野槌 第1話
なんだか、私にはミステリーとかが似合っているのかと思いまして、書いてみました。
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頭上では暗澹たる雲がゆっくりと渦巻いている。わずかな雲間から月光が射しこみ、私の歩く山道を青白く照らしていた。雑草がえぐられ土がむき出しになった道は、ぐねぐねと蛇行しながら急な上り坂の先へ続いている。道の末端は闇に潰され、はっきりとしない。
脇には無数の木々が闇に輪郭をなくしつつ立ち並び、そこから伸びた細い枝は頭上の空に張りめぐっている。まるでトンネルのようで愉快にも思えたが、その愉快さも山道を登りはじめて数分で潰えた。
ふくらはぎが鉄を注入したかのようにパンパンに張り、足の裏はかすかに痺れているような気配がある。歩を進めようと足を持ち上げるたびに腰が鈍く軋み、朦朧としていると不意に後方へと倒れそうになる。
ふと立ち止まって振り返ると、点々と村の灯が見える。昼間の喧騒はどこかに姿を消し、今は野鳥と鈴虫の鳴く声しか聞こえてこない。ぼうっとしていると、頭上から「日が暮れちゃいますよ」と声が掛かった。あごを上げてそちらを向くと、髪を首筋あたりで短く切りそろえた少女が手を振っているのが見える。
少女は背面歩行で私を見下ろすようにしながら、ずんずんと進んで私との距離を開けている。私と同じ道のりを歩いてきたはずなのだが、どうして彼女はあんなにも覇気に充ちているのだろうかと、疑問になる。
「少し休もう」
私は彼女に届くか届かないかの声を上げると、道から逸れて枝葉の下へとくぐった。すかさず背面歩行をしていたフミが進行方向を切り替えてこちらへ凄い速度で駆け下りてきた。私は引き止められる前にさっさと木の幹に寄りかかる。
「もう。男気がないと女子に好かれませんよ!」
フミはつま先を土にめり込ませて減速しながら、私の前に立ち止まると、多少乱れた息でそう言った。
「一向に構わん」
私はフミを一瞥すると、そのまま視線を上へ持っていき、雲間からのぞく月を見た。体内に煙のごとく充満する疲労感を吐き出そうとため息をついてみる。かすかな脱力感の後、よくよく考えると私はどうして山なんぞに登っているのかと訳が分からなくなってきた。
「なあ、どうして俺は山に登っているんだ」
フミは一度首をかしげたが、すぐにふふっと笑い答えた。
「依頼を受けたからじゃないですか」
そう言われて、ああそうだったな、と思い出す。
昨晩のことだった。宮城屋という雑用を何でも承る私にとって人生最大の汚点となりえる事務所に、腹のふくれた女性がやってきた。おめでただと分かると、フミは興奮してはしゃいでいた。もともと根無し草で旅をしていた私を定職させようと、無計画のうちにフミが開いたのが宮城屋である。もちろん私は他人が持て余した雑用などこなしてやるほどお人好しではないのだが、フミが妊婦の依頼を無碍に断り追い出すなんて人徳に反しているなどと喚くので、話を聞くこととなった。
そして、その依頼の内容が県境にある連山へ赴き、その中枢に腰を据えている豊清水神社に安産祈願のお守りを取ってきてほしいというものだった。夫は仕事で連日忙しく、妊婦自身は「こんなナリだからいけないのよ」主張した。
私はもちろん嫌な顔をしたが、それを妊婦から隠すようにフミが遮った。
「その依頼、承りました!」
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闇を掻き分けるように進み、時にフミに背中を押されながら、ようやく神社の境内へ足を踏み入れた。石畳の道が真っ直ぐ続いており、その先には闇に潜む本殿がある。本殿の脇には小屋があり、壁の板と板の隙間から線になった光が漏れてきている。
