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魔王はこの中にいる  作者: 南蛇井


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⑦ 聖女が黙っていた理由

神谷は祈祷書を再び開いた。


 


手がわずかに震えている。


寒さではない。


理解が形になり始めた時、人は本能的にそれを拒む。


その震えだった。


 


先ほどの隠し文字があった頁をさらにめくる。


余白。祈りの文。余白。祈りの文。


一見すればただの宗教書だ。


 


だが今の神谷には分かる。


本当の文章は、余白にある。


 


燭火を近づける。


紙面に熱を当てると、また淡い褐色が滲み出した。


今度の文字は、これまでより乱れている。


線が揺れ、ところどころ途切れ、筆圧も不安定だ。


 


聖女が平静ではいられなかった時の筆跡。


 


最初の一文。


 


『告げれば、皆が見る』


 


神谷の呼吸が止まる。


 


次の頁。


 


『疑えば、皆が考える』


 


さらに次。


 


『知るほど形を得る』


 


燭火が音もなく揺れた。


神谷はその場で固まった。


 


理解したくない答えが、理解できてしまう。


 


聖女は無能でも、臆病でも、沈黙していたわけでもない。


語れなかったのだ。


 


告げれば、皆が見る。


 


王がおかしいと公表すれば、城中が王を見る。


民も貴族も兵も侍女も。


「王は何者か」と注目する。


視線が集まる。


 


疑えば、皆が考える。


 


正体は何か。

どこから来たのか。

いつ入れ替わったのか。

魔王なのか。


 


人々は推測し、想像し、言葉を与える。


 


知るほど、形を得る。


 


神谷は机を掴む手に力を込めた。


 


認識。


視線。


疑念。


理解しようとする意志。


 


それらが、あれの養分になる。


 


名を与えられ、像を与えられ、物語を与えられるほど、


曖昧なものは輪郭を持つ。


 


なら聖女が黙っていた理由は明白だった。


 


王を暴けば、王は完成する。


 


魔王を討つために真実を広めれば、


魔王へ力を与えるだけになる。


 


神谷の喉奥から、かすれた声が漏れる。


 


「……だから、誰にも言えなかったのか」


 


聖女は一人で抱えた。


相談もできず、証明もできず、討伐法も分からぬまま。


 


言えば世界が危うくなる。


黙れば自分が壊れる。


 


その二択の中で、沈黙を選び続けた。


 


神谷はようやく、第1話の聖女の死を思い出す。


皆は彼女を悲劇の犠牲者として語った。


あるいは陰謀の被害者として。


 


違う。


 


あれは、最後まで口を閉ざした者の末路だ。


 


沈黙によって国を守ろうとした者の顔だ。


 


神谷の背中を冷たい汗が流れる。


 


自分は今、彼女が守っていた境界線の内側に立っている。


知ってしまった。


考えてしまった。


言葉にしてしまった。


 


その瞬間、部屋の隅の古い鏡が、きしりと小さく鳴った。


 


神谷は反射的に振り向く。


鏡面には、自分しか映っていない。


 


だが、自分の背後にあるはずの空間が、


ほんのわずかに玉座の間へ見えた気がした。

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