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21 不思議な文通


 ――もうすぐだよ、と文字が浮かんだ。


 もうすぐか、と私は思いながら、筆の先に墨を付け、左腕に文字を書き返す。筆の先が肌をなぞっていく感覚はいつだって気持ちが良い。書いた先から、その墨は肌に染みていくように、どんどんと消えていく。


『きんちょうする?』


 しばらくして、もうすぐだよ、という文字の下に、別の文字がゆっくりと浮き上がってくる。左腕の、肌から染みあがってくるように。


 ――する。


 珍しいね、と私は声に出して呟いた。

 太陽は真上にある。窓辺に椅子を運び、空を眺めながら、窓枠に左腕を置き、不思議な文通を続ける。容赦なく照り付ける対応が私の左腕を焼くように照らす。じっ、と見つめていれば、少しずつ、また字が浮かんできた。


 ――あついね。

『そうだね。今日はとくべつにあつい』

 ――わたしは、さむいほうが好き。

『そうなんだ。わたしはあたたかい方が好きだよ』


 左腕の、文字がない部分に、筆先を伸ばす。文通を繰り返すたび、腕が黒く染まっていく。向こうの腕も真っ黒だろう。


 ――そろそろ、行かなきゃ。


 彼女の綺麗な字がそう告げる。トメとハネが私よりもしっかりした、いかにも彼女らしい字だ。


『うん。先に、待ってて』

 ――うん。天国で待ってる。

『楽しみ』

 ――私も、楽しみ。


 ピリオドを意味する、花丸がその後ろに浮かんでくる。すっかり腕は真っ黒に汚れてしまった。私は左腕をひっくり返し、何とか肘の部分にまだ白い肌が残っているのを見つけた。そこに花丸を書き返す。

 筆をおき、腕を洗いに行った。部屋を出れば、廊下に樽が置いてあり、そこに水が溜めてある。水は生温かった。腕を差し込み、右手で墨をぬぐい落す。墨は面白いくらい簡単に溶け、水と混じっていく。しばらく擦ってから、両腕を引き抜き、横に置いてあった乾いた布で腕を拭いた。もうすっかり、左腕は白くなった。

 拭いた布を樽の中に投げ入れ、私は部屋の中に戻る。ドキドキと鼓動が高鳴っていた。


 今日は運命の日。あの子が、使命を果たす日。

 もう話せなくなるのは悲しいけど、でも、ずっとこの日を待ち望んできたのだ。あの子も、早く来て欲しい、と毎晩のように言っていた。先を越されちゃうのは残念だけど、まぁ、文句を言っても仕方がないことだ。いずれは私にもその時が来るのだから、のんびり待とう。

 私は鼻歌を歌いながら、椅子に腰かける。太陽は私たちを祝福するように輝いている。綺麗だ。


 天国ってどんな場所だろう? どれだけ美しいだろう?

 楽しみだ。――死ぬのって、凄く楽しみ。


 ふんふんと気ままに鼻歌を歌っていると――突然、左腕に激痛を感じた。


「いっ……!?」


 ぱっ、と見やれば、触れてもいないのに、左腕に、小さな切り傷が走っていた。ぷっくりと血の玉が沸き上がる。

 何かで切ったのかな、と思っていれば、また新たな痛みが走った。切り傷の下に、平行して、また新たな切り傷が生まれる。


「え……?」


 傷が増えていく――まるで、文字が浮かび上がってくるかのように。いや、それは文字を象っていた。あまりの痛みに腕を抑え、傷が広がらないようにするものの、抵抗虚しく、肌が自ら裂けていく。次々と血が溢れる。ダラダラと溢れ、肌を滑っていく。傷がどんな文字を描いているのかさえ、血に濡れてわからない。


 あの子からのメッセージだろうか。最後の最後に、腕を傷つけてまで、何を伝えようとしているのだろう? まさか、直前に屍人ゾンビに襲われたのだろうか。


 嫌な予感がした。ぎゅっと目を閉じ、痛みを我慢して、傷が作る文字に集中する。肌でその文字を感覚しようとした。ぴりぴりぴりと裂けていく。こんな痛みを感じたことがなかった。知らない間に泣いていた。けれども必死で意識を文字に集中した。


 そして、唐突に肌が裂けるのが終わった。ひたすらに、ただ、血だけが流れていた。


「……シニタクナイ」


 ――死にたくない。

 あの子からの最期のメッセージは、それだった。

 全身の血が凍り付くような、そんな心地がした。初めて、怖い、という感覚を、知った。


 この最期のメッセージを、きっと、死ぬまで恨み続けるだろうと、私は思った。

第三章の始まりです。

どうぞお楽しみください。

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