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インビジブル・ラブ  作者: BUTAPENN
chapter 4 OL連続暴行殺人事件
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chapter4-1

 どんなに熱烈に愛し合う男女でも、四六時中いっしょにいるうちに、熱も冷める。相手のアラが見えてくる。

 悲しいことに、これが人間の真実だ。

 そしてそれは、幽霊・水主淳平と、人間・小潟愛海の関係でも例外ではない。


「もう、我慢できねえっ」

 ある朝、堪忍袋の緒が切れた俺は、一気にまくしたてた。

「ゆうべソファにぶったおれて、そのまま寝ちまったおまえを、俺はベッドまで運んだんだぞ。そのうえ、クレンジングでメイクを落として、化粧水でパッティングまでしてやったんだぞ。それなのに、その見返りが、『頼んでないも~ん』のひとことか!」

「ふんだ。だって、本当に頼んでないもん」

 ちなみに、愛海は45キロある。その愛海をベッドまで運べたのだから、俺の『霊指』の力は、相当にレベルアップしているのだ。

 などと自慢してる場合じゃないが。

「こないだメイクを落とさずに寝たら、『お肌がガビガビ~』とか言って半ベソかいてたのは誰だ。だから、せっせと世話をしてやったのに、俺はもう、おまえの面倒なんて金輪際見ないからな」

「そんなに恩に着せるくらいなら、面倒なんて見てくれなくっていいわよ」

 とっくに体などというものが灰になっちまった俺でも、首筋がぞわぞわした。怒髪天をつくというのは、こういう心地のことを言うのだろう。

「もうおまえなんかのそばにいてやるもんか。出て行ってやる!」

 怒りにまかせてわめいた言葉が、愛海との同居生活の危機の始まりだったとは、そのときの俺は考えもしなかった。


 言ってから「しまった」と思っても、もう遅い。覆水盆に帰らず、親不孝息子も盆に帰らず、だ。

 だいたい、俺は本当に出て行くつもりなどなかった。幽霊の俺が現世にしがみついていられるのは、愛海のおかげじゃないか。

 この世とのただひとつの絆である愛海を失ったら、俺は存在する意味をなくしてしまう。

 それなのに、こんなタンカを切ったのは、愛海に言わせたかったからだ。『出て行っちゃイヤ。淳平がいないと生きていけない』と。

 ネコのフー公が心配げに、俺たちの言い合いをソファの陰に隠れて見ている。その様子は、まるで親のケンカをのぞいているガキみたいだった。


 きっと俺は自分に自信がないのだと思う。逆立ちしたって、愛海の恋人にはなれない。身体がないから、愛海を抱くことも、守ることもできない。アラジンのランプの精みたいに、せっせと世話を焼くだけ。

 そんな毎日にだんだんと苛立ちを感じ、愛海の気持を試そうとしたのだ。

 ところが、愛海から帰ってきた答えは、こうだった。

「出て行ってもいいよ、絶っっ対に止めないから!」

「わかった」

 最後通告をつきつけられた俺は、完全にブチきれた。

 窓を霊指の力で思い切り開け放つと、嫌がるフー公を道連れとばかりにつまみあげ、窓を乗り越えて一気にジャンプした。

 道を歩いていたヤツが、顎がはずれそうなくらい口を開けて見上げている。

 そりゃそうだろう。俺が見えない人間には、四階の窓から三毛猫が飛び出して、ふわりと宙に浮いているように見えているはずだ。

「ぶみーっ」

 フー公は、豚かネコか分からない声で鳴いた。(元に戻せ。早く帰りたい)という抗議だ。

 こいつにしてみれば、俺たちのケンカのとばっちりを受けて、さぞいい迷惑だろう。居心地のいい愛海の部屋を出るつもりなど、さらさらなかったはずだ。

 だが、俺が追い出されたというのに、こいつだけを愛海のそばに残して、膝の上で甘えさせてなるものか。

「ほう、俺がいなくて、おまえは誰に世話をしてもらうつもりだ?」

 俺は冷ややかに答えた。

「目覚ましを三つ鳴らしても起きられない、あのチョー低血圧の寝坊女が、毎朝の出勤前に、おまえの皿にエサと水を用意していってくれると思うか。やってるのは、いつも俺だ。おまえのトイレや毛布をきれいにしてやってるのも、オ・レ・サ・マだ!」

