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19 マリオネットは糸を断つ

 アリスの中では、今、リュートに対するほんの僅かな申し訳なさと、屍人ゾンビに対する冷静な思考が渦巻いている。取り乱さない自分に対して、疑問を抱くこともなかった。そうやって生きてきている。


 このままリュートを引き連れて、エマたちの方向へ行ってもいいものか、とアリスは悩んだ。混乱を呼ぶくらいならば、兜を背後から奪い取り、それから銃で撃ち殺してもいい。


 そう考え、アリスがリュートに近づこうと姿勢を低くした時だった。


 ――銃声が鳴った。


 さっきはビクともしなかったリュートの兜に、大きな穴が開く。リュートはふらりと揺れた後、後ろに倒れた。アリスは振り返る。近くには誰もいない。それでも銃声が聞こえた方へ走り出す。それはさっきまで寝ていたところに続く方角でもあった。


 寝床に戻ると、地面にはエマたち三人と、起きたばかりのロバートが立っていた。

 そして、木の枝の上で、長い銃身を持つ銃を構えたまま、リルベルがリュートがいた方向を睨んでいた。彼女は溜息を吐くと、慣れた動きで木の枝から飛び降りる。


「大丈夫? アリス」


 リルベルは首を傾げ、僅かに微笑んで尋ねる。

 アリスは確信していた。リルベルが、リュートを撃ち殺したのだ。人間だったリュートも、屍人ゾンビだったリュートも、どちらも、リルベルが殺したのだ。


「……どういうこと?」


 アリスの声音で、リルベルは察したらしい。すぐに顔色を曇らせると、俯いた。


「ほんと間抜けだよな」


 はは、と笑ったのはエマだ。アリスは睨みつけるようにして彼女を振り返る。


「何が?」

「お前、ユースのことどう思う?」

「ユース……?」


 優しそうな顔がパッと思い浮かぶ。アリスはエマを睨んだまま、答えた。


「正義感のある、いい人だ。あの人がどうした」


 そう答えた途端、空気がおかしくなったことに気が付いた。誰もが呆れたように肩を竦めたり、溜息を吐いたりしている。

 エマはニヤニヤと笑い、肩を震わせて言った。


「ユースに言われたんだよ。旅人の片割れが利用で(・・・・・・・・・・)きそうだ(・・・・)、でもいきなり兄の仇とは組まないだろうから、どうせなら、世間知らずでうるさい若者たちを始末するついでに、実力でも確認するといい、ってね」


 ――世間知らずでうるさい若者たち?


 アリスは一瞬何の事を言っているかわからなかった。そして、ややあって、ジルたちのことをそう言っているのだと気付いた。


 あのユースが? ジルたちを勇者だと称え、期待していたのに? 彼らが亡くなった時、あんなに辛そうにしていたのに?


「……あたしたち、前の遠征にこっそり付いていってたのよ。あなたを警護するついでに、もし上手くいくなら、そのまま『神の子』を一緒に連れて来れたらいいなと思って……」


 リルベルが小さな声で答える。彼女は苦しそうに顔をしかめながら、アリスとは目を合わせられない様子で話している。

 しかし、その彼女の様子さえ笑うように、エマはまだ肩を震わせている。


「あいつらに『神の子』連れて帰るのは無理だろ。無様に死んでさァ」

「エマ」


 咎めるようにリルベルが言うが、エマは意にも介していない。


「あんたも少しは頭使えよ。アニキが死んでそんなにつらいわけ? ブラコン?」


 エマは吐き捨てるように言いながら、あぁ、と一際強い声を出した。


「ついでだから教えてやるよ――」

「エマ、それは……」


 クラウドが慌てて引き止めようとしたが、それを三白眼で睨みつけて黙らせ、エマは続けた。


「私があんたの兄貴殺したのも、ユースに言われたからだよ。お前、兄の仇に良いように利用されてんだよ。馬鹿にも程がある」


 侮蔑の目でこちらを見てから、エマは肩を竦める。


「ま、もう特区に戻る訳にもいかない。『神の子』を連れて帰るまで、どうぞよろしく……」


 嫌味に溢れた言葉だった。しかし、アリスはその言葉を最後まで聞かなかった。


 ――ユースは正義だと思った。だからこそ、従ってきた。しかし。それが覆された。


 兄との約束は破れない。正義ではないものに従うわけにはいかなかった。アリスは踵を返し、特区に向けて駆けだしていた。引き止める声が背後で聞こえる。それでもアリスは走った。



                   *



 アリスにとって、兄はこの世で最も愛しいものであり、そして最も恐ろしいものだった。


 物心がついた時から、兄は、ずっとアリスの前を歩いていた。アリスを褒め、叱り、愛してくれた。いつだってアリスを一番に考えてくれた。アリスの母であり、父であり、親友でもある、兄だった。


 普段はとても優しかった。いつも微笑んでいて、柔らかい声で話してくれた。あの声が好きだった。理知的で、けして間違った判断をしない人だった。彼が動揺したり混乱したりするような真似を見せないので、アリスもそれを知らずに育った。アリスにとって兄はどこまでも完璧な人だった。


 そして、怒ると怖かった。滅多に怒らなかったものの、兄との四つの約束を破りそうになると、酷く冷たい様子を見せた。兄の怒りは氷によく似ている。ひんやりとして、心臓が止まりそうになる。特に、四つの目の約束、兄に逆らわないこと、これを破ると、彼は酷く機嫌を悪くした。


 ――兄は正しかった。


 と、アリスは強く思う。兄に逆らった結果、大好きだった兄が、死んでしまったから。兄との約束を守らなかったのがいけなかったのだとアリスは思っている。だからこそ、もう二度と、彼との約束を破るわけにはいかなかった。



 あの日、兄が屍人ゾンビに噛まれる直前、アリスは兄に逆らった。


 アリスを地面に押し倒し、兄はじっと見下ろしてきた。その瞳に奇妙な熱があり、彼の唇も僅かに震えているのを見て――アリスは怖い、と思った。何か知らないものが始まると思った。だから兄を突き飛ばして逃げた。訳も分からず逃げた先に、屍人ゾンビがいた。そして、兄はアリスを庇って噛まれた。


 あの時、兄は何をしようとしたのか。アリスには、わからない。

 けれども、もう二度と、約束は破らない。


 アリスは南部特区に向けて走る。兄との一つ目の約束を――正義に従うという約束を、破る訳にはいかないから。


次回で第二章が終わる予定です。

それにしてもアリスはよく移動するなぁ。

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