるんだろうが、それは黙っておくとしよう。


日常のつまらないもめごとを解決し、大家から頂戴した若干の手数料を元手に、お良が働いているという蕎麦屋で文吉とそばをつまみに一杯やることにした。(このてのことで、手数料をもらうことは正当な目明しの報酬だから、悪く思わないでもらいたい。)


あっしらは、暇な方がいい。それが平和ってもんだ。しかし、夜の中は悪いやつにゃあことかかねえ。だからこそ、あっしらはおまんまの食いっぱぐれがねえ。


さてまた、文吉の野郎が大慌てでやってきたぜ。

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