 フー公は降参とでも言うように、がっくりと首をうなだれた。愛海のグータラぶりが、よほど身に染みているらしい。

「行くぞ」

 指でちょいと合図すると、しかたなく俺の後ろにトボトボとついてきた。

 道路向こうのコンビニで、外のゴミ箱から食べられそうなものを拾って、投げてやった。朝飯がお預けだったフー公は、うれしそうに飛びつく。

「な、ノラ猫も、うまくやれば、案外ぜいたくな暮らしができるだろ」

 と言いながらも、俺は心もとなさを感じていた。

 愛海のもとを出て、これからどうやって生きていけば、じゃなかった、死んでいけばいいんだ。

 ノラ猫ならまだしも、ノラ幽霊だなんてカッコ悪すぎる。


 自分がこんなに弱い男だったかと思う。

 生きているときは、他人に心を許したことはなかった。世の中には三種類の人間しかいない。敵とカモと、あとはどうでもいいヤツ。そう思って悪事を重ねて生き、みじめに殺された。

 今は、惚れた女と口ゲンカしただけで、身の内にぽっかりと穴が開いたようだ。

 寒さのあまり、ネコのぬくもりさえ当てにしてしまう。

 俺たちは、ぶらぶらと公園までやってきた。フー公は大あくびをしたあげく、ほどよく温まった日なたのベンチを見つけて、丸まってしまった。

 することもなく、俺はふと、公園の立ち木の向こうに目をやった。

 一年近く幽霊をやっていても、他の幽霊を見かけたことは、数えるほどしかない。

 寺や神社のような霊のたまり場には大勢いると聞いたことがあるが、俺はそういうところが苦手だ。

 だから、線路の土手にひとりの幽霊がうずくまっているのを見たときは、思わず興味を惹かれた。そのときの俺は、やはり気が弱くなっていたのだろう。

 ひと飛びで近づく。50歳くらいの男の幽霊だ。

 線路で電車にはねられたか何かで、ここから動けなくなっているのだろう。

 俺に気づいているのか、いないのか、男は土手のブロックにしがみつきながら、ぽつりとつぶやいた。

「死んだのか……」

 どうやら、自分が死んだことも確かではないらしい。急死したケースでは、よくあることだ。

 俺の場合は、太公望が教えてくれたから、納得できたようなものだが、もしそうでなければ俺も今頃、自分が殺されたとは思わずに、あの裏路地でまだ這いずり回っているのかもしれない。

