離した手、繋いだ手
※この作品は別の小説投稿サイトで企画参加した際に投稿した作品となっております。
この村には、とある言い伝えがあった。白い百合の花を見つけた者は、死者に会えるという――
気がつくと、山の中にいた。見覚えがあるような、ないようなそんな場所だ。
人はいるはずなのに、山の中はひどく静かだった。風が木々を揺らす音はする。葉の擦れる音も、遠くで虫が鳴く声も聞こえる。
けれど——人の気配だけが、妙に薄い。足音も、話し声も、どこか現実味がなかった。
何をしようとしていたんだっけ。
思い出そうとしても、頭にモヤがかかっているようでうまくいかない。どうしてここにいるのかも、なかなか思い出せない。
——白い百合を、見つけなきゃ。
ふいに浮かんだ言葉に、頭の中のモヤがすっと晴れる。
そうだ。百合。あの花を見つければ、死者に会える。死んでしまった友人に。そこまで思い出して、ようやく歩き出した。
歩きながら思い出す。友人に会いたい理由。彼女に謝りたい。あの時は、手を離してごめんねと。後悔が、胸の中に渦巻いている。
山道を進むうちに、いくつもの人影を見かけた。みんな地面を見つめ、必死に百合を探しているようだった。目的は同じはずなのに、誰も周りを見ようとはしていない。
「あなた、百合は見つけられた?」
不意に声をかけられ、顔を上げる。見知らぬ女性が、近くに立って私を見ていた。
「いえ、まだ……」
「私、全然見つけられないの」
こちらを見ているはずなのに、何故だか視線が合わない。女性は私の返事を聞いていないかのように、話を続ける。
「ずっと探しているのに。あの人、もう私のこと忘れちゃったのかしら」
「あの――」
「あなたも」
声が重なる。
「忘れられていないと良いわね」
一瞬、目が合った気がした。しかし、それもすぐに逸らされる。
「じゃあ、私は向こうを探すわね」
女性はそう言って、振り返ることもなく去って行った。呼び止めようと思ったが、声は空気にほどけて消えた。
その女性は、大切な人に忘れられてしまったのだろうか。だから、会いに来てもらえないのだろうか。
忘れられるという言葉が、胸の奥に深く沈んでいった。
しばらく歩いていると、ふと周りの景色に目がいった。見覚えがあるような気がする。
その感覚を頼りに道を進むと、少し開けた場所に来た。木々の隙間からは、淡い光が差し込んでいる。
月明かりだ。
「ここ……」
私は、この場所を知っている。ゆっくりと足を踏み入れると、胸の奥がかすかにざわついた。
誰かの手を掴んでいた。必死に、離すまいと。でも、離してしまった。その先のことは、上手く思い出せない。
周囲には何もない。しかし視線を落とすと、白い花が一輪咲いていた。
――百合だ。
月の光を受けて、淡く光っている。ただ反射しているだけのはずなのに、妙に目を引いた。
「……見つけた」
そう呟いた瞬間、背後に人の気配を感じた。
「やっと来てくれたんだね」
その声に、胸の奥が静かに波打つ。それは会いたかった人の声で。振り返ると、そこには記憶の中より少し大人びた友人が立っていた。
「……久しぶり」
口をついて出たのはそんなありきたりな言葉。謝りたかったはずなのに、どう切り出せば良いか分からなかった。
友人は小さく頷き、足元の百合に目を向ける。彼女もまた、言葉を探しているようだった。
「ちゃんと咲いて良かった」
「え?」
聞き返しても、彼女はそれ以上何も言わない。静かな沈黙が落ちる。
「……ここ、覚えてる?」
先に口を開いたのは、彼女だった。
「あの日、この場所であったこと」
胸の奥が、ざわつく。必死に手を掴む彼女の顔が浮かんだ。私を呼ぶ声。ほどける手。
「……覚えてる」
そう答えると、彼女はうつむいた。恨み言を言われるかもしれない。罵られるかもしれない。
でも、震える声で紡がれた言葉は、全く違うものだった。
「……ごめんね」
どうして。何で彼女が謝るのか。顔を上げた彼女は今にも泣きだしそうな顔をしていた。その顔が、最後に見た彼女の顔と重なる。
「私、ずっと後悔してた。あの日、あなたの手を離したこと」
ちがう。手を離したのは私だ。
あの日、彼女が崖から落ちそうになって。
その時、私の脳裏にあの日の出来事が浮かぶ。繋がれた手。二人の手の先にあった、彼女の必死な顔。このままでは、二人とも落ちると分かっていた。
――だから、振りほどいたんだ。
指先から力が抜ける。感じる浮遊感。そのまま、重力に任せて落ちる体。泣きそうな彼女の顔が遠ざかっていく。必死に私のこと名を呼ぶ声が反響した。
そう、落ちたのは。
「……私だ」
やっと、記憶がつながった気がした。彼女を助けたかった。だから手を離した。そう、その選択に後悔はない。
「あなたが無事で、よかった」
そう言うと、彼女は本当に泣き出した。
「助けてくれて、ありがとう」
風が吹く。百合の花が揺れて、白い花弁を散らした。気が付けば、一輪だったはずのその花は、辺り一面を白く染め上げていた。
「ねえ、百合って知ってる?」
涙をぬぐいながら、彼女は足元の白い花を見つめながら静かに言う。
「死んだ人に、贈る花なんだって」
――ああ、そうか。
胸の奥に、すとんと落ちる。
「だから、ここにあったんだ」
自分のために。
「毎年、来てたの。ちゃんと、咲くようにって」
「そっか」
私が、落ちた場所。そこに咲いた白い花は、月の光を受けて、静かに揺れていた。
「……きれいだね」
そういうと、彼女は小さく笑った。
「ありがとう、私を導いてくれて」
彼女が私の手を取る。その手はとても温かくて、そのまま強く握り返した。
風が吹いて、百合の強いにおいが辺りに香った。その中に、自分の輪郭が溶けていく。少しずつ、少しずつ。
「……もう、行くんだね」
「うん、会えて良かった」
「私も」
手を握る力が強くなる。今度は、離さない。たとえ、行く先が違っても。
「さようなら」
彼女は、小さくうなずいた。視界が、白い花弁で覆われていく。それでも、手の感触だけは、最後まで残っていた。
風が吹く。白い花弁が、静かに舞った。
その村には、とある言い伝えがあった。命日に白い百合の花を手向けると、死者がそれを辿って会いに来てくれるという。
――本当かどうかは、誰も知らない。




