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黒い電話 (ナターシャ視点)

師匠視点

「エーリカさんは本当に大丈夫なんでしょうか?」


 『こどもの家』を訪問したその日のうちに、クラウスから電話があった。

 ここ数年ほとんど置物と化していた黒電話は、エーリカが家に来るという話が出てから、それなりに忙しく本来の仕事をこなしていた。


「『大丈夫』って? あの子たちのこと? それとも別のこと?」


 言いたいことはおおよそ見当がつくが、あえて尋ねる。


「……エーリカさんご本人のことです。二人の受け入れについても、反対しないとおっしゃってはいましたが、本当はそんな余裕はないのでは? 転校だけで全てが解決しそうなんですか?」

「そりゃ、一気に何もかも全て解決なんてことはないでしょうよ」


 エーリカの言動のバランスの悪さというか、行動と言葉の温度差のようなものが引っかかったのだろう。子どもの教育に携わる者としては気になったようだ。


「あの年頃の子どもなんてみんなそんなものでしょう。成長の途中なんだから」

「……それもそうですね」

「私が心配なのはむしろあの子たちのことなんだけどね。追手とか、実親を名乗る者が現れる心配は本当にないのかい?」


 冗談めかして言ってみたものの、一番の懸念は実際そのあたりにあった。敵(になるかもしれない存在)の正体が不明である以上、今のナターシャには何があってもあの三人──エーリカとアロンとニコラ──を自分だけで守れる、と言い切れるほどの自信はなかった。もう昔とは違うのだ。


「絶対、とまでは言い切れません。今のところそんな気配はないんですが」

「ま、うちや『こどもの家』の敷地内ならまず安心だけどね。問題は初等部以降ってとこかしら?」

「そうなりますね。できるだけ他の子たちと同じように育てていきたいので」


 同じように、というからには、敷地内に閉じ込めておいたり、すぐにでもクラウスの弟子としたりはしない、ということだろう。


「備えておくしかないってことだね。あなた方のことも頼らせていただきますよ、クラウスさん。エーリカのことも含めてね」

「もちろんです。こちらこそ、お願いいたします」




 数十年前の自分なら、もっといろいろなことができたのに、と思わないこともないが、昔は昔で周囲に危険も多かった。少なくとも今この町は安定している。

 『魔女の家』と『こどもの家』は、どちらもこの町の重石(おもし)の一つだ。ナターシャがずっとここで暮らしてきたことも、多少は町の平和に寄与しているのだろう。

 

(それにしても、この家のおかげで)


 この家で暮らし始めた頃は、自分がこれほど長く生きるとは考えていなかった。エーリカもここで長く暮らせば、何かしらこの土地の影響を受けるのかもしれないが、数年程度なら問題ないだろう。それ以降のことは、本人に決めてもらうしかない。


(しかし、いつどこまで伝えるか)


 昨日、麦祭りの飾りとお供えを並べていたとき、エーリカの両隣にはナターシャの見知らぬ者の姿があった。そこから少し離れた、玄関に近いところには老人の姿もあったが、そちらはナターシャもよく知る者だった。

 エーリカの隣にいた者のうち、一人はおそらくエーリカに縁のある存在だろう。黒い髪は短かったが、少女のように見えた。しかし人間ではなさそうだ。その娘はナターシャの視線に気づいても、特に気にしていないようだった。

 もう一人は、ぼんやりとした白い人型の影のような姿だった。それが本来の姿なのか、そのようにしか認識できないのかは定かではないが、ナターシャは以前にも似たようなものを見たことがあった。ナターシャはそれらを、()()()()()()する、生き物あるいは思念体のようなもの、と解釈していた。正直、はっきりとしたことは不明だが、人に大きな害をもたらすようなものではないので基本は放っておいてもいいだろう。


(『しろかげ』とでも呼ぼうか)


 しろかげは、(目があるようには見えないので雰囲気でしか判断できないが)ナターシャの視線に気づくと、手を振って応えた。妙に人間臭くて可笑しい。


 エーリカはそれらのどの存在にも気づいてはいないようだった。今この家にいる生きた人間はナターシャとエーリカだけのはずだ。彼らはこの世のものではない存在、とでもいうしかないのだろうが、今ここで見えているのに、この世のものではないというのも奇妙な話ではある。


(あの子たちには見えてしまうかもしれない)


 アロンとニコラはまだ幼いし、ナターシャが見ているようなものが見えるかもしれない。

 この家では特に。


(でも、あの子たちもおもしろいけど、やっぱりエーリカもおもしろいね)


 彼らと過ごすことが、エーリカにとって良い刺激になりそうだと、ナターシャは考えていた。




「エーリカから聞いたんだけど、男の子たちを預かるんですって?」


 今度の電話はエーリカの母親からだ。さっきより気を遣う相手である。


「預かるっていっても、月に何日かだけって話だよ。心配かけて悪いね。エーリカに無理はさせないさ。別に自分の部屋に閉じこもってたっていいし、体調が悪い日や学校が忙しい時は遠慮してもらうつもりだよ」

「ならいいけど……でも大丈夫なの? もっとちょうどいいお宅があるんじゃない?」

「無いからうちに話が来たんだろうさ」

「そう……うちの人にも話さない訳にはいかないから、詳細をちゃんと送ってね」

「わかってるよ」

「それから……エーリカだけど、本当に自分で決めたのよね?」

「悩んでたけどね。学校にもこの町にも興味を持ったみたいだよ。私も良いと思うよ、本当に」


 エーリカのことだから、三人がうちにやって来たらおもしろそうだな、というナターシャの考えにも気づいていただろうが、仮にそれを踏まえてのことだとしてもエーリカ自身が決断したことに変わりはない。


「エーリカのこと、よろしくお願いします。必要なお金は送るし、お礼もします。……今の状況は私にも責任があるのに、私にはもう、できることがなくて」

「あの娘のお小遣いならともかく、私に礼なんて不要だよ。町立学校の中等部はお金もほとんどかからないみたいだし。書類にもそうあったでしょう」


 この娘ももうすっかり母親なのだな、と今更ながら感慨深く思う。


「あんたはよくやってるよ。エーリカはお母さんが一番好きなんだから。自信をもって」




(そういえば、この電話)


 この電話も、確かもう50年以上ここにある。

 子どもたちがやって来るのなら、最近よく見かける携帯用の小型電話端末もあったほうがいいのかもしれない。


(やっぱり科学のほうが便利だね)


 今となっては、人間の魔術は一部分を残してあとはすっかり廃れてしまった。こうなることはずっと昔から予想されていたことだった。なにしろナターシャが魔術を学び始めた頃には、既に科学の時代が到来していたのだ。

 魔術というものが、本来あくまでも人外者と一部のヰ人の領分だったことを考えれば、こうなるのも当然だったのかもしれない。


(でも、新しいことは楽しいね)

 

 これからはいろいろとやることがある。終わりに向かう準備も大切だが、完全な隠居はまだ自分には向かないようだ。

なんか白くて変な……しろかげ。

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