 そう考えると、ぞっとする。


 そうだ。思い出しついでに、太公望のおっさんに会いに行くのもいいかもしれないな。

 俺は、公園でフー公が寝ているのを確かめると、この世とあの世との境界、『はざまの世界』へ戻ることにした。

 幽霊の俺にとっては故郷とも呼べるあの場所に、もう軽く二ヶ月は帰っていなかった。

 ところが、行ってみて驚いた。

 霊泉のほとりで釣り糸を垂れていたのは、若い男だったのだ。

 しかも、真っ黒の烏帽子をかぶり、真っ白な狩衣かりぎぬを着た、まるで平安の絵巻物から抜け出たような美形の貴公子だ。

 おいおい。しばらく見ないうちに、爺さんが若返っちまったなんてことはないだろうな。

「太公望のおっさんは?」

「太公望?」

 男は不思議そうに、顔を上げた。

「ああ、あやつのことか。それなら、薬桃を取りに山へ出かけておる」

 山ときたか。こんなだだっ広い何もない世界にも、どこかに山があるらしい。

「で、あんたは誰だ」

「あやつの昔なじみじゃ。ちょいと留守居を頼まれてな」

「ふうん。じゃああんたも、幽霊か」

「少し違うが、似たようなものかのう」

 男は、おかしそうに笑った。

「おぬしのことは、荒高から聞いて知っておるぞ」

「荒高?」

 思い出した。荒高と言えば、愛海に護符をくれた心霊調査事務所の所長の名だ。この男も、あいつらの仲間だったのか。

 やつは釣竿を地面に置くと、俺をじっと見た。

「なにやら、自分の行く当てがわからぬという顔をしているのう」

 俺は、しかたなく平安貴族の隣に腰をおろした。

 不思議なことに、男の視線を受けているうちに、何もかも話したい気分になってきたのだ。

「実を言うと、太公望に相談したいことがあった」

「それなら、あやつの代わりに、わたしが聞いてしんぜよう」

 ヤツは、芝居じみた咳払いをひとつした。

「ここで会うたのも何かの縁。こう見えても、人生経験はなかなかに豊富じゃぞ」

「幽霊が人生相談てのも、変な話だな」

 俺は苦笑を含みながら、湖面に立つさざなみを見つめた。

「俺は地上で、愛海というひとりの女と暮らしてる。もちろん、生きてる女だ」

「ふむ。それが、荒高から護符を受け取ったという女人じゃな」

「そいつは、俺が殺された事件を捜査する刑事だった。毎日へとへとになるまで歩き回って犯人の手がかりを捜していた。どうしようもない悪人だった俺のために、花をたむけてくれた。俺はいつのまにか、そんな愛海に引き寄せられて、そばにいたいと思うようになった」

「早い話が、その女人に惚れてしまったということじゃな」

「ああ、惚れてる」

 俺は素直に認めた。愛海の前でも、これくらい素直になれれば、そもそもケンカなどしなかったのにな。

「生きてるときは女をだましてばかりいた俺が、死んでからはじめて女に惚れた。皮肉なものだ」

「高い授業料を払った後で、人ははじめて本当のことに気づくものじゃよ」

「そうかもしれねえ」

「それで、おぬしは何を悩んでおるのじゃ?」

 俺は、しばらく口をつぐんでから答えた。

「このまま愛海のそばにいて、いいんだろうか?」

「おぬしの気持は、どうなのじゃ?」

「俺か。俺はずっと愛海のそばにいたい」

 少しは迷おうかとも思ったが、口からはすらすらと答えが出てくる。俺は、ほんとうに単細胞な男だな。

「どうせ、天国にも地獄にも行き場のない身だ。いっそ愛海が死ぬまで一緒にいたいと思ったりもする」

「相手の女人は、どう思っておるのじゃ?」

「……わからない」

 正直言って、わからない。確かに俺が霊指の力でキスをしたり、身体を触ったりすると、うっとりと頬を上気させている。一緒にいると嬉しそうだし、俺がちょっと姿を見せないと、心配して涙ぐんだりする。

 結婚詐欺師の経験から言って、それは男に惚れ始めた女の目だった。

 愛海は俺に惚れかけている。

 俺はそれに気づいて、有頂天になった。だから、いつのまにか、勘違いをしてしまった。

「俺は、なんでも用事を言いつけられる便利な『ランプの精』なんかじゃない。愛海にとって大切な、ただひとりの男になりたいと思った。だから、今朝は、ささいなことでついカッとして、大ゲンカを演じてしまったんだ」