「きっと神主さんです!」
フミはそう言うと、私の意見も聞かずにパッと駆け出した。遠くなっていく彼女の背中を見つめながら、安産祈願の札を貰う役目はフミに任せて私は石段に腰掛けていようと思った。
朱色の塗装があちこち剥げている鳥居の真下に腰かけ、脚を前に放り出す。眼下に広がる広大な夜景には舌を巻くものがあったが、だからといって溜まった疲労感は抜けていかない。札を貰ったあと、また同じ道を下山しなければならないと思うとゾッとした。
振り返ると、ちょうどフミが小屋の角を曲がっていくところだった。足音が聞こえなくなると、私は少しだけ不安になった。雲間から冷たい光が境内へと差し込み、取り残された私は半身をひねったまま小屋のほうを見続ける。
小屋のなかでフミが灯の前を遮ったのか、板目にそった光の線が何度か点滅した。それを見ながら、少女を一人にさせるのはやはり心もとないなと思い、私は鳥居の柱を支えにしてゆっくり立ち上がる。一度休みかけた身体は億劫だったが、そのまま石畳にそって小屋へと向かった。
するとその途上で、静かだった小屋から突如、フミの叫び声が響いた。
こだまするように反響する叫び声とともに、遠くの茂みから野鳥たちがいっせいに草木を鳴らして羽ばたいた。私はギョッとすると同時に、叫び声の余韻を確かめるまでもなく走り出した。
「フミ!」
声を上げながら小屋を回りこみ、戸を見つけると勢いよく押し開けた。その勢いのまま小屋へ踏み込むと、生暖かい風が頬を抜けた。小屋内には家具一式が揃えてあり、いたるところに木蝋が置かれてあった。その木蝋の灯かりに照らされて、小屋内にはフミと白髭の老人がいた。
「あ、宮城さん」
フミが平然としているので、私はきょとんとなった。それに、ふと彼女の手を見てみるとすでに安産祈願の御札が握られていた。
老人は「おや」と言って、太い眉毛を吊り上げた。狩衣姿からして神主だろうと思った。モミアゲまで巻き込んだ白い髭は鎖骨まで届いてあり、なにやら厳格な老人に思えた。
「夜遅くに山奥に来ては危ないと言おうとしていたところでしたが、お連れさんがいたのですな」
神主は板を積み重ねた高座に正座しており、ちょうど我々と視線が並んでいた。背後の壁に大きくなった陰が投影されており、いくつもの木蝋の火に何重にもなって揺らめいていた。
「少し目を離してしまったもので。ご心配をお掛けしてすみません」
私が下げた頭を上げると、間も置かずにフミが跳びはねるようにすがり付いてきた。
「宮城さん、宮城さん! 神主さんの話によると、この山にはツチノコがいるそうなのです!」
「ツチノコ?」
フミの脈絡のない発言に、思わず聞き返してしまう。
「いや、そういう噂があるだけで、目撃情報などはないんだよ。それなのに、その子ときたら、興奮したように叫びだして。まったく驚いた」
神主は落ち着いた表情でそう言うが、フミはそんなこと気にも留めずに跳びはねる勢いのまま言い放った。
「探しましょうよ! 宮城さん!」
まるで玩具をねだる子どものように、フミは私の腕を掴んで離さない。迫ってくる彼女の瞳には、唖然とした表情の私が照らされ映っている。
「探すって……おまえ……」
もともとフミは好奇心の塊のような少女だ。金持ちに嫁ぐため淑やかな振舞いをする下町の女たちと比べれば、そのお転婆なところが可愛くも思えるのだが、時としてお転婆を通り越し破天荒に移り変わることがある。そういう場合は私では手に負えなくなる。
「行ってはいかん。この山はただの山ではないのだ」
今にも私の腕を強引に引っ張って戸外へ飛び出そうとするフミを制止するように、神主は強い口調で言った。さすがのフミも一度動きを止めて「と、言いますと?」と深刻そうに相槌をうった。
神主は、少しだけ間を置いて、静かに口を開いた。
よろしくです^^