 幽霊のくせに。

 愛海と抱き合うことすらできないくせに。

 俺は、愛海の恋人になりたいという願いを、どうしても消すことができなくなった。

「幽霊の恋人志願――というわけじゃな」

「赦されることじゃないのは、わかってる」

 だってそうだろう? 俺が恋人気取りでそばにいるかぎり、愛海は生身の男に恋もできない。一生のあいだ、結婚も、子どもを産むこともできないんだ。

「わたしも人間だったころ、人ならぬ女人に恋をしてのう」

 平安貴公子は、憂いを帯びた横顔で話し始めた。

「その人を慕い続ければ、自分も人ならぬ身に堕ちるとわかっていても、恋うる気持を止めることができなかった」

「……それで、どうなったんだ?」

 おそるおそる、俺はたずねた。

「相手の女人は、わたしの仲間たちの手で殺されたよ。目の前で」

 烏帽子に手をやる。その仕草は、男とは言え、匂い立つような色気があった。

「人と人ならぬ者との間には、越えてはならぬ壁がある。それをわきまえることじゃ」

「……ああ」

「おのれの分をわきまえる限り、その愛海という女人のそばに、いるのはよかろう。ただし、邪念を捨て、ひたすら見守ることに専念するのじゃ」

「邪念を捨てる……?」

 俺は、頭をかかえた。

 愛海のそばで、邪念を捨てる? まるで、ステーキのそばで、食欲を捨てろと言っているようなものじゃないか。

 ふと隣を見ると、男は立ち上がるところだった。

「ずいぶん長居をしてしもうた。わたしは、もう行く」

「あ、ああ。俺も、ぼちぼち地上に戻るよ」

 男は俺に向かって、静かにほほえんだ。

「達者でな」

「あんたもな」

 もう次の瞬間、男の姿は俺の目の前から消えていた。ヤツの目には、俺が消えたように見えたことだろう。これが『はざまの世界』の不思議なところだ。いまだに慣れそうもない。


「どうじゃった?」

 たぶん、俺たちが別れた、その直後だ。

 太公望がどこからともなく、あの男のもとに現われ、こんな話をしたらしい。

「水主淳平という男、おぬしはどう見る?」

「まっすぐな気性をしている。本当にあれで、生きているとき悪人じゃったのか?」

「ああ、まあな。悪に走るには、それなりの理由があったと聞いておる」

「それにしても、かなりの霊力を秘めておるな」

「たぐいまれな霊指の使い手じゃ」

「今はいい。じゃが」

 言いにくそうに口をつぐむ男に、太公望は険しい表情でたずねた。

「ヤツの行く末は、危ないか」

「いったん邪念に取りつかれでもしたら、あの男、われらの強敵になるやもしれぬ」


 そんなおっかない会話が交わされているとは露知らず、俺は『はざまの世界』をふらふら歩いていた。

「邪念を抱くな……か」

 男の言った言葉は、かなりこたえた。

 確かに、このところの俺は、邪念のかたまりだったからな。キスはもちろん、愛海の身体に触り放題。風呂にまでいっしょに入ったし。

 やはり俺は危うく、幽霊と人間の越えてはならない壁を越えようとしていたのかもしれない。

 そうなったとき、愛海にとって良くないことが起きるのは間違いないだろう。あの男は、『人ならぬものに堕ちる』とか言っていたからな。

 俺のせいで、愛海を不幸にはしたくない。

 清く、邪念を持たずに、相手のことを大切にする。

 まるで、教師が中学生に説教する『正しい男女交際の心得』みたいだが、しかたない。

 愛海に会いたい。

 今朝ケンカ別れしたばかりだったことも忘れて、俺は無性に愛海のところに帰りたくなった。

 途中で、公園で寝ているフー公を拾って、連れて帰ろう。フー公を見れば、愛海も情にほだされて、俺とのケンカをむしかえしたりはしないだろう。

 こういうセコイ企みにかけては、俺は天才だな。

 ところが俺は大誤算をしていたのだった。

 なにせ二ヶ月ぶりなので、『はざまの世界』から地上に戻るとき、いったいどこに着地するのかを、俺はすっかり忘れていた。

 出発地点の公園ではなかった。

 愛海が、今いる場所。

 街中であれ、車の中であれ、たとえ着替え中のロッカールームであっても、俺は必ず、愛海のそばに現われてしまうのだ。

 まず、目に飛び込んできたのは、ネグリジェ姿の女。顔は土気色をしている。

 狭い部屋に、手袋をはめた大勢の男たちが動き回っている。そして、その中に警察の腕章をした愛海が混ざっていた。

 どうも俺は、よりによって殺人事件の現場に現われてしまったようだ。






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